98年4月

4月17日(18日修正)

 尾木直樹・宮台真司『学校を救済せよ 自己決定能力養成プログラム』(学陽書房)。断片の寄せ集めではなく語り下ろしでまとまっていて読みやすい。この間の宮台提言のまとめとして使えるのではないか。
 宮台真司氏は最近やや軽率な印象を受けるほどに「自己決定」という言葉を連発するが、彼は、子供の自己決定権を尊重しろ、とただ言ってるんじゃなくて、子供の自己決定能力を養成する仕組みを作ろう、と呼びかけているわけ。ところで、宮台に反発する人々の内、保守的共同体主義者はまあおいとくとして、近代主義的な人々は、やっぱり子供の「自己決定権」を尊重しているには違いない。では何で宮台氏に反発するのか? 
 多分こうした人々は、ストレートな物言いが好きなんだ。つまり、子供に自己決定してほしいから、ストレートに「自己決定しろ」と呼びかける。しかし宮台氏は子供に「自己決定しろ」とは言わない。それが逆効果になりかねない、と考えているからだ。そのかわり彼は子供が自己決定できる、どころか自己決定せざるをえないような制度的枠組みを作ろうとする。そして、ストレートな物言いを好む人たちに、「あんたたちの物言いは逆効果で、思っていることをストレートに口に出したという自己満足にしかなっていない」、とクサすわけだ。で、クサされた人々は怒る。
 本当はここから、「ストレートな物言いをしない宮台氏はいわば騙しのテクニックを弄しているのであり、卑怯で傲慢でテクノクラティックだ」、と批判することも可能だろう。これに対して宮台氏は、「ストレートな物言いで社会を動かせると思う方が傲慢だ、社会システムの面妖さをなめるんじゃない」とか反撃するかな。そうすると、これは、かつてのハーバーマス−ルーマン論争(ユルゲン・ハーバーマス、ニクラス・ルーマン『批判理論と社会システム理論』木鐸社)の(凡庸な?)再演ということになるのかも知れない。
 宮台氏は永井均流にいうなら「善なる嘘」を巧妙な形でついている。従来のそれとは異なる、新たな種類の「嘘」を今つきはじめようとしている。そこで永井氏の言う「その「嘘」を語ったり作ったりすることを「使命」とする人々の心性の内部にその事実がもたらす非常に特殊な種類の(そして極度に陰湿な)「悪」」(『〈魂〉に対する態度』勁草書房、73頁)の問題が浮上するかも知れない。が、そこまで射程に入れて、いやそれどころか(最初の論争時点での)ハーバーマスのレベルで宮台批判をしている人でさえ、ほとんどいないのではないか。


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