No.8 日本国憲法の平和主義と「対テロ戦争」

宮地基 記


はじめに

 2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ事件は、アフガニスタンにおけるアメリカ・イギリス両国の武力行使に発展しました。日本政府は、10月29日、いわゆる「テロ対策特別措置法」を制定し、両国による武力行使に対し、自衛隊を派遣して支援を行いました。
 
 自分たちの目的を達成するために多くの罪のない人々の命を踏みにじるテロ行為には、誰しも強い憤りを覚えるでしょう。しかし、アメリカ・イギリスの武力行使も、多くの罪のないアフガニスタン国民の命を犠牲にしています。爆撃の直接の被害を受けた人々ばかりでなく、戦乱を避けるために故郷を捨てて難民となった人々の中で、老人、幼児といったもっとも弱い者たちが、飢えや寒さ、そして病気のために命を失ってゆくのです。しょせん戦争は人殺しにすぎません。アメリカの武力行使を支援することは、結局は人殺しの手伝いをすることに他ならないのです。
 
 今回のような国際紛争を、武力を使わずに解決する方法はないのでしょうか。日本国憲法9条が、「‥‥武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定したのは、いったい何のためだったのでしょう。

1.平和主義の起源、憲法の起源

 日本国憲法は、一般に「平和憲法」とも呼ばれ、平和主義は日本国憲法の大きな特色だといわれています。もっとも、憲法の規定によって平和を守ろう、戦争を防ごうというのは、何も日本国憲法だけの特色ではありません。むしろ、国家権力担当者の恣意的な行為によって戦争が起こるのを防ごうとするのは、この世界に今のような憲法が作られた大きな目的の一つでもあったのです。

 この世界に今のような形の憲法がはじめて作られたのは、18世紀の末、近代市民革命の直後の時代でした。近代市民革命といえば、フランス大革命、アメリカ独立革命に代表されるように、それまでの絶対君主制による支配に反抗して、一般の市民が武器を取って立ち上がり、実力で君主の政府を倒し、自分たちの手で新しい政府を作った革命のことです。絶対君主制とは、その名の通り、君主、つまり国王が国の全ての権力を一手に握って、自分の思い通りに動かすことができる政治制度です。そのような制度の下で、国王による権力の乱用に苦しんでいた市民が、ついに実力で国王の政府を倒したのが、近代市民革命でした。新しい政府を作るにあたって、市民たちは、絶対君主制の時代のように、一人の人間が国家の全ての権力を握って、それを乱用して国民を苦しめることが二度と起こらないように、あらかじめ明文で国家権力行使のルールを作っておいて、誰が国家権力を担当するにしても、かならずそのルールに従って行使することにしました。この、国家権力担当者が必ず守らなければならない、あらかじめ決められたルールこそが、憲法なのです。このように、あらかじめ国家権力行使のルールを明文で作り、国家権力担当者が勝手な権力行使をすることを防ごうという考え方を、立憲主義といいます。

 絶対君主制の時代に、市民が苦しめられた原因の一つに、国王の勝手な判断で引き起こされる戦争がありました。絶対君主制の下では、軍隊を動かし、戦争を始める権限も、当然国王一人が握っていました。だから、国王は、自分の個人的な利益を追求するために、たとえば他国の国王に自分の親族をつけたいとか、新しい領土がほしいといった理由で、いつでも戦争を引き起こすことができたのです。しかし、その戦争に兵士としてかり出され、命を奪われるのは一般の市民です。国土が戦場となって、生活を破壊されて苦しむのも一般の市民です。そこで、近代市民革命の後、新しく作られた憲法には、多くの場合、国家権力担当者が、市民を苦しめる戦争を勝手に引き起こすことを防ぐためのルールが設けられました。
 その一つのやり方は、軍隊を指揮する権限を持つ担当者が、自分の判断だけで戦争を始めることを禁止し、軍隊を動かしたり、戦争を始めるためには、あらかじめ一般市民の代表者である議会の同意を得なければならないというルールです。この方式を採用した憲法の例として、1689年に作られたイギリスの「権利章典」があります。「権利章典」には、「平時に国内で常備軍を徴集し、維持することは、国会の同意がない限り違法である」という規定がおかれています。当時のイギリスの場合、実際に軍隊を動かす権限は国王にあったのですが、国王が軍隊を集めてそれを維持するためには、市民の代表である国会の同意が必要とされたのです。また、1788年に作られたアメリカ合衆国憲法も、この方式を採用しています。アメリカ合衆国憲法では、軍隊の指揮権は大統領に与えられていますが、軍隊を設置してこれを維持すること、そして戦争を宣言する権限は議会が持っています。このようなやり方を採れば、戦争で一番の被害を受ける一般市民の代表者でさえ納得するような、やむを得ない必要がない限り、戦争が起きることはないだろうと考えられたわけです。

 もう一つの方法は、市民が納得しないような理由で戦争をすること自体を、憲法で禁止するというやり方です。その例として、1791年のフランス憲法では「フランス国民は、征服の目的で何らかの戦争を企てることを放棄し、いかなる人民の自由に対しても、その武力を決して使用しない」と規定していました。同じように、征服のための戦争を放棄した例として、1891年のブラジル憲法が知られています。

2.第一次世界大戦と、国際条約による戦争防止の試み

 しかし、近代の立憲主義の憲法は、結果的には国々の間の戦争を十分に防ぐことはできませんでした。むしろ、近代立憲主義の時代は、絶え間ない戦争の繰り返しであったといっても言い過ぎではありません。どこの国の議会も、国家権力担当者の勝手な都合で戦争を始めることには反対しましたが、自分たちの利益が他の国によって脅かされているときには、戦争に訴えて自分たちの利益を守ることを支持したからです。フランスやブラジルの憲法が放棄した「征服のための戦争」には、自国の利益を守るための戦争は当然含まれていませんでした。近代立憲主義の時代には、ヨーロッパ各国の経済が飛躍的に発展したため、原料の生産地や商品の販売先を奪い合って、国々の利益が激しく対立しました。特に、海外の植民地は、ヨーロッパ各国の激しい奪い合いの対象となりました。そのたびに、「自国の利益を守るため」という理由で、戦争が行われたのです。これがいわゆる「帝国主義戦争」です。

 帝国主義戦争がその頂点に達したのが、1914年に始まった第一次世界大戦でした。第一次世界大戦は、ほとんど全てのヨーロッパ諸国を巻き込んで、4年間にわたって戦われ、約1千万人といわれる戦死者を出しました。これは、それまでに人類が経験した戦争に比べて、何十倍も悲惨なものでした。戦争が終わった後、多くの国々は、何とかしてこのような悲惨な戦争が二度と起きないような仕組みを作り出そうと考えました。

 帝国主義の時代に、国同士の利益の対立がすぐに戦争につながってしまった理由の一つは、国同士の対立に判定を下す上位の権威が存在しなかったことにあります。そこで第一次世界大戦を経験した各国は、国際条約によって国家よりも上位にある権威を創設し、そこに国同士のもめ事を裁定する権限を与えようとしました。1920年に作られた国際連盟の規約では、国際紛争が発生した場合、加盟国はまず、仲裁裁判や司法裁判、あるいは連盟の最高意思決定機関である理事会に争いを付託して、その裁定を仰ぐことを義務づけました。そして裁定が下ってから3ヶ月を経過するまでは、戦争に訴えることを禁止したのです。国同士の争いを裁判する機関として、1921年には常設国際司法裁判所も作られました。国際連盟規約では、裁定が下ってから3ヶ月たっても問題が解決しない場合の最後の手段として、戦争に訴えることは禁止されていなかったのですが、この考え方を徹底したのが1928年に結ばれた不戦条約です。この条約では、すべての締約国がいっさいの条件なしに、国際紛争解決のために戦争に訴えることを放棄することが約束されました。もちろん、この条約で放棄されている戦争は、国際紛争、つまり国同士のもめ事が起こったときに、これを解決するために自分の方から打って出る戦争、すなわち侵略戦争に限られており、他の国から戦争を仕掛けられたときに、自国を守るために行う戦争、すなわち自衛戦争は対象となっていません。しかし、すべての国がこの条約に加盟すれば、国際社会にどんなもめ事が起こっても、自分の方から戦争に打って出る国はなくなるわけですから、結果的に自衛戦争も必要がなくなるであろうと考えたわけです。

 しかしながら、第一次世界大戦後に作られたこのシステムは、世界にもう一度大きな戦争、第二次世界大戦が発生することを防ぐことはできませんでした。それは、国際連盟規約や不戦条約の精神を踏みにじって、国際紛争を解決するために自分の方から戦争に打って出る国が存在していたからです。それがヨーロッパにおけるドイツであり、アジアにおける日本でした。日本について言えば、日本は国際連盟発足当時からの加盟国であり、理事会の常任理事国という重要な地位についていました。不戦条約についても、日本は草案作成の段階から積極的に交渉に加わり、条約の締結のために中心的な役割を果たしました。しかし、当時の日本政府にとって、これらの国際条約は自国の政策目的を達成するための手段としか考えられておらず、自国の利益を守るためには、いったん加盟した国際条約を一方的に破棄することをためらわなかったのです。日本は、中国東北部での軍事行動、いわゆる「満州国」の建国をめぐって中国との間に紛争を引き起こし、中国政府は、国際連盟規約に基づいて、この問題を国際連盟の理事会に提訴しました。国際連盟の理事会は、有名な「リットン調査団」を派遣して調査を行った結果、中国政府の主張を正当と認め、日本に対して中国大陸から撤兵するように勧告しました。しかし日本は、この勧告を無視して、国際連盟から脱退してしまいました。当時の日本政府は、国際連盟の勧告に従うよりも、不戦条約の精神を踏みにじって、この紛争を解決するために、自分の方から戦争に打って出る道を選んだのです。

3.第二次世界大戦と集団安全保障体制、憲法による戦争放棄

 このようにして引き起こされた第二次世界大戦は、全世界の国々を巻き込んで、5年間にわたって戦われ、約2100万人の戦死者を出しました。さらに、第二次世界大戦に特徴的なことは、戦場で戦った兵士だけでなく、直接戦闘に参加しない民間人にも、多数の被害者を出したことです。正確な統計があるわけではありませんが、爆撃や占領下の虐殺により、あるいは難民となって避難する間に飢餓や病気によって、約2千万から3千万の民間人が死亡したと言われています。

 わずか30年ほどの間に二度も悲惨な戦争を経験した各国は、今度こそ、戦争の再発を実効的に防ぐことのできる制度を作ろうとする努力を始めました。それが、国際連合による集団安全保障体制です。国際連合憲章は、まず、すべての加盟国に、国際紛争を平和的に解決する義務を課し、武力による威嚇および武力の行使を禁止しました。国連憲章第2条第3項は、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない」と規定し、第4項では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政冶的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定しています。国際連合の安全保障体制の大きな特徴は、このような規定に違反して、国際の平和と安全を危うくする国に対しては、安全保障理事会の決議に基づいて、最後の手段としての武力行使を含む、強制的な措置をとることができるという点です。つまり、国際連合憲章に違反して、自分の方から武力を行使する国があった場合には、他のすべての国連加盟国が結束してその国に制裁を加えるのです。どんな国でも、他のすべての国連加盟国を相手に戦争して勝てるはずはないから、あえて自分から武力を行使することはないだろうと考えるわけです。このシステムを、集団安全保障体制といいます。もっとも、国際連合による正式の制裁が発動されるまでにはかなり時間がかかるでしょうから、それまでの間、武力攻撃の被害を受けている国が、自衛のための行動に出ることは、もちろん認められています。国連憲章51条によると、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と規定しています。

 このような国際連合による集団安全保障体制に参加した国々の中には、国連憲章で定められている国際紛争の平和的解決の義務、国際紛争を解決するために武力行使をしないという義務を果たすために、自国の憲法の中で、そのことを明言する国が現れました。例えば1946年に作られたフランスの憲法は、1791年の憲法にあった征服戦争を放棄する旨の規定を、約150年ぶりに復活させました。また、1947年につくられたイタリアの憲法は、「イタリアは、他の人民の自由に対する攻撃の手段としての戦争及び国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」と規定してます。さらに、1949年のドイツ憲法は、「諸国民の平和的共同生活を妨げ、特に意図的に侵略戦争の遂行を準備するための行為は違憲である。このような行為は、これを処罰する」と規定しています。そして、同じように第二次世界大戦後に作られた日本国憲法の第9条1項が、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定したのも、このような趣旨をあらわしたものと考えることができます。

4.日本国憲法の平和主義の特徴 ―― 平和的生存権と戦力の不保持

 もっとも、日本国憲法の平和主義に関する規定を、他の諸国の規定と比較した場合、そこには日本国憲法にしかみられない大きな特徴があります。その一つは、政府に対して戦争や武力行使を禁止するだけでなく、政府がそれに違反して武力行使に走ろうとしても、国民の方からそれに反対して平和を要求する「権利」を認めたことです。日本国憲法の前文は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めています。「権利」という言葉は、法律の世界では大変重要な意味を持っています。法律で「権利」が認められるということは、普通は、相手が自発的に要求に応じない場合には、裁判に訴えて、強制的にでも相手からその利益を獲得できるということを意味しています。国民が平和のうちに生存する「権利」を有するということは、政府が平和を破壊しようとしても、国民は強制的にでも、政府に対して平和を維持することを要求できるということになるはずです。日本国憲法は、政府が戦争に走らないことを確実にするために、平和を求める国民に、いわば政府の監視役を委ねたことになるのです。

 もう一つの特徴は、憲法第9条2項が、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定し、戦力を持たないことを定めている点です。政府に戦力を持たせなければ、政府はどんなにやりたくても、自分の方から戦争を引き起こすことは絶対にできません。そういう意味では、国際紛争を解決するために戦争という手段を放棄した「前項の目的を達するため」に、これほど確実な手段はありません。つまり日本国憲法は、単に戦争を放棄するというだけでなく、平和的生存権によって、平和を求める国民に政府の監視役を委ね、また、政府から戦力を取り上げてしまうという二つの方法で、政府が戦争を起こせないことを確実にしようとしているわけです。そこまで念を入れて、政府が戦争を起こせないようにしているのは、もちろん日本の政府がかつて一度、国際紛争を解決するために自分の方から戦争に打って出て、アジア太平洋地域における第二次世界大戦を引き起こし、特に近隣諸国に大変な被害をもたらした「前科」を持っているからです。それを二度と繰り返させないこと、日本国憲法の前文によれば、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」のが、そもそもこの憲法を定めた目的の一つなのです。

 もっとも、政府に戦力を持たせなければ、確かに政府はどんなことをしても自分から戦争に打って出ることはできなくなりますが、その反面、戦力を持たなければ、他国から攻撃を受けたときに、自分の国を守ることもできなくなります。これは子供でもわかる当たり前のことです。つまり日本国憲法は、他国から攻められたときに自国を守れないことを覚悟の上で、政府から戦力を取り上げて、二度と政府が戦争を起こせないことを確実にする道を選んだということになります。これは悲壮な決意といえるでしょう。政府が戦争を起こせないようにするためなら、自分たちが攻められたときに守れなくてもかまわないというのですから。自分たちの国を侵略の危険にさらしてまでも、近隣諸国の人々に大変な被害をもたらすような行為を、政府が二度とできないようにする。これは、かつて戦争を引き起こした自分たちの国の政府の行為に対して、国民が自ら進んで責任をとろうとする立派な態度だと思います。
 
 第二次世界大戦後にここまでの決断ができたのは、世界中で日本国民だけだったと言っても良いでしょう。世界中で日本国民だけが、政府に戦力を与えて自国を守ることの無意味さを身をもって知っていたのです。それを日本国民に教えたのは、原子爆弾の経験でした。たった一発の爆弾で、大都市が壊滅し、何十万人もの命が一瞬にして奪われる。そのような経験を二度までも味わった日本国民は、これからの時代には、政府が少々の戦闘機や戦車を持っていたとしても、自国を守るために何の役にも立たないということを思い知らされたのです。どうせ大して役に立たない戦力をなまじ政府に与えて、政府が再び戦争の惨禍を引き起こす危険を冒すくらいなら、いっそのこと政府から戦力を取り上げてしまった方がはるかにましだと考えたのは、当然のことだったと言えるでしょう。そういう意味で、これは第二次世界大戦後の安全保障について、日本国民が下した大きな決断だったのです。


5.冷戦と安全保障

 ただ、日本国民は、日本が戦力を持たないことによって、直ちに外国からの攻撃に対して全く無力になると考えていたわけではありません。それは、日本国憲法制定の前年に、すでに国際連合が設立され、前に述べたような集団安全保障の制度が発足していたからです。集団安全保障の考え方によれば、戦力を持たない日本に対して国連憲章に違反して武力を行使する国があれば、他の全ての国連加盟国が結束してその国に制裁を加えることになっています。まして、戦力を持たない国に一方的に武力攻撃を加える大義名分はあり得ませんから、戦力を持たないからといって、直ちに侵略の危険にさらされることにはならないはずです。

 しかし、国連憲章が構想した集団安全保障システムは、その発足後まもなく機能不全に陥りました。先にも述べたように、国連の集団安全保障システムでは、国際連合憲章に違反して武力を行使する国に対して、他のすべての国連加盟国が結束して制裁を加えることが約束されます。その背後には、他のすべての国連加盟国を敵に回してまで、あえて自分から武力を行使する国はないはずだという考え方があります。しかし、現実には、第二次大戦後の世界には、他のすべての国連加盟国を相手にして戦争をしたとしても、勝ってしまうかもしれないような強大な国が存在しました。アメリカ、かつてのソ連という、いわゆる超大国がそれです。米ソ両国は、第二次世界大戦では連合国として協力して戦ったのですが、戦後はそれぞれの勢力範囲の拡大をめぐって深刻な対立を引き起こし、武力衝突さえ懸念される事態になりました。しかし、超大国が国連憲章に違反する武力行使を行ったとき、他の加盟国が国連憲章の規定通りに制裁を加えようとすれば、本当の世界大戦になってしまうでしょう。また、超大国以外の国は、他のすべての国連加盟国を相手にして勝つことはできないでしょうが、その国がもし核兵器を持っていたとしたら、制裁を加えようとする国は、核兵器による反撃を受けることを覚悟しなければなりません。そのような危険を冒してまで、本気で制裁を加えようとする国があるでしょうか。結局、第二次世界大戦後の米ソ両超大国の対立、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散によって、国連の集団安全保障システムは、その機能を十分に発揮できなくなってしまったのです。

 このような状況の中で、世界の国々の多くが現実に選択した安全保障政策は、対立する米ソ両超大国を中心にして、それぞれを支持する国々が軍事同盟を結成し、膨大な軍事力を保持して相手方を牽制することによって、お互いに手を出せないような態勢を作り出す、いわゆる「恐怖の均衡」と呼ばれる政策です(難しい言葉で言えば、「相互確証破壊」政策といいます)。相手方が全力を挙げて攻撃を仕掛けてくれば、確かにそれを完全に防ぐことはできないが、こちらも何倍にもしてお返しをする、そういう態勢を相手方に見せつけることによって、相手方が攻撃を仕掛けることを防ごうという戦略です。相手方の先制攻撃で破壊されずに残った兵器だけで、何倍ものお返しをしようというのですから、当然莫大な量の軍事力が必要になります。こちらが軍事力を増強すれば、当然相手方も、お返しをするための軍事力を用意するために、兵力を増強しますから、必然的に軍拡競争が起こります。とうとう東西両ブロックは、全世界を何回も破滅させられるだけの核兵器を持つようになってしまいました。こうなると、それぞれのブロックが持っている強大な軍事力も、実際に使うことのできないものになります。使ってしまったら世界は終わりだからです。これはあくまでも相手に見せつけることによって、相手方からの攻撃を防ぐための軍事力なのです。

 国連による集団安全保障システムが十分に機能しなくなった事態を前にして、日本国民はあらためて自らの安全保障についての決断を下します。それは、アメリカを中心とした西側の軍事同盟に参加することによって、自らの安全を保持しようという決断です。軍事同盟に参加するためには、当然自分も同盟に貢献できるだけの戦力を持っていなければなりません。その結果が、日米安全保障条約の締結と、自衛隊の創設をはじめとした自前の戦力の拡充だったのです。ただ日本国民は、この決断が、日本国憲法の制定の時に行った第一の決断と必ずしも矛盾するとは考えていませんでした。だからこそ、自衛隊の創設後も、日本国民は憲法第9条を改正しようとはしなかったのです。それは、冷戦下における恐怖の均衡による安全保障システムにおいては、東西両軍事同盟が持っている軍事力は、あくまで相手に見せつけるためのものであって、使うことは想定されていなかったからです。日本も軍事同盟に参加するために相応の戦力を持つけれども、これは使うためのものではなく、相手に見せるだけの戦力だ、だから日本は決して武力を行使しないという第一の決断の目的には矛盾していない。このような考え方で、日本国民は冷戦下の現実と、日本国憲法の本来の決断との間にかろうじてバランスをとってきたのです。

 冷戦下の「恐怖の均衡」による安全保障システムは、両陣営の全面衝突による世界の破滅という「恐怖」を背負いながらも、50年近くにわたって、何とか両軍事同盟間の全面戦争を防いできました。この間、それぞれの軍事同盟が築き上げた膨大な軍事力は、一度も本格的に使われることはありませんでした。どんなに大きな軍事力があっても、使わなければその弊害は目に見えなくなります。それどころか、軍事力の存在によって平和を維持するという考え方が常識化し、軍事力による紛争解決が人類にもたらした悲惨な経験の印象を薄れるにつれて、軍事力を使わない、平和的な紛争解決システムを目指した国際社会の努力、その一つの現れである日本国憲法の平和主義は、徐々に空洞化してゆくことになったのです。


6.冷戦終結後の安全保障構想
 
 ソ連を中心とした東側の軍事同盟が崩壊し、冷戦が終結したことによって事情は全く変わりました。冷戦が終わったのですから、今まで相手に見せつけるために持っていた膨大な軍事力はもはや必要がなくなったはずです。事実、冷戦終結後、西側の軍事同盟であるNATOも解体すべきだという主張もありました。しかし現実には、軍事同盟はその役割を変えることによって生き残る道を選択しました。その役割とは、冷戦終結後に残る地域的、限定的な武力紛争を解決することです。冷戦が終結しても、世界が平和になったわけではありません。むしろそれまでそれぞれの軍事同盟の内部で封じ込められていた民族間の対立、地域的な紛争が、冷戦の崩壊によって吹き出してきました。内戦やテロといった限定的な武力衝突も続いています。そこで、軍事同盟が持っている圧倒的な軍事力を持って、そのような地域的、限定的な紛争に介入し、強制的に平和を回復させよう、これが軍事同盟が新しく自らに課した役割だったのです。
 
 これは冷戦下の安全保障構想とは全く異質なものです。冷戦下の構想によれば、東西両ブロックは、それぞれ強大な軍事力を持つけれども、これは使うことを想定していない、あくまでも相手に見せつけて攻撃を思いとどまらせるためのものでした。しかし、冷戦後の構想によれば、軍事同盟はその軍事力を実際に使うことになります。イラクのクウェートへの侵略を契機とした湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナでの内戦へのNATOの介入、ソマリア内戦への平和執行部隊の介入などがその実例といえるでしょう。そして今回のように、テロリストの攻撃に対して、軍事力を行使してテロ組織を壊滅させようという行動も、これと同じ発想に基づいています。果たして日本は、この構想を支持してこれに参加すべきなのでしょうか。これが、日本国民の前に突きつけられている、戦後3回目の大きな決断なのです。
 実はすでに日本政府は、この構想に参加する方針を決め、そのための法律を整備してきています。その一つが、1997年に日米両国政府の間で定められたいわゆる「新ガイドライン」、そしてこれに基づいて1999年に制定されたいわゆる「周辺事態法」です。日米安全保障条約は、本来冷戦時代の西側軍事同盟の一環として、東側軍事同盟にたいしてその軍事力を見せつけるという役割を持っていました。「新ガイドライン」は、この日米安保条約の役割を変更して、日本周辺で発生する地域紛争や、テロ、内戦を軍事力を使って解決するために活用しようという構想なのです。また、「周辺事態法」は、この構想を実現するために、日本の周辺で地域紛争や内戦が発生した場合に、アメリカ軍が行う軍事行動に日本が協力することを定めています。そして今回の「テロ対策特別措置法」は、地球上のどこであろうと、テロに対抗するために外国の軍隊が行う軍事行動に対して、自衛隊を派遣して支援を行おうという法律なのです。

7.冷戦後の安全保障構想の問題点

 しかし、このような冷戦後の安全保障構想は、いくつかの大きな問題をはらんでいます。まず第一に、冷戦時代は本格的に使われることのなかった軍事力が、実際に使われるようになった結果、軍事力の行使に伴う様々な弊害が、誰の目にもわかるように明らかになってきました。軍事力は、人命や都市、自然環境を破壊するものにすぎず、何も生み出しはしないのです。軍事力を使っていったい何が得られ、何が失われたのでしょうか。ソマリアでは、内戦をやめさせるために軍隊を派遣して、多くの人命を犠牲にしたあげく、結局内戦をやめさせることはできませんでした。イラクのクウェートへの侵攻をきっかけとして始まった湾岸戦争は、冷戦後の安全保障構想の典型的な成功例だと言われてきました。確かに、イラクをクェートから撤退させることはできました。しかし、最近になって湾岸戦争の結果が冷静に分析されるようになった結果、そのために失われたものがあまりにも大きかったのではないかという疑問の声が上がっています。戦争の直接の犠牲となった人々だけでなく、原油の流出や砲弾に含まれる放射性物質による大規模な環境破壊。イラクがクウェートを侵略したことによる犠牲よりも、軍事力によってイラクをクウェートから撤退させるために払った犠牲の方が、はるかに大きかったのではないか、ということなのです。今回の対テロ戦争でも、すでにアメリカで起きた多発テロの犠牲者の数を、アメリカ軍によるアフガニスタンでの軍事行動の犠牲者の数が上回ったという声も上がっています。

 このような軍事力の弊害を、人類は長年にわたって思い知らされてきたはずです。だからこそ、各国の憲法や国際法秩序は、国際紛争を軍事力を使わずに平和的に解決するための様々な仕組みを作り上げてきたのです。この長年の努力をすべてご破算にして、これからの世界では、紛争が起きたら何でも軍事力を行使して問題を解決しようというのでしょうか。日本政府は、日本もこの構想に参加して、テロや内戦に対しては、軍事力を使って人殺しをしてでも解決しようという活動の手伝いをするつもりのようです。日本国民は、この計画を支持する決断を下すのでしょうか。しかし、今度の決断は、日本国憲法を制定したときの第一の決断とまっこうから矛盾することになります。今度は持っている戦力を実際に使おうというのですから、冷戦下のような「戦力は持つけれども武力行使はしない」といったごまかしは通用しません。憲法9条は改正せざるを得なくなるはずです。
 
 それでも、その結果世界からテロがなくなるなら良いでしょう。しかし、軍事力の行使によってテロをなくすことができるのでしょうか。現在世界の中で、テロに対してもっとも強硬な態度をとっている国は、イスラエルです。イスラエルは建国以来ずっと、パレスチナ人の抵抗運動によるテロ攻撃に苦しめられてきました。イスラエルは自国民を犠牲にするテロ攻撃には、必ず軍事力を使って反撃します。しかしその結果パレスチナで何が起きているでしょうか。絶え間ないテロと報復の繰り返しです。パレスチナ人によるテロへの報復として、イスラエルがパレスチナ人組織のリーダーを暗殺すれば、パレスチナ人はイスラエルの閣僚を暗殺する。その報復にイスラエルはパレスチナ自治区に軍隊を派遣して攻撃する。また報復の自爆テロがある。

 テロ組織というものは、国家と違って決まった領土を持っていません。テロ行為を行う可能性のある組織は世界中に存在しています。今回のアメリカに対するテロで脚光を浴びたイスラム原理主義組織だけでも、中東や北アフリカの他に、フィリピン、インドネシア、中国にも存在すると言われています。これを相手に軍事力で対抗しようとすれば、世界中を戦場にする必要があります。実際、アメリカ軍は、アフガニスタンでの戦争が一段落するや、今度はフィリピンに軍隊を派遣して、フィリピン軍との大規模な合同軍事演習を始めました。主な標的が、フィリピンにいるイスラム原理主義組織にあるのは一目瞭然です。同じようにイスラム原理主義組織がいるソマリアに対しても、アメリカが軍事行動に出るのは時間の問題だと言われています。このままでは、世界中を舞台に、軍事攻撃と報復テロの絶え間ない連鎖が始まっても不思議ではありません。

 テロは恐るべき国際的犯罪です。テロリストをかくまう国と、テロ攻撃を受けた国との間に紛争が起きるのも当然でしょう。しかし人類は、犯罪や国際紛争を平和的に解決する様々な仕組みを作り上げてきたはずです。たしかに、これまでに作られてきた平和的解決の仕組みにも欠点はあります。しかしだからといって、平和的解決の仕組みを全て放棄して、軍事力による解決に走れば、また同じ悲劇を繰り返すことになるだけです。欠点は改良することができます。今すべきことは、テロや内戦を平和的に解決する仕組みを作り上げていくことです。たとえ時間がかかっても、「再び戦争の惨禍が起こる」よりははるかにましです。それこそが、「‥‥武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた日本国憲法9条の意図することではないのでしょうか。

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