98年1月

1月31日(2月1日修正)

 石ノ森章太郎氏が亡くなった。
 石ノ森、いえ石森章太郎の位置づけって結構難しい。ポスト手塚のマンガ家たちのなかでもっとも先鋭な作家でありながら、その晩年は何というか、首をひねる仕事が多かった。『マンガ日本経済入門』『日本の歴史』を否定するつもりはない。この種の企画もの学習マンガというやつは大概つまらないものだが、そういうものもあってよい。ただ、『日本の歴史』は読んではいないのでわからないが、『マンガ日本経済入門』は「そういうもの」としてもつまらないし、問題のあるものだった。わかりやすいところではパート2、結局話のオチが「太陽黒点説」(現代のSun Spot Theoryではなく、昔のそのものズバリの奴)と「ユダヤ財閥の陰謀」といったトンデモになっている。実際、こんなものを出すなんて版元の日本経済新聞社の見識が知れるというものだ。かつて東大生協の書評誌で言われたごとく、さいとうたかを『ゴルゴ13』の方が勉強になった。(日本的な「ガイジン」イメージのステレオタイプの嵐とはいえ、修業時代の船戸与一氏もかつてそのシナリオを書いていたそうだ。バカにはできない。)あるいは『ホテル』にせよ、当初は、ホテルの全体像をきちんと描き出そうという本格ビジネスマンガへの予感があったが、すぐさまくだらない日本的経営翼賛ほのぼの系に堕ちてしまった。サラリーマン泣き笑いマンガとしても決してレベルの高いものではなく、ありていに言って林律雄・高井研一郎『総務部総務課 山口六平太』あたりにはっきり負けていた。
 1987年に出た米沢嘉博編『マンガ批評宣言』(亜紀書房)にはこのような記述がある。

「石森も残念ながらヒーロー漫画の失墜以来、つまり『リュウの道』(69年)以来、自己の才能にたいして真摯な作家であることをやめてしまった。わたしたちがいま雑誌連載で見る石森はかつての石森とは決定的にちがっている。口惜しいことだが、それが作家生命だというものならそれはそれでいいだろう。ただし、美しい一頁をそなえた石森の申し分のない作品(カノン)集が手にはいるならば、だが。」(加藤幹郎「愛の時間」29頁)

 ここで「ヒーロー漫画の失墜」と加藤が述べているものが何であるかは必ずしも明らかではない。しかしたしかにその後石森は企画先行型、テレビ主導型の『仮面ライダー』を大成功させ、同時にマンガ家として衰退していったように見える。この70年代前半は明らかに「ヒーロー特撮ドラマ・アニメ」の時代の開始であった。ちょうどこの頃永井豪氏も『マジンガーZ』『ゲッターロボ』『デビルマン』『キューティーハニー』を手がけ、大きくその後の歴史を規定していく。が、その永井にあっては作家的衰退はその時にはまだ訪れることはなかった。
 石森にとっての『仮面ライダー』そして変身ヒーローものが何であったのか、そして永井にとっての『マジンガーZ』、そして(乗り物型)ロボットアニメが何であったのか。それはまだ全く明らかとされていない。私がとても気になっているのは、『秘密戦隊ゴレンジャー』である。言うまでもなく、変身ヒーローものの後継者である戦隊ものの最初の作品であった。しかし『ゴレンジャー』後の戦隊ものに「石森章太郎原作」のクレジットがつくことはない。また『ゴレンジャー』は最初の『仮面ライダー』そして『人造人間キカイダー』『イナズマン』同様、石森によるマンガが「原作」として(実際には先行しないタイアップとして)描かれていた。しかしシリアスなストーリーマンガとして完結を見た他の作品とは異なり、マンガ『ゴレンジャー』は途中から「本物」のゴレンジャーにあこがれる街の子供たちの「ゴレンジャー」を主人公としたナンセンス・ギャグマンガ『ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ』へと変貌する。あるいは、ほのぼの児童ドラマである『がんばれロボコン』の「原作」もほのぼのからは遠いブラックなナンセンス・ギャグであった。いまやほとんど入手不可能なこれらの作品群に、何らかの秘密が読みとれるのではないか、などと余計なことを考えもする。
 『マンガ日本経済入門』にせよ『仮面ライダー』にせよ、石森の無能、非才ではなく逆にその才能を示すものであることに疑いはない。彼は「企画もの」を単なる請負仕事としてこなすだけではなく、自らその企画者として立ち上げる力を持ち、それを発揮した。彼は芸術家、エンターテイナー、そして企業家であった。おそらく企業家としては手塚よりはるかに有能であり、この点でマンガの世界で彼に匹敵しうる存在はそれこそ永井豪のみかもしれない。しかしその晩年は遺産で食う単なる老残の企業家に見えてしまう存在であった。この意味で、彼はあまりにも有能でありすぎる小松左京氏ともよく似ている。いずれにせよ、彼のような存在に対しては、仮に外在的批評に徹するとしても、単に歴史のなかで位置づけるだけでは済まない。なぜなら、彼こそが歴史の作り手だったのだから。

1月20日

 現代政治の入門書として、大嶽秀夫『「行革」の発想』(TBSブリタニカ)をとりあえずおすすめする。これもまた例によって放送大学教材が原型である。テキスト『政治分析の手法――自由化の政治学』と、関係者、研究者へのインタビューを元に構成されているが、何しろこのインタビューが全体の半ばを占め、とりわけ中曽根康弘、加藤寛、香山健一、瀬島龍三、後藤田正晴といった行革インサイダー諸氏へのインタビューが大変に面白い。ただ、ことに一般的には無名人である研究者の所属くらいは書いてほしかった(見落としてるのか俺が?)。
 大嶽氏といえば日本における政治過程分析研究の第一人者で、前任校の東北大学法学部では多くの研究者を育てた方である。本書はその氏の弟子たちを中心とする若手研究者による、80年代の先進国の保守化・自由化の研究や、氏自身の前著『自由主義改革の時代』(中央公論社)を受ける形で、80年代以来の「行革」の歴史を総括し、現在の橋本「行革」が、レーガノミックス・サッチャリズム等80年代「行革」「自由化」の負の遺産の鑑定が不十分なままに行われようとしていることに警鐘を鳴らす。

1月17日

 東北大の黒木さんによる野家啓一『クーン――パラダイム』(現代思想の冒険者たち24、講談社)の書評。巨匠いしいひさいち先生は今回も完璧ざます。

1月9日

 ダニエル・C・デネット『解明される意識』の基本アイディアを読む前に知りたい人は、もちろんデネット『心はどこにあるのか』を読めばいいのだが、リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』(日高敏隆他訳、紀伊国屋書店)がお手元にある場合にはその「本文98頁への補注」(445-9頁)を読まれたい。

1月6日

 年末年始いきなりのサーバダウンでご迷惑をおかけしました。年末にやるはずだった積ん読総ざらえ、やります。
 ダニエル・C・デネット『解明される意識』(山口泰司訳、青土社)、これはポール・チャーチランド『認知哲学 脳科学から心の哲学へ』(信原幸弘・宮島昭二訳、産業図書)と並んで現時点での認知科学と心の哲学の水準を示してくれる基準的著作。しかし入門書としてはもちろん先月紹介したデネット『心はどこにあるのか』(土屋俊訳、草思社)の方がわかりやすい。
 案の定ロバート・ノージック『考えることを考える』(上・下)(坂本百大他訳、青土社)は"Philosophical explanation",OUPの翻訳であった。今時よーやるという感じの体系的哲学書であり、存在論、認識論、行為論、倫理学、と大体のテーマがぶち込まれている。

 岩波書店の雑誌『思想』の97年12月号はまるまる「1930年代の日本思想」の特集であり、あまり紙幅の制約をきつくかけられずにすんだらしい力作論文揃いである。一応目を通したのはまだ米谷匡史「戦時期日本の社会思想」と中野敏男「戦時動員と戦後啓蒙」だけなのだが、前者は毛色の変わった時代精神の見取り図としてまあ面白いし、後者はなかなか意義深い。
 米谷論文は要するに、三木清、尾崎秀実らの、昭和研究会などに集った革新左派を単に「転向者」と切って捨てるのではなく、時局に果敢にコミットして、いわば「戦争と内乱の同時遂行」によって日本における社会主義革命を目指した人々として再評価する論文であり、ジャーナリスティックな見取り図としてはよくできている。しかし、何というか、これはグラムシ好きの人にも感じる違和感なのだが、「それで? そんな路線にどんな未来があったってえの?」てな茶々を入れたくなるのもたしか。
 中野論文は大塚久雄の「マックス・ウェーバー」なるものの正体を生真面目に突き止めようとする手堅い作業である。私見では、根本的なところで正しい議論を提起している。気になるのは、これは中野氏への文句ではないのだが、なぜこの程度のことが大塚の生前にきちんと言われてこなかったのか、である。同様の作業が丸山真男や内田義彦についてもなされねばなるまい。


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