1997年11月22日(土)

 相変わらず時差ボケが治らず、午前6時に寝て午後3時に起きる、という生活が続いている。今日は起きたら雨が降っていて薄暗く、そのままオフィスにも行かず、ずっと家の中にいた。いまは土曜日になったところで、深夜1時48分。今度こそはせめて午前中に起きたいなあ。

 ぼくが高校生だった頃は、まだかろうじて大江健三郎や安部公房の神通力が残っていて、安部の『密会』がベストセラー1位になったりしていた。その頃のぼくが読む本といえばほぼSF小説だけだったが、SFでない文学のなかでは大江健三郎が例外的におもしろかった。彼は後に「近未来SF」と銘打った『治療塔』(岩波書店)なんていう作品を書くが、普通の意味でのSFとは最も遠いところにいる人である。つまりテクノロジーの発展とそれが人間にもたらすものという問題に、まったく、驚くほど無頓着なのだ。ノーベル賞受賞直後の柄谷行人との対談で、「最近ファックスを使うようになって、これは人類の知を飛躍的に増進させると思った」なんて興奮している姿がほほえましくも象徴しているとおりである。そういう人の書く小説が、しかし、SF以外の文学はすべてどうでもいいものに思えていたぼくにとって、小松左京『果てしなき流れの果てに』S・レム『星からの帰還』に匹敵し、それらをも超えるような圧倒的な説得力とリーダビリティで迫ってきたのだ。
 『個人的な体験』を読むことは、なかでも、未だにその意味をつかみきれないほど、ぼくの何か根柢的なものを規定してしまうような「事件」だった。たぶん、テーマや思想的掘り下げの深さに震撼された、というのではない。それらをどうでもいいと言う気は毛頭ないけれど、大江健三郎とは第一に比類のない物質性をまとったひとつの言語であり、第二にその言語をも内部から解体するように増殖する異様なイメージである、と思う。こればかりは才能とでも呼ぶしかないものなんだろう。構成力や展開力は学べるものだし、また小説家と称するからには学ぶべきものであり、実際、大江氏も小説家としてのキャリアを積み重ねる過程でそれらを身につけていったことは明らかだ。でも、言語そのもののレベルでのあの喚起力は、たぶん意志や努力でどうにかなるものではない。

 その後、『洪水は我が魂に及び』あたりからは、なんとなく彼の作品が薄味になってきたように感じられて、生意気にも、もう大江も衰退したかな、なんて思ったりもした。『同時代ゲーム』は、父親にパチンコでとってきてもらったが、どうしても読み進めなくて、それ以後、新作も読まなくなってしまった。まあ今考えても、10代の少年にとって、『〈雨の木(レイン・ツリー)〉を聴く女たち』なんていうタイトルの本はあまり魅力的ではない。たぶんその頃から大江氏は、「大江の時代」の終わりに嫉妬深く反発しつつも、それを誰よりも敏感に感じとった上であえて逆らわず、自分の追求すべき新しい方向へ走り始めていたんだろう。

 そのことが鈍なぼくにもわかってきたのは、90年代に入って、上記の『レイン・ツリー』や『新しい人よ目ざめよ』『いかに木を殺すか』『河馬に噛まれる』といった短編連作集、そして決定的な長編『懐かしい年への手紙』といった80年代以降の比較的新しい作品を読みはじめてからだ。まず、「見る前に跳べ」「セヴンティーン」などに比べると、これらの短編作品群は、見かけはむしろ「ちょっといい話」風にやわらかくなっているのだが、その世界の重層性はぐんと増している。「『罪のゆるし』のあお草」の余韻の複雑精妙な滋味(?)など、おどろくほかない(ついでに言うと、昔の作品のなかで『万延元年のフットボール』は3年前、ノーベル賞受賞直後に読んで、ぶっ飛んだ)。
 そしてもう一つ、この人にとって、テーマはやっぱり単なる看板以上の、必然的な意味をもっているんだな、と思い知らされ、「刺激」なんていうラジカセの似非「重低音」みたいなつまらないものではない本物の10Hz以下の重低音に地面が揺れたように思ったのは、『懐かしい年への手紙』を読んだときだった(「四万年前のタチアオイ」という、一面ではひたすら「泣ける」短編や、その他のいくつかの短編にも、その片鱗は示されている)。つまり大江氏はここで、連合赤軍事件(が体現する歴史と革命と個人という問題)の意味をあらゆる角度から、あらゆるレベルで問い続けているのである。そして振り返ってみれば、彼はこのテーマを、決して休むことなく、この30年近くにわたって、問い続けてきたのであった。そして、マルクス主義者が意気消沈し、全共闘世代が「生活者」とかいってただのナショナリストになり、ほとんど誰もいなくなった革命の砂漠のような場所に、ただ大江健三郎だけが、以前と変わらずオズオズと、しかし途方もなく強靱な体力をよりどころに、ひとり座りこんで問題をのぞき込みつづけている、という風情なのだ。

 大江氏の作品を教科書的なフェミニスト批評の機械にかければ、ピピピッと否定的な分析がアウトプットされるだろう。それは馬鹿にしないで、誰かがやるべきことだとぼくは思う。だがそれで片がつくような小説なら、そもそも分析の対象にする必要なんかない、ということも忘れちゃいけない。
 それから、たぶん小松左京には、大江健三郎のような言葉によって生きる者としての業は初めからなかったんだな。回転が速すぎることが、作家としての致命傷となった、実は希有の例ではないかな。哀愁。(午前3時7分)