6.学生は「飲み会」で大人の階段を登る 「私、飲み会の悪口が嫌いなんです」衝撃だった。演劇研究部の2つ下の後輩の女子が発した言葉に、私は軽いショックを受けた。なんせ、少なくとも私には、悪口を言っている自覚がなかったからだ。確かに飲み会では、今回の公演のこと、部のこと、そして部員の話題に尽きる。彼女はそれらを全て、身内の悪口と捉えていたようだ。 私は、「飲み会」が好きだ。ただし、コールがあるのは苦手だ。お酒片手に、個々のペースで、とりとめもない話やしょうもない愚痴を言い合う、少し相手が見えてくる空間だと思っている。部員の中には、寧ろ、飲み会でないと思いを喋ってくれない人もいる。私は、飲み会を「楽しい場」というだけではなく、それなりに大切な場として考えているのだ。公演練習後の品川バーミヤン、ラーメンを前にして、年長者の私は絶句してしまった。 昨年12頃、NHKのとある番組で、新社会人50名と現役サラリーマン(上司)50名が集まって話す、という番組があった。番組後半、「飲みニケーションが減少している」という話題に対し、現役サラリーマン男性の一人が、自分の体験と交えて「飲みに行かなきゃ部下とコミュニケーションとれない」と言った。分かる部分はあった。例えば、後輩は後輩同士仲良くしているが、舞台場では年齢・学年は関係ないわけで、一緒に公演を運営するにあたって、ある程度話せるようになる必要はある。その際、最も仲良くなるのは、やはり積極的に飲み会に来てくれる後輩だ。しかし、社会人にとってのそれと、私たちがくせいにとってのそれは、なんだか似ているようで似ていない、紛い物のように感じる。 そもそも、約半分が未成年である学生が、「飲み」という行為をどう捉えているのかが気になる。おそらく、前述のサラリーマンたちにとってそれは、「話をする場」なのであろう。噂に聞く「コール」「ビール瓶一気飲み」をする団体の空間に、彼の言う「コミュニケーション」は、果たしてあるのだろうか。 「お酒を飲む」という行為は、社会人になったような気がしてしまう行為だと思う。私が初めてビールを飲んで先輩と世間話をしたときは、なんだか一気に世知辛い世の中を知ったような気になった(そんなはずは無いのだが)。劇研の部内で言えば、飲み会によく来る人とは仲良くなるし、来ない人のことは来ない限りさっぱり分からない。大学に入って部活のシステムが微妙に代わり、活動費用が多くかさむことも増え、学生生活の応用編に突入したような気もする。少なくとも、「飲み会」に行ったことで、「自分は、お酒が飲める歳になったんだな…」と思うこともあった。心の制服を脱いで、スーツを着ようとしているすっぽんぽんの状態で、大人の階段を登っているのかもしれない。そう考えたら、サラリーマンの言うことに共感を覚えた私も、どこか勘違いをしているのかもしれない。 |