1997年12月13日(土)

 ぼくは感情的な人間で、激昂をおさえられないことがよくある。それは言うまでもなく良くないことだ。中学生の頃から、それで何人かの友達を失ってきたし、何よりも、それは研究者として負の資質である。
 たとえばぼくは、強姦や従軍慰安婦やにかんする書物を、落ち着いてじっくりと読むことができない。「自由主義史観うんぬん」のようなデマゴギーどもの書いたものはもちろん、事実に基づいたちゃんとした研究書でさえも、読み出したとたんにドロドロした怒りや憎しみの混在物が躯の奥の方からわき上がってきて、ひどいときには動悸がし、過呼吸気味になってしまう。そんなふうなので、どうしてもそうした書物を遠ざけることになる。これではいけないとはわかっているのだが、他にもやることはいっぱいあるので、それを言い訳にして過ごしてきた。
 だから、従軍慰安婦の問題について継続的に信頼に足る仕事を積み重ねてきている吉見義明さん(『従軍慰安婦』岩波新書ほか)のような人に対しては、誇張抜きで頭を垂れてしまう。もしもぼくに彼のような理性と忍耐力とがあれば、もっともっとすぐれた仕事ができるだろうに。

 なぜフェミニズムの研究なんてものをはじめたのか、という意味のことを、これまでに何回訊かれたことだろうか。もちろん、たとえ明示的に言わなくても、質問する側には「どうして男なのに?」という疑問があるのだ。ぼくは、男だからフェミニズムは他人事、異性愛者だから同性愛の問題は他人事、日本人だから外国の問題は他人事、、、といったひとつながりの発想と闘っていくことが、まさにフェミニズムの可能性の一つだと思っているが、それについては、今やっている論文集のイントロで書くことにして、ここではもっと具体的な「きっかけ」について考えてみる。
 どういうきっかけでフェミニズム(社会学)を専攻するようになったのか、というのが質問の意味だとすると、特にきっかけはない、と答えるしかない。女は男に従うべし、と考えていた記憶はなく、高校時代(公立の男子校だった)もクラスメートたちの女に対する考え方には嫌悪を感じることが多かった。幼少時の家庭環境まで遡って、「きっかけ」というか原因を分析することもできるだろうが、それはぼくの仕事じゃない。要するに、別に特別なきっかけなどはなかったし、そもそもそんなものはいらないのだ。どんなことでも、その人にとって本当に面白く、重要な意味のあることは、気がついたらいつのまにか始めてしまっていたことであるはずだ。きっかけとか理由とかは、いつでも後からとってつけたものにすぎない。

 そのことをあらかじめ断った上での話なのだけれど、今考えてみて、ぼくのその後の進路を決定した最大の出来事は、大学に入ってから、どういうきっかけでだったかは忘れたが、従軍慰安婦という歴史的事実について知ったことだったと思う。
 当時(80年代前半)はまだ現在のように多くの書物や資料が出そろっていたわけではなく、もちろん当事者(被害者)のカミングアウトや証言はまったくなされていなかった。日本の他の戦争犯罪については、たとえば七三一部隊についてさえ、すでに森村誠一『悪魔の飽食』が数年前にベストセラーになっていたことと比べると、まだ従軍慰安婦については一般的にほとんど知られていなかったと思う。ぼくが読んだ本も、千田夏光『従軍慰安婦』、金一勉『天皇の軍隊と軍隊慰安婦』(だったっけ?)といった、男性作家による聞き書きばかりだった。
 だが、さしあたりそれで、打ちのめされるには十分だった。この浅ましい暴力がセックスなのだとすれば、いったいセックスとは何なのだろう? なぜこれほどの犯罪が、歴史の遺物であるかのように、ひっそりと見過ごされたままなのだろう?、、、その当時考えたことを正確に思い出すことはできない。けれども、そのときにぼくを押しつぶした巨大な鉄の塊のような問題の下敷きになって、今もぼくはせいぜい手や足の指の先をかろうじてうごかすことができているだけだ、と感じることがある。従軍慰安婦という悲惨な事実のなかには、ジェンダー・セクシュアリティ・国家・民族といった一群の問題、フェミニズムがその枠組みの内と外で格闘してきた問題群の、ほとんどすべてが含まれている。それは例外的な、一過性の事態ではなく、ぼくらの日常のあらゆる要素を圧縮して見せつける、むしろ極限的に典型的な出来事である。
 従軍慰安婦の歴史を完全に明らかにし、その事実への反省と犠牲者たちへの真の謝罪そして追悼をなしとげていない現在のぼくらの性は、どれほど軽やかに優しげに行なわれようとも、強姦から絶対的に隔たることはできない。その意味で、ぼくはアンドレア・ドゥオーキンの「すべてのセックスはレイプである」というテーゼに賛同する。そのことを見据えながら〈解放〉をはるかに展望するか、それとも彼女の「行き過ぎ」をたしなめて、現実の歪みを隠蔽することで擬似的に「救済」されるのか。ぼくは後者を選ぶ人を決して信用しない。

 上杉聰『脱ゴーマニズム宣言――小林よしのりの「慰安婦」問題』(東方出版)は、たいへん良い本である。印象批評的に言えば、それは小林よしのり『東大一直線』(今はどこから出ているのだろう?)と同じように良い本である。良い本とは、精神を自由にする本のことだ。『脱ゴーマニズム宣言』や『東大一直線』は、どこまでも自由で、羽のように軽い。『ゴー宣』も、『東大』に比べれば落ちるとはいえ(誰にそれを責められるだろう?)最初はまだそうだった。しかし、薬害エイズ問題以後の『ゴー宣』には、そうした美点は微塵もない。上杉氏が言うように、それは単に藤岡や中曽根の宣伝パンフレットに成り下がってしまった。
 上杉氏は、『ゴー宣』の「従軍慰安婦」にかんする内容が、最近になればなるほどでたらめで悪意に満ちたものになってきていることを丹念に指摘するのだが、それだけでなく、そもそもそれがマンガとして駄目になってきていることをも繰り返し強調している。線は荒れ、ギャグは隠微でつまらない(ただし、上杉氏の本に頻出する駄洒落は、がんばって読みやすい本にしようとしていることはわかるけれど、それよりももっとつまらない甘えた素人芸である。ハズカシイ)。その通りであり、そうした側面の指摘は重要である。ただし、本質的な問題はあくまでも歴史的事実のねじ曲げであるということを、あえて強調しておきたい。これは、歴史とは物語であり云々という次元の高級な話ではないのだ。藤岡某に、そうした議論を理解する知能も誠実さもないことは明らかである。小林よしのりにも、必要な知識が欠けている。それが備わっている振りをしたとき、彼の精神は腐臭を放ち始めた。だが藤岡(東大教授!?)などとは比べものにならない知性の持ち主である小林氏には、まだ復活の可能性は残っているはずだ、とぼくは思いたい。何がどうなっても、小林よりのりがかつて『東大一直線』をはじめとする記念碑的な傑作の数々を世に送り出し、藤岡信勝は読むに足る文章を一行たりとも書いたことはない、という事実は動かしようがないのだから。

 小林よりのり氏の「変節」を、むしろ一貫した流れだと言うことは、実はたやすい。幻想は容易にその対極の幻想に転化する。小林氏が、自立した「個」の連帯という理想に挫折して、一切の社会運動を否定するようなニヒリズムに陥ったのは、彼が夢見た「個の連帯」がはじめから幻想にすぎなかったからだ。幻想を持たない者は、幻滅もしない。それをニヒリズムと誤解するやつがいるが、本当はそれこそがニヒリズムに対抗する立場なのである。出来事に過剰な「意味」を求めない徹底したリアリズムだけが、「意味」を求めすぎるあまり、ちょっとの挫折ですべてを反転して放棄するニヒリズムに、真に対抗することができるのだ。

 けれども、とぼくは思う。マンガという異様な表現産業のなかで創作者として走り続けながら、同時に多くのギャグ漫画家がたどってきた苛酷な宿命への透徹した視線をも失わなかったクールな闘争者・小林よりのりが、孤独と疲労の果てに、安息の地を求めて、甘言を弄して近づいてくる西部邁以下の保守派の懐に(一時的なものだとぼくは今も信じているが)飛び込んだことを、いったい誰が責められるだろうか。「ファン」という名の、無能で傲慢で無責任な消費者大衆だけが支えであるような表現者の孤独を、誰が癒してくれるのだろうか。少なくとも、大学でサラリーマンをやって安定収入を確保しながら、身に危険の及ばない範囲でちょっと良識的っぽいことを小声で叫んでいる連中でないことは確かだ。だから少なくとも今のぼくにはそうする資格はない。(午後5時46分)