1997年10月28日(火)

 おととい、サマー・タイムが終わった。午前2時にTVで時報の出ているチャンネルをつけていたら、前ぶれもなく午前1時に時計がもどっていた。はじめての経験なので、やはりちょっと変な感じがする。友部正人の名曲「こわれてしまった一日」『ライオンのいる場所』MIDI)のなかで、「世界中の時計を一時間戻し/あなたはベッドにもぐりこむ」と歌われているところほどの不思議さはないけれど、それでもなんだか少し得したような気がしてしまう。

 友部正人といえば、この何年か、ぼくがたぶんいちばん長い時間聴いているミュージシャンだと思う。はじめて彼の名を知ったのは、遅ればせながら、真島昌利くんの名盤『夏のぬけがら』(meldac)でカヴァーされている、「地球のいちばんはげた場所」によってだった(ついでだが、しんみりしたフォーク調の原曲をレゲエにアレンジしたこのバージョンは、ほんとうに素晴らしい)。その後、ぼくより8歳ほど若い友人に勧められて『ライオンのいる場所』を聴いたときはそれほどピンとこなかったのだけれど、グルーヴァーズをバックにつけた実にロックっぽい『遠い国の日時計』(MIDI)でハマった。それらはライヴにも何度も行ったし、CDになっているアルバムは全部買って、ほぼ毎日聴いてきた。エッセイ集(というか、旅行記)『パリのともだち』(晶文社だっけ?)も読んだし、詩集も買った。どこがいいのか、と言われても、まだうまく説明できないんだけどね。日本のボブ・ディランというのが友部正人を紹介する常套句で、これはスタイルだけでなく作品の質(特に歌詞)からしても間違ってはいない。でももちろん単なるフォロワーではないので、それでは何が彼の個性なのかというと、うまい言い方が見つからないのです。
 表面的なことだけ言うと、最近の歌詞には、なんというか、いわゆるメルヘン調のものがふえているのだが、これがとてもリアルなのである。スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』(なかなか邦訳がまとまりませんね)でやっている、ラカン的な意味での「リアル」と「リアリティ」の区別における、むしろ見せかけの「リアリティ」のなかに過剰やおぞましさとしてその姿をかいま見せるものとしての「リアル」。たとえば「遠い国の日時計」は、「君はぼくの日時計/夜になると止まってしまう」と歌い出され、「君」をめぐる鮮やかなノスタルジーがつづられていくのだが、中程にこんな歌詞がある。「君とぼくの約束の場所/午後三時四十分でビールを飲んでる/四十一分までの一分間が/一日のうちの君とぼくの時間」「時計と逆の方向に/運動場を一回り/夏の真ん中には、君のかわりに/一本の大きな木が立ってる」。なんのことだか、よくわからない。ぱっと映像が浮かぶが、どこにもわかりにくい要素はないのに、どういう映像なのだか、つかめない。それなのに、この箇所を聴くと、ぼくはいつも泣きそうになってしまう。何のへんてつもない物事が、ただ一回限りのそれ自体として迫ってくる瞬間をとらえきる集中力こそが、表現の核心なんだなと思う。ここで歌われる「夏」は、一般名詞としての記号ではなく、ただひとつの、その夏なのだし、「一本の大きな木」は何かのいわくありげな象徴なんかではなく、それしかない、そこに永遠に立ちつくしている一本の大きな木なのだ。しかもこれは「うた」なのだ。歌われることのない現代詩が陥っていきがちな、陳腐な抽象性も具体性もここにはない。友部正人の「うた」は、どこまでも事物と正確に対応している。

 田川健三『書物としての新約聖書』(勁草書房)をようやく読み終わりそう。後半では、16世紀に聖書の英語訳の基礎を据えたウィリアム・ティンダルの話が強く印象に残った。純粋な学問的良心、あるいは真理への欲求としか言いようのない、ほとんど不条理な情熱に支えられて、カトリックや英国国教会という既存の宗教権力からの弾圧に抗しながら、真に祈念碑的な『新約聖書』の訳業を生みだし、最後には奇計にはめられて命を落としたティンダル。もちろん殺されたから偉いわけではないし、うまく生き延びてもっと仕事をするほうがよかったに決まっている。だから彼の最期は不注意な失敗だったと言うべきだ。だが、そのことをふまえた上で言うのだけれど、こういう人の話を読むと、おれはいつも考える。いったい自分が、言うべきことを言うことで命の危険にさらされるような状況に投げ込まれたら、どうするだろうか。アメリカでは中絶クリニックが爆破され、医師たちが殺されているし、日本では『悪魔の詩』の訳者が、大学の構内で(!)暗殺されている。坂本弁護士のことは誰でも知っている(しかし、日本ってあぶねえ国だな)。人ごとではない。いきなり殺されないまでも、危ない目に遭うことはいくらでも考えられるのだから。書きたいこと、書くべきことを書きながら、なおかつ生き延びていく技を身につけ、日頃から準備はぬかりなく整えておかなきゃいけんね。 (午後2時35分)