そのような意味でブルクハルト・ヴェーナー『レオニーの選択 18歳少女の<政治>への旅立ち』(鈴木仁子訳、光文社)は実に意義深い本だ。政治を志し理想に燃える熱血少女レオニーが、大学に、そして政治の世界に入るべくハンブルグからベルリンにやってくる。その彼女のもとに、母親代わりの女性、かつて(「新しい社会運動」系の?)政治にかかわりながらも現在は身を引いている高校の科学教師サンドラから、昔若かりし彼女がある大物政治家と交わした書簡が送られてくる。その手紙には、今は一線から退いたベテラン政治家が「民主主義」について重ねた思索のあとが遺されていた。民主主義の意義以上にその限界を強調する手紙の内容に最初は反発しつつも、その手紙、そしてベルリンでの様々な経験によって、レオニーの素朴な理想主義は験され、鍛え直されていく。
時に政治版『ソフィーの世界』とも呼ばれる本書だが、(固有名詞という意味での)情報量は決して多くはないし、お話としても大してうまくできているわけではない。しかしここで老政治家ESの手紙に託して展開される民主主義論は、アテナイ民主制と近代民主制の違い、現代民主政治の機能不全とその原因等々、きちんとつぼを押さえていて非常にレベルが高い。ヨーロッパ統合についての話などは、特に大半の日本人にとっては知らないことばかりで勉強になるのではないか。君主制や帝国など、民主主義以外の政治形態についての押さえが甘いと責めるのは無い物ねだりだろう。
何より重要なことは、今先進諸国で多くの人々が政治的無関心に陥っているのは理由のないことではない、それはまた道徳的に責められることではない、と言いきっているところだ。つまり、問題があるのは現代民主政治の制度的枠組み(もちろんそこには公民教育も含まれるが)の方なのであり、政治的無関心を嘆き、責めるよりも前にやることがある、と。
本書は『人生設計入門』がそうであるような、マニュアルとしての直接的有用性はもたない。しかし頭からのお説教ではなしに民主主義の可能性を説くという点で、普通の市民のための政治入門として非常に優れている。的場敏博『政治機構論講義 現代の議会制と政党・圧力団体』(有斐閣)、あるいはロバート・A・ダール『現代政治分析』(高畠通敏訳、岩波書店)などの基本テキストと併せれば、格好の副読本として大学でも使えるだろう。
ヘーゲル『法哲学講義』(長谷川宏訳、作品社)、これはすごいよ。今までの長谷川訳ヘーゲルと違って本邦初訳だよ。
これまで訳されていたのは『法哲学要綱』で、補遺として弟子のホトー(1823-4年)、グリースハイム(24-5年)のノートが編者(ガンス)によって抜粋されたものが付加されている。今回の場合はイルティング編になる『法の哲学講義録』から、グリースハイムのノートの部分が全部訳されたのだ。まあ文献学的に細かい詮索はプロに任せて、素人は素直に読んでみましょう。もともとヘーゲルの中ではわかりやすかった「法哲学」が更にわかりやすくなっている。
長谷川寿一・長谷川眞理子『進化と人間行動』(東大出版会)は、森山和道氏も言うとおりの優れた教科書であるが、ある種禁欲的に「進化」を遺伝子レベルの話に限っている、つまりドーキンズ=デネット的なユニバーサル・ダーウィニズム(DNAでできていようがいまいが「自己複製子」があればそこに起こる過程はダーウィン的な進化である、とする立場)を展開しない(たとえば「ミーム」なる言葉が登場しない)あたり、「人間行動進化学」のテキストとしてはちょっと食い足りない感じである。