9.写真に落書きのワクワク感 昔、教科書や新聞に掲載されている偉い人の写真に、落書きを施した経験は無いだろうか。新聞一面に掲載された政治家たちの顔に、ひげ、鼻毛、睫毛を書き足したり、眉毛を繋げてみたり。小学校の時に、社会の教科書の写真に必ずヒゲを書いているクラスメイトは、必ず一人はいたのではないだろうか。私も落書きが大好きだった。朝一番にポストに投函されていた読売新聞の掲載写真に落書きを施した結果、翌朝、私は新聞に触らせてもらえなかった。この落書き行為にちょっと似た言葉がある。「顔に泥を塗る」、である。実際に泥を塗っているわけではないが、写真という媒体を通して顔に落書きすることは、なんだか言葉どおりのような気がしてきてしまうが、どうなんだろうか。正直、どっかでふざけている部分はあったと思う。 さて、何故こんなに人の顔への落書きが好きだったのか?実際に書いてみた。新聞にとある政治家の写真が掲載されていたので、その写真をベースに、落書きを施していきたいと思う(別に政治家を馬鹿にしている訳ではないので、その辺誤解をしないで頂きたい)。まず、眉毛を太くする。次に、鼻毛を書き足し、アイラインをひいて睫毛を増やす。口元、目尻にシワを書いてみる。…とここまで書いてみて改めて最初の写真と見比べると、随分違う人になってしまった。しかし、真面目な顔している人の写真に落書きしていくことの、なんと楽しいことか!やはり、これをやっているときは多少ふざけている。確かに改めてやってみると、「顔写真に落書きをする」行為は、「顔に泥を塗る」行為かもしれない。しかし、すくなくとも私は、写真がどんどん落書きに埋めつくされていくのがワクワクするのだ。 別のコラムのテーマに「変身」について取り上げている。そことも繋がってくる点があると思う。人の外観が変化していくことに、おそらく私は興味をそそられるのだろう。それは女の子がメイクをしたり男装したり、男の子が女装したりして、「いつもと違う様相」になるのが楽しいのだと思う。それも、自分とはほど遠い人物しかやったことがない。この行為は、いたずらと呼ぶには害がなさすぎる。私にとっては自己満足で終わるいたずらである。 ※先日、テレビ朝日「ネプ・イモトの世界番付」スペシャルにおいて、タレントの土田晃之が「教科書の偉人の顔に落書きしたことがある」という「あるある」質問をして、参加国(のタレント)のほとんどが「ある」と答えていた。世界でもこの落書きのいたずらはあるのだろうか? |