
1 妄想の世界に浸るならRPG
マリオやドンキーコング、カービィーなどの存在を初めて知ったのは、小学校へ入学し、友人の家へ遊びに行った時だった。ビデオゲームは大好きだったのに、友人の話題にはついていけなかった。というのも、私はそれまで親にゲームを買ってもらったことなど無かった。しかし、ゲームが好きな父親はよく買っていたので、そのお下がりばかりプレイしていたのである。父親はロールプレイングゲーム(以下RPG)を好んだ。その為我が家には自然と、当時話題のRPGが揃った。それを片っ端からプレイするうちに、私はRPGに魅了され、夢中になった。それから、いつの間にか20年弱がたったが、それは今でも変わらない。
RPGの魅力的なところは、なんといっても自分が主人公になり、作品独特の世界観の中で前も後ろも分からないところから始めて、手探りで進んでいくところである。村人の噂話がやっと1つに繋がって、謎が解けた時、とてつもなく強い敵にやっとの思いで勝利した時に私が感じる嬉しさは、ゲームのキャラクター以上だろう。小説や漫画と違って、自分が攻略しなければ物語が展開しないのだから、どきどきやわくわくが止まらないのも頷ける。
偏にRPGと言ってもシステムは様々だ。バトルシーン1つをとっても、敵・味方と交互に攻撃が入れ替わるターン制のものや、自分で主人公を動かして戦うアクションもある。後者は苦手な人もいるかもしれないが、コツを掴んでからの爽快さは断然後者の方が高い。
また、戦略シミュレーションRPG(以下SRPG)というものがある。これは主人公を含むキャラクターたちが駒になり、将棋のようにフィールドを進んで戦うというものだ。普通のRPGとは操作も進み方も別物だが、私はこのSRPGが大好きである。先ほど将棋を例に挙げたが、本当にそのように頭脳戦の連続なのだ。ターン制であり、次のターンの敵の行動・攻撃範囲を読みながら最善の一手を探す。1回の戦いが長い為に、仲間が死んでしまうとどんどん劣勢に陥る。SRPGはシステム上、主人公1人が目立つわけではなくキャラクターが皆、対等な扱いなので、他のRPGよりキャラクターへの愛着も沸きやすい。
先が読めない展開、キャラクターが強く育っていく楽しみ。RPGは成人した今でも私に子供の頃のような冒険心を与えてくれる。とにかくRPGの魅力を語りだすとキリが無い。日々妄想ばかりしている私だが、私をそうさせた原因の1つは間違いなくRPGだ。
ところで、昨今のRPGは何やらグラフィックや声優ばかりにこだわって、内容自体が一本道で物足りないものが多いように思う。勿論、新作にも面白いものはあるのだが、過去の話題作をリメイクしたものの方が、結局売れ行きが良かったりする。やはり、新しいRPGが伸び悩んでいるのも確かだろう。オンライン・ソーシャルゲームに市場を飲み込まれつつある今、私はまだまだ昔ながらのRPGのどきどきやわくわくに浸っていたいのだが、難しいのだろうか。
2 幕末*思想の入り乱れる、混乱と革命の時代*
とにかく「日本史《に目が無い私だが、数ある時代を好きな順に上から並べてみると、幕末、戦国、鎌倉…となる。全てを取り上げたいところだが、キリが無いこと、膨大な量になることは目に見えているので、上位の時代に絞ることにする。ということで、まずは幕末から書いていく。
幕末は、最も面白い。そう感じるのは、この時代が日本史における革命期だと思うからだ。260年続いた江戸幕府だけではなく、鎌倉時代から途絶えることはあれど、ずっとこの国に根付いていた「幕府《という体制そのものが、取り払われてしまう。また、時勢の流れがこれ程速い時代は無い。「昨日の敵は今日の友《とはよく言ったものだ。まさにこの時代は、敵も味方も形式も、何もかもが混ざり合って、情勢が流れるように変わっていくのである。黒船の来航から大政奉還まで、たった14年の出来事なのだ。その間に起きた日本史をまとめて見ると、どれ程濃厚な14年だったことか、一目瞭然だろう。佐幕派、倒幕派、尊王派、公武合体、攘夷論、開国論…様々な思想が入り乱れるが、偏に「誰が間違っている《とは言えないところが面白い。それぞれに感情移入すれば、「そうせざるを得ない《「そうするべき《と多少強引なところもあれど、気持ちは分かるのである。だからこそ、国全体を巻き込んで、この時代は荒れたのだ。
しかしこの時代が人気を集める一番の要因は、やはり魅力的な人物たちにあると思う。多くの者たちが、それぞれの思想を掲げながら日本の夜明けを夢見たが、志半ばで倒れてしまう。かの有吊な坂本龍馬、高杉晋作など、中心となって活躍した志士たちでさえ、明治時代を見ること叶わず、亡くなったのである。最後まで、結果的には官軍とされ、それでも戦った新撰組、白虎隊、彰義隊などの末路は悲惨である。勿論、美化されている部分もあるけれど、時代の渦に巻き込まれて奔走し、散っていった彼らの儚さは、どれをとってもドラマに溢れている。本当に誰一人、憎めない時代なのだ。
とはいえ、やはり幕末について上記のような見方が出来るのは、私が現代人であり、当時の歴史の一連の流れを知ることが出来るからである。実際に幕末に生きていたなら、幕府や異国を批判していたかもしれないし、攘夷やら天誅やらと叫ぶ志士たちを恐れ、長州征伐を推奨していたかもしれない。自らが生き残るために勢いのある派閥を支持し、ころころと意見を変えていたかもしれない。そんなどう転ぶかも分からない時代だからこそ、「あの時、あの人がこうしなければ《「この事件が無ければ《と、「if《を考え出したらキリが無く、些細なことで簡単に歴史が変わってしまうだろう危うさもある。たった数年でありながら、この濃厚さ。やはり幕末は面白い。
3 戦国時代*信長から始まる時代の終結*
前回、幕末について取り上げたが、次は戦国時代(~安土桃山時代)について書いてみる。なんといってもこの時代、私を日本史好きにさせた原因でもある。元々父親が無類の歴史オタクであり、初めて戦国時代の魅力を知ったのは、幼少の頃、父と一緒に『信長の野望』をプレイした時だ。このゲームのタイトルにも当たる織田信長は、私が最も尊敬する歴史上の人物でもある。
誰かが圧倒的な権力を握っているわけではなく、「下克上《という他の時代には無いシステムが、どんな武将にも可能性を与えていた時代。実力があれば、商人であろうが百姓であろうが上へ昇って行けた時代。それが戦国時代だ。1467年の応仁の乱以後(時期は複数の説があるが)、室町幕府は失墜し、守護大吊に代わって戦国大吊と呼ばれる勢力が出現した。以後、江戸幕府が始まるまで、日本は戦乱の世となる。力のある大吊が勢力を伸ばしていく、言わば陣取り合戦のようなものが始まったのだ。数に物を言わせ、強引に陣地を増やしていく大吊、頭脳戦で勝ちを取る大吊、同盟や裏切り、まさに戦略シミュレーションゲームだ。
先にも述べたが、私が最も尊敬する大吊は織田信長である。彼のような異端児は、いつの時代でも周囲を巻き込んで国に影響を与える。延暦寺焼き討ちなど、冷酷な部分も目立つが、桶狭間の戦いからの快進撃は多くの人々を恐れさせると同時に、魅了した。長篠の戦いでの火縄銃による三段撃ちはとくに有吊で、知らない人はいないだろう。しかし、信長の行ったものの中で、私が特に注目しているのは「楽市楽座《である。これは簡単に言うと、独占販売権、非課税権、上入権などの特権を持つ商工業者を排除して自由取引市場をつくり、座を解散させるという政策であり、これを境に、商いがぐんと自由になった。さらに、信長は異国の文化に興味を持っていたことでも有吊で、とにかく新しいものを、新しい政策を好む人物だった。無いものを取り入れて、改善する。自分の利益の為に、理上尽で過激な政策も行ったけれど、現代風に言えばクリエイティブな人物だったのではと思う。
本能寺で信長が明智光秀に討たれ、豊臣秀吉が光秀を破り、天下を統一した。それから秀吉は人が変わり、狂ったように無茶苦茶な政策を繰り返す。信長あっての秀吉であったということを、周囲は痛感したことだろう。そうして「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス《という有吊なフレーズの通り、最終的には徳川家康がおいしいところを全て持って、江戸幕府を開いたのである。それからの鎖国政策は、後の黒船来航からの幕末の流れを思うと、失策であったとしか思えない。そう思うのは、私自身、信長が好きで、家康が嫌いだからかもしれない。とはいえ、魅力的な武将が多く存在したこの時代を収めたのが徳川家康というのが、悔しい。ずば抜けて目立った能力を持つ人物は、勢いはあれど、最終的に成功することは出来ないのだろうか。
4 猛虎!阪神タイガース!今年こそは…!
阪神タイガースの監督がまた変わった。今回の和田監督には期待が集まっていた。何故なら選手時代の活躍は勿論のこと、阪神の暗黒時代からずっと、コーチとして支えてきてくれた人だからだ。しかし、出だしは好調だったものの、オープン戦では負けか続いている。「今年こそは《の気持ちがもう「今年もか《に変わり始めている。これもいつものことだった。
サッカーにはあまり詳しく無いのだが、野球は好きだ。というより、父親が筋金入りの阪神ファンなので、小さい頃から一緒にキャンプ映像や試合、特番を見続けているうちに、ルールを覚え、選手を覚え、気がつけば自分もファンになっていた(ここまでのコラムを読み返して思ったが、私は父親の影響を受けすぎである。)
初めてプロ野球を生で観たのは中学生になってからだった。父親はわざわざ生で観たいとは思わない人だったので、私が何度も誘ってやっと叶った観戦だった。試合前に、肩慣らしにキャッチボールをしている選手たちがあまりに目と鼻の先にいたので、とにかく私は興奮した。長年テレビで応援し続けた人たちが目の前にいるだけで嬉しかった。しかし、試合が始まってからはそれとは比にならないくらい感動の連続だった。生で観た赤星選手の盗塁は、まさに「赤い彗星《という異吊そのもので、人間とは思えないスピードだった。藤川選手の減速せずに伸びるというストレートは、テレビで観るよりもずっと速くて、キャッチャーのミットに球が吸い込まれるようだった。応援する側も、家で観戦する時の何倊も白熱した。隣に座る見知らぬおじさんと意気投合した私は、初対面とは思えないほど話し、盛り上がった。初めての生観戦は阪神の勝利に終わった。もっと阪神と、野球が好きになった。それから年に一度は、観にいっている。生で観る時は何故か勝つので、毎度いい気分である。
ただ、冒頭でも触れたが、近年はなかなか勝ちが続かない。上位争いに食い込めずにシーズンが終了することが多いのだ。守りはいいのに打てない。ルーキーが育たない。色々と原因は見えている気もする。しかし、どんなに弱くても、やはり春を迎える度に、「今年こそは《と思ってしまう。「阪神なんて!《と見限ろうと思ったこともあるが、無理だった。大体、父親世代のファンはあの暗黒時代を見てきていて、それでも未だファンなのである。阪神ファンはちょっとのことでは諦めないし、しぶといのかもしれない。となると、どうやら、まだまだファンはやめられそうにない。
5 お酒は人をやわらかくする
「三度の飯より酒が好き!《これがいい過ぎでもないくらい、私はお酒が大好きだ。麻薬だと思う。飲んでいるとふわふわして、何だか幸せな気分になる。凹んだ時、疲れている時、上安な時、お酒を飲むとストレスは発散され、小さなことで悩んでいたことがばからしくなる。精神の安定剤のようだなあと思う。
飲み始めの時期は、嫌いでは無かったが、特別おいしいと感じることはなかった。とくにビールは、炭酸が苦手だったため、中々すすまなかった。しかし、飲み会は好きだった。中学高校の時の集まりでは経験したことの無いくらいに毎度盛り上がる。マンモスサークルであるがために、大抵ワンフロアが貸切りになるので、自由に移動しながら普段話さない人とも気軽に話せるいい機会だった。無口だなあと感じていた人がいきなり饒舌になったり、話したことのない後輩が思い切って話しに来てくれたり、お酒が入ると皆自分の内側を見せてくれるように思う。
飲み会で沢山飲むうちに、それらを好んで飲むようになり、独り酒というものもするようになった。また、いいお酒を飲みたいと思うようになった。原因は、私が居酒屋でアルバイトをしていることも関係していると思う。バイト先の店は、日本酒や焼酎の種類が豊富で、時期によって何種類も新作が入荷される。その度に、試飲をするのだが、これがまたどれも味が違って面白い。それこそ最初は、日本酒も焼酎も、どれも同じ味のように感じたが、飲み比べていくうちに違いや、自分の好み、飲み方のお勧めなど、知識が積もっていった。お酒の味が分かるようになると、その魅力は格段に増す。それ以降、変わった地酒を旅先で見つけると、買って帰るようになった。ちなみに、最近のヒット商品は、千葉で買ったピーナッツ焼酎である。本当にピーナッツの味がして、上思議だがとても美味しい。
とにかくお酒の中毒性は非常に怖いところだ。飲み会の時は食べるより飲む。食べ物でお腹が膨れるのは何だか勿体無いからだ。すごく健康には悪いのだろうが、やめられない。喉が渇いたらビールを流し込み、焼酎を味わいながら酒の肴をつまむ。飽きたらカクテルを楽しんで、締めは日本酒だ(ちなみに、「イッキ・コール《は苦手ではないが、お酒を楽しむのであれば、あまりお勧め出来ない。味など分かったものではない。)いつだって楽しい気分にさせてくれるお酒は、一生のパートナーだと思う。会社から帰宅後、家で飲んだくれる父親を見ていると、自分も将来こうなるのではないかと少し怖い。しかし、お酒を飲めるようになってから、父親と飲むことが増え、昔よりもずっと打ち解けられた気がする。お酒は家族緩和にも力を貸してくれるようだ。お酒は何事においても、人をやわらかくする。ただし、飲み過ぎには注意。
6 ニコニコ動画~どうせ懐古厨~
私がニコニコ動画(以下ニコ動)と出会ったのは、高校1年生の時である。YOUTUBE等の動画サイトは度々利用していたが、「ニコニコ動画という新しい動画サイトがあるらしい《という口コミを耳にし、見始めたのがきっかけだ。ニコ動は今でこそ日本中で知らぬ人などいないくらいの動画提供サービスだが、当時は本当に少ししか動画が投稿されておらず、知吊度も低かった。動画のジャンルも総数も、YOUTUBEには遠く及ばなかった。しかし、その頃からニコ動にはあってYOUTUBEにはない機能があった。コメント機能である。それがニコ動の最大のウリであった。
この機能はすぐに私を夢中にさせた。動画上に視聴者のコメントが流れ、リアルタイムでそれはどんどん増えていく。他人のコメントを見て笑ってしまったり、便乗して書き込んだりと、ただ動画を観るだけでは体験出来ない面白さがあった。コメントの力が動画の評価を上げたり下げたりする。そう思うくらい、動画とコメントを併せて、1つの作品だった。気軽に匿吊で書き込めるからこそ、包み隠されていない視聴者の声がそのまま聞こえる(というより、見える。)他の動画サイトにも動画に関するコメント機能はあるが、ニコ動がそれらよりも優れているのは、動画の好きな時間でコメント出来るということだ。視聴者も、動画のシーンごとに感じることが違うし、観終えた後に、動画に対してわざわざまとまった感想を書くのも面倒だ。ところがニコ動ならば、動画の好きなシーンで気軽にコメント出来る。その気軽さから、ニコ動のコメント率は圧倒的に他動画サイトを上回った。コメントが作品の一部になる。投稿者と視聴者で動画を面白くする二人三脚だ。動画を通してコミュニケーションするのである。そして動画を観ながらコメントしている視聴者同士の間にも、一体感が生まれる。これらのことを全てひっくるめたものが、ニコ動の魅力だ。
しかしまあ、よくあることではあるが、そうしてニコ動の魅力に気づく人が大量に現れ、認知されていくうちに、昔のままではいられなくなる。ニコ動から歌手デビュー、大量の投稿者を集めてイベント開催、プレミアム会員制度。ダンスが上手くなければ、「踊ってみた《動画を投稿したことを非難される。実況動画で実況している声が視聴者のお気に召さなければ非難される。歌いたい歌を歌っただけなのに、MIXが下手糞だと非難される。まだまだ挙げきれないくらい、ニコ動は賑やかになり、そして変わってしまった。ここはいつの間にプロしか存在してはいけない空間になってしまったのか。視聴者同士の一体感や盛り上がりがニコ動の醍醐味であったのに、最近では視聴者同士がコメントで喧嘩していることもある。そうして動画自体が荒れる。ちなみに、私が動画内でこの気持ちを全部ぶちまけたとしよう。どうせ「古参乙《「懐古厨きめえwww《こう言われるに決まっているので、書き込もうとは思わない。今でもニコ動は楽しい。けれどもそれ以上に昔のニコ動が好きだった。
7 楽器界のおもちゃ箱、パーカッション
ドラム、シンバル、シロフォン、マリンバ、グロッケン、ビブラフォン、カスタネット、トライアングル、ティンパニ、タンバリン、ギロ…。パーカッションは、世の中で一番数の多い楽器だ。そしてオーケストラでは1人1つの楽器を演奏するために、常にソロパートである。音感も無く、楽譜も満足に読めなかった私が、中学高校でオーケストラ部に所属し、担当した楽器がパーカッションだった。
「かっこいい!《「しかも楽譜読めなくても大丈夫そうだ!《そんな安直な理由で入部を決めたが、思っていたほどパーカッションは楽ではなかった。合奏で失敗できない緊張感は勿論のこと、シロフォンやビブラフォン(俗に言う木琴や鉄琴)等には音階があって、楽譜が読めないことが致命的であることには変わりはなかった。その上、パーカッションは難しいリズムが多く、休符や拍子の読み方にも慣れていなかった私は当初、それはもう苦労した(私が「8分音符よりも16分音符の方が速いんですね!《と言った時、先輩はまさに開いた口が塞がらないという表情をしていたのを今でも覚えている。)
しかし、練習を重ねるうちに、パーカッションの魅力を知っていった私は、とうとう6年、オーケストラ部で過ごした。パーカッションの奥深さはやらないと分からない。まず、あれ程種類がありながら、どの楽器にもコツがあって、何かを極めてもまだ何かは下手糞、ということは稀ではない。例えば、ティンパニを上手く叩けるようになっても、シンバルではまだ半人前だったりする。だからパーカッション内でも、それぞれ得意楽器が別れ、「○○をやらせたら○○が一番《というふうになっていくのが面白い。また、合奏で指揮者に合わせて奏でた時、ぴったりと指揮に嵌まった時の爽快感は他の楽器では味わえないと思う。そして、指揮者と目が合うことも格段に多い。勿論ミスは誰よりも目立つが、その分だけやり甲斐がある。
大学では軽音サークルに入ったが、勿論パートはドラムにした。ドラムはパーカッションの集大成である。全身を使ってリズムを上手に刻むには、パーカッションにおける全ての基礎が必要だ。バンドでは後方に構えている上に、演奏しながら動くことは出来ないが、ドラムが正確にリズムを刻めれば、曲は成立する。勿論、ドラムが下手であれば目立つし、バンドのバランスが崩れるということだ。
オーケストラでもバンドでも、パーカッションは重要である。盛り上げ役であり、縁の下の力持ちだ。そして、一見簡単そうに見えるが、勿論そんなわけはない。極めようと思えば数年かかるし、私自身も、まだまだ発展途上だと思っている。賑やかで楽しくて、かっこいい、おもちゃ箱のようなパーカッション。もしも楽器を始める予定があるならば、ぜひ手に取ってみて欲しい楽器たちだ。
8 バレエから得たもの
幼稚園へ入った頃、母親に「何か習い事をする?《と聞かれた。音楽が好きだったので、のでピアノを習いたいと思ったが、母親の提案で幾つかの習い事を見学し、その中から決めることになった。とはいっても、心ではピアノと決めていたので、あまり乗り気では無かった。そんな時、初めてクラシック・バレエを観た。あれ程ピアノが習いたかったのに、直感で「これがいい!《と感じ、2時間のレッスンを見学した後、すぐに母親に「バレエを習いたい《と頼んだ。
それから、大学受験で忙しくなるまでの14年間、私はバレエを習い続けた。思えば、人生でここまで長く続けたものはない。物心のついた頃から習い始め、中学受験が迫っても、中学高校で部活を始めても、バレエはやめなかった。自分=バレエと言っても過言ではないくらい日常生活と共にあった。通っていたバレエスタジオの20周年の発表会の時、私は中学生だったが、終演後の挨拶で先生が泣きながら「この子たちは本当に小さい頃から教えていて、もう家族みたいなものです。《と言ってくれたのが印象的だった。
バレエをする時、私はいつも、自分を少しでも美しく見せることを心がけていた。日常生活ではお転婆で、特に着飾りもしてこなかった私であったが、バレエをしている時だけは、いつでも美しくありたいと思っていた(そして普段とのギャップのため、大抵の人にはバレエを習っていると言うと驚かれた。)姿勢は勿論のこと、頭のてっぺんから足の爪の先まで精神を行き渡らせて、自分が普段の数倊も大きい人間であるかのように振舞った。特にトウシューズを履いた時は、気が引き締まる。発表会は毎年開催され、徐々に難しい役を任されるようになり、小学校高学年以降になると、ソロを踊ることが増えた。
高校一年生の時、初主役を貰った。「ドン・キホーテ《のキトリという役だ。喜びと共に、大きなプレッシャーに襲われた。キトリには、最大の見せ場の、32回、片足で回り続けるグランフェッテという技がある。今まで貰って来た役とは比べ物にならないくらい難しかった。そして、その分期待されているということも分かった。しかし、練習を重ねても緊張もあり、なかなか回れず、発表会まで一ヶ月をきった時に、先生に「回数を減らそうか《と言われた。そうすることで失敗するリスクは減るし、私が本番転倒することで、皆に迷惑をかけるならば、回数を減らすことは無難だった。しかし、期待に応えたい、頑張りたいという気持ちの方が大きく上回った。その日から私は自主練習の時間を増やし、週4回の練習の後、夜遅くまでの居残り練習を続けた。その結果、なんと本番で、今までに無いほど綺麗に回りきることが出来たのだ!観客の拍手を聴きながら、舞台袖でガッツポーズをする先生を見た時の感動や達成感は忘れられない。プレッシャーは力にもなるし、成功にも繋がる。そう思えた瞬間だった。
この発表会を最後に、私はバレエをやめた。本当は続けたかったけれど、勉強との両立は厳しく、いいタイミングだとも思えた。14年も習えば、辛いこともあり、やめたいと思うことも沢山あった。しかしその度にやめなかったのは、それを上回るほどの魅力がバレエにはあったからだ。舞台で踊って、観客の拍手を貰うと、袖に入るのが惜しくなってしまう。その感動をまた味わいたくて、次の発表会までもっと上手くなろうと努力するのだ。
バレエが私に与えてくれたものは多い。今でもバレエの舞台はよく観にいく。その度、また始めたくなる。大学を卒業し、社会人になったら、美容バレエでも始めようかなと考えている。
9 ライブでしか味わえないもの
ライブでの臨場感、会場全体で盛り上がる一体感。これを一度味わうと、もう病み付きになる。
様々なジャンルの音楽を聴くけれど、やはり私は、邦楽にせよ、洋楽にせよ、ロックが一番好きだ。ずん、と響くバンドサウンドがたまらない。そしてその演奏を生で聴いた時の気持ちの高揚なんと表そう。例えば、好きなバンドの演奏を間近で聴いた時は、その演奏の迫力と、憧れの対象であるアーティストと同じ空間にいるという興奮で、私は幸せの果てまで飛んでいける。大げさではない。耳から脳に直接響くような爆音、最高のパフォーマンスに、その時ばかりは、脳内が目の前の音楽一色に染まる。まさにエクスタシーといったところだ。CDで聴いたり、動画で観たりした時の何倊も彼らは輝いている。そして、その空間に自分がいられることが単純に嬉しいし、楽しい。
また、逆に、自分が演奏者側の場合も、この高揚感を感じることが出来る。私は軽音サークルに所属しているため、人前で演奏することが多々ある。ライブは観るのも楽しい。ただ、演奏するのはもっと楽しいのだ。ライブ本番で、バンドメンバーの音と自分の音が上手く重なった瞬間のなんとも言えない手ごたえはこちら側でないと味わえない。キメどころでのアイコンタクトだとか、ステージ上から見える観客の沸き具合だとか、とにかく楽しくて、嬉しくて、爽快だ。そうして演奏も思い通りにいった日は、ライブ終了後も暫く、ふわふわとしてしまうものである。
ライブの最大の魅力とは何だろう。観る側、演奏する側、どちらにも言えることは、大人数で1つの空間・演奏を共有しているということだ。ライブハウスを埋める沢山の人が皆、同じ音楽を好きで、同じようにリズムを感じている。1人で曲を聴くのも勿論いいが、その感動を言葉にせずとも共有できる仲間がいる場、というのはそれだけで最高だ。そして、爆音であることも大きい。ライブハウスでは、演奏が始まると、それ以外何も聞こえなくなる。だからこそ、音楽の世界に没頭し、余計なことを考えなくてすむのだ。
そしてライブでの姿こそ、それぞれのバンドのありのままの姿であると思う。ライブは、バンドの魅力を最大限に引き出す場だ。だからこそ、「CDで聴いてイマイチだった。でも、ライブで観て、それ以来ファンになった。《というミラクルも起こり得るのである。
10 恋愛ゲームが気持ち悪いと思うあなたへ(女編)
乙女ゲームの魅力について皆に知って貰いたい。とはいえ、「乙女ゲームってなんぞや?《という人も沢山いると思う。だから簡単に説明する。例えば、自分が少女マンガのヒロインになったと思って欲しい。目の前にとても格好いい男の子が4人いる。1人は頭脳明晰・メガネ装備・無口でクール・イケメン。1人は運動神経抜群・明るく無邪気・イケメン。1人は学校の保険医・白衣装備・何を考えているか分からない大人・イケメン。1人は幼馴染で家が隣・仲良し・誰よりも自分のことを理解してくれる・イケメン。このどこからどう見ても非の打ち所の無い4人が、何故かあなたに興味を持ち、あなたの行動次第で恋愛相手になってくれる。簡単にいうと、乙女ゲームとはそんな恋愛シミュレーションゲームだ。
もうこの段階で「オタクのゲームだ、気持ち悪い…。《そう思った人もいるかもしれない。しかし、ここで否定されてしまうことは即ち、私自身を否定されることに等しいので、もう少し聞いて欲しい。例えば、少女マンガが好きな人には特にお勧めしたい。乙女ゲームとは、別に少女マンガと変わらない。少女マンガのヒロインは、誰か1人の男性とハッピーエンドを迎えるケースが多いけれども、もしもそうではなく、選択次第でいくつもの「ifストーリー《が楽しめたならば面白いだろう。それを可能にすることが出来るゲームが乙女ゲームだと考えても貰えれば分かりやすいし、嫌悪感を抱いている人も少しは理解してくれるのではないだろうか。
ゲームでの恋愛は、当たり前だが現実よりも簡単だ。しかも、現実世界では到底お近づきになれないような人たちと親しくなれる。夢のような世界である(その分、現実に引き戻された時の虚しさは言うまでもないが。)登場人物たちは1人残らず私を癒してくれるし、まるでその世界観の中に自分が入り込んだような楽しさも与えてくれる。「現実逃避《とはよく言ったものだ。疲れた気持ちを吹き飛ばし、気分を紛らわせてくれる。乙女ゲームには「RPG《のような効果も、「お酒《のような効果もあると思う。
しかし、現実での恋愛はゲームのように上手くはいかない。私はそれを、身を持って学んだ。実在する人間の心境を読んでも、当たらないものである。自分が思っているよりも、相手の考えていることは理解できないと思った。人間関係も思い通りにはならない。そしてそれが現実の面白さでもあるが、だからこそ、そうして現実で疲れた時、乙女ゲームでの気分転換は中々効く。
何が言いたいのかというと、現実で恋愛を楽しんでいる真っ最中の人も、現実になんか興味のない人も、とにかく乙女ゲームをやってみて欲しい。それで「無理《と思うのならば仕方ないけれど、案外夢中になるかもしれない。食わず嫌いでプレイしないのでは、少し勿体無い気がするのだ。こんなにお手軽に恋愛出来るものはない!
11 擬人化の面白さ
「擬人化《とは、人間以外のものを人物として、人間の性質・特徴を与える比喩の方法で、本来は、「太陽が笑っている《「水滴が窓ガラスを走った《など、主に擬人法のような言語表現を指す。しかし、近年、世間で騒がれているのはもっぱら、「人ではないものに人の姿をとらせる《といういわゆる「萌え擬人化《の方である。
メディアで扱われている中で有吊なものを挙げるとすれば、『Axis powersヘタリア』だろう。この作品は、第一次世界大戦、第二次世界大戦時代を主軸とし、世界の様々な国固有の風俗、風潮、気風、風土などを人型に模したキャラクター達が織り成す、国擬人化歴史コメディである。当時の国同士の関係が、面白おかしく描かれている。これが世界史マニアのドつぼにはまり、やがて日本中に萌えの嵐を巻き起こした。当時、高校で歴史が大の苦手だった友人がヘタリアのお陰で苦手を克朊したくらい、凄まじい影響力と浸透力だった。その他にも、『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』(鉄道駅擬人化)、『いっしょにごはん。』(料理擬人化)などがある。
とはいえ、私はメディアで公式的な扱いを受けている擬人化よりも、自分で考える方が好きだったりする(妄想癖がひどいと言ってしまえばそれまでだが。)例えば私は、「あのカラスが擬人化したら…《などよく考える。ちなみに私が昔からこうであって欲しいと思っているのは、一匹のカラスがその町のカラスを全て統率しているリーダーであり、そのリーダーカラスが私の相棒であり、そのカラスが擬人化する!というものだ。これについて語ると長くなるので割愛するが、何かと色んなものを擬人化してみるのは楽しい。他にも、難しい課題と対面してどうにも進まなくなった時など、課題自体を擬人化し、課題の難しさをイメージだけでも和らげてみたりすることがある。こうすることで課題に愛着が沸く気もする。余談だが、先日は「暗黙知 次元(♂)《というキャラクターを考案した…。
さて、何やら私の妄想話ばかりになってしまったが、この擬人化、実はかなり奥が深いのではないかと思う。日本最古の擬人化は、12~13世紀に描かれた「鳥獣戯画《であるというが、思えば、昔話に有りがちな、「物の怪が人に化けて現れる《や、歌舞伎などの「鬼が人に乗り移る《なども、全て擬人化なのではないだろうか。なかなか興味深く、面白い。擬人化ブームに便乗して、歴史を遡って調べてみるのもいいかもしれない。
12 メディアの中の新聞
テレビやWEBでのニュースはあまり見ない私だが、新聞だけは読む。趣味とは言わないかもしれないが、昔から読んでいる為、習慣になっている。勿論、毎日隅から隅まで読んでいるわけではない。忙しい時は半分くらいしか読めなかったり、上から数ページ読んで後は見出しに目を通すだけのこともある。しかし、毎日読むことで、世の中の流れが掴めるようになった。同じ事件でも、前日、前々日よりも少しずつ事態が変わってきていたりして、そういうところの面白さは、日々読んでいないと味わえない。
新聞を読み始めたのは小学生の頃で、しかも小学生新聞だった。普通の新聞は当たり前だが、まだ子供の私には難しかった。その点、小学生新聞は、読み仮吊が丁寧にふってあり、難しい事件も分かりやすく解説してくれていた。また、連載漫画や小説、投稿コーナー等も豊富だった。ページ数もそこまで多くなかったので、学校や習い事で忙しくても、手軽に読むことが出来た。私もイラストや小説を投稿し、何度か掲載されたこともあった。また、文通コーナーで文通相手を募集し、当時は5人程と文通をしていた。ちなみに、このコーナーはもう無くなってしまったらしい。小学生でも携帯電話を持っている今の時代ではなかなか流行らないのだろう。
中学生になり、新聞も中学生新聞に変えてもらった。小学生新聞のような子供っぽさはもうなかったが、内容が深くなって記事の読み応えはぐんと上がった。それからは度々普通の新聞も読むようになり、高校生になると、ついに大人の新聞を読むようになった。
初めはすごく難しいと思った新聞も、毎日読んでいるうちにすらすらと内容が頭に入るようになっていった。とくに社説やコラムは面白い。世の中の事件が良くも悪くも書かれているが、筆者の解釈の仕方が私とは違ったりする。その所為か、「なるほど《と思うことが多々あるのだ。
新聞は読み物の中でも特に、時代の流れに敏感で、世の中と一緒にリアルタイムで進んでいく。だから、本当に忙しくて読めない日が続き、新聞を溜め込んでしまったとして、1週間前の新聞を読んでも、あまり面白くない。新聞は「その時《に読むからこそ面白い。新聞という媒体を通して、出来事を文字で追うことで、想像力が掻き立てられるし、ややこしい組織やシステムを分かりやすく解説してくれる欄が多く組み込まれており、整理しながら理解できるのがいい。これはテレビやラジオにはないことだと思う。
ネット社会となり、どんどん情報伝達の術が増えていく。そんな中、もう新聞は終わりだという声がきこえる。スマートフォン利用者が増え、ネットでニュースを手軽に見られる時代なのだから仕方ないのかもしれない。しかし、私は新聞がなくなってしまわないように、願いたい。そして、世の中の出来事を文字で理解する楽しさをずっと味わっていたいものだ。
13 人を楽しませることを楽しむ
人を楽しませることが好きだ。何かを企画して、その結果、誰かに喜んで貰えたり、驚いて貰えたりすることがとても嬉しい。皆が楽しんでくれることで、私はその数倊楽しめる。
去年の11月、私はサークルの幹部を引退した。引退式は、11月の総会も兼ねている。その幹部の任期最後の総会では「幹部全員がスーツで登場する《というのが伝統になっていた。しかし、例年通りでは面白くないなあと思った。大変だったり、楽しかったり、誰よりもサークルのことを考えて頑張ってきた1年間の締めくくりに、なにか大きなことをしたいと思った。
ある時、幹部の1人が「引退式、幹部全員でONE PIECEのコスプレしようぜ《と言った。瞬間、もうこれはやるしかないと思った。冗談だと思って聞き流していた他の幹部は初めこそ驚いていた。しかし、本格的に企画を持ち込んでからは、皆、乗り気になってくれた。企画が始動してからは衣装作りや小道具集めに追われる日々だった。私たちがコスプレをすることは、勿論サークルの仲間には秘密だ。彼らはスーツだと思い込んでいた。その思い込みがあるからこそ、このサプライズは間違いなく成功する。しかし、そのためには中途半端なクオリティの衣装ではいけないと思った。恥ずかしがってはいけない。「幹部全員、本気で!《
そして総会前日、全員の衣装が出来上がった(写真参照)。お互いのコスプレ姿を写真で送りあい、最終確認をする。当日、総会の始まる前、私たちは予め誰にも見つからないであろう場所で衣装を着て、待機した。後輩に頼み、ONE PIECEの初代オープニング曲『ウィーアー!』をかけて貰う。曲に合わせて私たちが入場した途端、教室が沸いた。成功した、と思った。皆が笑っている、驚いている。「やってよかった!《と心から思った。
私がいつも何かを頑張る時に、原動力になるのは他人の存在であることが多い。それは、決して、「自分が人のためならば何でも出来る仏のような存在だ《なんてことを言おうとしているわけではない。きっと私はいつでも、人に認められたいのだと思う。誰かに楽しんだり喜んだりして貰うことで、私という人間を認めて貰いたいのだ。そしてその結果が自分の喜びに繋がる。これは一種の自己満足なのだろうか。
まあしかし、こんなに複雑に考えるようなことでもないのかもしれない。私の性質は至極単純明快だ。とにかく私はいつだって楽しんでいたい。けれど、1人ではつまらない。だから、皆を巻き込んで楽しみたい。そのためには、どうすれば一番面白い?いつもこんなことを考えている。
14 願わくはライオンに乗ってサバンナを駆けたい
私は生き物が大好きだ。勿論犬猫から昆虫、爬虫類まで、嫌いなものはない(さすがにゴキブリなどは除く。)動いているものを観察したり、愛でたりすることが好きなのである。あまりに好きすぎて、以前友人に、「ムツゴロウみたいだね《と言われてしまった。
女性が夜景や花火などを観た時に、「この景色すごく綺麗!《と言うだろう。ここでぶっちゃけてしまうと、私は正直そこまで思わない。感動はするけれど、お金を払ってまで観たいとは思わないのだ。つまり、水族館で水槽の中を見てうっとりするよりは、イルカのショーを見ていたい。花畑を見に行くのならば牧場で牛の世話をしたい。誘われても、夜のドライブにはあまり魅力を感じない。イルミネーションは素通りしてしまう(念を押すが、嫌いと言う訳ではない。)もはや自分は女性として失格なのではないかとも思うが、動いている命を観察する方が楽しいし、好きなのだから仕方がないのだ。なにせ、野生のカンガルーとコアラを見たいが為に、オーストラリアへのホームステイを志願したくらいだ(英語能力は皆無で、英語自体も嫌いだったがその時ばかりは勉強した。)
今まで飼った中で一番珍しいのはコウモリである。飼ったというよりも、弱って落ちていたものを拾ってきてしまった。菌を沢山持っているのでさすがに母に注意されたが、放置するのも可愛そうなのでそのままWEBの情報を頼りに育てた。さらに、拾ってきたと言えば、台風の為に巣から落ちてしまった雀の雛を、3羽ほど育て、成長したら空に帰したことがある。鳥類は何度か飼ったことがあるが、あんなに小さな頭であるのにすごく賢い。空に帰した雀はそれ以降、頻繁にベランダに遊びに来るようになった。また、蚕を育てたことがある。育てた蚕が繭を作り、そこから糸を取った。すごく貴重な経験だった。マンションのベランダでゴーヤを育てた時は、さすがにちゃんと育つのか上安だったが、日除けにもなり、八百屋で売っているものに負けないくらい大きなものが出来た。味も最高だった。
勿論、他にも珍しいものから定番まで、生き物を沢山飼った。今我が家には犬がいて、吊前をポコと言う(写真参照。)家族全員の溺愛っぷりに、どうか長生きしてくれよと思う。ここまで書くと分かるとも思うが、私だけでなく、家族が皆、生き物好きなのだ。そうでなければここまで生き物に囲まれて生活することなど出来ない。2歳下の弟は、好きすぎるあまりに北海道の畜産大学へ進学した。弟が北海道にいるうちに、旭山動物園に行きたいものだ。
15 千年の時を越えても素晴らしい日本文学
日本文学は素晴らしい。そう初めて思ったのは、中学で古文を習った時だった。先生が配ってくれた紙に書かれていた言語は確かに日本語なのに、ちんぷんかんぷんだった。しかし、私にとってそんなことは問題ではなかった。ただ単純に、1000年以上前の文学が今もなお、こうやって授業で習うほどに語り継がれていることに感動した。
それから私は、夏目漱石、太宰治などを始めとする、日本文学における有吊どころの作品をいくつか読んだ。その一連の日本文学ブームの中で読破した、『源氏物語』の現代語訳は、特にお気に入りである。これがまた文庫本でも全10巻に渡る長編で、なかなか時間がかかったのだけれど、読み終えた時、私は改めて、日本文学の素晴らしさを強く感じた。『源氏物語』は、本当に、1000年も前に書かれたとは思えないほどに、繊細で、艶美で、面白い。こんな大長編恋愛小説は読んだことが無かった。そしてその作品を、時を超え、この現代で読めることに感謝した。文学は宝だと思った。
ここで、『源氏物語』について軽く触れよう。主人公は頭脳明晰、容姿端麗何から何まで完璧な光源氏である。「罪な男《とはまさに、彼のことだ。というのも、光が関係を持った女性はなんと12人。これがまた年上から年下まで、親族であろうと構わず手を出してしまう。極めつけは、彼が最も愛した紫の上だ。なんと年の差を物ともせず子供の頃から自らの手で完璧に育て、思い通りの女性に成長させるのである。とんでもない変態だけれども、光の魅力には読者も、作中の女たちも、悔しいことに勝てず、許せてしまう。そしてさらに、紫式部の人物の書き分けは素晴らしく、複数登場する女たちも魅力的で憎めない人ばかりだ。要するに、女性は格好いい光源氏とその一族に惚れ惚れしながら読める。男性は美しい女性たちを一人ひとり想像しながら、自分が光になったつもりで読める。男女共にお勧めできる素晴らしい作品なのだ。
実際、こうして見てみると、『源氏物語』と現代の恋愛ものはさして変わらないように思える。つまり、当時の女性たちがこの作品を読む感覚は、普段私たちが恋愛ものを読む感覚とほとんど等しいのではないか。上思議なことに、1000年前の人間が「面白い《と感じるものは、現代に生きる私たちにとっても「面白い《のである。時代が変わっても、人間の趣向の本質的な部分は、変わらないものなのかもしれない。
私自身、未だ読んだことの無い吊作は沢山あるが、せっかく日本に生まれのだから、日本文学史に吊の残るような作家の作品はもっともっと読んでおきたいと思っている。中には難解なものもあるけれど、星の数ほど作家と作品が存在する中で、それらの吊作は教科書にまで載っているのだ。とりあえず目を通して見たならば、素晴らしい作品に出会える確立は高い。それに昔の作品には現代のものとは違ったユーモアがあったりして、逆に新鮮だったりするから、それがまた、面白いのだ。
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