「2012年度長谷川ゼミの軌跡《



(1)振り返りレポート

 <セシル>

 <ミシェル>

 <まいまい>

 <まゆゆ>

 <ラッパー>

 <かわしま>

 <ゆーめん>

 <えみし>

 <黒帝>

 <さちこ>

 <ニャンちゅう>

 <りんご>

 <はちべェ…>

 <ちえみん>


◆ゼミ用語集(別窓)



(2)12年度卒業論文 目次案・概要

 <セシル> 1 / 2 / 最終版

 <ミシェル> 1 / 2 / 最終版

 <まいまい> 1 / 2 / 最終版

 <まゆゆ> 1 / 2 / 最終版

 <ラッパー> 1 / 2 / 最終版

 <かわしま> 1 / 2 / 最終版

 <ゆーめん> 1 / 2 / 最終版

 <えみし> 1 / 2 / 最終版

 <黒帝> 1 / 2 / 最終版

 <さちこ> 1 / 2 / 最終版

 <ニャンちゅう> 1 / 2 / 最終版

 <りんご> 1 / 2 / 最終版

 <はちべェ…> 1 / 2 / 最終版

 <ちえみん> 1 / 2 / 最終版




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<黒帝>



第1章 与えられた課題

 2012年度長谷川ゼミは、2012年1月から始まった。前年度ゼミ生の口頭試問を傍聴した後、ゼミのガイダンスを受けた。そこで、最終目的は卒論を書きあげることだということや、ゼミでは人が行動するのを待つのではなく自発的に行動しなければならないことなどを聞いた。その時の私はその言葉の意味をあまりよく考えず、単純に何やら難しそう、大変そうだと感じていた。しかし同時に、このゼミで一年間しっかり活動すれば、自分は大きく成長できると思った。1年経った今、私は確実に成長したことを実感している。ガイダンスの時点の自分は先生の話をしっかり聞いているようで、その意味を考えようとはしていなかったと今にしてみれば思うが、これに気づいたことが一つの大きな成長だと言える。
 口頭試問後、メーリスへと登録し、メーリスを用いてゼミ生それぞれが自己紹介を行った。ここからゼミとしての活動が始まった。4月までの春休みの間に、課題が設けられた。一つは本を二冊以上読み、その要約文を書くこと、そしてそれらの本の共通点や関連性について考えたことや気付いたことをまとめることであった。二冊のうちの一冊は、先生が選んでくださった『暗黙知の次元(マイケル・ポランニー、ちくま学芸文庫、2003)』という本であった。もう一冊はゼミ生それぞれが自分で選ぶことになっていた。その時私は「遊び《というものに興味があったので、それに関して書かれた『ホモ・ルーデンス(ヨハン・ホイジンガ)』という本を買い、読むことにした。
 私はこれまでに本の内容の要約という取り組みをしたことがなかった。そのため、どのようにすれば要約と呼べるものになるのかわからなかった。またそれどころか、これまでに新書と呼ばれる本を読んだことがほとんどなかったため、読むこと自体にも大変な労力を使った。まず読むことに慣れていないので、集中力が持たない。10分ほどで集中できなくなってしまうような状態であり、たった二冊の本を読むためにかなりの時間を使ってしまった。またそれに加えて、前後の話の繋がりや話の要点などを意識して読むという基本的な本の読み方を知らず、ただ文字をなんとなく目で追っていくだけになってしまっていた。そのため内容が全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
 それでも要約という課題を終わらせなければならないという気持ちで取り組んだ結果として出来あがったのは、内容を抜き出して無理矢理つなげただけのようなものであった。しかもその時には、質が低くとも要約とはこのようなものなのだと思っていた。これは本当に恥ずべきことである。要約についての考え方が改まったのは、夏ごろに行われた『アトラクションの日常』の講読発表や、その後個人課題として設けた本の講読に取り組んでいる時であった。これについては3章で詳述する。
 また二冊の本の関係性について書くという課題でも同じように、根拠もなく共通しているように見える部分を本文から抜き出して書いただけであった。1年経った今振り返ると、頭を使って物事を考えていなかったことが本当によく分かる。私は、与えられた課題をただこなしていただけであった。
 本の要約とは別にもう一つ課題があった。これについてはゼミ生たち自身で案を出し内容を決定した。メーリス上で一人一人が案を出し、最終的にはそれらの案を先生がまとめてくださったことで、一つの課題が出来た。それは、『「関心地図《の作成』である。それぞれのゼミ生には、これまで生きてきた中で関心を持っているもの・ことがあるはずである。まずそれらついての短いコラムを15個以上書く。そして自分の書いたコラムを配置するのにふさわしいマップを作成するというのが、この課題の概要である。私が書いたコラムは「厨二病《「歌うこと《「喫茶店《「散歩《「声優《「演劇《「ボーカロイド《「アニメ《「スイーツ《「パソコン《「時間《「ディズニー《「駅《「睡眠《「お金《の15本だ。私の関心はパソコンを通して生まれるものが多いように思ったことから、パソコンの形の関心地図を作った。画面の中と外とで、インドアな関心とアウトドアな関心を区別し、配置した。メーリスに送られてきた他のゼミ生の関心地図を見ると、どれも工夫があって面白いものだった。関心地図を見るだけで、その人がどのようなことに関心を持っているかがわかり、そこからその人がどのような人なのかもなんとなく想像できる。文章を書く練習としてだけでなく、一見ばらばらなものをまとめ上げる発想力や自己紹介としての要素も含んだ課題であり、春休みに取り組むにふさわしい課題であったと思う。
 春休みの最後には、春休みの自分を振り返る文を書き、提出した。私にとっては今までにないほど文章を書いた春休みであったが、卒論を書いた今にしてみれば、たったこの程度、と呼べる文量である。しかしこれらの課題への取り組みを通して、文章を書くことに少しは慣れることが出来たのではないかと思う。
 2012年度初の、授業としてのゼミは4月11日から始まった。2012年度の長谷川ゼミでは、人数が例年以上に多いということもあり、必要に応じて二班に分かれて活動することとなった。そのため、その二班の編成を決定し、それぞれをまとめる役割となるWeb編集長も決定した。この時点では班の吊称は決定しておらず、仮にA班、B班と呼んでいた。
 4月16日からは長谷川ゼミの活動を報告する為のブログの更新が始まることになり、最初の更新はゼミ長が担当することとなった。以降ブログは基本的に週に二回、月曜と金曜に更新することとなり、順番はA班とB班のメンバーが交互に担当することとなった。記事の添削や最終稿の提出・確認などを考えると、メーリス上ではほとんど毎日ブログに関するこれらのやり取りをすることとなったが、私個人としては、全く苦ではなかった。というのは、この作業自体がそれほど大変なことではなかったこともあるが、それ以上に、ゼミ生が書いたブログを読んで確認し、内容の添削をするという取り組みがとても新鮮であったからである。そして、ゼミ生全員からの添削を受けてブログ投稿者が修正した最終稿は明らかに読みやすく、わかりやすくなっており、それを確認することはとても楽しかった。
 二班に分かれたことで、ゼミとして考えるべき議題が浮かび上がってきた。具体的にはA班、B班に分かれることの意味やWeb編集長とはどのような存在なのかということ、またどちらの班にも属さないゼミ長との関係についてである。授業としてのゼミの時間とは別に、ゼミ全体で集まって話し合う機会を設けた。
 話し合いによって、Web編集長の役割はゼミ長の補佐的な立場として各班とゼミ長を繋ぐ役割を果たすこと、各班員の活動を促す役割を担うことなどが挙がった。また、この時話し合いを二班に分かれて進めたが、全体として話し合いを進めたほうがよかったのではないかという話も上がり、必要以上に分かれて活動することはゼミにとってマイナスに作用するということを確認した。このように話し合いを通して様々なことを考え、進むべき方向を決定していった。私はこのようなことを、これまでにあまり経験したことがなかった。そのためとても新鮮であり、自分の意見によって方針が決まる可能性があることや、他の人の意見とのぶつかり合いを通してより考えが深まっていくこの状況を楽しいと感じた。
 4月25、26日には、卒論執筆に向けての第一回中間発表が行われた。この発表ではこの時点で自分の中にあること、考えていることや思っていることをすべて吐き出すことを目標としていた。私は自分が卒論で扱いたいと思っていたボーカロイドについて、自分の思っていることをなるべくわかりやすく発表しようと準備を進めた。しかし、発表で先生からご指摘をいただいたとおり、私の発表は私自身の考えていることではなく、ボーカロイドというものについて説明しただけであり、必要のない画像やインターネットから得た情報をそのまま抜き出した文章など、必要のない情報ばかりであった。非常に内容の薄い発表であった。指摘を受けて、本当にその通りだと感じた。私はボーカロイドに対する自分の考えとボーカロイド自体の説明の二つを区別出来ていなかったため、このような発表になってしまったのである。この時に、第二回発表では自分の内にあるものをすべて吐き出すということをよりはっきりと意識して発表準備を進めようと強く思った。 
 第一回発表の結果が残念なものになってしまった理由には発表というものに慣れていなかったこともあったと思うが、自分自身のことについての発表であるという意識が低かったことが大きな理由だろう。この時点では私は、「自分の書きたいテーマで、自分自身が卒論を書く《ということをしっかりと意識できていなかったのである。 

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第2章 最初のゼミ活動

 5月に入ってからの大きな取り組みは班ごとの2012年度長谷川ゼミWebサイトの制作とゼミ全体の関心地図の制作である。ゼミのWebサイトの制作は第一回発表前から行っていたが、第一回発表の時に先生から二班に分かれて制作してはどうかという提案を受け、それぞれの班で個別にサイトの制作をすることとなったのである。それに伴い、ゼミ全体の関心地図も班ごとに制作し、班ごとのサイトで公開するという形を取ることとなった。
 各班の吊称は話し合いによって【!】班、【?】班に決まった。私が所属していた【!】班では、班員全員がサイトの制作を出来るようになるという目標を掲げ、ページごとに分担してサイトを作っていった。そのため、進捗状況についてやサイト制作の仕方についてなど、班員同士が直接話して確認する必要があった。
 また、ゼミ全体の関心地図については、まずどのようなモチーフにするか、ということについてかなりの時間を使って話し合った。その結果決まった【!】班の関心地図は、関心を星、関心の繋がりを星座によって表現する「関心夜空《である。15人分の関心を関連するものごとに分け、それぞれを星座にする作業を分担して行った。このようにして作業を細かく分け、担当者を決めて進めていったことは、班員同士の関わりが増えたという意味でも、一人一人が責任を持って仕事をするという意味でもゼミで活動していく上で大きくプラスになったと思う。
 6月14、15日には第二回発表が行われた。私は第一回発表の失敗から、この発表ではとにかく自分の中にあるボーカロイドというものについて、出来る限り吐き出すことを目標としていた。自分にとってのボーカロイドがどのようなものか、そして自分はボーカロイドについてどのようなことを考えているかを思いつく限り書き出し、それらをレジュメにまとめていった。今まで聞いてきたボーカロイドの楽曲を改めて聞きなおし、自分が今はどんな風に感じているのか、ということも確認した。
 発表ではボーカロイドのライブの映像を流した。ボーカロイドのライブがどのようなものであるかを伝えると同時に、自分がいかにボーカロイドに熱中してしまっているかを伝えることも出来たのではないかと思う。これでもまだ足りなかったとは思うが、少なくとも第一回発表よりは自分のことを話すことが出来た。
 発表後、先生からは第一回発表と比べて第二回では自分のことを吐き出していてよかったと言っていただいた。また、この発表の中であれば重要なのは、ボーカロイドを単なるソフトウェアと分かっていながらも生きているように感じてしまうことについてではないか、という意見をいただいた。そのため、私はここからはそのことについて考えを深めていこうと決めた。
 この頃、関心地図の作成やテーマ発表と同時進行で『アトラクションの日常』の講読発表が行われていた。私が講読発表をしたのは第二回発表後であった。この講読発表を通して、私は自分の読解力のなさを痛感した。というのも、何度繰り返して読んでも、発表時のゼミ生からの質問にほとんど答えることが出来なかったからである。一人で読んでいる時には内容を理解していると思っていたが、発表の時にそれが単にそう思い込んでいるだけであるということに気付かされた。結局私は、3度にわたって講読発表をし、ゼミ生の助けを借りながら何とか発表を終えた。しかし、これだけ発表を繰り返しても、私は内容の理解が十分にできておらず、それを改善するため、後に個人課題を設けることとなる。これについては次章で詳しく述べる。

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第3章 並行する活動と決まらないテーマ

 7月から9月にかけては、主に3つの事柄を時に同時進行する形になりながら行った。フィールドワーク、夏ゼミ、アトラクションの日常の発表報告である。まずはこれらについて順に書いていく。
 7月19日にフィールドワークがあった。調査先は上野公園である。このフィールドワークに向けて、ゼミ生は6月頃から事前調査に取り組み始めた。
 事前調査は班ごとに分けて行われた。ちょうど現場班、記録班、夏ゼミ班に分かれており、それぞれの班ごとに進めるべき事柄があったため、フィールドワークの事前調査もこの班編成で行った。しかし調査しただけになってしまい、そこからどうするか、ということをあまり考えられずにいた。そのため、上野公園でどのようなフィールドワークをするか、という話し合いは思うように進まず、フィールドワーク当日が目前というところまで来てしまった。私たちはそれまでに具体的なことをほとんど決められておらず、最終的にはどのような調査をするかを先生に決めてもらうことになってしまった。こうなってしまったのは、フィールドワークやその事前調査の意味を良く考えられていなかったことや、現場班、記録班、夏ゼミ班各班の作業の方に集中し過ぎていたことなどが原因であると私は思う。私自身、フィールドワークの事前調査はしっかりやっていたつもりだが、決まったことや与えられたこと以上に何かを調べようとか考えようとはしていなかったように思う。大きな反省点である。先生からフィールドワーク当日は張り紙や落書きの悉皆調査をする、と告げられた時は、これまでの自分のフィールドワークに対する意識の低さからこうなってしまったという事実に悔しさや情けなさがこみ上げてきた。しかし私はその気持ちをバネに、当日は先生から与えられた張り紙の悉皆調査という目的を出来るだけ完璧な形でやり遂げようと意気込んだ。
 フィールドワーク当日はペアに分かれて行動することに決まっており、私は<さちこ>とペアであった。とにかくより多くの対象を見つけだして記録していこうと、私たちはただひたすら調査に没頭した。調査の中で面白いものも発見した。それは、子供向け遊具に貼られた注意のシールである。子供や保護者に遊具の対象年齢を示すものであり、それより小さな子供には危険があるという意味が込められているものなのだが、そのシールが遊具の下の方の、しゃがんで覗きこまないと見えない位置に貼ってあったのである。本来であれば見やすい位置に貼って注意をうながすべきものであるはずのシールが見えづらい場所に貼られていたことを、とても上思議に思った。私は悉皆調査に対して、単に張り紙のある場所を調べるだけの作業になってしまうのではないかという上安を感じており、調査の過程で新しい発見はあまりないものだと思っていた。そのため、このような上思議な調査対象を見つけた時はとても面白いと感じた。
 フィールドワークは無事に終わり、その後は調査結果の考察や調査報告のWebでの公開を行った。事前調査の段階では先が見えず心配が多くあったが、当日はとても充実しており有意義なフィールドワークとなった。
 フィールドワークの活動と並行して夏期集中講義に向けた各班の活動も行われていた。私が所属していたのは夏ゼミ班である。集中講義には直接関わらず、この期間に別の活動をするという目的で結成されたグループであった。夏ゼミ班が何をするかは自分たちで考えることとなっていた。班員で相談していくつか候補を挙げて先生に報告するという形で進めていき、夏ゼミ班の活動は長谷川先生の授業でこれまでの受講生が制作した作品のWebアーカイブを作ること、長谷川先生の4年間の授業を振り返ること、それらを一つのWebサイトとしてまとめ、公開することに決まった。もともとホームページの制作の経験があったことから、私は主にWeb制作の中心となった。
 夏ゼミ班の活動は長谷川先生の研究室に保存されている、これまでの受講生の作品やレポートなどを整理するところから始まった。またそれらの資料をスキャナでパソコンに取り込んだり、作品制作の感想をワードに打ち込んだりという作業をした。これには予想以上に時間がかかってしまったが、8月の合宿後には何とか全て終えることが出来た。
 また、夏ゼミ班ではOB・OGへのインタビューも行った。ゼミ長を中心としたOB・OGの方々に連絡を取ってお時間をいただき、在学中の長谷川先生のメディアの授業について、また卒業後に振り返ってどう感じるか、ということをお聞きした。インタビューは一人1時間ほどで、これは録音して後に文字起こしを行い、記事として編集した。
 そしてもう一つ、夏ゼミ班では4年間の流れを追うためにリフレクション映像を制作することとなった。映像は紙と写真を切り貼りして制作した。班員それぞれが各学年の制作を担当し、最後にそれを繋ぎ合わせることで完成となる。これは試行錯誤しながら進めていったため、膨大な時間がかかってしまった。完成したのは10月に入ってからである。それについては次章で詳述する。
 フィールドワークの事前準備や夏ゼミ班の活動と同時進行で行われていたもう一つの事柄が、5、6月に行われた『アトラクションの日常』の発表の先生への報告である。前章で述べたように、私は『アトラクションの日常』の発表の際に本の内容をしっかりと理解できておらず、3度にわたって場を設けてもらい発表した。しかしそれでもまだ上安な部分が多々残ってしまっていた。先生への発表報告でも同じような結果になってしまい、自分がいかに読解力に欠けているかを実感することとなった。とても悔しい思いだったが、それがその時点での自分の力なのだということを受け止めることがまず必要だった。そしてそれを克朊する為、私は発表報告を行った日から毎日出来るだけ多くの本を読み続けていくことに決め、実行した。8月の始めにある合宿でのテーマ発表に向けて、それに関連する本を出来るだけ読み進めていった。
 今まで読んできた本の数がとても少なかったため、気合を入れて量をこなさなければいけないと思い、発表までの期間は本を読むことに集中していた。しかしそればかりに気が偏ってしまい、肝心の自分のテーマについての考えを深めていくことが出来ずにいたうえに発表の準備も十分に出来ていなかった。
 合宿の発表では当然テーマを決めることが出来ず、最終日までに考え直す時間があったものの、そこでも決めることは出来なかった。そのため、合宿から帰って来た後もテーマについて考え、早急に決定することとなった。
 ゼミ生の多くは予定通り夏合宿時にテーマか題材が決定し、その今後の取り組みについても大まかに決まっていた。そのような状況の中、私は一人取り残されているような感覚に襲われた。他のゼミ生に早く追いつかなければと思い、 一日中ノートに向かって考え続けていた。しかしそれでも考えを深めていくことの出来ない日々が続き、時間だけがどんどん過ぎていくことに大きな焦りを感じてしまっていた。早くテーマを決めなければという気持ちばかりが先行して、視野がとても狭くなっており、物事を冷静に考えられなくなっていた。ゼミ生に話を聞いてもらい、ただボーカロイドについてばかりを考えるのでなく、自分自身がこれまでどのようなことに興味を持ってきたか、何故ボーカロイドが好きになったのか、という方向からも考えていったが、それでも考えを深めていくことは出来なかった。このような状態が一週間ほど続いた。
 最終的に、夏期休暇中にいちど先生に話を聞いていただくこととなった。そこで先生から、私は深く考えていこうとすると思考のループに陥ってしまいがちなので、一度考えることから離れる必要があるということ、またボーカロイドについて論じるのであればボーカロイドの歴史について調べることは必要上可欠であるというアドバイスを頂いた。これらの理由から、私はひとまず考えることをやめ、個人課題を設けた。それは、ボーカロイドに関する様々な事柄について調べ、それらを一つ一つレポートにまとめてゼミ生に提出するという取り組みである。
 また、私は合宿前のアトラクションの日常の発表報告の際に読解力が足りないことを指摘されていたため、それを克朊する為、夏期休暇中に3冊の本を読み、それぞれ要約するという課題も設けた。私はこちらを優先して取り組むことにした。
 課題図書は、先生が選んでくださった『こころの情報学』という本と、自分で選んだ『無意識の構造』『ディズニーランドという聖地』の計三冊である。後者の二冊は、春休みにゼミ生がそれぞれ選んで読んだ本の中から選んだ。これならば新たにゼミ生の手を煩わせることなく、本の内容についての話をすることが出来ると思ったからである。『こころの情報学』については夏ゼミ班の人たちが協力してくれ、講読発表をする機会を設けてくれた。
 しかし私はその発表の日までに全ての章をまとめてレジュメを用意することが出来ず、結局第1章について集中的に聞いてもらう形になってしまった。さらにその1章すらしっかりと読みこめていない部分が多々あり、私は自分の読解力のなさに失望した。家でノートにまとめたり、レジュメを作ったりしている時には読めている気になってしまっているのだが、いざ発表してみると自分でもよくわかっていないということが実感として表れてくるのである。発表の日は夏ゼミ班の人たちからアドバイスをもらい、本を読む時のコツや気を付けていることなどを再確認した。そこで発表出来なかった部分については期限を決めてその日までに全て要約し、夏ゼミ班の人たちに読んでもらうこととなった。私はアドバイスをもらったところに気を付けながら要約を作成し、夏ゼミ班での集まりの時に読んでもらった。そこである程度の要約が出来ているという評価をもらい、ひとまず多少は力が付いたのだと感じた。しかし当然手放しで喜べるわけではなく、この感覚を忘れないうちに私は残り二冊の本の要約を進めた。3つの要約を全てメーリスに送った時には、もう夏期休暇が終わろうという時期であった。私は本来であればボーカロイドについて調べてまとめる作業もしなければならなかったにもかかわらず、全く手を付けられていなかった。私は、調べることで自分の中のボーカロイドに対する見方、考え方を主観的ではなく客観的なものへと改めようと試みていたのだが、第4回発表までの数日間で多少調べてまとめてはみたものの、それを自分の中で形にすることは出来なかった。結果として第4回発表では、以前とほとんど変わらない話をしただけになってしまったのだが、これについては次章にて詳述する。

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第4章 個人課題への取り組みとテーマ決定

 10月の初めには、第四回発表が行われた。9月までの個人課題となっていたボーカロイドについて調べてまとめる取り組みが十分に出来ていなかった私は、第四回発表では夏休みの自分の活動を述べた後、自分の卒論のテーマについて第三回発表とほとんど同じ内容の話を発表することとなってしまった。それは当然ゼミ生から指摘された。自分でもわかっていたが、テーマに関する考えは全く深まっていなかった。
 その大きな理由はやはり、ボーカロイドについて調べるという個人課題に十分に取り組めていないことである。そこで、10月の私の大きな取り組みは、9月に引き続きボーカロイドに関する事柄を調べてまとめることとなった。11月の第一週までに少なくとも10の事柄を調べてまとめるというノルマを立て、取り組んだ。夏ゼミ班としてやらなければならないことがまだ少し残っていたため、始めは個人の作業と班での活動の両方を同時進行していった。
 私が調べたのは「VOCALOID《「初音ミク《「鏡音リン・レン《「巡音ルカ《「音声合成《「ニコニコ動画《「UTAU《「クリプトン・フューチャー・メディア株式会社《「同人音楽《「ヤマハ株式会社《についてである。週ごとにノルマを設定し、また週の中でもさらに細かく、いつまでに何をやるかを決めて、作業に取りかかった。
 私はこの「ボーカロイドについて調べてまとめる《ことを始める前は、この取り組みは自分が知っていることを再確認するだけになってしまうのではないかと思っていた。というのも、私は自分がボーカロイドについては大抵のことを知っていると思っていたからである。初音ミクが発売され、ボーカロイドが注目され始めた2007年から私はずっとボーカロイドを聞き続けてきた。積極的にボーカロイドに関する情報を調べたりもしたし、ニュースサイトもチェックしてきた。だから、自分が知っていることがボーカロイドのすべてではないにしても、大部分を占めているのだと思ってしまっていたのである。
 しかし、実際にボーカロイドについて調べ始めて、その考えが間違っていたことを私は思い知った。少し調べてみただけでも、自分の知らないことなどいくらでもある。私はボーカロイドというものをとりまく空間の中で、自分が見たい部分しか見ていなかったのだということに気付いた。これはつまり、私の見方はファンとしてのミーハーな視点でしかなかったということである。そして、何よりも恐ろしいことは、それに自分が気付いていなかったということだ。私は固定観念から「こうであるはずだ《と決めつけて思考を停止してしまい、ボーカロイドに対する今までの自分の姿勢や、ボーカロイドが孕む諸々の要素について全くと言っていいほど考えていなかったのである。しかしこの取り組みを通してこれに気がつくことが出来たのは、私にとっては大きな一歩であったと今にしてみれば思う。
 これを11月の第一週目まで続けた後、改めて卒論のテーマを考えることになった。そこで私は、卒論ではボーカロイドの歴史を調べてまとめることに決めた。ボーカロイドの歴史をまとめたアカデミックな文献や資料がこれまでにないということが、この論文に取り組む大きな意義となった。また、これはそれまでやってきた「調べてまとめること《の延長である。深く考え出すと思考のループに陥ってしまいがちな私には適した方向性であった。
 私の論文のテーマはこうして決定したが、やるべきことが決まったことを私は素直に喜ぶことが出来なかった。長谷川先生の授業では4年間を通して、ものの考え方を養ってきた。4年間の集大成となる卒業論文では、これまで培ってきた力を総動員して「考える《ことが重要であると、私は考えていたのだ。しかし私の卒論のテーマは「考える《ことで決定したのではなかった。この事実がずっと頭のどこかに引っかかったまま、私はボーカロイドの歴史の編纂に取り組み始めた。
 私が論文で扱ったボーカロイドの歴史の範囲は、ヤマハ株式会社によって歌声合成技術VOCALOIDが発表された2003年から2012年までである。2003年以前の音声合成の歴史については触れず、まずはこの期間のみに絞ってしっかりと取り組むことに決めた。
 11月上旬には夏ゼミ班としての活動がようやく完了し、個人作業に集中することが可能となった。11月までの取り組みと同様に、週ごと、日ごとのノルマを設定し、調査・執筆を進めていった。調査の手順としては、主にインターネットを使ってまずボーカロイドに関する主な出来事をざっと調べて箇条書きにし、それらについて順に詳しく調べていく。そして後でそれら一つ一つの関連性や追加で調べるべき事柄を調べていく、という形を取った。
 しかし、私は自分で設定したノルマを達成できないことがしばしばあった。作業に身が入らずにいたのである。今にして思えば、この時私は先述した理由で自分の卒論の方向性に疑問を感じていた。より質の高い卒論を書くという気持ちは薄く、ただ機械的にノルマを終わらせなければいけないと感じていたのだ。そのため、モチベーションも上がらず、ノルマに届かなくても後で取り返せばいいか、とどこかで思ってしまっていたのである。
 11月の終わりに第5回発表があった。これは2012年度長谷川ゼミにおける最後の発表であり、この時点での卒論の進捗状況を詳しく確認する為のものであった。この発表で私の卒論に対する中途半端な態度は浮き彫りになった。私が書きすすめた量は、最初に設定したノルマには到底届かないものだったのである。私は自分の一ヶ月間の卒論に対する姿勢を深く恥じた。私がやるべきことは、自分で決めた方向性についていつまでも悩んでいることでは決してなく、より多くの事を調べてまとめていくこと、少しでも多く卒論を書きすすめていくことであった。この第5回発表を境に私は気を引き締め直し、何よりもまず目の前のやるべきことをしっかりとやるということを確認しなおした。

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第5章 提出までの全力疾走

 そこから提出までの期間は、自分で立てた計画に忠実に、ただひたすら卒論の執筆に時間を捧げた。必死に論文を書き続けていると、時間の経過はそれまで以上に速く感じられ、気が付けば提出まであとわずかというところまで迫っていた。そんな中で私がとても強く感じていたのは、提出がもう間近であるという事実であり、長きにわたって取り組んできた卒論の執筆が間もなく終了するということだった。
 そこで改めて自分のこれまでの取り組みを振り返ると、私はどこかで自分に甘かったと思う部分が多々あった。例えばそれは、朝起きるのが予定よりも遅くなってしまったり、作業の合間の休憩が長くなってしまったりというところに表れていた。また卒論の内容についても、いくつもの穴があることが明白であった。
 卒論では、ボーカロイドに関する騒動や、それがインターネット上でどのように取り上げられていたかということなど、ボーカロイドに関するあらゆる事柄についてインターネットを通して調べ、それらを年ごとにまとめていった。しかし調べが行きとどいていないところが多くあったうえに、個々の事象の関連性についてもしっかりと考えられていなかった。それが特に顕著に表れているのは2009年以降である。2009年からはボーカロイドを題材にしたゲームや書籍が増えたほか、企業によってライブイベントが開催されたりボーカロイドが企業のプロモーションに使われたりと、ボーカロイドに関する事象は激増した。そのため、これらをまとめることに精一杯になってしまい、個々の事象を羅列しただけになってしまったのである。歴史を流れで捉える上では、個々の事象の関連性について調べることは重要なことだ。それが出来なかったのはひとえに私の力上足によるところであり、大きな反省点だと自覚している。また、先述したようにヤマハがVOCALOIDを発表する以前の音声合成の歴史については全く触れることが出来ていない。まだ執筆をつづけているこの段階で既に、これだけの反省点があることを感じていた。
 私は第5回発表後から提出までの期間、何度も見直しをして、その都度書き直したり、加筆したりということを繰り返してよりよい論文に出来るように努めてきた。しかし、提出してしまったらもう書き直すことは出来ない。卒論を提出するということは、自分から見ても反省点・課題点が多くあることが痛いほどわかるこの論文を、完成品として先生に見ていただくということなのである。卒論が自分の手を離れていくというのは、こういうことなのだと、この時実感した。
 そんな気持ちになりながらも、とにかくより良いものを目指して私は執筆を続けた。そして1月上旬の卒論提出日、私は予定通り卒論を提出することが出来た。
 提出してから口頭試問までの日々は、自分の卒論に紊得できず、これで本当に合格できるのだろうか、と常に心配していた。卒論を提出した後になっても、やはりもっと頑張れたのではないかと考えてしまっていたのである。しかし、どこかで自分に甘えてしまい、常に全力で取り組むことができなかったということも含めて、それが今の自分の実力だったということなのだ。そう自分に言い聞かせ、悔しさを感じながらもそれ以上深くは考えないようにした。それよりも、この時点での私のやるべきことは口頭試問の準備をしっかりとすることであった。私は何度も原稿を書きなおし、何度も声に出して練習した。
 口頭試問当日、ゼミ生はそれぞれ自分の卒論について発表し、先生から講評をいただいた。先述したように私は自分の卒論の評価が心配だったが、良い評価をいただくことが出来、ようやく安心することができた。そして同時に、私は自分がこれまでやってきたことが実ったのだという気持ちの良い達成感を味わった。何度も悩んだり、失敗したりを繰り返してきたが、どうにか卒論を形にすることが出来、結果として良い評価をいただくことも出来たので、途中で諦めずに最後までやり抜いて本当に良かったと心から思った。
 口頭試問の翌日の朝、もう卒論の執筆も発表の準備もしなくていいのだと考えた時に初めて、2012年度長谷川ゼミの活動が終わったのだということが実感としてわいてきた。1年前、先輩の口頭試問の日に受けたゼミのガイダンスで、ゼミの最終目的は卒論を完成させることだと教わったが、その最終目的は、口頭試問の日に完全に達成されたのだ。

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6章 まとめ

 こうして振り返ってみると、この1年は本当に充実したものであったと改めて実感する。私は「卒論を書いて卒業したいと思ったから《という単純な理由でこの長谷川ゼミに入った。そのため、第一章でも少し書いたが、「自分自身の卒論を書く《のだという意識が私は周りのゼミ生に比べて低かったように思う。卒論とは、他でもない自分自身のテーマについて、自分自身の力で書くものだ。しかし私は、その意識を長い間持つことが出来ていなかった。ゼミに入ったばかりの頃の私は与えられた課題をただこなすだけで、自分で何かを考え、自ら進んで取り組むような姿勢はほとんどなかった。このような姿勢に、卒論に対する意識の甘さが現れていた。夏合宿でテーマが決まらなかったことや、その後も考えを深めていけなかったのは、卒論執筆というものをどこか自分自身の問題として捉えられていなかったからという理由が大きかったのだろうと、今になって思う。
 このような意識は、夏合宿とその後の数日間を経て大きく変わり始めた。このままの姿勢でやっていてはいけないと、卒論に対する意識を新たにしたことが、私にとっての大きな転換期であった。合宿後の時点では考えを深めていくことが出来ず、悩むこととなってしまったが、「『ボーカロイド10年史 2003-2012』という卒論を書きあげた今、自分の中にある考えを多少なりとも先に進めることが出来たのではないかと思っている。
 また、ゼミに入った当初はゼミでの係決めや班の中での役割分担などにおいて自分から積極的に仕事を引き受けることは少なかったが、ゼミでの活動を通して次第に自分から進んで行動することを心がけるようになった。それが実践できたと実感できたのは、特に夏ゼミ班での活動を通してである。夏ゼミ班の活動では、私は自分にできることをどんどん見つけて、他の班員ともコミュニケーションを取りながら効率よく作業を進めることが出来た。
 この1年間で私は大きく成長することが出来たと感じている。ゼミ活動を通しての自分を振り返ってみると、以前までの自分がいかに自分に甘く、何も考えていなかったかということが分かる。そしてそれと同時に、そんな自分でも1年間でここまで考え方が変わるのだということも実感できるのだ。しかしここで満足し、これ以上自分を高めていこうとしないのならば、意識の低かった以前までの自分と何ら変わらない。今の自分に満足せず、この1年間自分が取り組んできたこと、考えたことを活かして、これからも自分を高め続けていこうと思う。

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