97年10月

10月30日

 中島義道『〈対話〉のない社会 ――思いやりと優しさが圧殺するもの』(PHP新書)。「半隠遁」宣言を裏切るかのごとき精力的な執筆活動を続けておられる中島氏、今回も好調である。というか、少なくとも氏の「半隠遁」は逃避よりも粘り強い抵抗に支えられたものであることがますます明らかになってくる。
 私にとって本書の白眉は何と言っても第1章、教室での私語を巡る考察である。講義中の私語は講義を聴きたい学生の権利に対する侵害であって、「被害者なき犯罪」などではないのだから、これを放置することは教師の怠慢である、と氏は断言する。その上で氏は、講義中の私語を制圧することなど簡単だ、と言いきる。はっきりと警告し、それを破る学生がいたらはっきりとその学生個人に向けて注意する。これを徹底すれば必ずどんな大教室での講義でも私語は制圧できる、と。そして問題はその先にこそあるのだ。すなわち、「私語」を制圧した後の「死語」、いや言葉の「死」こそに。学生が自分の意見を言えないどころか、講義を理解できない、わからないなら「わからない」とはっきり苦情を言えないということに。
 しかしなぜこのようになってしまっているのか? 氏は言う。特に「低レベル」の大学の学生たちは、わからないずくめで小中高の時代を過ごしたまま大学に来ている。彼ら彼女らはその中で「わからない」という声を発することをも学ばずに来た、と言うより、日本の社会によってその声を発することができないように規律されてきたのだ。彼ら彼女らはおよそ「言葉の力」を信じてない、そのように仕込まれてきたのだ、と。
 少なくともこの第1章だけでも、日本語圏で仕事をしているすべての教師は読んでおくべきであろう。

 原洋之介『アジア・ダイナミズム 資本主義のネットワークと発展の地域性』(NTT出版)は去年出た本だが、今年に入っての東南アジアNIEsのバブル崩壊のことが気になっていた(その上つい先日は世界同時株安でなんちゅーかこーゆーのを「シンクロニシティ」とかゆーのだろな「と」の入った人は)ので改めて買い求めて読んでみた。この人のものは以前にも『アジア経済論の構図 新古典派開発経済学を超えて』(リブロポート)、『開発経済論』(岩波書店)と啓蒙書・教科書を流し読みしていたが、個人的にはこの本が一番読んでいて面白かった。まあ、マルクス経済学サイドの森田桐郎氏と類似のスタンスを原氏は新古典派経済学サイドにおいて占めている、と言えばご本人から「私は新古典派じゃない」とのお叱りが飛んでくるかも知れないが、外野席からの読後感はそんなところである。フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義』全3巻全6冊中5冊刊行済、みすず書房、『歴史入門』金塚貞文訳、太田出版)やジョン・ヒックス『経済史の理論』新保博他訳、講談社学術文庫)の市場経済の歴史理論、そしてこの地域の歴史についての実証的知見を踏まえつつ、アジア地域における経済成長の足元の意外な危うさをわかりやすく指摘してくれている。東南アジア地域の成長は、かつて植民地化される以前に成立していたこの地域の商業ネットワークの復活という意味合いをも持っており、そう考えるとそれは主にブローデルの言う「資本主義」「市場経済」のレベルでのものであって「物質文明」、つまりは生産と生活の基層にまで届いたものではないのではないか、という指摘は興味深い。
 なお、開発経済学の一般人向け教科書としては、学説史オンリーとはいえ(と言うよりそれゆえにか)読みやすくわかりやすく面白い絵所秀紀『開発経済学――形成と展開』(法政大学出版局)が私としては一押しであるが、近々絵所氏の手になるより本格的な教科書として『開発の政治経済学』(日本評論社)が出るそうだ。

10月22日

 加藤朗・長尾雄一郎・吉崎知典・道下徳成『戦争――その展開と抑制』(勁草書房)は防衛庁防衛研究所に所属している、ないしは所属していた国際関係論畑の若手研究者の共同研究の成果である。最近では戦争論は一種の流行現象である(私にもそれにのっかっているのではという後ろめたさがある)が、そのような流行からは意識的に距離を取った形で、きわめてオーソドックスな、無骨な戦争研究への案内がなされる。つまり本書は、軍事科学ではなく社会科学としての、しかも平和研究ではなく戦争研究の入門書である。戦争すなわち武力紛争は今後も不可避的に起き続けるとの現状認識に立って、その制約の可能性を探ろうとする。
 十数年かそこら前であればこのような研究は、伝統的護憲勢力から「戦争の不可避性を前提とした研究など、戦争容認論である」といった難詰をされたかも知れない。そのようなことを気にしなくてもよくなったのは、よいことだ。が、その分日本の国家の戦争との距離が縮まっている、ということでもあろう。
 しかしそれは逆に、時代遅れに見えるかも知れない。たとえば現代社会の原型を戦時動員体制に求める研究潮流に変にいかれた人から、本書における戦争観が「あまりに狭くて古い」などといった難詰が寄せられるのではないか、と私は危惧する。別に国家中心主義のパラダイムに本書の著者たちが足を取られているのではない。共著者のひとり加藤朗氏は非国家主体の国家システムへの挑戦としてLIC(低強度紛争)を捉えた好著『現代戦争論』(中公新書)を書いている。しかし議論の焦点はあくまでも厳密な意味での武力紛争に据えられており、例えば平時の社会自体が「軍事化」しているのではないか、といったいかにも今日の「戦争論」的な問いかけはなされていない。
 しかしそれは無い物ねだりである。そのような課題のあることを本書の著者たちも否定しないだろう。しかしながら本書で扱われているような主題もまたあり、流行からは外れているかも知れないが、いささかもその意義を失ってはいないことは言うまでもない。そして日本ではあまりにもこの主題についての研究が立ち後れているのだ。その意味で、教科書的な小著ではあるが、いやそれゆえにこそ、本書の意義は大きい。文章はいずれも読みやすく、全体のページ数は少ないが充実した文献リストもあって便利だ。少なくとも私には、猪口邦子『戦争と平和』(東京大学出版会)などよりよほど啓発的だった。ことに加藤氏の執筆した第5章「戦争と倫理」は私にとっては、当の主題についての更なる読書(積ん読の古典中の古典E・H・カー『危機の二十年』岩波書店、とか)への誘いとなったという点で、きわめてよい「教科書」である。

 森田桐郎『世界経済論の構図』(有斐閣)。以前も書いたように、国際労働力移動研究の日本における草分けであった著者の遺した最後の本である。弟子の室井義雄氏が、遺されたメモに従って遺稿を編集してなった1冊。
 「市民社会派」とか「構造改革派」とかいった言葉が辛うじて意味を持って響いてくる最後の世代くらいに私などは位置するのではないかと思うが、氏はまさにこの「市民社会派」「構造改革派」の論客として古くから活躍されていた。大学闘争前後の時代に、マルクスのテクストの読み直しによる社会主義ヴィジョンの再構築、市民社会としての社会主義社会の構想が、故内田義彦氏の播いた種(『経済学の生誕』未来社、『資本論の世界』岩波新書)を故平田清明氏が中心になって(『市民社会と社会主義』『経済学と歴史認識』、ともに岩波書店)収穫していくという形で行われていったが、氏もまた望月清司氏との共著『講座マルクス経済学1 社会認識と歴史理論』(日本評論社)や『マルクス・コンメンタール』(現代の理論社)の編集への参加などによってその一翼を担っていた。しかしながら、その後の氏と平田氏たちの行く道は大きく分かれたように見える。平田氏を中心とする学説史家たちは80年代半ば以降、雪崩を打ってフランスのレギュラシオン学派の輸入に血道を挙げ始めた。それまでの文献学的に精度の高い思想史研究と、「何でもアリ」の折衷主義を強みとも弱みともするレギュラシオン学派の現代資本主義の実証分析とが、一体どのような理屈でつながっているのかは、外野からはついにわからないままだった。
 それに対して森田氏は、欧米ラディカル社会科学の新理論潮流、南北問題研究における従属理論や、とりわけウォーラーステインの世界システム論、あるいはラディカル地理学やフェミニスト開発研究、多国籍企業研究における「新しい国際分業」論などに早くから注目し、それらをきちんと消化しながら、なおかつ輸入業者となることはなく、自前の理論構築を心がけ、若手を組織して国際労働力移動の実証的研究グループを作り上げた。私も生前の森田氏に接する機会が何度かあったが、病躯をおしてつねに精力的に語るその姿は、コミットする左翼知識人のそれであったと同時に、同じことを何度も何度も語ることに満足せず、日々休むことなく、わずかづつでも自力で先に進もうとする研究者のそれでもあった。
 要するに、本書には「市民社会派」の最後の遺産が詰まっている。私が言いたいのはこれである。95年には氏を編著者として教科書『世界経済論 《世界システム》アプローチ』(ミネルヴァ書房)が出ているが、それと本書を見比べてみれば、何とまあ構成がそっくりなことか! 結局氏の手のひらからまだみんな出られていないのであろうか、と思うとちょっとむなしくなる。

10月13日

 『はじめてのゲーム理論』(有斐閣)の著者、中山幹夫氏に書評を書いた旨メールでお知らせしたら、丁寧なご返事のメールと、その転載の許可をいただけました。中山さん、素人の生兵法のコメントに対してご親切にお応え下さいまして、どうもありがとうございました。
 以下引用:

 稲葉振一郎 様

拙著に関心をもって下さりありがとうございます.
早速,書評読ませていただきました.

 ご指摘の通り,ゲーム理論を道具として使いこなすための本ではありません.知的好奇心を持つ人達にゲーム理論とはこういうものということを知ってもらい,関心をもつ層が広がってくれたら,という気持ちで書いたものです.そのため,計算論と関連する最新のトピックスまでも含めたのです.
 私の経験では,たとえば,ギボンズは大学院へ行こうというくらいの学生でないと読みこなせません.これでは,関心層は広がりません.もし,同じ位の努力を払うなら,オズボーン=ルービンシュタインの方が科学としてのゲーム理論を学ぶことができます.ゲーム理論は経済学の道具ではありません.ノイマンはもちろん,ナッシュやさらにマッキンゼイなどの人たちの頭の中にあったような,(当時の)新しい科学理論の現代版を解説してみたい,というのが第1の目的です.その意味では,協力ゲームももっと書いた方がよかったかも知れませんし,カオスと結びつく,ナッシュ均衡の存在のランダムネスなどにも触れることもできたでしょう.
 いずれにせよ,技術的な細部も含めて道具として使いたい方には不向きで,厳密な数学的取り扱いを含めて本格的に勉強したい人には同じ有斐閣の岡田氏の本やオズボーン=ルービンシュタインがよいでしょう.

 中山幹夫

引用終わり

10月8日

 塩沢由典『複雑系経済学入門』(生産性出版)は、数学出自でアルチュセール主義者、スラッファ主義者だった著者ならではの本であり、昨今のゲーム理論家や分析的マルクス主義者とは違い、新古典派経済学をその核心(均衡概念)において正面から批判しながら複雑性の科学として経済学を再建しようという挑戦的な本である。ま、そうした事情はさておいても、教養課程の経済学教科書としても、複雑性の科学全般についての文系の読者にとっての入門書としても使えるわかりやすい本だ。様々な複雑性概念の交通整理をしてくれているところもありがたい。このわかりやすさはさすがビジネス書として書かれただけのことはあるが、かといってうわついたところはほとんどない。ただ、やはり今後の経済学界の主流を占めるのは、正面から新古典派に闘争を挑んできた著者の立場ではなく、裏口から忍び込んできて知ってか知らずかのうちにその足下を掘り崩しつつあるゲーム理論家たちなんだろうな、と思うと何となくものがなしい。というか、新古典派はなし崩しのうちに複雑性の概念を取り込みつつあるんだよな。

 中山幹夫『はじめてのゲーム理論』(有斐閣)。何というか、評価に苦しむ本だ。どちらかというと良書なのだと思う。とにかくきちんとしたゲーム理論の入門書を目指して書かれていることは確かだ。数学出身の人だけあって、最近の経済学者は無視しがちな(?)協力ゲームの理論にもページを割いているし、ゲーム理論の学説史もフォローされているし、制度分析の有力な基礎である進化ゲーム理論や、主体のオートマトンとしてのモデル化とその背後に潜む数学基礎論的・哲学的問題といった最新のトピックまでをも紹介している。こうした点では確かに本書はすごく刺激的である。ゲーム理論が人文社会科学全般にとってどのような意義を持つのか、について、またゲーム理論が見せてくれる新たな人間像、世界像について、素人にも考えこませる力を持つという点では、これまで日本語では類書がなかった。
 しかしながら、「はじめて」シリーズとしてはちょっと高度に過ぎないだろうか。ゲーム理論を道具として使いこなすための第1歩の教科書としては、あまりにも高度かつ煩雑な話題を詰め込みすぎてはいないか。それともこれは「教養」としてゲーム理論について見聞しておきたい人のための本なのだろうか。少なくとも本書は、読みながら自分で練習問題を解いていき、見よう見まねでゲーム理論の思考法を身につけていく練習帳にはなっていない、と思う。「教養」として受け流すか、「門前の小僧」として多少のリテラシーを獲得しておくか、ゲーム理論に対するスタンスを決めかねている筆者としては、読みながらちょっと悩んでしまった。
 経済学を学んでいて、あくまでも経済学の道具としてゲーム理論を使いたい人にとっては、既に定評のあるロバート・ギボンズ『経済学のためのゲーム理論入門』(福岡正夫・須田伸一訳、創文社)『応用経済学のためのゲーム理論入門』(木村憲二訳、マグロウヒル)(注意! この2冊は、何とタイトルこそ違うが内容は全く同じ2冊の原著をそれぞれ知らずに版権とって翻訳してしまったという不幸な事情のもとに刊行されています! だから両方買うと馬鹿を見ます! どっちを買えばいいか? 私は知りません。)の方がいいだろう。トピックスが少ない分、説明もこちらの方が丁寧でわかりやすい。しかしそうではない人にとっては、意外とこの中山氏の本の方がいいかもしれない。よく見ると、経済学の知識やそれへの関心は前提とされていないしね。


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