14.ビジネスで成り立つ世の中――電車に乗ると考えること 電車に乗っていると、ふと考えることがある。どうしてこの車両に乗っている人は皆、ピリピリしていたり、暗い顔をしているのだろうということだ。私は、同じ車両に乗っている人が、できれば一日ピリピリせずにいてほしいなと思う。 就職活動をしていて、世の中はビジネスで成り立っているのだということを考えなくてはならないと感じている。私は今まで、普通にお金を使って食事をしたり買いものをしたりしながら生きてきたが、そのことについてしっかりと認識することができていなかったのだと思う。自分が将来働いている姿をイメージし、何がやりたいのかを考えるために、そもそもそれはビジネスであるということを認めなければならなかった。確かにさまざまなところにお金が発生しているし、お金が中心に世の中がまわっているということも否定できないと思う。けれども、最優先されるのはお金であっていいのか?と思うのである。私は今まで、お金では買えないような優しさに支えられてきたし、お金では買えないような思い出も持っている。そういったことに頼って生きてきた私が、社会に放り出されるとこんなのも無力なのだろうかと思う。 社会は矛盾を抱えていると思う。私がいま同じ車両に乗っている人々は、皆それぞれ誰かのことを思って働いているはずだと思う。絶対にお互いのことを思い合って、社会や、生活や、自社をよくしようと働いているはずである。なのにどうしてこんなにも皆ピリピリしていて、ため息をついているのだろう。肩がぶつかっただけで、舌打ちをしてしまうのだろう。きれいごとを言いたいわけではないし、自分でも、何が言いたいのかわからないのだが、このようなことが悲しいなぁと思ってしまうのだ。けれども、私はまた、こういった社会を認めたいのだと思う。個人と、社会との間にある矛盾を考えたいし、そういう社会で生きる私たちを肯定したい。人間の冷たさに触れたときには、「人間なんてこんなもんだ」と思うのではなくて、「こんなもんだからこそ愛おしい存在」なのだと思いたいのだと思う。 就職活動をしていて、自分は社会に対して何ができるのかということをより現実的に、考えなければならなくなった。自分が社会に対して、おかしいんじゃないかと思っていることは、すでにあたり前のことになっていて、何かを変えるということも、現実味を帯びない。けれど、そこで考えることを諦めてしまってはいけないのだろう。だから私は、自分が社会に貢献することに期待する自分と、なにもできない無力な自分との間で、考え続けるということをしたいと思う。 |