13.誰でもカメラマン

 写真を撮ってすぐにツイッターにアップするなどといった行為は、日常的によく見られるようになっている。写真は自分の思い出ではなく、もっと身近で日常に近いものになってきている。

 何か行事があるとき、どこかへ旅行に行ったとき、私にとって写真は特別なときに思い出として残すために撮られるものであった。写真を趣味にしている人は、写真を撮ることを目的として、散歩をしているときにも何でもない風景にも何かを発見して撮ることはある。そして、カメラマンという職業は、写真を撮ることが職業となっており、趣味や楽しみとは違うものである。カメラマンが撮る写真は多くの人に見せることが前提となっているのだ。そして、その多くの人に見せるという行為が、私たちの間でも当たり前のことのようになってきていると感じる。

 ツイッターでは、写真を載せてツイートすることができる。自分の現状をつぶやくだけでなく、写真もリアルタイムで載せることが可能である。ツイッターなどのソーシャル・ネットワーキング・サービスでは、人と人とのコミュニケーションがネット上で簡単にできるものである。友人や、友人の友人など知らない人とも繋がることのでき、新たに人間関係を広く作り上げることができる。そのような場所では、頻繁に会話がやりとりされ、自分を自由に発信していける場となっている。自分がいつでもどこでも自由にコミュニティに参加することができるのだ。そして、その中で自分が撮った写真を発信することも可能となっている。

 私はアルバムの代わりとして、フェイスブックに思い出の写真を載せている人。自分が写っているものも、友だちが写っているものもみんなで見て共有できる。その点は、写真の焼き増しをするという感覚であり、一枚写真をアップしただけで、大勢の友だちがネット上で写真を見せることができる。しかし、今日食べたものなど、今見ているもの、買ったものを写真にとってみんなと共有する意味は何なのだろうか。写真というものがとても身近で、趣味というほどでもないが日常的にみんなが撮るようになってきている。いつも持ち歩く携帯電話は、写真だけでなく動画も撮ることができる。ほとんどの携帯に写メールの機能がついたことは、それだけ写真というものに多くの人たちが楽しみを覚え、自分を表現するものとして可能性を見出したのではないだろうか。さらに、最近はスマートフォンのアプリでカメラの機能がとても豊富に用意されている。何でもないようなものを撮って、加工するだけでまるでカメラマンが撮ったような写真にすることが可能となった。いつもの風景がすこし違って見えたり、少しおしゃれに見えたりする。そうすることで、撮ることの楽しみはますます強くなってきている。さらに自分が撮った写真に、ネット上でコメントがもらえることで、より写真に関する意欲、撮りたいという関心は増してくる。私もカメラマンになったつもりで、今まで写真におさめようと思っていなかったものまで撮るようになってきた。