1999年9月21日(火)

 とつぜん夜の闇について考えたりしたのは、長田弘の『詩は友人を数える方法』(講談社学芸文庫)を読んだから。これは長田さんがひとりでクルマを駆って北アメリカを網目のように旅したその記憶を、各地で見つけた無名詩人たちの詩を挟み込みながら、克明に書きとめたエッセイだ。
 たとえば、ニュー・メキシコ州からテキサス州へ抜けて、大陸を横断してゆくインター・ステイト40をひたすら走りながら、暗闇のなかに身の置き所を探す。

闇のなかで、テキサスの州境を超えた。そのまま闇のなかを走りつづけて、しばらくするうちに、気配が変わってきた。闇は変わらない。真っ暗だった。何も見えない。どこにも何の光もない。しかし、微かな匂いがした。牛の匂いだ。……
やがて闇のなかに黄色い街頭があらわれて、街への標識が見えてくる。ハイウェイを降りると、人影のない夜更けの荒野の街に、モーテルのネオンが輝いている。
……終夜灯の点いた小さな窓には、黒い頑丈な鉄格子がはまっていた。窓のむこうの暗闇のなか、鉄格子をはさんだすぐそこに、大男の黒人が一人、影のように立っていた。表情は見えない。モーテルの前庭に車を入れたときから、ずっとそこに立っていたのだろう。影のなかの大男は応対に、一言も口を聞かなかった。
 長田弘とはどういう詩人なのだろうか。良識的な民主主義のたたずまい。そうかもしれない。でもそれだけじゃない。センチメンタリズム。それはその通りだ。いや、まじめな批評家は怒るかもしれない。長田弘は22歳の時にウィルフレッド・オウエンの「詩はpityのうちにある」という詩への態度に決定的な影響を受けたという。pityはおセンチとは違うだろうと。でも、いいじゃないか、とも思う。センチメンタルでいいじゃないか。ほんのわずかな時間を共有できるだけの、世界と他人に対するのに、それ以外のどんな態度があるというのだ。

 僕が記憶している長田氏の本は2冊ある。『深呼吸の必要』という、晶文社から出ている散文詩集で、これは良い本だった。もう1冊は、これはできるならば秘密にして起きたい気がする、僕だけがたまたまその本をどこかのさびれた古本屋で見つけて大切にしているというような状況だったらいいのにと思う、そういう本だ。もちろん長田弘の本だから有名な本で、だから隠しようもなく書いてしまうと、やはり晶文社から出ていた(今はどうかしらない)『ねこに未来はない』という、たぶん小説なのだろう、日常の物語。大切な誰かを失うということがどういうことなのかを、僕はこの本で学んだのだった。20歳のころだ。もちろん、教科書で学んだことが、確かに重要な意味をもつ事柄であるなら、それをほんとうに理解できるのはずっと後になってからだ。僕は、もう20年近くも昔(……;)にこの不思議な教科書から学んだことを、つい最近、ようやくわかるようになってきた気がしている。僕はもう新しい誰とも会いたいとは思わないし、にぎやかな社交なんてまっぴらごめんだけれど、でも、『ねこに未来はない』が本当に好きな人なら、話は別だ。

 去年の夏、車でバークレーからメキシコとの国境まで往復する旅行の途中、ロサンゼルスで道に迷ってしまい、夜更けにぐるぐると行ったり来たりしたことがあった。落ち着くために町はずれのガソリンスタンドに車を止め、ガスを入れて、飲み物を買った。
 別のとき、日本から遊びに来た友人たちを乗せて、パシフィックコーストハイウェイと呼ばれている海岸線のハイウェイを通って、モントレーという保養地まで遊びに行った日。帰りが遅くなって、夜が落ちてきた。急峻な崖のあいだを縫って走る道に、いつものように霧が出てくる。有名なベイエリアの霧は評判通りの迫力だが、その夜は格別に濃くて、時速100キロ以上で走りつづける車の窓に見えるのは、ひとつ前の車のぼんやりと赤いテールランプだけ。油っぽいタオルで拭いてしまったフロントガラスにその光が油膜でにじんで、まるで宇宙空間を浮遊する頼りない宇宙船を(パーマン風に?)操縦しているみたいな感じだった。覚えたての運転で僕は、それでもなぜかとても冷静に、無事に友人たちをサンフランシスコの一流ホテルまで送り届けることができた。北アメリカを旅行する人は、夜のハイウェイを運転してみるといいよ。西海岸なら道路も広いし、きっと楽しいと思う。