98年5月

5月26日

 永井均『これがニーチェだ』(講談社現代新書)。橋爪大三郎『はじめての構造主義』の時にも驚いたが、今後「はじめて」シリーズのごとく「これが……だ」シリーズができてしまうのだろうか。なおあとがきによれば、この表題の考案者は永井氏ご自身らしく、「これが……だ」シリーズができるととても楽しい、などと書いておられる。なんてこった。
 内容的には、いかにも永井的だが、しかし意外と普通の意味での「ニーチェ入門」にきちんとなっている。体裁こそ新書版だが、前著『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社)に比べて、ニーチェ解説書としても永井哲学の開陳としてもより体系的に整っていて、新たな展開もありお買い得の一冊である。
 無い物ねだりを言えば、永井氏はここでニーチェの力への意志説が哲学としてきわめて程度の低いものであることを指摘したあとで、「もし仮にニーチェが超越論哲学をまともに勉強していて、きちんとした力の哲学を展開できていたら、素晴らしいものになっていたのでは?」という趣旨のことを述べているのだが、そのありうべき力の哲学とはどんなものか、について少しでも展開してくれてたらな、と思う。もちろんそれは本来永井氏の仕事などではないのだが。氏はあとがきをこう締めくくる。「これが私のニーチェだ。きみのニーチェはどこか?」……まさにその通り。

5月18日

 イアン・ハッキング『記憶を書きかえる 多重人格と心のメカニズム』(北沢格訳、早川書房)、若干の留保付きでおすすめ。
 著者ハッキングの本はこの他既に『表現と介入 ボルヘス的幻想と新ベーコン主義』(渡辺博訳、産業図書)と『言語はなぜ哲学の問題になるのか』(伊藤邦武訳、勁草書房)の2冊が邦訳されている。前者はパラダイム論と科学的実在論を同時に擁護するという一見離れ業に見える作業を、華々しい理論ではなく地道な観察や実験という営為に注目しながら行う、独特なスタイルの科学哲学入門書。後者はホッブズ、ロックではじめてデイヴィドソンでしめる、きわめて簡明な英米言語哲学への入門書であると同時に、ミシェル・フーコー『言葉と物 人文科学の考古学』(渡辺一民・佐々木明訳、新潮社)への注釈としても読むことができる好著。
 彼のライフワークは長らく数理統計学・確率論と社会制度としての統計の歴史研究であり、フーコーの影響を受けて「未熟な科学」や科学の泥臭い実践としての側面に注意を払ってきた。おそらくリチャード・ローティーなどよりまっとうにプラグマティズムの伝統を引き継ぐ哲学者である。本書は引き続き「未熟な科学」としての心理学、精神医学に、多重人格という切り口で迫った著作である。
 著者はここで、19世紀に見いだされ、20世紀後半の北米において未曾有の流行をみている多重人格障害を歴史的な観点から批判的に吟味する。多重人格障害なるものの存在が社会的に認められ、その研究と治療の実践が社会的な制度として確立しながら、当の障害そのものの正体が一向にはっきりしないこと、しないままに制度としての多重人格が定着し、人々の想像力をあおっていること、とりわけ記憶と人間のアイデンティティを直結させる記憶政治学memoropolitics(言うまでもなくフーコーのanatomopolitique, biopolitiqueのひそみに倣っている)の重要な媒体となっていること、を力強く論じている。論点は多岐にわたってやや読みにくく、かなり難解なところもあるが、非常に面白い。
 ただその面白さの多くは、多重人格の歴史を広範かつ多面的に追っていくところにあるために、この邦訳書の惨憺たる有様はその価値を半減させてしまう。科学哲学にも心理学・精神医学にも素養がないらしい訳者がしばしば間抜けな訳語を当てているのはご愛敬とも言えるが、これからきちんと勉強していきたい素人にはひどく不親切なことにもなろう。(「並列分布処理」はまあご愛敬だが、「可変性」はvariableのことかひょっとして?)読みにくい部分にはひょっとしてかなりの誤訳もあるのかも知れない。(大筋はわかる、しかしこれは哲学書なのだ。わかんないときは素直にプロの科学哲学者を呼んでほしい。)更に何より許せないのは、読んでいて参照文献を調べたくて巻末の文献目録を見ると、しばしばリストに載っていないのだ! あれと思って積ん読の原著Ian Hacking, Rewriting the Soul: Multiple Personality and the Sciences of Memory, Princeton University Pressを見てみると、ちゃんとある。つまり邦訳の文献目録はなぜだか知らないが穴だらけなのだ。重要な文献ほど落ちていると言っていいくらいのひどさである。
 多分その道のプロはこの邦訳は買わずに原著を読むべきなのだろう。我々素人も、せめて文献リストだけは原著からコピーしておきたい。

 S・P・ハーグリーブズ・ヒープ&ヤニス・ファロファキス『ゲーム理論〈批判的入門〉』(荻沼隆訳、多賀出版)はイギリス風の(実際、一人はイギリスの、もう一人はオーストラリアの大学に置籍している)ポストモダン系ニューレフトがかった数理経済学者たちによるゲーム理論の批判的入門書である。何がcriticalかというと、ゲーム理論を経済学を中心とする専門家だけでなく、より広範な社会科学徒にもきちんとその意義がわかるように、哲学や社会諸科学の広い文脈を押さえて簡明に解説している、つまり批評的なのであり、かつまた、経済学からゲーム理論が引き継いでいる合理的経済人という前提そのものへの批判(これはまた多くの非経済学者が共有するものであろう)を行うことを目指しているのである。
 まあ、しばしばややナイーブにポストモダンにのっかっていることを差し引いても、(あとがきで訳者荻沼氏も似たようなことを書いておられるが)社会学的な観点からの合理的経済人批判は素朴だし正直言って今更という感じがする。それでもなお、以前紹介した中山幹夫『はじめてのゲーム理論』(有斐閣)と並んで、素人のためのゲーム理論入門としては十分価値のある本ではありそうだ。
(じつは私は原著Shaun P. Hargreaves Heap & Yanis Varofakis, Game Theory: A Critical Introduction, Routledgeしか持ってなくて、邦訳は今日店頭で立ち読みしただけである。)


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