2000年9月

9月26日(27日修正)

 この夏は都合3週間の巡業というか集中講義の旅回りでつぶれてしまった。

 まず8月第1週に、札幌は北海道大学大学院経済学研究科で15コマ。大学院生のリクエスト枠ということなので、集中であるにもかかわらず演習形式をとることにする。事前にネットを通じて履修希望者と連絡を取り合い、読む文献と報告割り当て、予定を大ざっぱに決めて臨む。事前に届いた履修者リストがわずか3名ということに若干の不安を覚える。
 いざ札幌に着いてみると、内地とかわらないこの夏一番の酷暑の直撃を食らう。(前半はマジに大変だった。)しかも大学には冷房がないときた。(宿舎にはあってラッキー。)この段階で履修者は5名に増えている。で、実際に教室に足を運ぶと8名というところか。以後5日間、参加者は4人から8人の間で増減する。
 飛び入り参加者の学振研究員Hさんと、もぐり参加の医学生Iさんはとても熱心で、毎日出席して活発に意見を出してくれた。Iさんには本当は「優」をあげたいところである。他にも、医療倫理の話が聞きたくて来られた大学病院の臨床医の方がおられたが、時間がうまく合わなくて申し訳ないことをした。
 さて、中身の方は、何事も実際には予定通りにはいかないもので、まず参加者が俺の議論を充分に消化していないことが判明しそれに時間をとられる。更に一日で済ますはずだったピーター・シンガー『実践の倫理』(昭和堂)にも予想外の時間をとられる。明解で議論をしやすいというせいもあろうが、参加者の多くはついでに紹介したデレク・パーフィット『理由と人格』(勁草書房)の「人格の同一性は程度問題」説、その見かけの珍奇さのみならず射程距離の広さに非常に興味を引かれたようである。(シンガーもこれのせいで初版と第二版とでは微妙だが重大な立場の変更を行っている。)来年もし続きができるならこれをじっくり取り上げてみたい。とりあえずはここでフォローアップをしようか。
 マイケル・ウォルツァー『正義の領分』(而立書房)については思いの外もりあがらず。ハンス・ヨナス『責任という原理』(東信堂)には当惑させられる。正しい問題提起を不適切な仕方でしているような? とにかく迫力はある。「責任」だの「リスク」だの「親子」についてなお思案中である。
 最終日は、「セーフティーネット」について現在私が考えていることをしゃべる。それから参加者の報告を聞く。報告者は結局2名。二人とも修士1年だから、まだまだ模索中の感あり。
 スケジュールがタイトだったので、参加者と一緒にお酒を呑んだりする余裕はなかった。(「いえ、先生、明日の準備しないといけないので……。」)これは失敗である。しかし1週間で分厚い本を3冊こなしたという充実感はあった、とはS君の弁。
 事務的な窓口になってくれた西部忠氏とは、(大学院で同期だったにもかかわらず)今回初めて落ち着いて話をする。昔パリで会ったきりの高井哲彦氏は出張中で会えず。橋本努氏は留学中。北大経済も大学院重点化ということで、院生の大幅増加が始まっている。ちょっとした危惧を抱くが、あまり突っ込んだ話は聞けなかった。(特に院生の話が聞けなかったのが残念である。)
 なお小樽に大学院時代の同窓生、小樽商大の金鎔基氏を何年ぶりかで訪ねる。小樽商大も岡大と似たり寄ったりの状況(もうちょっときびしいか?)。

 8月最終週と9月第1週は東北大学経済学部で経済学史の講義をこれは30コマ。時間割の都合で第1週は10コマ、第2週に20コマという変則的スケジュール。履修者260余名に驚く。最終的にテストを受けたのが222名。やれやれ。
 できるだけいろいろな角度から、視野を広げ、頭を柔らかくするための講義を心がけたが、さてうまくいったかどうか。集中講義という方式にはやはり無理があるな、とやったあとで気付くがもう遅い。今度やるときは事前に宿題を出し、それをクリアしたものにのみ履修を認め、試験も講義終了後少し時間をおいてから、という風に工夫したい。
 第1週の月曜日、川本隆史氏とご飯を食べる。水曜日、昔の同僚佐々木伯朗氏と会う。更にその夜、黒木玄氏に初めて会って痛飲。Fashionable Nonsenseの典型としてすこぶる評判悪い『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書)の小泉義之氏はどこらへんからおかしくなったのか、とかあーでもないこーでもないと話す。『無限論の教室』(講談社現代新書)以降の直観主義者野矢茂樹氏にはきびしい黒木氏も「野矢『論理学』(東大出版会)は最高の教科書だ」と持ち上げ、ここでも「どの辺からおかしくなったのか」に話が行きかける。(心の哲学ではおかしくないのだ氏は。)翌日も黒木氏、佐藤大’氏、渡辺雅俊氏と呑む。「実験動物はすべて食って供養するのが生物屋の仁義」と言う佐藤氏のお話に驚倒。村上陽一郎氏らの「安全学」を痛罵する渡辺氏、そこまで言うなら活字にして下さい。
 第2週には留学中の小田中直樹氏の院生たちや川本氏と呑む予定が、川本氏は都合で来れず、代わって黒木氏と同僚の長谷川浩司氏が来て更に痛飲。院生のH君は活動家で、東北大学内のさまざまな動向に詳しい。セクハラやアカハラ、大学院重点化の弊害等に話がおよぶと白熱する。院生の増加、飛び級などによる教育水準の低下(そうなんです、飛び級は危険なんですよ! 詳しくは黒木氏に聞け)、更にはアカハラの危険の増大、等々。一方「サイエンス・ウォーズ」につき持論を展開する黒木氏の毒気に当てられ、「それは活字にすべきだ」と迫るH君に渋る黒木氏。いやそれはH君の言うとおりですよ。
 仙台土産は「萩の月」。でも熊本にはこれとほとんど同じ「田原坂の月」という菓子がある。岡山にも似たようなものがあった。きっと日本全国に類似品があるに違いない。

 大学院重点化は岡山大学にとっても他人事ではない。俺自身はむやみに院生をとったりしないし、転職先ではとりあえずそういう問題はない。(このままいけば、予算獲得のため定員いっぱい無理矢理にとる国立より、良識ある私学の方が良好な大学院環境を確保できることになろう。)ただ現在岡山で抱えている2名のことは何とかしなければいけない。このままでは途中で見捨てる格好になる。とにかく、子どもを抱え、今のところは「個人としてどう切り抜けるか」を考えるので正直精一杯である。

 この間気になって購入したり手配した本。(必ずしも新刊ばかりではない。)最近の「ミクロ的基礎付け」を批判して独自の「需要主導型成長理論」をいよいよ開陳する吉川洋『現代マクロ経済学』(創文社)。新しい入門書パット・ハドソン『産業革命』(未来社)。「ホッブズ的秩序問題」に社会学サイドから今あえて取り組む左古輝人『秩序問題の解明』(法政大学出版局)。ノーベル賞効果かアマルティア・セン『集合的決定と社会的厚生』(勁草書房)。イギリス民法学界の泰斗(特に契約法学におけるパラダイム転換の立て役者の一人)の初翻訳P・S・アティヤ『法の迷走・損害賠償』(木鐸社)。素人にとってはこれ一冊あればあとは当分何も要らない、福祉社会論の決定版ゲスタ・エスピン=アンデルセン『ポスト工業経済の社会的基礎』(桜井書店)。リスク科学の勉強がしたくて岡敏弘『環境政策論』(岩波書店)。データベースとしてアンガス・マディソン『世界経済の成長史 1820〜1992年』(東洋経済新報社)。


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