8月31日

朝早く成田空港へ。フィールドスタディの講義で2週間ほどアメリカに行くためだ。学生達は安い方がいいと主張したので、大韓航空。大韓航空は初めてだ。案の定、荷物の重量制限にひっかかる。私はJAL系のワンワールドでもANA系のスターアライアンスでも、ゴールド会員なので重量制限にひっかかることはないのだが、大韓航空のスカイティームは使わないのでまったく優遇措置を受けられない。いやあ、面倒くさい。面倒くさいといえば、インチェン空港経由なので本当に時間がかかる。しかし、大韓航空自体は、相当快適であった。食事もビビンバとお粥を食べれたのでお腹に優しかったし、映画チャンネルは極めて充実していた。JALよりははるかにましだ。アイアン・マン、インディアナ・ジョーンズ、クレイマー・クレイマー、卒業を観る。アイアン・マンは10点中2点評価、インディアナ・ジョーンズは3点、クレイマー・クレイマーは10点、卒業は8点である。クレイマー・クレイマーは素晴らしい映画で感動した。人が素晴らしいというものは素晴らしいのだな、ということを実感した。

8月29日

中目黒の病院に寄って、それからゼミ。卒論の指導を拙速にする。その後、港区の景観検討委員会。相当、有意義な話し合いができた。この意見を反映できたら港区は凄い。果たしてできるか?そして、JUDIの国際委員会。会議が続く。帰りは土砂降り。

8月27日

東大病院。三期の進行癌って相当危ないんじゃないですか、と執刀医に聞くと、そんなことない。取っちゃったから大丈夫、とのこと。内科と外科の見解の差といえばそれまでだが、ちょっと違い過ぎることに戸惑いを覚える。その後、大学。たまっている仕事をする。

8月26日

朝3時30分に起きる。5時前にホテルを出て、空港に6時前に着く。早めにチェックインをして、あとはラウンジでくつろぐ。グローバル会員の数少ない特権だ。さて、8時過ぎの飛行機に乗って、東京に着いたのは5時過ぎ。時差がないから楽である。機内では「ビューティフル・マインド」を観た。なかなかの傑作でさすがアカデミー賞を受賞しただけのものはある。

8月25日

シドニー観光。ライトレールとモノレールを使って、都心に向かう。ライトレールの駅はホテルから300メートルくらい。非常に便利だ。モノレールでシドニー在住25年の日本人の方と一緒になり、話をする。オーストラリアの物価が高くなって、暮らしにくくなっていること。住宅が買えなくなっていること、また昔は18くらいで家を出ていた若者がパラサイトをしていること、などの話をうかがった。ニセコは非常にオーストラリア人からすると割安感があるので、ニセコへの投資を随分とこちらでも宣伝しているそうだ。なんか、バブルの時は日本全土の地価がアメリカのそれを上回ったというのが、まったく嘘のような話である。なんかバブルの頃から日本は坂道を転げ落ちていく一方だ。

ダーリング・ハーバーでモノレールを降り、フェリーでタンガロ動物園に向かう。タンガロ動物園は、その展示もさることながら、シドニーの素晴らしいランドスケープを堪能できるところが非常にいい。オープン・スペースとして優れており、シドニーの休日を過ごすにはなかなか素晴らしい場所であると思う。今回の旅行では、野生のカンガルー、鯨、オーストラリア・ズーで鰐やコアラなどを見てきたが、ここで初めてカモノハシを見る。カモノハシは昔から大好きな動物だ。そのカモノハシを水槽での展示だけでなく屋外での展示でも見ることができた。感動である。しかも、今回、カモノハシはほ乳類ではめずらしく毒を持っている動物であるということも知る。さらに感心する。その後、フェリーでダーリング・ハーバーに戻り、チャイナタウンへ。フェリーからは息を呑むような夕焼けを見る。最後の晩なので、多少豪勢に中華料理を食べる。ゴールデン・セントリー・シーフードという店に入る。海老と春雨、シーフード・ビーフン、シュウマイ、蟹とコーンスープとスティーム・ライスで79豪ドル。鮑が水槽に入っており、強烈に食べたいと欲するが自制する。鮑だけで60豪ドルするので、これは残念ながら致し方ない。

8月24日

世界遺産として指定されているブルーマウンテン国立公園を訪れる。これに関してはブログに記しているので、よろしければご覧になってください。以前、訪れた時と比べた時は三流観光地といった風情であったが、今は世界遺産にふさわしいグレードの高い観光地になっていた。驚きである。観光客も海外の人達を含め、非常に増えている気がする。

夕方はまた近所のタイ料理屋。昨日のとは違う店に入ったのだが、ここはずっとグレードが高かった。参考までに店名を挙げると、昨夜はTop Thai、今晩はThai intra。値段はほぼ同じであったにも関わらず、この味の差はちょっと驚きである。さらに驚きなのは、今日もTop Thaiに客が入っていたということである。

8月23日

ニューキャッスルという町を訪れる。シドニーまでは高速道路を通っていけば2時間30分で辿り着くが、街並みを見たいので普通の道路を走る。途中、エントランスというふざけた名前の海岸沿いの町に寄りシーフードを食べる。フライとグリルを注文する。グリルはムール貝がしっかりと洗っておらず、ごみがついているなど、随分と杜撰であったりしたが、総じて素材の良さで食べることができた。とはいえ、本当にオーストラリアやアメリカなどイギリスの植民地の食事は不味い。もちろん、イギリスも卵料理以外は不味い。イギリス文化は、英語を初めとして金融システム、スポーツ、ロック・ミュージックなど世界中を席巻して支配力を強めているが、こと食事に関しては、マクドナルドなどのファストフードが奮闘しているとはいえ、その不味さは世界一級である。文化的には極めて劣っている、という思いを強くする。こんな味音痴のやつらの価値観を広げるグローバリゼーションは、やはりどうにか対処しなくてはならない、との思いを強くする。

シドニーに着いたのは16時頃。シドニーでは格安の1泊120ドルくらいの宿である。絨毯を消毒する洗剤の臭いがきつく、全般的に今ひとつであったが、シドニー大学に近く、ネイバーフッドは商店やカフェも多く、悪くない。タイ料理のレストランで夕食を取るが、タイや日本ではとても経営できないようなレベルの低さであった。こんなレベルが低くても商売ができるオーストラリアの甘い経営環境はちょっと羨ましい。

8月22日

世界遺産として指定されているドリゴ国立公園を訪れる。コフス・ハーバーから約60キロメートルぐらいにある森である。それに関しては、ブログに記したので、宜しければご覧ください。その後、ひたすら南下。途中、ケンプシーという町のレストランで遅い昼食を取る。私は牛肉を食べることを、健康的な理由そして環境問題を憂慮しているということを理由に基本的に避けているのだが、オーストラリアに来て牛を食べないのも何だな、と思い、今回初めての牛肉を食べる。とはいってもハンバーガーとしてだが。ハンバーガーはちなみに、結構美味しかった。さすがオーストラリア。さて、それはともかく、このケンプシーという町は、今回のオーストラリアの旅行で訪れたどんな町よりも強烈なインパクトを放っていた。というのも、ここの住民の多くがアボリジニと白人との混血だったからだ。それまでの町はほとんど100%白人、サーファーズ・パラダイスだけちょっと黄色人種がいた、というような人種構成だったので、なぜこの町だけ、アボリジニの血を引き継いだ人が多いのか、大変疑問であった。また、全般的にこの町は貧しいような印象を与え、人々の服装も汚く、車もぼろが多かった。乞食のような人も数人、モールで見かけた。その割には、我々が入った、普通の定食屋のようなレストランの値段は安くはなく、この物価の高さがさらに私の疑問を膨らませたのである。オーストラリアの知らない一面、というか、この町を通じて、オーストラリアの知られざる面が分かるのではないか、という印象を与えた興味深い町であった。

その後、車を飛ばすが、面白いことにブリスベンとシドニーというオーストラリア第三と第一の都市を結ぶ幹線道路であるはずのパシフィック・ハイウェイであるのに、自動車専用道路でないところが多い。村や街中は普通の道路になってしまい、信号やランドアバウトがある。こういう状態を知ると、日本は過度の道路国家であるということを改めて気付かされる。日本の国土交通省は、諸外国に比べて、日本の道路整備水準は低い、低いと宣伝しているが、少なくともオーストラリアに比べると、はるかに高い整備水準であることが理解できる。じゃあ、それでどの程度、オーストラリアの経済にマイナスになっているか、というとそれほどじゃないような気がする。少なくとも、観光者としては、いろいろな村や街並みを観られるので歓迎である。多少、そのお陰で時間がかかってしまってはいるが。

今日の宿泊先はニューキャッスルというオーストラリア第七の都市の郊外ファーン・ベイにあるモーテル。

8月21日

サーファーズ・パラダイスからコフス・ハーバーまでレンタカーで移動。途中、バイロン・ベイに寄る。サーファーズ・パラダイスとは違って落ち着いた感じのリゾート地である。オーストラリアで最も東にある。ここの灯台からの展望がいいということで、車で上がる。確かに素晴らしい展望が望める。そこでなんと鯨をみることができた。大きな物体が海の中を動いており、何だと思ったら、陸上に水しぶきとともに姿を見せた。感動的な光景であった。鯨をみたのは初めてである。非常に得した気分である。

その後、コフス・ハーバーまでモーターウェイ1号で南下するのだが、このモーターウェイ1号、しょっちゅう自動車専用道路でなくなる。また、トンネルがないので、丘を登り降りするのだが、結構、坂がきつい。しかし、このオーストラリアのように道路を整備していればお金はそんなにかからないであろう。オーストラリアは日本より物価が高い。とはいえ、道路だけみれば、いかに日本が道路にお金を使っているかが理解できる。なぜ、日本はこんなにも道路にお金を使ってしまうのだろうか。世界的にみてもおかしなことが起きている。

宿泊先はコフス・ハーバーの代表的なアミューズメントパークであるビッグバナナの隣のモーテル。ここはレストランも併設されており、結構、評判がよいようなので入る。それまで3食ほど夕食は自炊をしていたので、ちょっと奮発してロブスターを注文する。コフス・ハーバーは漁港であるからだ。とはいえ、一匹ではなくて半匹であるが。25豪ドル。高いような安いような値段だ。味もまあまあであった。

8月20日

サーファーズ・パラダイスで過ごす。ほとんどの時間を次女と海辺で遊ぶ。今日は、ハンドルをまったく握らなかった。自動車を運転しない贅沢を楽しむ。

8月19日

マレーニのモーテルをチェックアウトし、メープルトン滝を観にいく。滝は期待はずれであったが、熱帯雨林をめぐるトレイルがあり、それを歩いたのだが、それは期待を上回るものであった。そこらへんの植物園よりはるかに刺激的である。その後、オーストラリア・ズーに行く。家族で155豪ドルと高かったが、なかなか充実していた。特にショーはなかなか秀逸である。とはいえ、鳥が観客の手に留まるというパフォーマンスの時、鳥がどこかに飛んでいってしまったのは気まずかった。また、鰐が餌に飛びつくというパフォーマンスがあったのだが、これも鰐は終始けだるそうにして、結局飛びつかなかった。まあ、冬だし元気があまりないのであろう。とはいえ、総じてショーは素晴らしかった。この動物園を14時頃発ち、今日の宿泊地であるゴールド・コーストのサーファーズ・パラダイスに行く。ウールワースに行き、サラダ油などを買い、昨日、マックス・リンデガーがくれた野菜を炒めて食べる。めちゃくちゃ美味しい。有機野菜のパワーに感動する。

8月18日

朝、極寒の中、目を覚ます。というか、寒さであまり眠れなかったので、日が昇ると同時に起きた。これは冬だ。頑張って着替え、歩いてセンターに行くと偶然、ロビンに出会う。ロビンにマックスに連絡してもらうと9時に家に来て欲しいとのこと。朝食をロッジで食べ、9時にマックスと会う。マックスとの話は感動的であった。その詳細はブログに記しているので、宜しければみていただければと思う。その後、ロッジ代を支払って別のホテルに移ろうと考えたのだが、管理人のコーリーがいない。しょうがないので、また戻ってお金を払うことにして、マレーニに宿を探しにいく。ガソリンスタンドでいい宿を聞くと、町外れのモーニングサイド・モーテルがお勧めとのこと。早速、そこをチェックしに行くと、120豪ドルでなかなかいい感じであった。何しろ、管理人が親切そうだ。ここに決めて、管理人がくるまでマレーニーで時間を潰す。マレーニーにはハビタット通信の4号を数冊、持っていった。巻頭記事で取材をさせてもらったジル・ジョーダンに渡すためである。ジル・ジョーダンは元マレーニーの町長であった。彼女が立ち寄りそうなところということで、生協の店に行く。店の人はジル・ジョーダンをよく知っていた。彼女に渡してくれ、と依頼すると快く引き受けてくれた。マレーニの喫茶店で時間を潰した後、再びクリスタル・ウォーターに行く。しかし、まだ管理人は戻っていなかった。しょうがないので、宿代を封筒に入れて、コーリーの家の中で遊んでいた子供達に、「絶対、渡すように」とお願いして去る。まあ、クリスタル・ウォーターの子供達はねこばばするようなことはないとは思う。ちょっとだけ心配だが。長女が風邪気味であると言ったら、マックスがそれじゃお見舞いにといってくれた水菜や柑橘類を夕食は調理して食べる。めちゃくちゃ美味しい。

8月17日

ホテルを9時30分頃チェックアウトし、ワビー湖のトレイルヘッドまで車で行く。途中、川沿いの泥に車輪を沈めてしまった自動車を目撃する。バスに引っ張られて出してもらった。油断をすると大変だ、ということを改めて知る。とはいえ、その3時間後に自分が同じ目に会うとは、この時は夢にも思ってない。トレイルヘッドに自動車を停めて、ワビー湖まで2.4キロメートル歩く。トレイルはよく整備されており、色彩豊かな鳥が我々を迎えてくれる。ワビー湖は深緑色の水を湛える小さな湖であるが、その湖の北側に広大な砂丘が広がる。この砂丘はなかなか迫力がある。砂丘を登ると太平洋も見渡せ、なかなかの絶景である。

トレイルを引き返し、自動車に乗り、東岸のキングフィッシャー・ベイ・リゾートまで向かう。ここから2時に出るフェリーに乗るためである。本来なら順調に辿り着くはずだったが、砂道の坂を登り切れずにエンストする。まあ、これは通常ならバックをして、勢いをつけて登り上がればいいのであるが、なんとバックをしようとしてもタイヤが空転した。前にも後ろにもいけないような状況になってしまった。何回か虚しい試みを繰り返していたら、エンジンの焼ける臭いがしてきた。ここで故障したら、大変だ。ということでしばらくエンジンを休ませる。再開すると、今度はうまく乗り越えることができた。また停止したら大変だ、ということで1速のままで山を乗り越える。その後もエンストをすることはあったが、立ち往生するようなことはなかった。とはいえ、キングフィッシャー・ベイ・リゾートのフェリーには5分くらいの差で乗り遅れた。幸い、4時のフェリーを予約することができたので、島からは出ることはできたが、はらはらさせられた。フェリーを降りて、レンタカーの事務所へ急ぐ。返却をする際、海水を使ったな、という鋭い指摘を受けるが、特に追加徴収はされずに済んだ。ここらへんの詳細はブログに記したので、宜しければご覧下さい。

さて、レンタカーを戻した後、急いでクリスタル・ウォーターへ向かう。日が沈むのは早い。クリスタル・ウォーターの山道を暗闇の中、走るのは既に回避できないが、一分でも早くキャンプグランドにたどり着きたい。というのは、まったく管理人に連絡が取れないからだ。予約を人づてでお願いしているが、果たしてうまく伝わっているのかも疑わしい。とはいえ、どんなに急いでも二時間はかかるであろう。モーターウェイを時速120キロメートルくらいで飛ばし(制限速度も時速120キロメートル)、その後、暗闇の中を山道に入る。山道だが制限速度は100キロメートルくらいだ。対向車がいないこともあり、ハイビームで飛ばす。幸い、満月で明るかったために8時前にはクリスタル・ウォーターに着くことができた。土地柄には詳しいので、キャンプ場へは暗闇でも行くことができる。しかし、着いたが管理人はいなかった。とはいえ、管理人から私が来たらロッジの部屋を教えるように伝言されていた人がいた。ということでとりあえず、今晩泊まるところは確保できた。ほっとして、すぐロッジのベッドに入って寝る。

8月16日

今日はフレーザー島の3つの湖を巡る。マッケンジー湖とビラビーン湖、そしてブーマンジン湖を訪れる。そのことに関しては、ブログに記したので宜しければご覧下さい。なかなか休暇らしい一日を過ごすことができた。

8月15日

多くの苦労をして、4WDを借りてフレーザー島に渡る。この苦労はブログに記したので、もし宜しければご笑覧ください。フレーザー島の道は舗装されていない。砂道や海岸を走る。4WD以外での走行は大袈裟ではなくて不可能である。というか、初めて4WDの車の意義を知る。インディ・ジョーンズの世界である。逆にいえば、こういう場所がなければ4WDに乗る意味はほとんどないのではないか。4WDの価値が十二分に発揮される場所、それこそがフレーザー島である。ということで、今日はこのフレーザー島が誇る75キロも続く海岸を4WDで走る。途中、小川を何回か超えるのだが、結構、深かったりすると水しぶきが凄い。こういう経験は初めてで、面白い1日を過ごすことができた。とはいえ、金もひどく出費したのだが。宿泊先はユーロン・ビーチ・リゾートというフレーザー島の東岸にあるリゾート・ホテルである。

8月14日

ブリスベン空港に着いたら、なんと気温が6度であった。実際、相当寒い。あまり寒いオーストラリアというのは想定していなかったので、ちょっと驚く。車を借りて、サンシャイン・コーストを北上。途中、ヌーサの町に行き、遅い朝食を取る。そして、また北上しハービイ・ベイへ。ここのモーテルで一泊する。

8月13日

海老庄をチェックアウトし、高知空港へ向かう。海老庄は、前評判が決してよくなかったが、その値段を考えると相当、コスト・パフォーマンスの高い宿であった。一週間前に宿泊した南牧村のおかしらよりはるかに優れている。おかしらは冷房がなく扇風機だけであり、また掛け布団がなく毛布であった。おかしらは夕食付だが7000円、海老庄は4200円。私の軍配は海老庄に上がる。

さて、それはともかく高知空港から羽田空港へ。羽田空港から自宅へ。自宅で急いで家族のものと旅行の準備をし、夕方には成田空港へ。夜の便でブリスベンに向かうためだ。ハードだよね。とても病人とは思えない。ブリスベンへはJALで。私は、もっぱら全日空ユーザーになっているし、ゼミ生の子安が全日空のグランド・ホステスに内定したので、さらに全日空を使うことになると思われるのだが、今回はマイレージを使ったので久しぶりのJAL。JALはグローバル会員なので、久しぶりに成田空港のラウンジを家族で使う。そこで驚いたのは、食事がとても充実していることであった。カレーライス、そうめん、サラダ・バー、スープ・ストックのスープが3種類、鶏の唐揚げなど、ちょっとしたホテルのビュッヘ・レストランのようである。子供達はお腹が空いていたのか、たくさん食べていた。私も結構、食べた。なかなか味もよかった。さて、結構、満腹で飛行機に乗ったので機内食はほとんど食べなかった。エコノミーだったので、ラウンジの食事の方がずっと美味しいような気がする。そこまでラウンジの食事を充実させると、ただ機内食を食べる人が減るだけで、あまり効率のよいサービスになっていないのではないか、と思ったりもした。特にラウンジ利用者の多くは、私のようにエコノミーに乗るのではなく、ビジネスの利用者であることを考えると尚更である。

8月12日

よさこい全国大会にゼミ生がサマージッパーの連で参加する。全部で5回ほど踊る。流しが3回、ステージが2回である。今回のサマージッパーはコンセプトが坂本龍馬。坂本龍馬のダイアログとよさこいの踊りとがシンクロする。なかなか見る者を魅了するコンセプトである。加えて、音楽と衣装のデザインが極めていい。その模様は、そのうちユーチューブにアップするので、関心がある方はチェックしてください。今回は、なんと団体として優秀賞を受賞した。個人賞もゼミから長田が受賞した。なかなか充実したゼミ合宿だったのではないだろうか。その後、サマージッパーの打ち上げに参加。

8月11日

馬路村を訪れる。ごっくん馬路村や柚子醤油といった柚子加工商品を開発、産地直送の通信販売を農協が実践し、年間30億円の事業興しに成功した村である。また、日本一の田舎宣言をし、道路整備に反対する、まさに日本の村がサバイバルするためには何をしたらいいかの知恵に溢れた素晴らしき村である。その詳細はブログに記したので、関心のある方はそちらをご覧ください。

さて、馬路村を訪れた後は、安芸市に行き、国虎屋のうどんを食べに行く。国虎うどんという名物うどんを食す。牛肉うどんなのだが、スープが濃厚でまるでラーメンのスープのようである。これが、結構、美味で感心する。

その後、安芸市にある岩崎弥太郎の生家を訪れ、桂浜に行く。昨日と同様、澤村さんにコーディネートしていただいたのだが、去年に引き続き、今年も充実した視察を行うことができた。有難いことである。夕食は高知市の居酒屋「凜」で。うつぼの鍋、土佐巻き、ちゃんばら貝といった高知の名物を食す。なかなか、美味しい。

8月10日

朝の便で高知に行く。高知でクリチバを縁で知り合った澤村さんとゼミ生と合流し、その後、物部川に行き、バーベキューをする。鰹の藁焼きだ。これがもう滅茶苦茶美味しい。この鰹を食べると、もう本当に東京の鰹が食べれなくなる程、美味しい。学生達も大喜びである。その後、高知市に行き、よさこいを観る。意外とうまくない連も多くて、ちょっと驚く。夜は高知の居酒屋で食事をする。宿泊先は海老庄という民宿。朝食付で4200円だ。結構、リーズナブルで感心する。

8月8日

12時に江東区で打合せ。電車で行こうとしたのだが、あまりの暑さに自動車で行くことにした。カーナビでは11時30分に着くと出ている。余裕だな、と思っていたら、なんと首都高速道路が大渋滞。霞ヶ関まで50分と出ている。いつもなら10分か15分だ。下の道路も混んでいる。結局、20分も遅刻した。電車で行けば間に合ったのに、と思うと悔しい。最近、あまりにも自動車での移動が早いので、自動車を過信していたら、このざまだ。しかも、絶対遅れてはいけないような時に道が混んでいる。電車も最近では事故が多くて、必ずしも100%信用できる訳ではないが、やはりこの定時性に関してのデメリットは自動車の弱点である。逆にいえば、この定時性をさらに悪くすれば、人々の自動車離れも促進できるであろう。

13時30分にはクリチバのフィールドスタディに参加した明学の卒業生の山本と会い、昼食を一緒にする。彼女はクリチバのツアーを企画しているのだが、その相談であった。その後、少し話し足りなかったのでレトロな喫茶店にも入ったのだが、この喫茶店はなかなかよかった。絶滅種の類である。

8月7日

東京都のオリンピック・アセス評価委員会に出席する。委員だからだ。午後は大学で仕事。仕事が溜まっている。

8月6日

朝、子安と子安の祖母を迎えに行き、その後小学校跡地を活用した資料館を訪れる。結構、充実した資料を展示している。なかでも興味深かったのは、上信電鉄の幻の計画図である。上信電鉄とは高崎と下仁田を結ぶ鉄道であるが、これは当初は名前通り、上毛地域と信越とを結ぶという遠大な計画のもとにつくられていたようだ。しかし、下仁田で力尽きたのである。もし、これが南牧村にまで延びていれば、また南牧村の歴史も違ったものとなっていたであろう。しかし、この急峻な渓谷のどこに鉄道が走るスペースがあるのか。ちょっと不思議だ。もし通っていたとしたら観光ルートになっていたことだけは間違いないであろう。

その後、子安の祖父の友達4名の座談会。皆、70代後半だがすこぶる元気だ。南牧村は高齢化率日本一。65歳以上の人口が全体の53%を占める。限界集落のような部落も少なくない。どうしてか?その背景を実際に生活している人達から聞くことが目的であった。仕事である、ということは大体分かった。しかし、一方で南牧村の役場の職員達は南牧村以外の豊岡市などに自宅を構えて通勤している人も少なくないと言う。道路整備の効果だ。一方で、南牧村に住んで富岡まで通勤していた人達は、しばらくすると南牧村から出て行って富岡市に家を買ってしまうようだ。なんかとてもおかしい。結局、道路整備をすると吸い取られるばかりなのではないか、というのが朧気ながら見えてくる。

午後は南牧村の役場に行き、いろいろと資料をもらったりした。その後、子安を祖母宅に送り、東京まで戻る。途中、下仁田により、周辺の商店を壊滅的状況に追いやったと指摘されるAコープというところを視察する。下仁田は私の母が幼い頃、疎開で来ていた場所である。初めて訪れたにも関わらず、ちょっと懐かしい気分にさせられる。そして、東京まで自動車を飛ばす。関越自動車道が大渋滞なので、これはいい機会と圏央道を走る。圏央道は青梅の付近はもうほとんどすべてトンネル。本当に金を無駄に使うのが好きだよねえ。わざわざトンネルを掘っているという印象を受ける。しかし、関越自動車道が大渋滞の時には使えるのかな、と思っていたらなんと中央道も大渋滞。結局、渋滞からは逃れられず、高速料金だけが高くなっていた。

8月5日

ゼミ生の子安と一緒に彼女の卒論テーマである群馬県南牧村に行く。子安の祖母との待ち合わせ時間より早く着いたので、隣の上野村にまで足を伸ばす。上野村は国勢調査で最も人口の減少率が高かった自治体である。どんなにか大変なところなのだろう、と思ったら意外に明るくて若者もいたりして驚いた。観光センターみたいなところで働いている若い男女に質問をした。男性はUターンで東京で働いて、また地元の上野村に戻ってきたそうだ。女性は地元の高校を卒業して、その後、3年ほど家にいて今年の4月からここで働き始めたそうである。若い人もいるじゃないか、上野村。またキャンプ場のようなところに訪れて、昼食を取ったのだが、そこのウェイトレスにも地元出身かどうか尋ねると、「そうだ」と言う。なんか、若い人がここで働いていることが分かってちょっと新鮮な驚きを覚える。人口減少率が一番高い自治体というから、もっとどんより、活力がないのかと想像していたのでちょっと意外である。

その後、南牧村に戻り、子安の祖母が昔、住んでいたという家でいろいろと話を聞く。その後、星尾の集落に行き、掛尾さんという地元の名士の方にお話をうかがう。この話が非常に面白く、大変ためになった。最高に興味深かったのは、「道路を一生懸命整備した集落からゴーストタウンになってしまう」という話だった。その理由は掛尾さんにも不明だったし、私もそうなんだろう、と納得しつつも説明する言葉を持っていないが、道路整備で地方が豊かになるというのが必ずしも正しくない、ということは言える。本当に不思議だけど、道路整備をすると逆に人はそこからいなくなるんだよね。また、この星尾という集落は道路が自動車がぎりぎり通れるか通れないかぐらいの狭さであり、景観的には昔の日本の正統的な山村集落の趣きを持っていて素晴らしかった。これは私だけが素晴らしいと思っているのではなく、既に結構、素晴らしいと言っている人はいるそうだ。白川郷並みだと言う人もいるそうである。私はさすがに白川郷並みというのは過大評価が過ぎるとは思うが、ここに住んでいる人達が考えているよりかは価値があることは確信を持って言える。こういう集落景観を次代に残すように努めることが必要であろう。ここらへんの感想はブログに記しているので、宜しければご覧下さい。

子安と彼女の祖母と別れ、民宿「おかしら」に泊まる。アルコールを避けている筈なのに、思わずビールを大瓶一本飲んでしまう。駄目だよなあ、免疫力を高めなくてはいけないのに。この自制心のなさが命を短くするかもしれないというのに、なんか自分ながらに情けない。

8月4日

元会社の同期である櫻田氏と麻布十番の寿司屋に行く。いろいろと昔話に花を咲かせる。櫻田氏は45歳から空手を始めたそうである。空手をしてから、体重は7キロ減るは、体脂肪も8%ほど減るは、心臓の形までしっかりするなどいいこと尽くめだそうだ。そして、この空手という新たに得た特技を活かして海外の仕事で出張に行くと現地の空手教室に赴き、草の根交流をしているそうだ。そういうことをすると、凄い人気者になるようだ。なんか、いい話である。私が元いた会社は、滅茶苦茶忙しく、もうひたすら働きまくる。そういう会社でも自分の価値観とマイペースを維持できる櫻田氏は、私の目からは眩しくみえる。まあ、会社の同僚はあまり眩しく見ていないようだが、それは彼らの目が濁っているからであろう。ということが、会社を辞めた私の目にははっきりと分かる。久しぶりにいい話で、私も勇気づけられた。

8月2日

病院に行く。抗ガン剤を受ける必要がないと東大病院で説明を受けたことを報告する。私の主治医は、その説明を聞いて納得してくれたかと思ったが、どうも腑に落ちないという表情をしている。どうしてかな、と思ったのだが、彼が私の癌が第三期であることとリンパ節に転移していることから、結構、危ないんだよね、と説明する。え!第三期だったのか。それはとても意外であった。第三期っていうと、癌のステージは第四期しかないから、その一歩手前じゃないか。麻雀で言うところのイーシャンテンか。「そんな危ないんですか」と言うと「危ないんだよね」と答える。そんなことは東大病院ではまったく説明されなかった。しかし、抗ガン剤には副作用があって、「一気に老けるからね」と言う。そもそも、効く確率が極めて低く、値段も高く、しかも老けるのなら、やるよりやらない方がよほどましである。ということで、「やりたくありません」と主張したら、まあ、免疫力を高める方針でいこうか、ということになる。それにしても、第三期の癌を患ったということに対して、あまり動揺しない自分に驚く。もっと、びびらなくてはいけない筈であるのだが、どうも他人事のように自分の病気を捉えてしまっている。死への恐怖を回避しようとする一種の防衛反応が働いているのか、甲状腺を取ると死が怖くなくなる、という説があるが、そうなっているだけなのか、よく分からない。とはいえ、抗ガン剤で老けてしまうくらいなら、老けない方がいいというのは確信として持っている。例え、5年生存率が10%高くなったとしても、それは賭けとして全然賢明でない。とはいえ、もう少し、いろいろと動揺しろよな、と自分を叱咤したい気分もする。これからの人生を悔いなく生きるようにするとか、しゃきっとすべきなのに、どうも相変わらずだらだらと日々を過ごしていきそうな気分に支配されている。まあ、じゃあ何をするのかと自問すれば、今までの延長線上で仕事をこなすしかないのだが。採点業務とかをしていると疲れるが、しかし、これも重要な仕事だ。金を稼がなくても生きていけるなら別だが、扶養家族を3人抱えて、あと5年の命と宣告された訳でもないのに、そうそう勝手なこともできない。まあ、人生そんな無駄なことをしているとも思えない。まあ強いていえば学会的活動か。これは貴重な人生を無駄にしていると思う時がある。それ以外は、それほど改善する余地は見あたらない。

8月1日

次女のピアノ演奏会。ローデ作曲のマリオネット。一番はらはらしていたのは私かもしれない。その後、次女と『崖の上のポニョ』を観にいく。期待とウラハラに大傑作であった。宮崎駿凄すぎる。この感想はブログに書いたので宜しければご笑覧ください。

月30日

キミーに思雲の家まで来てもらい、アッシュビーの駅まで送ってもらう。レンタカーをしないと、こういう点で人の好意に甘えなくてはいけない点がちょっと辛い。とはいえ、コスト的には割安だ。さて、あっという間の海外出張であるが、もう帰路についている。行きもそうだが、帰りも飛行機では寝られなかった。それじゃ何をしていたかというと映画を観て、本を読んでいたのである。映画は往路は『ラスベガスをぶっつぶせ』と『ベスト・フレンド』、復路は『What Happens in Vegas』と『近距離恋愛』である。『ラスベガスをぶっつぶせ』は、MITの秀才がブラックジャック必勝法を教授達と編みだし、実践するという話。ケビン・スペーシー扮する教授のあまりの横暴ぶりが新鮮。こんなこと、私が実践したら即アカハラでクビである。そんなこと出来るわけないじゃん、と個人的に強烈な突っ込みを入れる。しかし、まあお宅の学生の成長物語としてみれば、まあまあ爽快感のするいい映画かもしれなし。あと、ついでに突っ込むと、主人公が恋する女性(ケイト・ボスワースが演じている)もそこまでいいかあ?ここらへんはアメリカ人の美意識と私の美意識のギャップにもとづくものかもしれない。『ベスト・フレンド』はフランス映画で大人のためのおとぎ話、という感じか。まあ、大した話ではないが、観た後、それでもちょっと心が温かくなる。とはいえ、パトリス・ルコント監督の作品としては『髪結いの亭主』の方がはるかにグッとくるものがあるが。『What Happens in Vegas』と『近距離恋愛』はともに、結婚モノ。いいよね、結婚にロマンが持てて、という僻みで観る自分がいることに気付く。まあ、それにしても結婚というものは、ハリウッド映画でも未だ大きなテーマであることを再確認する。どうでもいい内容だが、暇つぶしの方法としては、テレビゲーム上海をするよりかはまだ建設的であろう。そうそう、キャメロン・ディアスの可愛さはただものではない。『メリーに首ったけ』の頃のもうテロリスト並みの魅力はなくなっているとはいえ、それでも昔取った杵柄的に、もう全面的に肯定させられるような魅力を相変わらず放っている。ある意味で、このジャンルでは無敵に近い女優であるな、と思う。『近距離恋愛』は、ナンパ男の純情についての話である。こんなものに共感する奴が男でいるのか。ほとんどの男の敵のような奴が、年取って自分の純愛に気付くという話である。とはいえ、こんなテーマが映画になるということは、女性はナンパ男の純情に好感を持っているのかもしれない。まあ、この年になるとどうでもいいことだが、それでもどうも納得のできない映画であった。

月29日

デービスからバークレイにアムトラックで移動。ディアブロ山の雄姿がまばゆい。アメリカでの列車旅行も思ったよりも快適だ。バークレイでは友人のカートに駅まで迎えにきてもらう。駅そばのブレニャンで昼食。ここは前からあることは知っていたが一度も来たことがなかった。典型的なアメリカ料理を食べることができる。私的には、アメリカの小学校の給食料理だ。まあ、そんなに嫌いではない。その後、カートがいろいろと持病の話をする。大腸を取らなくてはならない、とカイザー病院の医者に言われたのだが、納得できないので他の医者に診てもらっているという話を聞かされる。それなら、是非とも思雲に相談をすべきだ、ということで思雲の家に行き、彼女を紹介する。思雲は冷静に素晴らしいアドバイスをカートに与える。カートもこれで少しは気が楽になるといいのだが。その後、カートと別れ、友人キミーと合流し、思雲と3人で夕食を取る。楽しく、そして極めて健康的な夕食を取ることができた。思雲の家に泊まる。

月28日

エコノロッジをチェックアウトし、もう一つの宿泊先候補のホールマークインに行き、チェックインをする。ここは結構、快適だ。フィールドスタディ期間中、空いているかというと空いていると言う。よし、一安心だ。その後、デービス校に行き、ソレンソン先生と会い、フィールドスタディでお互いの学生の交流会の企画をする。ソレンソン先生は日本語そして日本文学のクラスを担当しているので、日本人の学生には関心がある。9月3日にバーベキュー・パーティをすること、私の学生達に日本の若者風俗に関して発表させることを約束する。昼食はデービスの日本語学科の経費で奢ってもらった。インド料理だ。アメリカでインド料理はいい思い出が一つもないのだが、試してみる。まあ、アメリカ料理の中ではまともな方かもしれなしが、インド人が泣くよなとは思う。口が悪くてすいません。

打合せが終わった後、もう一つのフィールドスタディの課題であったバス会社とようやく電話が繋がる。メイルで価格交渉等はしていたのだが、予約のためのデポジットをどうするかは直接、話をしないと埒が明かない。まあ、これもどうにかなりそうで一安心である。とりあえず仕事が終わったので、フィールドスタディで行こうと考えていたサクラメントまで視察をしようとしたが、丁度アムトラックが発った後であった。しょうがないので、自転車を借りてデービス市内を視察する。そのこともブログに書いているので、宜しければみてやってください。

月27日

朝食の前の思雲の散歩に同行させてもらう。近くのマーティン・ルーサー・キング・ミドルスクールのグランドを何周も歩く。マーティン・ルーサー・キング・ミドルスクールはシェパニーズでカリフォルニア・キュイジンのブームを起こしたアリス・クーパーが農園をつくって学生達に農業をさせていることで有名な学校だ。歩きながら、いろいろと話をうかがう。イギリスのポンドが何故高いのか、バンクーバーは産業が壊滅しているのに、なぜ経済が失速しないのか、といった日頃、私が疑問に思っていたことに対して彼女はばしばしと説得力のある解説をしてくれる。凄まじい教養と頭脳である。私の親友のシェンリンの賢さの根源は彼女だったのか、ということを知る。シェンリンの英語は思雲にとても似ている。言い回しとかはそっくりだ。シェンリンは前から思雲に心酔していたが、まあ、相当影響を受けたのは間違いない。とはいえ彼女に心酔しない方が難しい。本当の賢者とは彼女のような人のことを言うのかもしれない。彼女の旦那も凄い。台湾のコミュニティ・プラニングをずっとリードしてきたジョン・ルーである。さらに、息子二人も凄い。特に弟の方は、大学があまりにもつまらなくて早く卒業しようと思い、3年でエール大学の経済学科を卒業した秀才であり、語学の天才である。中国語、英語は当然だが、さらにフランス語、ポルトガル語、イタリア語をマスターし、今ではアラビア語に取り組んでいるらしい。しかし、思雲の英語は本当にうまい。とても21歳に渡米してきたとは思えないネイティブさである。次男は母親の才能を引き継いだのではないだろうか。母親が賢いことは非常に恵まれていることなのだな、と愚母から生まれた私は痛切に感じ入ってしまう。私の家系で繰り返されている愚かさの鎖をどこかで絶たなくては、と強く思う。

朝食は思雲流のオートミール。胡麻など十穀からなる。これとフルーツ・サラダ。いかにも身体によさそうである。二人ともよく知っているシェンリンの旦那であるイライジャが癌でなくなっこともあり、癌と料理の関係の話や、西洋医学の関係などの話をしてくれる。大変、興味深い。西洋医学の限界などは、私も前々から感じているので、本当にためになる話をしてくれる。白砂糖は身体に悪い、ことなどを知る。まさに、インディアンの若者が、長老に話を聞くような気分だ。まあ、若いを私が言うこと自体、恥ずかしいのだが。賢い、ということがいかに貴重で価値があることであるのか、非常に痛烈に今回は感じ入った。賢さは、まさに生きていくうえでの指針を考えさせてくれる知恵を授けてくれる。大学の教員がこういう人ばかりであれば、大学も本当に魅力的なところになるであろう。しかし、残念ながら学生が、そういう賢さを求めたいと思うような教員は、私を含めてあまり多くないというのが大学の実態である。私自身、思雲に対してのように、教えを請いたいと強く思う人が、学会や同僚で見あたらないに近いような状況にある。中村ひとしさんのように尊敬している人は少なくないが、教えを請いたいという点では少ない。そういう意味で、この二日は私にとって大変、貴重な時間であった。あまりにも話がためになり、いつまでも聞いていたい気分になってしまい、列車に乗り遅れた。まあ時間を間違えていたこともあるのだが。

名残惜しいが、思雲と別れてアムトラックでデービスに行く。そのことに関しては、ブログに書いているので、よければ参照して下さい。

デービスについてフィールドスタディの宿泊候補のエコノロッジに泊まる。89ドルと安いが、ちょっとここは酷すぎるかもしれない。足も痒くなってきた気がする。

月26日(2)

フィールドスタディ先のデービスに下見に行く前にバークレイで、敬愛している思雲の家に泊まらせてもらう。思雲はまさに賢人であり、その口から発する言葉は、どんな書物よりも価値がある。話をしているだけで、こちらが賢くなっていくような気持ちになる。というか、話し相手を賢くさせるように話しているのかもしれない。こういう人こそが先生なのであろう。そういえば、私の大学院の指導教官であったモジンゴ先生もそういうタイプであった。思雲との会話は至極の価値がある。ただ会話をしているだけなのだが、何よりも勉強になり、自分が高められていく。新しい自分が発見できる。

さらに、食事も玄米根菜のものであった。アメリカでこんな健康食を食べれるとは思わなかった。感動的な1日である。

月26日(1)

機中。サンフランシスコに向かっている。フィールドスタディの下見のためだ。とはいえ、随分と慌ただしい。現地での宿泊先も予約していない。フィールドスタディの宿泊先が、コストをなるべく低く抑えるためにまだ予約できていないこともあるが、まあ現地で宿泊先やバス会社と交渉をしなくてはならない。私が使っている旅行代理店は相当、優秀だ。他の旅行代理店では対応できない、グレイハウンドの予約やヨセミテ・バレーのホテルを押さえることなどもできる。しかし、それでも私の細かい要望には対応できない。これは、この旅行代理店が駄目なのではなくて、私の要望があまりにもうるさいことが要因だ。結果、自分で直接、交渉しなくてはならない。

ということを他の教員は理解していない。フィールドスタディとは、教員が自ら旅行代理店をやる覚悟を持たないくらいでないと、安く行うことはできない。私は夏休みに秋学期のフィールドスタディの下見に家族と行く。もちろん自腹だ。どっかの学科の教員は大学の金で行った下見に家族を連れて行ったようだ。もう、全然、取り組みの姿勢が違う。大学の金を使ったら、家族サービスをするような余裕はまったくない筈だ。なぜなら、下見とはただ事前に行くのではなく、実際バス業者やコーディネーターと交渉をする過程を含んでいるからだ。そういう意味で、他の教員達はフィールドスタディに対して。何か大きな誤解がある。私のフィールドスタディが格安なのは、私が価格交渉までしているからだ。まあ、それがいいかどうかは分からないが、安いのにはちゃんとした理由があるのだ。

とはいえ、今回の行程は疲れそうだ。着いた日は知り合いの先生の家に泊まらせてもらうのだが、その後は未定だし、現地の滞在期間は4日である。本当、ハードである。

月25日

午後からゼミ。9月の水彩フェスティバルで出店するのだが、その企画会議。今回は結構、いいコンセプトが出てきており、まあそこそこ上手くいきそうだ。その後、ゼミの4年生を対象に「論理トレーニング」。

19時30分からは建築学会の小委員会の会議。しかし、なぜか4人しか出席しなかった。何が起きているのだろうか。まあ、それはいい。話は変わるが、学会って一体なんなのだろうか。本当に世の中の役に立っているのか。蛸壺のように細分化し、専門家が寄り集まって、いろいろと会議をしたり発表したりするが、それで何か有意義なアウトプットが出されているのだろうか。私はもう海外の学会を含めて15年ぐらい、いろいろと関わってきているが、本当にこれはためになった、とか新しい発見をした、とか大いに学んだ、とかいう経験をしたことがほとんどない。こんな無駄なことを一生懸命よくやっているな、と変な方向で感心をしたことはあっても、流石、とか立派、とかこんな研究を私もやってみたい、と思ったことは皆無とまでは言わないが、少ない。都市計画学会と建築学会で共著のような形で出版をしているが、どちらも私が企画をして書いた本や、三浦展さんと共著で書いた本に比べて、焦点がぼやけて時代遅れでつまらない。

それであるにも関わらず、学会では団塊の世代当たりの先生達が、偉そうに振る舞っていろいろと指示を出す。その指示も有益であればまだいいのだが、どうも何を目的でそういう指示を出しているのか、が不明であったりして、従うほうも辛い。自分の利益を守るためなのか、とも勘ぐったりするのだが、そもそもそんな大した利益を得ている訳ではない。そのうえ、あいつは使えない、とかあまり賢くない、とか言った悪口をも言う諸先輩もいたりする。

とはいえ、学会活動をしていないと、何も働いていない、と言われたり、勘ぐられたりして、昇進にも響いたりするので、まあしょうがなく働かなくては、と思ったりもしたりするのである。しかし、無駄だ。そんなに長く生きられそうもないので、ちょっと下らないことに付き合わせるうえでは責任を多少、持ってもらいたい。まあ、こういうことを書くと、また生意気だとか、言われるのだろうなあ。

月23日

今日は打合せが3つ。まあ、敢えてこの日に集中させたからだが。興味深かったのは最初の打合せである。情報システムを設計する会社が、私の講義にそのシステムを使って、意欲のない学生達に勉強させましょう、という営業提案をしてきた。そして、その費用も文科省のものを使いましょう、というものであった。確かに、こういう新しい試みを導入すると文科省のお金はとりやすい。私は、文科省のお金を取るのが苦手であるので、ちょっと興味が惹かれた。導入実績も多くあり、都留文科大学や、中部大学などで既に実績を持っている。で、いろいろと説明を受けて、一つ非常に鮮明に分かったことは、こういう情報システムを導入することで、学生の創造力とか企画力を育てる機会を摘んでしまうということである。なぜなら、情報システムというのは、作業効率性を上げるために、そのプロセスを汎用化してしまう。そして、その汎用化するために、新しいアイデアとか、プロジェクト自体をある枠組みへと分類化してしまう。それは、それで企業とかにとっては有難いことだ。テイラーの唱えた効率性を上げるためのツールとしては極めて有効であろう。マクドナルドもすかいらーくも、このシステム化によって効率を著しく向上することに成功したのである。

しかし、学生の創造力を発揮するためには、自由な、そういう枠組みや既存のカテゴリーからも解放された環境によって脳みそを刺激させないといけない。そのプロセスに、アルゴリズムを持ってくることは、創造的な思考をその時点で摘んでしまう。ということに気付いたのである。

今の学生の大きな弱点は、創造力や企画力が極めて乏しいことである。私は、その要因をゆとり教育や推薦入学なのではないか、と考えていたのだが、実は情報化が進展したことも大きな要因なのではないか、と今日の打合せで思わせられた。ウィキペディアで学生のレポートどころか、国交省のレポートでさえつくってしまう時代である。創造力や企画力を発揮しようと自分でうんうん産みの苦しみを経るよりかは、グーグルで答えを検索する方が楽である。グーグルで答えが出てこないことを課題に出す私のフィールドスタディやゼミの講義は、確かに、そういう情報化の手垢がついていない、という点では、情報システムの会社にとって未踏のマーケットに見えるのかもしれない。しかし実は、未踏であるからこそ、その存在意義があることが分かったのである。テイラー化されていないからこそ、私の講義は意義があるのである。ベルリンの天才建築家、ルシアン・クロールとの取材での話が思い出された(詳しくは、拙著「サステイナブルな未来をデザインする知恵」)。いやはや、世の中が少し見えるようになった打合せであった。

月22日

港区都市計画審議委員会の懇話会があり出席する。都市計画審議委員会の議事録をホームページで発表することがテーマであったが、当初はこれは皆承諾であっと言う間に話し合いが終わるのかと思っていたのだが、いやはやこれが侃々諤々の大議論へと発展した。どうも、利害が対立する人からいろいろと委員に圧力がかかるらしい。私などは名前が珍しいので、グーグルされたら一発でどこの誰かか分かる。委員である以上は、発言にも責任を持つことは当然だし、公開することもまったくやぶさかではない気持ちだったのだが、他の委員の中にはそう思っていない人もいるし、実際、以前、酷い目にあった委員もいるようだ。そうだったのか。まあ、私はそこらへん無防備だからな。このアーバン・ダイアリーのようなものでも、以前、理不尽な攻撃を受けたことがある。

さて、しかし、そのような議論が起きること自体、港区の行政、都市計画に対して住民の不満が相当大きくなってしまっているという事実もあると思う。ホームページ云々というよりかは、委員も疑心暗鬼に陥ってしまっている。そのことは大きな問題なのではないか、と思う。とはいえ、その改善は大変だ。都市計画は人々を豊かにすることを目的にされている筈なのだが、実際は人々を豊かにしていない場合が多すぎる。豊かさ、という指標が行政側と市民側とでギャップがあるのかもしれなし。道路整備についても、まさにそのギャップが感じられるが、この点は難しいところだ。

夕方は前の会社の先輩であった桧垣さんと久しぶりに飲みに行く。牛込柳町のつず久に久しぶりに行こうと思ったのだが、なんと満席。なんでえ、という思いだが、悔しいのでタクシーで大塚の串駒に行く。まあ、日本酒を飲むならつず久より絶対串駒だからな。ということで、うまい日本酒を二人で12合くらいは飲んだか。本当に非健康の癖に相変わらず、節制ができていない。大した話をしなかったが、昔から桧垣さんとはよく飲んだ。飲み友達である。飲み友達というものは、有難いものだ。どんな酒のつまみより、酒を旨く飲ませてくれる。

月21日

久しぶりにCDの大人買い。

1)マイク・エンド・ザ・メカニックスの同名アルバム

2)イザベラ・アンテナの『愛にアスポワール』。しかし、これの英語タイトルはHoping for Loveなんだよね。ちょっと邦題は狙いすぎだ。

3)そして、ブルーオイスターカルトを3枚。デビュー作の『狂気への誘い』、ノリにノッていた時のライブ・アルバム『暗黒の狂宴』、そして名作「ゴジラ」を収録した『スペクターズ』。これらは以前、買おうと思ったら廃盤になっていて手に入らなかったことがあったので、今回生産限定で販売されたので、急いで確保しよう、しかし全作品揃えるのはもったいないということで3枚。『暗黒の狂宴』は貴重なライブ映像がDVDでついてきている。とはいえ、最近はユーチューブでこういう貴重映像がすぐアップされてしまっているのだが。

4)プライマル・スクリームの新作『ビューティフル・スクリーム』。これは店内にかかっていたため。前作の『ライオット・シティ・ブルース』がそれほどインパクトを与えなかったので、新作が出てもそんなに関心を持っていなかったのだが、これはいいわ。ということで購入。

5)ブレッドの『ベスト』。ブレッドはイフのような歴史に残る大名作をこの世に残している。ブレッドの代表作はiTuneストアでダウンロードしていたのだが、CDに焼き付けないために、新たに購入。ところで買って気付いたのだが、イフは全米ナンバーワンになっていなくて、最高4位だったそうだ。「二人の架け橋」が1位になったことを考えると、どうにも解せない。イフは世紀の名曲であるし、時の流れもそういう判断をしている。まあ、名曲が必ずしもビルボードのナンバーワンにはならない、という事例か。それにしても、『ベスト』の曲のクオリティだけ考えると、改めてブレッドというのは凄まじいバンドであることに気付かせられる。イーグルスやアメリカよりメロディーメーカーとしては上である。

6)ケイト・ブッシュ4枚。全て揃えたいと最近、思っていたのだが、日本版がなかなか手に入らなくて輸入盤は今ひとつだよなあ、と思っていたら紙ジャケシリーズが出たので一挙に。とはいえ、センシュアル・ワールドは輸入盤を持っていたつもりが日本版だったので、重複して買ってしまった。もったいない。残りの3枚は、『愛のかたち』、『ドリーミング』、『魔物語』。結局、年を取ると、質の高い音楽をつくっていたアーティストに惹き付けられていくのかな、と思う。

7)ザ・プリテンダースのベスト。質の高い音楽に惹き付けられていくと書いた後にプリテンダース、というのは気が引ける。プリテンダースはデビューした時は、グラス・イン・ポケットは名曲だと思った。高校一年の頃だろう。しかし、その後は、そんなに聞きたいと思ったこともなかったのだが、一般教養として聞いておいた方がいいかな、と思ったので購入した。まあ、大人買いだから出来ることである。

8)アークティック・モンキーズの『フェイバリット・ワースト・ナイトメアー』。これも一般教養として。まあ、結構1枚目は嫌いではなかったし。

9)マイク・オールドフィールド2枚。『ムーンライト・シャドー』と『オマドーン』。これも一般教養としてか。なぜか義務感というか責任感みたいな気持ちで購入している自分に、こうやって整理していると気付く。

10)そしてアンソニー・フィリップスの『バック・トゥ・ザ・パビリオン』と『ワイズ・アフター・ザ・イベント』。なぜ、アンソニー・フィリップスの作品が日本版で買えるのか、不思議でならないが、売っていたので購入。まあ、アンソニー・フィリップスはジェネシスの1枚目のメンバーだから、前々から気になっていたしね。しかし、誰が彼の作品を買うのであろうか。イギリス人でも買う人間は多くはないのではないか。とはいえ、聞いてみると悪くはない。もしかしたら嵌るかもしれない。

月20日

ゼミの卒業生である鈴木瑠美の結婚式。横浜のベイサイドガーデンにて。ゼミ生最初の結婚式である。乾杯の挨拶をするということで主賓の扱いではある。席も主賓の場所であったが、私が知っている結婚式とは様子が違う。新郎の招待客は会社や仕事関係者はおらず、友人が中心でった。私のテーブルは新婦の会社関係者で全員が男性であったので、まだ状況は悪くはないが、それでも若い。とにかく出席者が若く、これはまあ、自分が年を取っているからなのではあるが、こんなに最近の結婚式は若者中心なのか。結婚式は、恋愛関係の社会化であり、家族という社会単位を新たにつくるための儀式でもある。友人同士だと、ただのパーティーの延長である。というか、これは社会的儀式と思っている私の方にずれがあり、本来的にはパーティーなのであろう。そういう中で社会的儀式において象徴的な意味を持つ大学の指導教員の私の位置づけは何なのだろうか。大いに悩ましい。もちろん、本日の結婚式は、私にとって初めてのゼミ生の結婚式ということでそれに参加できること自体、光栄にも思い、馳せ参じるという形であったのだが、どうも大学の先生はあまりゼミ生の結婚式に出席しないらしい。新郎、新婦ともにゼミ生の時だけ出席するという条件を設けている教員もいる。私のように学会をキックしてまで出席するのは大変珍しいようだ。これら結婚式に出席しない教員は、象徴としてだけの意味合いで参加することはあまりにも面倒臭いということが出席しない理由のようだ。本日の場合は、私は新婦の鈴木瑠美に対しては友情のような感情をも有しているので、結婚式を盛り上げたり、象徴としての役割を果たして格を上げたりなど自分が出来ることは協力したい、という気持ちが強かったので、何があっても納得できるのだが、新郎のご両親が挨拶に来たのだが、肝心の新婦のご両親は改めて挨拶に来なかったことには正直驚いた。まあ、確かにこういう経験を重ねると、結婚式に出ることに意味があるのか、と思う教員が出てくることは理解できる。とはいえ、それでも私はゼミ生の結婚式という人生の門出に立ち会うことは、素晴らしいことだと思っている。

久しぶりにフィールドスタディで一緒だった中村と和井田と会う。中村は結構、しっかりとサラリーマンをやっているようで意外だったが、まあ彼はやる時はやれる男なのだろう。ちょっと頼もしい気持ちだ。和井田はやる気がないのに試験だけはしっかりと頑張ってしまうというタイプで、どうもSPIで満点を取ってしまったので、本来的には広報とか営業とか派手な仕事が向いているのに経理の仕事をやらされてしまっているらしい。ここらへんは要領が悪い。器量がいいのに、要領が悪い。まあ、器量がよくて要領まで良いと、ちょっと憎たらしいからいいか。

結婚式の後、披露宴には出ないが二次会から出席するというゼミ生卒業生の渡邉に連絡を取り、横浜駅で待ち合わせをしてお茶をする。1年ぶりだ。元気そうで何より、と書きたいところだが、ちょっと体調を崩したみたいだ。まあ、仕事のペースがつかみにくい社会人1年目は身体にガタがくる。私も1年目に徹夜明けに社内で倒れたことがある。ペースを掴むことが重要だ。

月19日

JUDIの総会。柏の葉キャンパスにある千葉大学の校舎で行う。私はこの4年間、代表幹事を務めさせていただいたがこれでお役御免。寂しいと思う気持ちと、ちょっと肩の荷が下りたという気持ちである。とはいえ、最後の1年間は手術、入院をしたり、いろいろと他の仕事と重なり、ろくに会議にも出なくてみんなにご迷惑をかけてしまった。

月16日

東大病院。実は、内科の主治医が癌が転移しているので、抗ガン剤治療をしようか、と言っていたのだが、内科は胃の専門で甲状腺はよく知らないので、まあとりあえず執刀医である外科の先生の話を聞いてから処方を考えよう、と言われていたので、今日、外科の先生に会うのは結構、緊張していた。というのは、抗ガン剤治療は副作用の危険があまりにも大きいし、また何しろ高い。また、外科の先生は「今までの生活に戻っても構いません」と前回の診察時に言っていたのに、それに異を唱えることを言うのは憚られもした。結果、転移をしているところも郭清して取っているので問題ないこと。もし転移をしてもまた外科的に取ることが最善であること。そもそも甲状腺腫瘍に有効な抗ガン剤がないとの説明を受けた。安心するのと同時に、外科医と内科医の捉え方の違いに驚く。また、抗ガン剤を摂取することには強い抵抗を覚えるが、抗ガン剤が効かないというのも、ちょっと寂しいというか不安を増す。とはいえ、まあ余命を考えるような状態でもないので、日々を大切に生きていくということしか出来ない自分である。そして、大切にというよりかは締め切りに追われ、時間に追われて生きていることしかちょっと考えられない自分でもある。

月15日

國學院大學を見学。立派なキャンパスがつくられていてびっくりである。明学も何もしないと大きく取り残されてしまうかもしれない。

月13日

江東区の環境情報施設であるエコックルにて服部ゼミが誇るスマッティー・ミジンコスがコンサートを行う。なんと、出演料が江東区から出た。28000円である。ついにセミプロか。ホテル・カリフォルニア、シェリル・クローのイフ・イット・メークス・ユー・ハッピー、バーシアのプロミセス、椎名林檎のすべりだい、丸の内サディスティックスを披露した。子供達が多いので音量の大きさが気になったが、まあ、総じて好評のようであった。なんとアンコールがきて、どうもお愛想ではなくて、本気のアンコールのようだったので、モチネタがなかったのだが、東京事変の落日をやった。落日はコード進行をはっきり理解していないので、アドリブに近い演奏をしてしまいハラハラだったのだが、どうにかできた。ここらへんの演奏は、一部、ユーチューブでチェックできます。

ホテル・カリフォルニア

すべりだい

そして、コンサートが終わったら、月島に向かう。というのは、月島にてスマッティー・ミジンコス以外のメンバーが屋台を出しているからだ。ワールド・カクテルバーということで、サングリアなどを売ったのである。まあ、ここはライバルが強力で、なかなか桜祭りのようには売上げが伸びなかったが、それでも利益は出た。いろいろと勉強になることも多く、学生達にはためになったのではないだろうか。

月11日

ゼミ生達と高円寺に行く。パル商店街、ルック商店街の二つの商店街で話を聞く。大変、ためになった。ここらへんの感想は後日、ブログの方にまとめたいと考えている。学生達には高円寺を探索させるために、あさひ屋、バロック、喫茶プログレの3店を探せ、という課題を出す。あさひ屋は高円寺の古着屋の嚆矢となった店でこれは探すのは簡単。バロックはカルト・ショップで北口中通りのピンク街にある。なかなか中に入るのが躊躇されるエログロ・サブカルチャー店だ。あさひ屋よりは探すのが難しいが、それほど大変でもない。しかし、喫茶プログレを探すのは大変難しい。北口の庚申通り商店街にあるのだが、商店の二階にある。しかも一階に置かれているのは、ビラのようなものしかない。まあ、まず見つけるのは不可能だろう、と思っていたら3年生のコンビが3つとも発見した。これは快挙だ!ということで、この二人は今度の夏合宿の高級居酒屋での食事を奢るというご褒美をあげることにした。

月6日

中村ひとしさんの中学・高校時代の知人に取材。4名の人が私のために集まってくれた。大変有難いことである。しかし、それほど面白いエピソードを聞くことはできなかった。無理もない。もう50年近くも昔の話である。自分の記憶さえあやふやである。ましてや、いかに仲良しでも他人である。とはいえ、中村さんが育った環境などは随分と理解が深まった。昼は西明石の駅前の寿司屋にて。当然、穴子寿司。

午後は中村ひとしさんの奥様久美子さんと西明石駅で待ち合わせ。取材をし、いろいろとお話を聞かせてもらう。おもに中村ひとしさんの話が中心だが、現地の学校で先生をしていることもあり、教育の話も聞かせてもらう。以下はその時の印象的なお話。

ブラジル人の子供の方がずっと純心で天真爛漫。日本の商社の子供達はすれていた。しかし、その差は最近小さくなっている。前は歴然とした違いがあったのに、最近は似てきた。

ふうむ、これもグローバリゼーションの影響か。

月5日

大阪は尼崎に向かう。中村ひとしさんの大学時代の知人に取材をするためである。待ち合わせの時間より早く着く。まだ昼飯を取っていないので、これはチャンスと尼崎のB級グルメを味わうために店を探す。その詳細に関してはブログに記しているので、興味がある奇特のある人はご参照ください。まあ、日本風洋食のレストランに入る。美味しかった。

その後、取材。中村さんの大学時代の研究室とハンドボール部の後輩の湊さんに、いろいろと中村さんの若い時のお話を聞く。たいへん興味深いお話を伺うことができた。夜は湊さんが、同じく中村さんのハンドボール部の後輩である池内さんを呼んで、三人で食事をする。なかなか美味しい店で、ご馳走にまでなってしまった。お忙しい中、お時間をいただいたのに申し訳ない気分である。泊まりは西明石のビジネス・ホテル。

月2日

教授会、その後懇親会。懇親会のコンセプトはタコス・パーティーということで、タコス、ピント・ビーンズ、グアカモリなどが振る舞われた。産研の人々の企画である。私のゼミ生のお祭りの企画より、はるかに斬新で面白い。なぜ、このような違いが生じるのか。極めて興味深い。人生を楽しもう、という意識の違いといえば、それまでなのだが、従来、若者が有していた「楽しもう」というエネルギーの欠如を感じざるおえない。その後、高崎先生、白井先生、ガルシア先生と魚藍坂の居酒屋に飲みに行く。高崎先生は、いつものルーティン的ノリになってしまったが、ガルシア先生とは初めて飲みに行ったので、いろいろと興味深い話を聞くことができた。特に、パリで痴漢の被害に二度会った話や、フランスのレストランではしょっちゅう食中毒が出るため、彼女の父親やピザはマルゲリータしか注文しないなどの話は極めて興味深かった。