アメリカ資本主義の軍事的性格を当事者はどう考えていたか
アイゼンハワーの演説から
「1929年という年は、平時でありながら、われわれが繁栄を享受することができた最後の年である。その時から1939年まで、わが国の経済は、人口一人あたりの実質生産高においてなんらの成長をも示さなかった。ニュー・ディールも実際には失業問題を解決していない。ニュー・ディールがいろいろな措置をこうじて7年もたった1939年においてさえ、アメリカでは950万人の人が、いまだに失業していたのである。そこへ第U次世界大戦がおきた。そしてその刺激のもとに、アメリカの生産は上昇し、失業は姿を消した第U次大戦こそはニュー・ディールのなしえなかったことをなしえたといわなければならない」(アイゼンハワー1952年演説 都留重人『現代資本主義の再検討』岩波書店1959年より引用)
原文はつぎの URL にあります。http://en.wikisource.org/wiki/Eisenhower%27s_farewell_address
また歴代アメリカ大統領の演説の原文は,次ぎのURLににあります・ http://en.wikisource.org/wiki/Wikisource:Speeches

アメリカ「軍産学複合体」を「必要悪」と考えていた。

(平和の維持,人類の業績の進歩の促進といった――カッコ内は涌井挿入)高貴な目標に向かっての前進も・・たえず脅かされている。われわれは,いま,敵対するひとつのイデオロギーに直面している。そのイデオロギーは,その規模において全世界に及び,その性格において無神論的であり,その目的において無慈悲であり,その方法において陰険である。・・・平和を保持していく上で,重要な要素となっているのはわが国の軍事組織である。・・・わが国の軍事力を強力なものにし,ただちに行動できるように備えておかなければならない。・・・・
第2次世界大戦まで、アメリカは軍需産業というものを持ったことがなかった。というのも、アメリカでは、時間的な余裕があったため(平時に)鋤すきを作っていたものが、必要に応じて(戦時に)剣を作ることですますことが出来たからである。しかし現在では、一旦緩急になってから急に国防の備えをなすという危険を冒すわけにはいかなくなっている。その点、我々は大規模な恒久的な軍需産業を創設することを余儀なくされている。・・・我々は、アメリカの全会社の年間純総所得を上回る額を、軍事費のために年々消費しているのである。・・・・・・・・
 こうした大規模な軍事組織と巨大な軍需産業との結合という現象は、アメリカ史上かつてなかったものである。その全面的な影響力・・・経済的な政治的なさらには精神的な影響力までもが、あらゆる都市に、あらゆる州政府に、連邦政府のあらゆる官庁に認められる。我々としては、このような事態の進展をいかんとも避けられないものであることはよく解っている。だが、その恐るべき意味合いを理解しておくことを怠ってはならない。

このホームページを参照・VTR(静止画)もあります。
http://eagleai.exblog.jp/4949168

アイゼンハワー,ドワイト・D(デイヴィド)Eisenhower, Dwight D(avid) 愛称アイク Ike米 1890-1969元帥,アメリカの第34代大統領(1953-61).テキサス州デニソン生まれ.先祖はドイツからの移民.ウェスト・ポイント陸軍士官学校で訓練をうけ,1939年までにはフィリピンでマッカーサー元帥の首席軍事補佐官となっていた.1942年には連合軍を指揮して,水陸両面からフランス領北アフリカを急襲.軍事行動面での最大の貢献は,連合軍の幕僚を調整する能力にあり,そのために1944年のイギリス海峡を越えての大陸攻撃(ノルマンディー上陸作戦)のときには,最高司令官に選ばれ,気まぐれな気象状況をものともせずそれを遂行した.1950年には北大西洋条約機構の連合陸軍の最高司令官,1952年には共和党から大統領選に立候補し,ヨーロッパで獲得した人気によって勝利,1956年にも再選された.彼が大統領のときにはアメリカ政府は外交政策に専心,反共産主義運動を続けた.人権運動にも積極的に関わった.(『岩波世界人名辞典』CD版)