98年6月

6月9日

 小室直樹『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』(カッパ・ビジネス)を古本屋で購入、読んだ。
 学部生の頃一時期小室直樹氏の著作を少しばかり買いあさって一所懸命読んだことがあったが、ほどなく大体売っ払ってしまったし、その時にも本書は読んだことがなかった。その時買ったものの中でいま手許に残っているのは論文「構造−機能分析の論理と方法」を納めた『社会学講座1 理論社会学』(東京大学出版会)と論文「規範社会学」を納めた『法社会学講座4 法社会学の基礎2』(岩波書店)だけである。
 最近になって中公文庫で再刊された『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』を買い直して読んでみたところ、意外と読めた。同時代のものとして読んでしまうとしばしば我慢がならないが、古典ないし史料として読むと結構味わい深い。この辺故村上泰亮と相通づるものがある。
 さて、80年という早い時期にソ連崩壊を予測した名著として橋爪大三郎氏などもご推薦の本書だが、いま読んでみるといくつかの疑問がわく。
 たしかに今の時点で社会主義は崩壊して当たり前だった、と言えば後知恵になってしまう。だから本書の価値はたしかに低くはなかろう。だが、後知恵を更にはたらかせるならば、なぜそんな当たり前のことが小室氏を除く多くの人々にはわからなかったのか、と言うこともそれなりに問われてしかるべき問題であろう。
 更にこれと関連するのだが、塩川伸明氏の『社会主義とは何だったか』『ソ連とは何だったか』(勁草書房)でしつこくなされている問いを想起してみたい。塩川氏は、ソ連と社会主義圏の崩壊に際して自分がもっとも驚かされ、打ちのめされたのは、体制改革の挫折であった、という。社会主義の崩壊自体は驚くべきことではない。と言うより、社会主義が放っておけば早晩崩壊しかねない欠陥を抱えていたことくらい、常識に属していた。そしてそれは当の社会主義圏にあっても同様であり、それゆえにこそ市場原理の導入、情報公開といった体制内改革の試みがなされていたのである。にもかかわらずなぜこの改革は失敗し、体制は一気に崩壊したのか? 小手先の改革ではどうにもならなかったのだ、と言えばそれこそ後知恵である。
 小室氏の著作に限らず、予言的な著作に共通するある種のいかがわしさというものがある。もちろん、単に独りよがりのハズした予言、当たったとも当たらなかったともどうとでも強弁できる「予言」などどうでもよい。きちんと当たった予言を提起した、その意味で優れた業績にも、なおいかがわしさはつきまとう。ある種、カサンドラを気取ることのいかがわしさ、とでも言おうか。災厄の予言が声高になされるとき、実は少なからぬ人はそれに気付いていて、その災厄が実現しないように黙々と努力しているのかも知れない。だとしたら災厄が不幸にして実現したとき、我々は予言者を褒めていればすむわけではあるまい。「地獄で予言的中を威張ったって何になる。」(小松左京『日本沈没』)


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