1997年10月20日(月)

 今日は近所のスーパーに買い物に行った。ここは有機栽培の野菜を(文字通り)売り物にしているほか、布製のコーヒーフィルターとかアロマセラピー系の小物をたくさん置いてあって、内装も含めて、いわゆるエコロジーっぽい雰囲気を強調した店である。買ったものを入れてくれるのも、おしゃれな紙袋。そのまま捨てるのはもったいないので、家ではごみ箱として使っている。
 今日は野菜コーナーの片すみに「OKURA」なんてのを見つけた。オクラだ。バークレイに来てからいくつかのスーパーを使っているけど、これは初めて見た。買わなかったけど。
 もう慣れてしまったけど、ここに来てからひと月ぐらいの間は、スーパーに行くと、ちょっと他の星に来たような感じがしたものだ。なんたって、野菜が違う。たとえば長ネギというものは基本的にない。仕方がないので、なるべく似たやつをということで、ひょろっとした1/3ぐらいのミニチュアみたいなやつや、白い部分がほとんどない寸胴のやつを買ってみたりした。茄子は、アメリカのやつはとにかくアホみたいにでかくて、ラグビーボールみたい。日本茄子は種類のちがう茄子として、特別な店でないと売ってない。そうかと思うと、人参はやたら細長いエンピツ状になっている。ほかにも、なんだかよくわからない野菜がいろいろある。
 そうした変な野菜の上に、判読不能な汚い文字(もちろんアルファベット)の名前が書かれた札がさがっていたりすると、強烈な疎外感を味わったものだ。バークレイの町自体にはほとんど違和感を感じたことはなく、どうもここはアメリカではないんじゃないかという気がいまでもしているが、スーパーマーケットで味わったこの戸惑いは、SFでいう「センス・オブ・ワンダー」に限りなく近いものだった。

 トップページでも宣伝させていただいたが、大庭健ほか編『シリーズ【性を考える】3 共同態』(専修大学出版局)という本が刊行されて、今日ぼくのところにも届いた。この本には拙稿がひとつ収録されている。近代日本において、「一夫一婦制」を唱道する言説と、優生学的に優れた国民をつくる必要を説く言説が、「進歩」や「理性」という看板の下、密接に絡み合って展開されてきたということを分析したものである。まだまだ段階で荒削りだが、一応の問題提起はなしえていると思うので、多くの方に読んでいただけるとうれしいです。あと、まだちゃんと読んでいないけど、生物学から宗教学までにわたる他の収録作品も興味深いものばかりだ。

 ピアノとハーモニカがゆっくりと素朴なメロディーを奏で、やがてテンポが上がると、おもむろにしわがれた歌がかぶさってくる――Thunder Roadで始まるBruce Springsteenの代表作『Born To Run』の冒頭は、すべてのロック・アルバムの中で最も素晴らしい数十秒間である。17歳の夏に、このアルバムを初めて聴いたときの部屋の散らかり方、窓から差し込む光線の角度と色彩を、ぼくは正確に思い出すことができる。同じような体験を与えてくれた曲は、他にはJohn LennonMother (『ジョンの魂』)しかない。ただそのときぼくはまだ14歳だったので、こんなすごい音楽があるのか、と茫然としただけで、何が起きたのかはわかってはいなかった。「サンダー・ロード」のときには、俺は俺なんだ!ということが突然わかったのである。本当にそう思ったのだ。そして、それはこのうえなくセクシュアルな体験であった。
 それ以来、そんな震えを感じたことはまったくなかったけれど、Blanky Jet Cityの浅井健一Sharbetの名義で出した『SEKIRARA』は、そんな突き上げるような欲動を、久しぶりに感じさせてくれる。ブランキーのアルバムでは、二枚目の『BANG!』がずば抜けてリアルで、それ以後は少しプログレッシブすぎてこわばった感じがあったけれど、このアルバムはすべてをそぎ落としたような、研ぎ澄まされた官能性がとてつもなく素晴らしい。これでリフレッシュしたのか、ブランキーの方の最新作『LOVE FLASH FEVER』もよかった。発振寸前の、誰も追いつけない究極のハイパー・ロックン・ロール。Radio Headの新作にだって負けてないぞ。