97年8月

8月31日

 ポール・ミルグロム/ジョン・ロバーツ『組織の経済学』(奥野正寛/伊藤秀史他訳、NTT出版)が来月出るそうな。以前紹介した青木昌彦・奥野正寛編著『経済システムの比較制度分析』(東京大学出版会)とか池田信夫『情報通信革命と日本企業』(NTT出版)などの、新制度学派というか、比較制度分析というか、ゲーム理論のツールを用いての新しい組織の経済理論の初の本格的教科書の邦訳である。何となく遅れそうな気がするが、まあとにかく出ればありがたい話である。何しろ大部な本だから、原書で読むのはきつすぎるもんね。

8月29日

 辻内鏡人『アメリカの奴隷制と自由主義』(東京大学出版会)を読んだ。「自由労働」イデオロギーが、人の「独立」を支持するものから「従属」を正当化するものへと転形していくありさまが黒人奴隷解放に即して思想史的に追跡されていく。しかし白人を含めた雇用労働者一般をも射程に入れた議論になっていないのが何とも惜しい。ひたすら一次史料にこだわったモノグラフではなく、理論的解釈を目指すならば、ぜひ森建資『雇用関係の生成』(木鐸社)とか池本幸三『近代奴隷制社会の史的展開:チェサピーク湾ヴァージニア植民地を中心として』(ミネルヴァ書房)、あるいはRobert J. Steinfeld, The Invention of Free Labor: The Employment Relation in English & American Law and Culture, 1350-1870, The University of North Calorina Press, Christopher L. Tomlins, Law, Labor, and Ideology in the Early American Republic, Canbridge University Pressといった雇用関係史を射程に入れた先行業績とのすりあわせが欲しかった。

 積ん読より。ポール・クルーグマン『自己組織化の経済学』(北村行伸、妹尾美紀訳、東洋経済新報社)とイマニュエル・ウォーラーステイン『新版 史的システムとしての資本主義』(川北稔訳、岩波書店)。前者は独占的競争理論を応用して国際貿易理論に新風を巻き起こした著者が最近ずっと手がけている、地理学的、立地論的視点を取り入れての、都市構造、分業パターンの自己組織化理論についての簡単なレクチャー。ま、最近流行りの「複雑系」って奴ですな。クルーグマンは最近啓蒙書を派手に出してるよね。ノーベル賞狙ってるなこりゃ。後者はお馴染み「世界システム論」の創始者による入門書の新版。ソ連崩壊後の動向を踏まえた増補が2章ほどついてる。

8月18日

 藤本隆志・伊藤邦武編『分析哲学の現在』(世界思想社)は題名通りの分析哲学の入門書だが、従来の類書が言語哲学・科学哲学に重点を置いてきたのに対して、どちらかというと心の哲学・行為論に重点を置いているあたりが新機軸である。とは言え「入門書」であって「教科書」ではない。それも学問のルールに慣れた他分野の玄人向けの入門書だ。文献サーヴェイとしては便利で、勉強になるんだけど。(あっケチ付けちゃった。)

8月15日(18、19日修正)

 太平洋の向こうから退屈を抱えたK君が更新の遅れに文句を言ってきたということもあり、積ん読ものと先物の見切り処分を少しやっておく。

 ヤン・エルスター『社会科学の道具箱 合理的選択理論入門』(海野道郎訳、ハーベスト社)。エルスターはいわゆる分析的マルクス主義の主導的論客のひとりである。「分析的マルクス主義ってなあに?」という方は川本隆史『現代倫理学の冒険 社会理論のネットワーキングへ』(創文社)か、あるいはアナリティカル・マルクシズム研究会ホームページをご覧下さい。題名通り、合理的選択理論、つまりは意思決定理論、ゲーム理論を社会科学の基礎として位置づけた上で、初学者のための入門書として仕上げている。アロウ以来の社会的選択理論(これについては佐伯胖『「決め方」の論理 社会的決定理論への招待』東京大学出版会、がいまだにベストの入門書だな。)への論及が少ないのが意外だが、そのかわり最近の「限定された合理性」とか進化論的アプローチとかが紹介されていて、まあまあの入門書ではないか。

 中馬宏之・駿河輝和編『雇用慣行の変化と女性労働』(東京大学出版会)。(大体において)新古典派の立場の労働経済学者たちによる共同研究の成果である。計量的実証分析がメインであり、表題通りのテーマについて日本の学界の最新の成果がうかがえる。しかし個人的に興味深かったのは、数少ない理論的論文である川口章「男女間賃金格差の経済理論」と篠塚英子「アンペイド・ワークの議論と女性労働」である。前者は伝統的な「統計的差別理論」をゲーム理論の道具を使って動態化(差別の再生産のモデル化)しており、後者はかつてマルクス主義フェミニストが言上げしながら、スローガンばかりで有効な分析を与えてこなかった家事を初めとする不払労働についての議論が新たな局面に入りつつあることを教えてくれる。

 もうじき出る 辻内鏡人『アメリカの奴隷制と自由主義』 (東京大学出版会)と金子勝『市場と制度の政治経済学』(東京大学出版会)、それから立岩真也『私的所有論』(勁草書房)もおすすめ……だと思う 。

 で、小泉義之『弔いの哲学』(河出書房新社)出ました。まあ読んでくれ。異論もあるに違いないがとにかく読んでくれ。あえて内容については触れず(いま書いている本で果たしたい)、論争的側面についてちょっとだけ紹介しておこう。アドルノやベンヤミンへの批判はなるほどと得心した。T・W・アドルノ『否定弁証法』(作品社)の有名なアウシュヴィッツ論に感じた胡散臭さの正体を喝破してもらえたような気がするし、ヴァルター・ベンヤミン「暴力批判論」(野村修訳、『ベンヤミン著作集1 暴力批判論』高原宏平野村修編訳、晶文社、『暴力批判論 他十篇 ベンヤミンの仕事1』野村修編訳、岩波文庫、所収)の解釈としては根本的な正しさを持っていると思う。ベネディクト・アンダーソンへの批判は、社会科学者への過剰な期待のなせるわざかと邪推したくなるところもあるが、一応正論である。また名指しで批判されてはいないが、アーレントだの戦争責任問題だのをめぐって論争中の高橋哲哉氏と加藤典洋氏はまとめて一刀の下に斬り捨てられたと言ってよかろう。


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