99年3月

3月17日

 更に訂正します。
 "Xena: Warrior Princess"主演のルーシー・ローレスLucy Lawlessはニュージーランド在住のニュージーランド人です。ドラマはアメリカとニュージーランドの共同製作で、主にニュージーランドで撮影されています。
 酒見賢一氏はデビュー時26歳、佐藤亜紀氏は29歳でした。Ogawaさんありがとうございました。

3月1日(4日修正)

 そろそろ『リベラリズムの臨界(仮)』が追い込みに入ってきた(今年の夏には間違いなく出ます)ので、あまり関係ない本を読んでいない。新刊の動向とかフォローしてる余裕がない。とか言ってこの間メルボルンのウニタ書店(若い人は知らないだろうな。左翼系書籍・機関紙とかその手の本を中心に扱ってた本屋。)みたいなところに行った。何しろ基本的に新刊書は3割引で注文も受け付ける、って非営利協同組合なんだ。で、そこで新刊でE. P. Thompson, Customs in Common, Penguin、古書でSydney Pollard, The Idea of Progress, Pelican, E. H. Carr, What is History?, Pelicanとか歴史ものを中心に買う。まあどれも新しい本じゃないけど。(PelicanとかPeregrineって今はなくなってPenguinに統合されちゃったんだねえ。)新刊の方にはWhat is History?のsecond editionもあったけど買わなかった。これは著者絶筆となった新しい序文と、second editionのための著者のノート、そのものではなく、編者によるその紹介が付け加わっているだけで、中身は日本語にもなってる(清水幾太郎『歴史とは何か』岩波新書)初版と変わらない。で、このCarrをこつこつ読んでいる。
 そう言えば社会史の泰斗トムソンの本って結局翻訳ないねえ。主著The Making of the English Working Class, Penguinなんか900ページだかあるからやっぱり無理なのかな。十年くらい前に集団で翻訳作業が進んでて、青弓社から出るって話があったんだが。このCustoms in Common,だって500ページもあるから、全訳は無理かなあ。院生時代原型になった論文のうちひとつ二つ読んだけど、主要論文のみでもいいから翻訳して出してほしいなあ。
 他に別の古本屋でKate Wilhelm, Where Late The Sweet Birds Sang, Arrow Booksを衝動買い。(酒匂真理子訳『鳥の歌今は絶え』は持ってるけど、日本に置いてきた。現在入手しようにも今はなきサンリオSF文庫だからお高い。)一度翻訳で読んでいるとは言え読みやすく、格調高い文章。哺乳類クローンが実現した今読み直すとどう読めるか? 

 昨日は2週遅れの娘の1歳の誕生パーティーの後、シドニーで行われた、マルディ=グラのパレードをテレビで見る。街を挙げての盛大なイベントで観光客もいっぱいなんだが、Gay and Lesbian Paradeなのだこれが。色とりどりの山車が出て、オーストラリア中、更にニュージーランドをはじめ海外からもやってきて、思い思いの仮装ないしすっぴんないしもろだしでないだけの裸でねりあるく。とにかくきめきめのドラッグクイーンもいれば、地味なTシャツのクエーカーとか教会の連中もいる。イギリス発の幼児番組TeletubbiesのキャラTinky-Winky(体が紫色で、赤いハンドバッグがお気に入りのため、アメリカの電波系の下院議員にゲイ呼ばわりされた)のプラカードを持って騒いでるだけの連中、ゲイ・レズビアン聾唖の会、その他諸々。今年のパレードのテーマソングを歌っているダニリ・ミノーグ(カイリー・ミノーグの妹。レズビアンではないらしい。ちなみにカイリーもゲイとレズビアンにすごく人気があるらしい。なぜだ。)も、彼女に仮装した無数のゲイと一緒に踊っていたが、一番小柄なもんで一番目立たない。実況スタジオにはこれもレズビアンではないと思う(子持ちだし)がアメリカから人気テレビドラマ"Xena: Warrior Princess"の主演女優ルーシー・ローレスがなぜかゲストでやって来ている。多分"Xena"が女二人の股旅ヒロイックファンタジーだからか、レズビアンやゲイにも人気があるんだろう。
 シドニーはサン・フランシスコに次ぐ世界第二位のgay and lesbian cityなんだそうだ。ちなみにメルボルンはアテナイに次ぐ世界第二位のgreek city、百万のギリシア人が住む。不幸にしてうちの近所にはギリシア料理屋がないんだけど。

 本館その他で思わずミーハーに騒いでしまったが、作家山尾悠子がいよいよ復活するようだ。
 山尾氏は70年代後半、日本のSFブーム(今思えばバブル)のはしりのころに、山田正紀かんべむさし堀晃などと共に、第二世代、戦後生まれのSF作家の一人としてキャリアを開始した。しかしデビュー当時大学在学中の昭和30年生まれと、新井素子を別にすればひときわ若く、なおかつSFというよりファンタジーの書き手であった氏が「SF作家」とくくられえたのは、『SFマガジン』からデビューしたからであり、またその当時児童文学としてではなく本格的なファンタジーを商業ベースで書こうとすれば、SFというカテゴリーしか受け皿にならなかったからだ。とは言え氏のファンタジーは、その当時まだ国産品こそなかったが輸入品市場はSF市場のローカル市場としてすでに成立していたヒロイックファンタジーとも、またトールキン『指輪物語』流のエピック・ファンタジーとも、要するにその後ジャンルファンタジーとして確立するものとは全く異なっていた。それよりはまだシュルレアリスムや象徴主義、あるいは乱暴な言い方をすれば「前衛文学」の方にに近い。敢えて言えば「幻想文学」というラベルくらいしか貼りようがない。
 もちろん、主流文学の書き手として氏がやっていくことはできたかもしれない。実際、デビュー当時安部公房にも高い評価を受けていたという。「マジック・リアリズム」のラテンアメリカ文学のブームを迎え、筒井康隆の文学的評価も高まりつつあり、大江健三郎もファンタジックな手法をはっきり用いるようになった頃だ。しかし氏の資質というか目指す方向は、伝統的な小説の多くのそれとはかなり異なっていたように思われる。無知を承知で乱暴なことを言うと、象徴主義やモダニズムの詩の方にむしろ近いかもしれない。
 私の見るところ氏の特長は、氏が私淑する澁澤龍彦とも相通づる、平易で明解な文章(これは強調しておきたい。本当に平明である)であり、それでもってイメージを線的にではなく、立体的、多次元的に組み立てていく。小説というより、絵画や楽曲にその精神はよほど近い。少なくともほとんど物語的ではない。その特徴は代表作「遠近法」(『夢の棲む街』ハヤカワ文庫、『夢の棲む街/遠近法』三一書房、いずれも入手困難、『書物の王国1』国書刊行会、所収)や歌集『角砂糖の日』(深夜叢書社、入手困難)にとりわけはっきりと出ている。
 現代日本の、ジャンルファンタジーではない、本格「幻想文学」の代表選手をファンタジーノベル大賞受賞者の酒見賢一佐藤亜紀あたりに求めるなら、これらの書き手たちがデビュー時には30歳を過ぎてすでに完成の域に達した力量を見せていたのに対して、彼らの先達たる山尾氏は、20歳そこそこでデビュー、30歳前にはほぼ沈黙してしまった。結婚、出産を経て、『SFへの遺言』(光文社)での小松左京氏によれば「創作より子育てが面白くなって」長い休筆期間が続いていた。少なからぬ失敗作(ことに今のところ唯一の長編『仮面物語 あるいは鏡の王国の記』は魅力的なディテールが全体として魅力的な物語につながっておらず、さりとて物語的方向を捨てきると言うこともできずに終わっていて、きわめて惜しいと私は思う。しかし帰国したら再読してみなければなるまい)もある荒削りの(という言葉はその繊細で硬質の文体にはいかにも似合わないが)「未完の大器」は未完のままに終わりそうに見えた。
 しかしついに今年に入って、『季刊 幻想文学』54号の「小特集 山尾悠子の世界」に新作をひっさげて活動再開とのこと。新作はまだ未見であるが、私は大いに期待している。
 なお氏の著作リストはここ。氏の復活を言祝いでいるといきなりご本人の登場にパニック状態となった伝言版はここ


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