7.制服は戦闘服 中学生や高校生のころは、紺色の制服ではなく、ピンクや水色と言った鮮やかな洋服をきて楽しそうに話している大学生や社会人に憧れていた。はやく大人になりたいとも思っていた。そして事あるごとに制服を脱ぎたがり、私服になろうとしていた。 しかし、大学生になった今、私は制服が非常に便利な服であったことに気付く。 私たちは制服を着るとき、確かに守られている。それは学校であり、仕事先であり、何事かの組織に所属していることを一目で表現している点で、私たちは守られていると言える。中高生の制服は、自分が女子高生であることを主張し、未成年と言う法に守られているだけでなく、校章によって自分がどこの学校に所属し守られるべき存在であることを、制服と言う服を着るだけで主張しているのである。 そして制服はそれだけで、青春の鎧として攻撃性の高い武器になる。 制服を着ているとき、私はそのことを意識してはいなかった。その枠組みから外れてしまった今だからこそ、そこにあった特別性が見えてきたのである。女子高生は、大人になりたいと願い、髪を染めて大人びた化粧をする。しかし、その反面で制服を着ることで見えない法律に守られている子供だということも、強く認識しているのである。そしてその矛盾性を持って、彼女たちは制服を最大の武器をとしているのだ。 制服はそれだけで、軍隊の着る制服と同じくらいに攻撃力の高い武器になる。 大人はまた、その青春さを内包した制服と言う一種の象徴である制服にたじろぐのだ。 私も大学生になった今、制服にたじろいでしまう。制服はそれだけで武器だ。 私は捨て去ってしまったその少女と青春の象徴を見て、高校生だった頃の自分といまの自分とを比較するのである。そのときに感じるのは、あの時憧れていた世界に踏み出し、大人への階段を上っている自分への期待と、少女性が失われてしまったことへの悲しみである。もし、今もう一度制服を着る時がきても、それはどこか純粋さにかけた少女性をまとうことになるだろう。 制服のもつ力とは、そのように強く不思議なものなのである。 |