中西 洋著
『〈自由・平等〉と《友愛》−市民社会;その超克の試みと挫折−』
ミネルヴァ書房、一九九四年五月
四一八頁、五〇〇〇円

 中西洋氏のほぼ十年振りの単独著作である本書は、氏のこれまでの著書と比べると広い読者層を念頭に置いたものになっているが、残念ながら読書界の反応は芳しくない(例外として、『週刊読書人』九四年十二月二十三日の座談会「リベラリズムをめぐって 一九九四年の思想界をふりかえる」における川本隆史氏の発言を参照のこと)。ふりかえって、社会政策・労働問題研究という「業界」レベルでの反応も、菅見の限りでは鈍い。
 本書が敬遠される理由は確実にある。経済学者・労働問題研究者としての中西氏を知らない一般読書人にとっては、現代の社会哲学の主流からややずれた問題意識や用語法にのっとる本書はひどくとっつきにくいものであろう。いや、もっと単純に考えてみれば、そもそも中西氏の名前は例えば小池和男氏や熊沢誠氏のそれに比べれば、読書界・ジャーナリズムにおいて決してポピュラーなものではない。また昨今の多くの労働問題研究者の目には、本書のような社会哲学的作業は(自分と同じ「業界」の人間の手になるにもかかわらず、いやそれゆえにこそ)ひどく趣味的なものと映っているのではないだろうか。学会年報の書評欄という場であるにもかかわらず、筆者のごとき若輩に本書の論評が任されたのもまた、こうした事情とは無縁ではないはずである。
 本書の中核部分を占める、フランス初期社会主義思想史の検討に対して実証史学・文献学的な観点から批判的コメンタリーを行えるだけの知識は残念ながら筆者にはない。現在の筆者になしうることは、本書のキーワードである「市民社会」と「友愛」を焦点に、本書を読み解いていくためのいくつかの戦略的指針を提示することくらいである。
 本書の過半を占める本論部分は、「一七八九年の大革命を遂行し、“前近代”の《人と社会》のあり方を意識的・自覚的に破砕することによって、近代とは何かを宣明するというユニークな役割を果たすことになった」フランスにおいて、まさしくその大革命の思想的武器を準備したルソー、そしてその大革命の戦後処理、破壊の後の再建を自らの課題としたサン=シモン、プルードンらによる「《人と社会》のあり方」の構想の検討に当てられている。その際かの「人権宣言」以来フランス憲法史、そして近代政治・社会・法思想史を貫く赤い糸となった「自由」「平等」「友愛」という言葉の取り扱われ方に焦点が置かれている。だが本書の眼目はフランス的“近代”の個性それ自体の解明にあるわけではない。その意味では三つの補論、「スミスにおける<労働>」「マルクスにおける<所有>」「ヘーゲルにおける<法>」と「宣言:一九八〇年《友愛主義》宣言」にも本論に対するのと同程度の注意を払わねばならない。と言うよりもむしろ、本論と三つの補論は挙げて「宣言:一九八〇年《友愛主義》宣言」への補注をなしている、と言うべきなのである。
 さらに言えば本書は、中西氏の最初の理論的労作、『日本における「社会政策」・「労働問題」研究』(一九七九年、増補版一九八二年、東京大学出版会。以下『研究』と略記)と接続して読むことによっていっそう見通しよく理解することができる。と言うより本書を解読格子とすることによってこそ、『研究』に対するありうべき誤読を避けることが容易となるのである。『研究』は増補版の副題に「資本主義国家と労資関係」と銘打たれていたことから明らかなごとく、「国家論」の著者であることを標榜しまたそのように読まれてきた。つまり、資本主義社会における労資関係の根底にある階級支配の関係を、市民社会レベルでの、資本主義経済の自律的メカニズムによって成立しているものとしてではなく、国家権力による外在的強制によって初めて可能となっているものとして理解することを主張する著作として(例えば高橋克嘉『イギリス労働組合主義の研究』一九八三年、日本評論社)。しかしむしろ『研究』は「国家論」抜きの「市民社会論」としての経済学的労資関係論に対して単に「国家論」を付加するというようなものではなく、「市民社会論」自体の(そして当然に「国家論」の)理解の変更を迫るものだったのだ。
 『研究』「第三編 日本における「社会政策」研究の問題史」がイギリス社会に即して描き出した、近代国家における<法>の二層構造、「コモンロー(慣習法)」と「スタチューツ(制定法)」の接合は、自律的経済社会としての「市民社会」の<法>、すなわち資本主義的経済法則の反映と、それに対する超越的主体としての「国家」の政策的介入手段、との二重構造として読まれることが多かったが、それは根本的に誤った理解である。むしろ『研究』が描き出したのは、「経済法則」にも「国家意志」にも換言できない固有のオーダーとしての<法>と<所有>であった。
 以下に私なりの理解を示す。
「コモンロー」は中央集権的国家としてのイギリスにおける、統一的司法制度の下での判例の集蔵体……イギリス国家権力の支配下において普遍的に通用するルール体系である。その限りで確かにそれは「市民社会」の<法>、すなわち、一つの普遍的ルールの下での対等で同格の「市民」的主体たちの織り成す《社会》のそのルールである。しかしそれは長らく「土地所有」本位の<法>であり、そこでの「市民」的地位「市民権」の基盤である<所有(=財産)>は資本主義的市場経済社会におけるような、「契約」を通じた「取引(=交換)」によってその「価値」が承認されるものではなかった。すなわち、初期の「コモンロー」は自律的な資本主義社会の経済法則の反映と呼べるようなものではなかった。そこでの<所有(=財産)>は「契約」によって「交換」されることによってよりも、「占有」されることによって、また(「交換」ではなく)「譲渡」されることによって(基軸的には「遺贈」/「相続」によって)社会的に承認されるものであった。つまりここでの「所有社会」としての「市民社会」はなお十分に「市場社会」、市場に売るべきものを持ち出す者たち、買うべき者を見出す者たちすべてにより組織される社会ではなかったのである。
 やがて市場経済の発展は、<所有(=財産)>を「契約」を通じた「取引(=交換)」によって承認された「価値」という尺度でもって新たに意味付け直していく。「市民社会」は「市場社会」という側面を持つようになる。それが「所有社会」であることになお変わりはないが、そこでの<所有>は主に市場との関係で社会的に承認されるものへと変貌しているのである。
 このような<所有>の新たな定義を、「コモンロー」は主に商業慣行を判例の中に取り込む形でルール化していく。すでに見たように「コモンロー」は単に市場経済の内生的なルールの反映などではない。商業慣行=市場経済の内生的なルールもまたそれ自体で「市民社会」の<法>、市場に売るべきものを持ち出す者たち、買うべき者を見出す者たちすべてを律する普遍的ルールではあるが、それと「コモンロー」とは相互に独立であった。そして「コモンロー」はこの市場のルールを学習し、取り込んでいったのである。
 しかし「コモンロー」は、土地取引や通常の動産の取引についてのルールを取り込むことはできたが、労使関係、雇用関係、労働力の取引関係のルールを取り込むことは十分にはできなかった。ここではむしろ、「スタチューツ」の方が決定的な役割を果たしたのである。
 さて以上に『研究』のイギリス市民社会論を簡単に要約したわけであるが、そこにおける難点を指摘するならば、実は『研究』においては、なぜ労働力の取引関係のルールの法律化に「コモンロー」は失敗したのか、が十分に論証されていない。この論証の不十分さが、「コモンロー」を市場経済のルールの単なる反映と見做し、「スタチューツ」の介入を一種の経済外的強制、「労働力商品化の無理」の国家による救済と見做す、広く流布した誤読を誘う根本原因である。実際 『研究』「第一編 日本における「社会政策」・「労働問題」研究の方法史」ではそのような理解も提示されていたのであり、そうした誤解に中西氏自身の責任もあることを看過することはできない。売り手と買い手が対等であると見做す「コモンロー」によっては、不対等な関係としての労使関係、雇用関係のルール化はできず、よって「スタチューツ」の動員が必要になった、という理解を許す記述を、中西氏自身がなしていたのである。
 しかし繰り返すが、それでは「コモンロー」を「市民社会」に、「スタチューツ」を「国家」に機械的に振り分けることになってしまう。だが私が述べたように理解するならば、問題は「市民社会」の限界(=「労働力商品化の無理」)の「国家」による克服ではなく、「市民社会」の「市場社会」化に対応しての、「国家」の側から観察された「市民社会」の「市場社会」化が刻み込まれている、と考えねばならないのである。となれば、「コモンロー」の限界、それが労使関係、雇用関係をルールかできなかったことの「スタチューツ」による克服の論理に対する解釈は二通りあることになる。まず第一に、それは「市場社会」が自生的に結晶化させていた労使関係、雇用関係のルールを「コモンロー」が取り込みえなかったからである、という解釈。そして第二に、それは労使関係、雇用関係のルール化はもはや「市場社会」の内生的なルール化によっては十分に組織されえず、「国家」は単に「市民社会」の自生的秩序を観察して記録するだけにとどまらず、それを積極的に作り替える必要に駆られたからである、という解釈。『研究』はこの二つの解釈に対して開かれているが、そこから先へはまだ十分に踏み出してはいない。
 中西氏の『研究』におけるこうした問題系を適確に読み取って批判的に発展させた作業として、我々は例えば、森建資氏の労作『雇用関係の生成』(一九八八年、本鐸社)をすでに持っている。私なりに解釈すれば、それは「コモンロー」がイギリス市民社会が自生的に結晶化させていた労使関係、雇用関係のルールをかなりの程度取り込みえていたことを論証するものである。一見それは「スタチューツ」の意義を小さく見せることによって中西氏の立論に異を唱えているようにも読めるが、「市民社会」を「市場社会」と同一視せず、不対等な身分関係をも孕んだものとして理解すること、そして「コモンロー」をそのようなものとしての「市民社会」の<法>の体系化と見做すこと、において忠実に中西氏の問題提起を受け継いでいるのである。
 あるいはまた、『製糸同盟の女工登録制度』(一九九〇年、東京大学出版会)以来の東條由紀彦氏の作業は、日本の「コモンロー」なき「市民社会」に日本国家権力が接近し、その<法>を解読し、介入していくありようを描くものとして読むことができる。
 そして本書『〈自由・平等〉と《友愛》』の本論は、一九世紀フランス市民社会における労使関係、雇用関係の対等化に向けての苦闘を、社会主義者たちの目を通して描き出したもの、と読むこともできる。イギリスを離れるならばもはや「コモンロー」と「スタチューツ」の関係はとりあえず第二義的なものにしか過ぎない。問題は「市民社会」レベルでの労使関係、雇用関係の対等化の過程を追跡すること、そしてそれに対応する「国家」の変貌を測定すること、である。また「宣言」は、労働力の<所有>を基軸として再編成するという社会組織原理を提唱するものである。
 さてここで問題となるのは、この労働力の<所有>本位の社会編成原理になぜ《友愛主義》の名が与えられているのか、である。
 「友愛」という概念を全面に押し出して社会科学基礎論を展開する試みとして、我々は社会主義研究者岩田昌征氏の「トリアーデ」を知っている。(『現代社会主義の新平地』一九八三年、日本評論社、他)。岩田氏はフランス革命の打ち出した「自由」「平等」「友愛」の三つの言葉を比較経済体制論的に再解釈し、「自由」志向のシステムとして競争的市場経済を、「平等」志向のシステムとしてソヴェト的中央集権的計画経済を、「友愛」志向のシステムとしてユーゴスラヴィア的自主管理協議経済を例示する。競争的市場経済においては各経済主体は共通の市場のルールにしたがって行動することだけが要請されており、主体間の相互関係はイレレヴァントである。集権的計画経済の下では中央計画当局と各主体との間のコミュニケーションがシステム運行の鍵となるが、ここでも主体間の相互関係は重要な問題とはされない。これに対して自主管理協議経済においては、主体間の相互作用こそがまさしくシステムを運行させていく根本のメカニズムと位置づけられている。岩田氏によれば、協議システムはユーゴの自主管理体制のみならず、競争的市場経済主導の西側諸国の経済における産業組織、つまり企業内・企業間関係や労使関係、つまりは「組織」一般の中にも見出されるものである。
 さて、本書『〈自由・平等〉と《友愛》』における《友愛》論もまた、《社会》の中における主体間の相互関係に関わるものとして展開されている。一九世紀フランス社会主義における「アソシアシオン」なるアイディアが、《友愛》原理を重視する社会構想へとふらつきながらも収斂していくものとして読み込まれている。ただここで中西氏は、岩田氏のごとく市場経済とは区別されたものとしての協議経済の構想として「アソシアシオン」を取り出すということはしない。実際、中西氏が本論の最後に検討の対象としたプルードンの「ミュチュアリテ」は「市場経済とは区別されたものとしての協議経済」の原理と呼んでほぼさしつかえないものであるが、そのように市場に協議(ないし「アソシアシオン」)を切り離して理解したこと自体のうちに中西氏はフランス社会主義の弱点を見出す。氏によればむしろ市場こそが《友愛》に支えられることによって機能するシステムなのである。このことはアダム・スミスによって説得的に示されていた。一見相互無関心と見える競争的市場経済における主体間関係は、実は相互の自由な主体としての承認を前提としているのである、と。
 このように理解するならば、実は「市場社会」こそが「資本主義」ならぬ《友愛主義》の社会なのだ、ということになりかねないのだが、周知のごとく中西氏はそうは言わない。問題は、いかなる「市場社会」か、であって、中西氏によれば、労働力の<所有>を最も優先される<所有>とする「市場社会」の《友愛主義》社会なのである。では労働力の<所有>と《友愛》の原理の間には、その他の<所有>、ないし<所有>一般と《友愛》の原理の間にあるのとは違う、何か特別の結び付きがあるのだろうか?
 この問いに対する明言された解答は存在していないのだが、本書の記述全体から忖度するならば、労働力の<所有>はその他の市場化しうる<所有=(財産)>と比べて、格段に<個人>的である、ということがそれに当たるのであろう。すなわち、健康な<個人>であればほとんど誰にでも労働力の<所有>は期待できる(労働力を<所有>できない人々も存在するが、社会における多数派ではない)がゆえに、ほとんどの<個人>を排除せずにすむ「市民社会」が労働力の<所有>を「市民権」の基軸となすことによって可能となる、と。
 さて以上の考察によって、中西氏の《友愛主義》の社会構想としてのリアリティーが説得的に明らかとなったと言えるだろうか?まだ十分ではない、と筆者は考える。
 第一に、では現に我々の目の前にある「資本主義」の社会をどう理解するか、という問題がある。そこでは労働力の<所有>のプライオリティーが確立されていない、という点が差し当たり社会編成原理のレベルで見出しうる《友愛主義》との最大の違いであるわけだが、中西氏のごとき「市場」理解を採るならば、「資本主義」は《友愛》原理に主導される社会ではないにしても、《友愛》原理によって決定的に支えられている社会であるはずである。こうした、今現に我々の「資本主義」の社会の中での発動している《友愛》原理を客観的につかまえることなくしては、「資本主義」の後に来るべき社会としての《友愛主義》の設計図を描くに当たっての基礎的素材を欠くことになるであろう。しかしなお本書の達成の範囲内においては「資本主義」の社会のなかでの《友愛》原理については十分に論じられておらず、その分《友愛主義》の像もまだ不鮮明なままに止まっている。この作業が十分になされることなしには、逆説的だが、我々の「資本主義」を《友愛主義》と呼んではならない理由が見付からないことになりかねない。 第二の問題は「市場」と「組織」の関係である。「市場」をこそ《友愛》原理の発動する場、諸主体が相互無関心に自由に振る舞うのではなく、互いに交流し合う場として協調するところに、岩田氏の所論や、フランス社会主義の「アソシアシオン」論と比べたときの中西氏の所論の眼目があることは言うまでもない。だがそれは「アソシアシオン」あるいは「組織」とが相互に前提し合っている、と主張するのである。
 しかし「相互に前提し合っている」、と一口に言うは易しいが、それを社会科学的に記述することは極めて難しい。問題は以下の通りである。《友愛》原理の場としての「市場」は一方で主体相互間のスミス流に言うところの「同感」、ヘーゲル流に言うところの「相互承認」に支えられている……その限りでそれは同時に一種の「組織」である。その上で初めて、一見相互無関心とも映る、相互の自由の尊重、強制の可能な限りの排除、が可能となっている。しかしそのような「市場」の前提となっている「組織」のそのまた前提を考えるならば、我々は今一つの「市場」、自由な人々が集まって「組織」を作ったり作らなかったりする場を想定せざるをえなくなる。この調子で前提を無限に遡ることが可能であり、その悪循環を断ち切るためには、例えば「自然状態」といったそれ以上遡りえない大前提を多分に恣意的に導入するしかない。このような恣意的な切断なしに「市場」と「組織」の相互前提関係を記述するための洗練された分析枠組みを手に入れることはまた同時に、望ましい「市場」と「組織」を構築するという課題にとっても不可欠の前提である。
 そして第三に、「市場」と「組織」はつねに《友愛》によって支えられている、と考えてよいものだろうか、という問題がある。中西氏のいう「市場」はつねに「労働市場」を模型として考察されている。そのため「市場」を支える「組織」にしても「労働組合」を模型として構想されるため、「組織」の原理は《友愛》を中軸とするものとしてモデル化されている。しかしそれは、あるべき社会としての《友愛主義》の構想としては適当であっても、「市民社会」の一般理論、あるいはもっと切実に、我々が現にその中で生きている「資本主義」の社会の客観的記述のモデルとしてどこまで適当であるのだろうか。例えば岩田氏の言う「計画」の論理(これを<平等>と直結させることには筆者は疑念を持っているが)が《友愛》的協議と並ぶ今一つの「組織」の原理として存在しているのではないのか、そして「資本主義」の社会においては、ことに主導的な「組織」としての営利企業において「計画」の論理が《友愛》原理をしばしば凌駕しているのではないか、と疑う理由が我々には十分にある。仮に現実がそのようであれば、そうした現実は当然、《友愛主義》の構想においても制約条件として踏まえられねばならないだろう。
 以上の指摘はしかし、正確に言えばないものねだりである。つまり中西氏を超えて、我々自身が自らの課題として引き受けるべき問題である。踏み台としてあるいは道具箱として本書を使いこなすことが筆者が当面自らに課した課題であることを記して、筆を置くことにする。
                         (岡山大学 稲葉振一郎)

社会政策学会年報 第39集『現代日本のホワイトカラー』(1995年)書評欄 所載

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