1 お風呂

 私は毎日かかさず朝風呂に入っている。中学生の頃から習慣づいた。理由は寝起きの気分がいつも悪かったからである。起きた後頭がボーッとしてしまい、身体がなかなか動こうとしない。朝食を食べるのにも時間がかかってしまう始末である。寝相も悪いので髪の毛には必ずと言っていいほど寝ぐせがついていた。今に比べ、中学生の朝は早かったので髪型を修正する時間もなく、適当に水でもかけて学校へ行っていた。そんな朝の行事を憂鬱に思い、なんとか朝をシャキッと円滑に過ごせないものかと考え、お風呂を朝にも入ってみるということを実行してみた。それが自分に合い、今でも続いている。いつのまにかお風呂が好きになり、居心地の良い空間と化した。理由は三つある。
 一つ目の理由は、身体をキレイにすることによって自分に自信がつくということだ。私は中学生のときから人の目を気にするクセがあった。「あいつ汚いとか、臭いとか思われていたらどうしよう」などと、別に誰からも言われていないのに一人で勝手に心配になってしまうことがよくある。そのような思いを払拭させるために、朝から風呂に入って自己満足しようとしている。
 二つ目は、完全個室であることだ。これはトイレや自分の部屋にも共通することであるが、個室に入っているとたちまち落ち着くことができる。裸で何をしようが、何を歌おうが、誰にも干渉されない空間である。密度的には狭いのだが、心の開放感を感じる。よく一般に「お風呂に入ったら思わず歌ってしまう」というのはこういった開放感によるものではないかと思う。
 三つ目は、家の中でもとくにお風呂は音がよく響くので、シャワーから出た水が床に滴る音や浴槽にたまったお湯の音を聴くことによってとても心地がよくなるからだ。物理的に身体がキレイになるという側面もあるが精神も落ち着きリラックスできる場所でもある。静かに水の音に耳を澄ませるのも大好きであるのだが、最近はお風呂の中で音楽鑑賞にハマっている。とくにメッセージ性のないアンビエント音楽をよく聴く。詞のある音楽は意識を集中させてしまうので、本当にリラックスできない。この場ではインストゥルメンタルがふさわしい。おいだきを繰り返したあたたかいお湯と空間に響くアンビエント音楽に身体を包ませることが私にとって一番のリラックス方法であり、家の中で一番好きな空間だ。








































2 子ども

 大学に入り、ボランティアサークルやアルバイト(塾講師と家庭教師)を通して、子どもと関わる機会が多くなった。もともとは子どもに対する関心よりも教育に関しての関心の方が強かったため、そういった場に身を置くことにしたのだが、小学生から高校生まであらゆる子どもと関わることができた。
 とくにサークルで知的障害をもった子どもと関わることによって気づいたことは多い。子どもたちはあらゆることに敏感だ。支援学校を借りて運動会を企画したとき、全体の流れが瞬時にわかるように緑色の大きな模造紙にプログラムを書いて誰もがよく見える場所に貼った。そのプログラムには、子どもたちが見ても楽しめるように絵や模様などを簡単に描いておいた。しかしそれらは本格的に描いたのではなく「余白があったからオマケとして描いた」程度の些細なものだった。ある一人のダウン症の子が、まるでディズニーランドのシンデレラ城を観るかのようなまなざしでそのプログラムをじっと観ていた。私が「どうしたの?」と聞くと、その子は「すっごいキレイ」と答えた。たしかに簡素なプログラムよりかはちょっとした装飾を施しているが、プログラムはプログラムであるので感動するほどでもない。
私の場合、プログラムのちょっとした装飾よりも各種目名やタイムテーブルといった文字情報に目をやってしまう。テレビ番組のテロップについ目がいってしまうように、あらゆるものに対し自分が求めている情報を即座に探してしまおうとするせいで、どうしても全体に目がいっていないということに気づかされた。
 また、遠足の移動で電車に乗っているとき、地下鉄を走っている電車の「ゴォー!!!」という轟音に泣いてしまった子がいた。私は即座に何で泣いているのかわからなかったのでその子に聞いてみたところ「幽霊みたいな音がした」と答えてくれた。私の場合、電車には騒音がつきものと思っていたので、こうした騒音は電車の騒音だと認識し気にも止めない。しかし意識してその騒音だけに耳を傾けると結構恐ろしい音色に感じる。しかもその音色は一定ではなく、次から次へとさまざま音色に変化する。確かに不気味なものである。
 こうしたように、子どもと関わると新たな発見をすることがたくさんある。これからもたくさん子どもたちと関わり、新たな世界を探求してゆきたい。








































3 タバコ

 初めてタバコを吸ったのは高校生のときだった。それから現在にいたるまで吸っている。タバコを吸うことに関して一貫して同じイメージをもっていたわけではない。これまで私のタバコに対する憧れやかっこいいと思うイメージは変遷してきている。
中学のとき、タバコを吸っている友人に吸うよう勧められたのだが、そのときは賛同せず体に悪いからと言って断っていた。また、その他にも先生や親にバレることに対して恐怖を感じるという理由もあった。しかし、未成年であるにも関わらず制服でタバコを吸う友人の姿がこの上なくかっこよく思えた。また、『GTO』や『湘南純愛組!』といった不良を題材とする漫画やテレビドラマ『ビー・バップ・ハイスクール』を見ていた影響もあり、不良に対する憧れが強くなっていた。不良の「群れている感じ」がすごくかっこよく思え、「あの輪に入ってタバコを吸いたいなぁ。でもバレたら嫌だなぁ。」と思っていた。また今思えば、その思春期のときは「真面目」や「普通」という枠に自分当てはめたくない、「とにかく異端を演じて目立ちたい」という欲が働いていたのかもしれない。喧嘩の弱かった私にとって、タバコは手っ取り早く不良に近づける魔法のような道具であった。しかし何度も繰り返すように、勇気が出ず中学のときには吸うことができなかった(顧問の先生がとても怖かった)。
 高校に入ると、タバコを吸うことに対しおしゃれなイメージをもつようになった。キッカケは喫茶店でタバコを吸いながら読書や仕事をする人や映画で外国人がタバコを吸っている姿を見たからである。とくにジム・ジャームッシュ監督の『コーヒー&シガレッツ』という多くの出演者がタバコを吸い、コーヒーを飲んで会話するというだけの映画を観て、今までタバコに抱いていたイメージががらりと変わった。「働いている大人が休憩するときにする大人ならではの特権なのだ」と思うようになった。二十歳未満は吸うことを禁じられているという点でもタバコは大人のものなのだ。私にとってタバコは不良になる道具から大人になる道具と変化した。それからドキドキしながらも自動販売機で購入しタバコ吸い始めた。今ではニコチン依存症となってしまい、タバコを断つことがなかなかできないくらいにまでなってしまったが、頭の片隅で「タバコ=大人」というイメージがある。そのようなイメージを持っていること自体がまだ子どもであることを証明しているようなものだが、そうであるからこそタバコを吸うことによって少しでも大人に近づこうと悪あがきをしているのかもしれない。








































4 喫茶店

 私はふと喫茶店に行きたいと思うことがよくある。だいたい週に一回ぐらいのペースで行っている。とくに行くのはスターバックスだが、近くになかったら他の喫茶店にも足を運ぶ。なぜ私は喫茶店に足を運んでしまうことになったのであろうか。
 私は、家で勉強することが苦手である。やらなきゃいけないことがあっても誘惑に負けてしまい、寝てしまったり音楽鑑賞や映画鑑賞したりしてしまう。ジッとイスに座ることも耐えられず家の中をフラフラウロついてしまうこともたくさんある。
 そういった誘惑のない環境に身を置いて勉強がしたいと思い、いろいろな環境に行って勉強をすることにした。最初は価格がリーズナブルなファーストフード店でやってみた。しかし、店員にしばしば勉強しているのを注意されてしまった。食事以外のことでその場を利用するのは禁止されているという事実を知った。その後「バレなきゃいいか」と思い、コソコソ店員の目を盗んで勉強しようと試みたが、目を盗むことに意識が集中してしまい勉強に集中できなくなってしまった。
 次に試みた場は図書館である。驚くほど静かで参考になる資料もすぐに閲覧できることもあって勉強する場としてとても優れていたが、飲食ができないという点が私にとってネックであった。私はそれなりに集中して勉強するとすぐ空腹になってしまう。空腹になると何かつまみたいと思ってしまい意識がそっちに集中してしまう。なんともわがままな話であるが図書館での勉強も続かなかった。
 そして最終的に行き着いた場所は、喫茶店である。喫茶店は、店によっても異なるが、だいたい価格が高い。しかし出されるコーヒーは家で飲むインスタントコーヒーより格別に美味しさである。空いた小腹に丁度良いケーキやパンなどのメニューも充実している。そして、ボーッとしてようが、雑誌を読んでようが、誰かと喋ってようが、長時間滞在することが許されることも魅力的である。大学に入ってからは友人との話し合いといった勉強以外の用途でも活用するようになった。
また喫茶店のおしゃれな雰囲気も気に入っている。JAZZのBGM、茶色を基調とした店内の色、シックなイスやテーブル、壁に飾ってある絵、明るすぎない照明など、おしゃれな要素が凝縮されている。自らもその空間の要素になってみたいという欲が働いて、つい寄ってみたくなってしまうのかもしれない。








































5 DJ

 DJに憧れを感じるようになったのは、ヒップホップを好きになったのと同時だった。ヒップホップアーティストのライブやプロモーションビデオにDJがいることが多い。ギターやドラムといった楽器を演奏するのではなく、ターンテーブル*1とミキサー*2を「いじる」姿は異質な役割に思えた。
 「一体何をしているのだろう」と思いインターネットで調べたところ、ヒップホップのDJには大きく分けて2つのタイプがあるということがわかった。スクラッチなどアナログレコードを使って個人技を披露する「バトルDJ」と呼ばれるものと、その場に合った選曲をして、クラブにいるお客さんを盛り上げる「クラブDJ」と呼ばれるものだ。
 私はヒップホップアーティストの後ろでスクラッチをしているDJに興味を抱いたので憧れの対象は前者の方であった。楽器演奏の知識は必要なさそうだし、アナログレコードをいじるだけで「DJ ○○」というDJネームを名乗ることができ、何より自分にもできそうだと思った。高校生のときに必死にバイトをしてターンテーブル二台、ミキサー一台、アナログレコード数枚を合計17万円で購入した。
 自分でもできそうだと思ったのだが、実際にやってみるととても難しい。アナログレコードをこするがDJの醍醐味だと思っていたのだが、スクラッチでかっこいい音を出すにはそのような動作ではなくミキサーのクロスフェーダーを指で素早く切る動きなのだ。いわゆるアナログレコードをこする動きもメリハリをつけ、止めるときにはしっかりと止め、動かすときには素早く動かさないとフニャフニャした音になってしまう。見た目は簡単そうに見える動きも実際やってみると難しい。今も試行錯誤し続けている。しかしそれはそれで楽しい。
 また、レコードに記録された楽曲を逆再生したり、曲の早さを変えたり、高音や低音をそれぞれ調節して聴けるのも楽しい。CDプレイヤーも音質などは多少変えたりできるが、逆再生機能や曲の早さを極端に変えることができる機能がついているものは少ない。自分の好みで曲をいじることができるのはターンテーブルとミキサー独特の機能であり、音楽の新しい楽しみ方をさせてくれる。

*1ターンテーブル…DJが使用するピッチを無段階に可変できるレコードプレーヤーやCDプレイヤー。
*2ミキサー…複数の音声や映像などを調整する装置。
*3 クロスフェーダー…ミキサーにつけられているノブのこと。左右に動かすことで左右のターンテーブルの音量を変化させることができる。








































6 ヒップホップ

 ヒップホップを聴き始めたのは小学6年生のときであった。当時仲の良かった中学の先輩からキングギドラというラップグループの「Unstoppable」というCDを借りた。それまでオリコンTop10に入るような流行のJ-Popを聴いていた私にとって、そのラップ・ミュージックは全く新しい音楽に聴こえた。展開がなく繰り返されるビート、歌うというよりかはダジャレを言いながら早口で喋っているように聞こえる歌唱法、汚い言葉遣い、言っていることもよくわからないことに驚きを隠せなかった。
 中学に入るとMTVを視聴できる環境にある友人の家でEminemというラッパーの「Without Me」という曲のプロモーションビデオを観た。英語なので何を言っているのかは全くわからなかったが、日本語より遥かになめらかなに聴こえる英語のラップと怪しい雰囲気に魅了された。そして日本語訳の歌詞カードを読んでもとても驚いた。ほぼいかがわしい言葉の数々でところどころ「××××」と単語が伏せられているのだ。露出の高い女性が出演していたり、中指を立てたり、やりたい放題感が溢れている映像にも魅了された。
 大学生になると、自分でヒップホップのバックトラック(歌のないインストゥルメンタル)を作ってみたいと思い、サンプラーと呼ばれる機材を購入した。サンプラーとは既存のCDやアナログレコードから曲を部分的に抽出して記録し、その部分部分の音響を繋ぎ合わせて曲を構成できる音楽装置である。そうやって過去の曲をサンプラーによって、コラージュするように統合してゆき、曲を構成するのは面白い。パクリと言われればパクリかもしれないが、解体して再構築してゆく作業はパズルで遊んでいるような感覚に近いかもしれない。








































7 アナログレコード

 ヒップホップが好きになると同時に、アナログレコードにも関心を抱くようになった。私が音楽を聴き始めたときにはCDが広く流通していたのでアナログレコードというものにはそれまで無縁だった。
DJがしきりにコスっているものはアナログレコードという昔の記録媒体だと知ったとき、「時代に逆行していてなんてかっこいいんだ」と思った。どういったものなのか直接検証してみたいと思いレコードプレイヤーを持っていないのに12インチサイズのアナログレコードをとりあえず購入してみた。それ以来いろいろな点でアナログレコードに関心をもつようになった。
 針が通る溝が円状に施されていて、その溝に針を落とし、レコードプレイヤーでレコードを回転させると音が出るといった仕組みだ。何よりアナログレコードは大きい、直径は約30pもあり保存しておくのに結構場所をとる。この大きいというのが第一の気に入っている点だ。ジャケットの面積も約900?ぐらいあり、ちょっとしたミニポスターになる。デザインが気に入っているジャケットは壁に貼ったり棚に置いたりしてインテリアにも使っている。
 また、他に関心を抱いている点は、時代に逆行している感覚が味わえるということである。40年、50年ぐらい前のソウルやファンクといったブラックミュージックはCDになっておらずアナログレコードでしか聴けないといったアルバムが結構ある。そんな古いレコードはたいてい傷だらけであり、「ザザザ」というノイズが入ったりするのだが、それがまた歴史を感じて臨場感出る。また、CDがこれだけ普及されているのにあえてアナログレコードで聴くスタイルがとてもオシャレに思っていた。
 さらに関心を抱いている点は、アナログレコードならではの音質である。よく「音が太い」とか「暖かい」と形容されるようにアナログレコードはCDに比べ、深くて独特な音質で聴くことができる。好みに合わせて高音や低音といった音域も調節することができる。








































8 野球

 小学校、中学校と学校の野球クラブに所属していた。スポーツの中で唯一、観るのも、やるのも好きなものは野球だ。野球に関心を抱くようになったのはそれまで剣道を習っていたことに起因していると思う。
 小学校一年生から四年生まで剣道を習っていた。剣道の稽古は毎週日曜日の午前中に行われていた。一番始めのメニューは座禅であった。足を組んで背筋を伸ばし、思考は停止させ「無」の境地でいることを要請させられた。足を組んで背筋を伸ばすことはできたのだが、思考を停止させ「無」の境地でいることは私には不可能なことのように思えた。どうしても、暑い寒い、かゆい、痛いなどといった感情を感知してしまう。「無」に行き着くまでの方法も教えてもらっていない。そもそも「無」というのが何なのかよくわからない。「無」という抽象的な観念がいつまでたっても理解できず、適当にこなすことに罪悪感に感じる日々が続いた。
 四年生の頃、テレビで読売ジャイアンツの試合を毎日のように観ていた。何より団体で行っているということ、一人バッターが打席に立っているという華やかな姿、外野手が外野フライを捕球する姿が美しいと思い、野球をやってみたくなった。そして何より、剣道よりかはのびのびできそうだと思い、地域の子ども会が運営する野球部に入った。
 テレビを通じて選手の姿やルールなどを観察していた私は基礎的なことを学んだ後、すぐに試合に出させてもらった。初めて打席に立った瞬間、「その場にいる人全員が私に注目しているんだ」と感じた。それは普段の生活では味わうことのできない感覚であった。今に至っても打席に入るときその感覚を味わうのは一つの楽しみである。








































9 自然

 幼い頃から自然が好きだ。今もこうして自然が好きなのは、幼少の頃に母親や祖母が自然の豊かないろいろな場所に連れていってくれたからだと思う。小学校から高校生の間、野球で遊ぶにも、携帯ゲームで遊ぶにも、散歩するにも、ふられた後の泣きたいときも、友人と今後の人生について語るにも、自然の多い公園ばかりを選んで行っていた。
 祖母は自然が豊かな新潟に長い間住んでいたため、植物や昆虫にとにかく詳しかった。一緒に散歩するときも野草を見るなり、「これは○○だよ」と教えてくれた。私は植物の種類に関しての興味はなかったのだが、祖母と一緒に珍しい植物や昆虫を探すのに夢中になっていた。
 また、母親とよく虫採りに出かけた。セミやカブトムシ、ミミズ、ダンゴムシ、何かの幼虫など目についた昆虫は即座に捕獲し、虫カゴに入れて家に持ち帰り飼育した。薮があれば積極的に侵入し、ヘビを恐れながらも、見たこともない昆虫を探し求めていたのは良い思い出である。今でも自然を目にすると「何か潜んでいるかもしれない」とワクワクしてしまうのは、昆虫探しに没頭していた幼少期の頃の影響があると思う。
 また、自然が多い場所では丸みを帯びているものがとても多い。木や葉っぱ、石ころなどは基本的には丸い。中学生になると遊びや部活の遠征で都会に行く回数が増えた。最初はとにかく高い建物が多いことにびっくりした。特に繁華街は街路樹ぐらいしか植物が存在しない。そんな都会の建物や道は直線や角張ったものが多く、丸みを帯びたものが非常に少ない。私は渋谷や原宿、六本木などに行くと、その直線的な建物が立ち並ぶ都会の風景に威圧感を感じ、圧倒されてしまう。何回もその場を歩くことによって、慣れてくるとその感情は和らいでゆくが、初めて行く場所がそういった建物ばかりであったら正直今でもビビってしまう。それに対し、森や山など自然あふれるところに行くと、圧倒されないばかりか、身体が癒されてゆく。悲しいことがあったり、黄昏れたいときに自然の多い場所に行きたいと思う衝動は、この自然がもたらしてくれる感覚に起因していると思う。








































10 雪景色

 子どもの頃から雪が好きである。中でもとくに関心があるのは、雪景色である。
 雪景色が好きになったのは、私が今まで年に数回しか雪の降らない東京と千葉で生活してきたからであると思う。雪が降ったとしても長く積もることはなく、二、三日経てばまた元の景色に戻ってしまう。だからこそ雪が降っている日は特別な日なのである。年に数回しかないお祭りに来たみたいな感覚に近いかもしれない。夜に雪が降っていれば、朝起きることがこの上なく楽しみになった。その日は決まって早起きし外に出る。幼稚園のときは、新潟の大雪に感動し、親戚にもらった発砲スチロールに雪を詰めるだけ詰めて、千葉に持って帰った。着いていたときには全て溶けていた。
 幼少期の頃は雪が降るとよく雪だるま作りもした。作る作業も楽しかったのだが、どちらかというと作った雪だるまが何日保つのかということに関心があった。どんどん溶けて小さくなるにつれ、切なさが増してくる。消えてなくなってしまったら軽い喪失感を覚えた。雪は自分にとって儚い存在だ。
 あまりにも見慣れてしまった景色がいったん雪によって隠されると、全く新しい世界のように思える。とくに今までずっと黒かったコンクリートがそのときだけ白くなるのは幻想的だ。また、街頭の光が積もった雪に反射し、夜がとても明るくなり幻想的である。夜になるといつもは見えなかったところが見えるぐらいに明るい。雪の降っている中での散歩の最中は一面白い世界なので、動物の色がいつもより強調されて目に入る。「カモはこんなに面白い色をしていたのか」と、今まであまり気にしなかったことに注目できるのも雪景色の醍醐味だと思う。
 冬場はいつも雪で覆い尽くされている地域に行きスノーボードをするのも好きだ。侵入禁止区域の山の雪景色をリフトから眺めたり、こけたまま雪の上に大の字で寝たりするのがとくに好きである。何時間もこけたまま辺りを見ているときもある。雪に覆われた一面真っ白な世界は都会では経験できないと思って目に焼きつけている。








































11 父親

 私が幼稚園のとき、父親が大阪で単身赴任をすることになった。父親とは小岩で二年間、今住んでいる市川で二年間一緒に暮らしていた(らしい)。それ以来私は父親に会っていない。だから父親の顔や声はおぼろげにしか覚えていない。
 両親が離婚をしたことを母親から知らされたのは私が小学4年生のときであった。父親がいないのは当たり前のことであったので、悲しいとか寂しいとかいう感情はなかった。うちの家族構成は正式に母親、私、妹となり、女性しかいない家庭で今まで暮らしてきた。
 母方の祖父と母親の兄である叔父が親しい親戚の中の唯一の男性であり、これまでたくさん面倒をみてもらってきた。さらには経済的な援助もしてくれていた。母親も含め、親戚には何不自由なく今まで育ててきてくれたことに感謝している。これまでに「父親がいればよかったのに」と思ったことはない。
 ただ、テレビや映画、授業参観やあらゆる場所で父親と子どもが一緒にいるのを見ると「父親がいるってどういう感じなんだろう」と度々思うことがある。自分にもし父親がいたら「どんな会話をするんだろう」とか「どんなしつけをされていたんだろう」などといった「もしもシリーズ」を妄想するのがマイブームである。
 よくテレビで目にする父親のキャラはだいたいお決まりのパターンで表現されていることが多い。休みの日は白いタンクトップとトランク姿だったり、子どもに正座させて説教したり、新聞読みながらビールを飲んでいたり、なにかとゴルフに行ったりするなど、このようなパターンは何度もテレビで目にしてきた。そして、父親というものは、家父長制をとり亭主関白になる傾向があるのであろうか?家族に対していつも決まって上から目線のようにも思える。漫画『巨人の星』の星一徹の印象があまりにも強い。
 将来もし私が父親になったとき、どのような行動や考え方をするのだろうか、今の時点でかなり気になっている。本当に新聞読みながらビールを飲むのか、本当にゴルフに行くのか、実に楽しみである。また、どういう風に子どもと接すれば良いのであろうか。個人的には、いつもそばで見守っているのだけれど、ガミガミ主張したり考えを押し付けたりしない漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉のオヤジのような親父を目指したい。








































12 中古レコード屋

 高校生の頃から今に至るまで中古レコード屋によく足を運んでいる。新品を扱うレコード店で買うより価格が断然安いこととアンダーグラウンドで活動しているラッパーのレコードやレアな作品を置いているからだ。自分から売ったりせず、もっぱら買い取り専門で通っている。Amazonのマーケットプレイスでも安価で中古レコードを購入することができるが、試聴ができない。基本的に中古レコード屋は店内にある商品全ての試聴をすることができる。買って聴いてみてハズレだった後悔することはない。とても良心的なサービスだと思う。
 もちろん中古なのでケースやレコードの盤面に傷がついていることがある。中にはカビが生えているものもある。しかし、私は再生がきちんとできるのであればそれらの点はあまり気にしない。むしろ、古着に味があるのと同様、ソウルやファンクなどの古いアナログレコードはジャケットが痛んでいればいるほど味があっていいと思っている。稀少な作品を除き、ほとんどのレコードは中古なので1000円以下の値段買うことができる。学生の私にとってとてもありがたい値段である。安い値段でたくさん買いたい私にとって、とてもありがたいお店だ。
 中古レコード店にはメジャーなレコード会社から出されたレコードの他にもインディーズレーベルから出されたレコードも多数置いてある。新品を扱うレコード店には置いていないレアなレコードと出会えるのも魅力的だ。
 また、店内の雰囲気もとても気に入っている。たいてい雑居ビルのような建物の中にあるので、店内はとても狭い。二人通れるか通れないかぐらいの狭い通路なので、お互い黙って道を空けたり譲ったりする。そんな暗黙のうちに交わされる気遣いが私は好きだ。また、新品を扱うレコード店は、よく新作を店内のBGMとして流す。中古レコード店のBGMは過去の名作であったり、店員の好みであったり、珍しい曲であったりすることが多い。時流に流されず、音楽が好きだという思いが店内の雰囲気から伝わってくる。








































13 ウルトラマン

 幼稚園の間もっとも夢中になったものと言えばウルトラマンであった。その頃の遊びはほぼ「ウルトラマンごっこ」であったし、たとえ「ドラゴンボールごっこ」で友達と遊んでいてもウルトラマンとして参加していた。それぐらい好きだった。幼少期に観ていた映像を今になって見直しても、やっぱり味があっていいなぁと思う。
 とくに好きだったのはウルトラセブンである。他のウルトラマンたちに比べ、変身の仕方と容姿が面白いと思った。セブンの変身はウルトラアイという眼鏡のような形をした道具を目にあてるといった儀式を行う。するとウルトラアイをあてた目から徐々にセブンになってゆく。
 正義のヒーローであるキャラクターとしてのウルトラマンの他にも、怪獣たちや特撮のセットにも関心があった。怪獣は世界征服を企んでいるものもいれば、心優しく人間との共存を図ろうとするものもいる。性格や特徴、強さもそれぞれ異なっていて、怪獣に注目してみるのも面白かった。巧妙に造られた特撮のセットも大好きだ。怪獣が海から出てきたり、街を好き勝手に破壊したり、空を飛んだりといった描写をアニメや大仰なCGを使わずに実写で映しているので、とてもリアルに感じられる。子どもの頃は、「本当に壊しているのではないか」と思っていた。子ども向けのテレビ番組は主にアニメ作品が多かったため、実写であるということはウルトラマンにのめり込む大きな要因であったと思う。ただ、どの作品も変身のシーンには効果がかけられている。変身の仕方もそれぞれのウルトラマンシリーズで異なっていて、ウルトラマンエース以外のバク宙という変身方法以外は、誰でもできるような簡単な儀式になっている。今でもサークルで一緒に遊ぶ子どもたちとウルトラマンごっこをするとき、変身ポーズをやったりして遊んでいる。どの子もいきなり変身するわけではなくきちんと変身ポーズを行っている。その姿を見ると「そういえば自分も、きちんと変身ポーズをやっていたなぁ」と幼かった自分を思い出す。そういった儀式は、自分自身を正義のヒーローだと言い聞かす催眠術みたいなものなのかもしれない。








































14 スター・ウォーズ

 私が小学校低学年のとき、母親に連れられて映画館に行き、『スター・ウォーズ エピソードY ジェダイの帰還』を鑑賞した。それは私にとって初めて観た洋画(字幕映画)であった。小学校低学年ということもあり字幕が読めず、エピソードYから観たこともあって(映画『スター・ウォーズ』はストーリーとしての時系列はエピソードTからYといった順だが、上映の順番はWからY、後にTからV)、ストーリーや設定はよくわからなかったが、不気味なキャラクター、可愛いキャラクター、ライトセーバーを用いた格闘シーン、宇宙船による宇宙飛行など、滑稽なドロイド、デザインのカッコ良いバトル・ドロイド、銃撃戦の数々、フォースによる物体浮遊など、画面にひしめくさまざまなものに魅了された。
 シリーズものの映画はたいてい時系列順に上演するが、スター・ウォーズはW、X、Yを最初に上演し、だいたいの物語を把握させてから、それらの物語がどういったふうに成り立ってきたのか、T、U、Vで描くという手法をとっていた。最終的な結末は知っているだけにエピソードVは、不思議な気持ちで鑑賞した。
 音楽も魅力的である。これから繰り広げられる壮大な物語の始まりを告げるメインテーマやダース・ベイダーが登場する際にほぼかかる帝国のマーチはとてもインパクトがあり、1回でも聴くと忘れられない。交響楽団が演奏していることもあって音楽も壮大であり映像に合っている。また、サウンドトラックで音楽のみを聴いても映画の映像が頭の中で再生される。
 一番魅力的なのはエピソードW、X、Yの映像効果である。とくにライトセーバーは本当にライトが点いているかのように見える。ミレニアム・ファルコン号が宇宙上でワープするときの映像もあたかも光の速さで移動しているように感じられる。とくに初期のこの3作品はそういった描写が多い。今でこそCGを使えば思い描いたものはなんでも映像で表現できるようになったがCGが誕生する前のこういった映像効果はとても味があって気に入っている。








































15 死

 私が初めて「死」という概念に出会ったのは、幼稚園のときに行った仲の良かった女の子のお通夜だった。そのお通夜に参列していた大人たちが泣いている姿が異様に思えた。子どもが泣くというのは日常生活上よくあることだったが、大人たちが大勢で泣くという光景は目にしたことがなかったのでその光景にとにかく驚いた。私の母親にどうして泣いているのか聞くと「死んじゃったの。もうずっと会えないの。」と言われた。そのときに死ぬということは永遠の別れであることを学んだ。
 しかし小学生のとき、テレビや本の中で「天国」と「地獄」という二つの死後の世界があるということを知った。死は永遠の別れであると思っていたので困惑した。しかし、大人でも死後の世界を信じている人があまりにも多いため、私もその世界の存在を信じてしまうことがある。夏場にテレビでよくやる幽霊や心霊現象の特集は死後の世界を前提にして話が進んでいる。伝統として語り継がれているオバケもまた死後の世界を前提としたものである。いつの間にか天国や地獄はあるものだと思ってしまうのは宗教の他にも、映像や漫画、小説などに表現されるオバケの影響が強いと思う。
 また、私は死んだ人を神格化してしまう傾向がある。特に2006年に亡くなったマイケル・ジャクソンに関しては、彼の死後にファンになった。もともと曲を聴いてはいたものの、映画「This Is It」や数々の追悼番組を観るうちに、生前の彼の無邪気さ、曲のかっこよさ、美しいダンスにますます魅了されていった。「仏様になった」というセリフをよく耳にするが、マイケルは私にとっての神様となった。マイケルをはじめ、死後になって好きにアーティストは実に多い。
 「もうこの世にはいない」、「二度と見ることはできない」という事実から死者に対してどこか儚い神秘的なイメージを重ねてしまうのかもしれない。お通夜やお葬式での神妙な雰囲気や仏壇や墓石の前で故人に思いを馳せる行為を繰り返し行うことによって、そのような思いを感じるのかもしれない。