3.ピクニック ピクニックとは、野外の自然豊かな場所に出かけていき、食事をしたり軽い遊びやスポーツをしたりすることである。また、風景を眺めたり寝転がったりと自然を楽しむことも含まれている。ピクニックとはこれといって決まった形態はないように思われる。 小学校のころの遠足という行事の中にピクニックは組み込まれていた。いつも行っている学校とはちがった場所にみんなで出かけていくという行事である。時間割が組まれ、決まった時間にみんなが一斉に行動し、おなじことを勉強するという日課とかけ離れた生活を一日だけ味わうことができるのだ。そのため遠足とは、学校が嫌いであった私にとってとても重要なイベントであった。私だけではない。わくわくして眠れない子もいるほど、こどもたちにとって楽しみな行事である。 山や海などといった自然豊かな場所に行くことももちろんだが、外でお弁当を食べるということに解放感を得ることができる。小学校のころは、普段は教室で給食を食べていた。班で机をつなげ、テーブルクロスを敷き、当番の子が運んできた給食をみんなで食べた。そして食べ終わったあとは、片付けをし、その後に校庭に遊びにいっていた。そのような日常とは違い、ピクニックでは、草原の上にレジャーシートを敷き、地面に座りお弁当をひろげみんなでワイワイと楽しみながら食べる。そして食べ終わった子どもたちは、次々と同じ草原の空間で遊び始める。学校でも草原でも楽しみながら食べるということには変わりないが、解放感が全く違うのである。普段よりも友だちと座る距離は近くなり、空間を仕切るものがなくなる。お弁当はサンドイッチやおにぎりといった、手でつかんで簡単に食べられるものが基本である。うるさい食事のマナーからも少し解放され、純粋に楽しみながら食べることを最優先できる。 青空の下で建物に閉じ込められることがないという自由な雰囲気は、日常生活からの逃避であり、解放であった。今日は勉強に必要なものは一切ない。そのことは本当に自分を解放的な気分にさせてくれた。しかし、遠足が終わったあとは、いつもの通りに家に帰り、建物のなかに入っていく。次の日からまたもとの生活が始まるのだ。つかの間の解放である。大人でも、この解放感を楽しんでいるように思われる。都会に住む人ほど、自然とのふれあいに関心を持つ人は多い。草原や森や山、海などがない都会にとっては、自然とふれあうことは非日常的なものになるからではないだろうか。会社につとめるOLが、お昼休みにまるでピクニックのように外でお弁当を食べている姿を見かける。外へ出て少しの自然さえ見つければ、解放的でくつろぎの空間に変わるのだろう。手頃でつかの間の解放感が得られるのだ。私は彼女たちを見て、事務作業を忘れ、心をなごませる憩いの時間なのだと感じる。 |