9.共感覚

いつはじめて知ったのかは覚えていない。ただ、この言葉は知らない人も多くいるように思う。私は大学の授業で色のイメージについて調べる時、なんとなく名前だけ知っていた共感覚について調べた。共感覚とは、たとえば音に色が見えたり、においが形になって感じられたりする五感がいくつか組み合わさって知覚される現象のことを言う。このような症状がみられる人は世界中でも多くないらしいが、なにしろ感覚は本人しかわからないため調べようがないという。そのため、共感覚者の人々は歴史上で狂人、頭がおかしい人と言われてしまうことが多かった。共感覚者は芸術家に多い。他人にはわかってもらえない自分の感覚を、作品として表現するのである。共感覚を持っていた芸術家のひとりにゴッホがいる。彼の絵は私たちにはドロドロとした気味の悪い絵に見えるが、あれは実際ゴッホが見ていた景色らしい。彼の絵は彼にとってはきわめて写実的なものだったのかもしれない。

共感覚に興味を持ったのは、読んだ本の中に共感覚者からするとわれわれのほうが異常に見えると書かれてあったからである。私たちはリンゴは赤だ、という。しかし、その「赤」とは何をもって「赤」なのか。あくまで色の名前は人間が決めた記号であって、必ずしも全員が同じ感覚で「赤」を認識しているはずがない。感覚はそれぞれに違うはずなのに、みんながこれは「赤」だと認識することは一致の強制である。全員が同じ感覚をもっていることのほうが異常である、と述べられていた。

確かに、私たちは視覚に頼りすぎているように思う。特に一致が強制されているのは視覚であると思う。「この絵は何?」と聞いて「りんご」と答えると正解で、「ブドウ」と答えると頭がおかしいのではないかと思われる。しかし、ものの名前もあくまで記号であって、そのものの名前ではない。これは「精神の生態学」でも言っていたように思う。音が外れている人のことを音痴と言うが、それだって音の高さは強制的に決められているのであって、音痴の人が間違っているわけではない。おそらく、大昔はもっと共感覚者は多くいたのではないかと思う。時代が流れ、大きな集団で生活をしていくために全員が違うことを言うのではまとまらないため、記号として言葉を作り、強制していくことによって、共感覚は減っていったのではないだろうか。共感覚に関してはあまり文献がなかったため、詳しいことはわからないが、共感覚の歴史はぜひ知りたいと思う。