1998年1月4日(日)

 冬のバークレイは雨が多い。今もかなり激しく降っている。昨年末ごろは、めずらしく晴れの日がつづいていたが、年が明けてからはまた雨ばかり。昨日も夜から朝にかけて雨が降り、晴れ間が見えてきた午後になって研究室に出かけたら、しばらくして大雨になった。まだ大学は休み中で、暖房も入らない研究室はとても寒い。これ以上いたら風邪をひく、という時点で、思い切って激しい雨の中を(傘をさして)歩いて帰ったが、途中で小雨になり、そのまま止んだ。あと10分我慢していれば、濡れなくて済んだのに。

 それでも、出かけていくときは、久しぶりに自転車ではなく歩いていったので(約20分弱の道のりだ)、歩道にたまって濡れている落ち葉とか、遠くの方で暗い灰色の雲が切れて、青空が少しだけ見えている光景だとか、いつもあまりよく見えなくなっているものが美しく見えた。

 けれども、僕の研究室とは中庭状の駐車場を隔てたところにある研究所のメイン・オフィスの裏口から入ろうとしたら、ドアの前の暗がりのなかでホームレスのにいちゃんが上半身裸で服を乾かしていて、僕は"Oh.."と小さい声で言って、思わずメイン・オフィスに入るのをやめてしまった。あわてずさわがず、「すまんけど、中に入りたいんで、ちょっと通してくれないか」(Excuse me, would you let me pass? でいいかな)とか言えばよかったのかな。ときどきいろんなホームレスにいちゃんが寝ころがったりしている場所なので、「ああ、またか」と思っちゃったんだけど。

 統計的には調べていないのだけれど、印象としては、バークレイにはホームレス・ピープルがとても多い。これでも数年前からくらべるとだいぶ少なくなっているとはいうのだが。場所的には、大学前の目抜き通りであるTelegraphe Avenueと、かつて60年代には、学生たちが駐車場を勝手に掘り返して「人民の公園」に変えてしまった、その名もPeople's Parkに集中している。後者では、バスケをやったり、日曜日にはバザーらしきものをやったりしている脇で、たくさんの人が林のなかにゴロンと日がな横になっている。彼らのなかには、自らHome-freeと名乗って、家にとらわれない生活をあえてしている人たちも含まれているというが、どのくらいの割合がそうなのかはわからない。問題は前者で、若いやつらが朝から歩道に座り込んで、あるいは立って、ソフトドリンク用の紙カップをつきだして、"Small〜 change〜!"と呟いている。格好は「いわゆる」パンクらしいパンク。要するに黒ずくめのTシャツ、革ジャン、革のパンツに、銀の鋲とか鎖とか、色とりどりのヘアースタイルである。僕はファッションとしては好きなのだが、ここではそれは日本(東京)のように、単なるファッションではない。つまり、そういう「いわゆる」パンクな風体の人たちは、日本でのようにコンビニでバイトしながらバンドをやっている、というなかなか手堅い感じではなく、実際のところ、通行人にめぐんでもらった金でクラックを買って、一日中だらだらしているのである。そして、日本とは違って、大学の中にはそういう格好の学生はいない。アメリカでは、良くも悪くも、すべてが明確に分かれているのだ。

 相変わらず、論文集の直しをやっていて、しっちゃかめっちゃか(これって漢字で書けるのかな?)。今までに読んだ本をめくり返したり、最近の関係書を拾い読みしたりしながら、文章に手を加えたり、註を増やしたりしている。
 田崎英明(編著)『売る身体/買う身体――セックスワーク論の射程』(青弓社)は、強制売春から逃げ出すために殺人を犯したタイ人女性を支援するなど、売春業の当事者と直接にかかわる人たちの論考を中心にした論文集。第1章で編者の田崎氏は、これまでのフェミニズムによる売買春論はジェンダーの視点にすべてを還元する傾向があったために、たとえば男性による売春を視野にいれていなかったとして、売春婦ではなく「プロスティテュート」という英語からの外来語で問題を考えていくことを提唱しているが、そしてそれ自体は正当な問題提起ではあるが、その後の本文中にはその問題提起に対応する論文はない。これまでの売買春論と同様に、女性による売春/男性による買春をめぐる諸問題が、歴史的に、あるいはインタビューに基づいてなど、さまざまな方法で論じられている。もちろん男性による売春(その場合、買春をするのは男性、女性の両方でありうる)は存在するのだが、やはり現状では女性の、特にタイなどから日本にやってくる女性にかかわる問題が最も緊急の、かつ大規模に生じているものなのだから、このことは本書の評価を下げる理由にはならないと思う。
 なかでは、男性の日本史学者で「下館事件タイ三女性を支える会」の活動に携わっている千本秀樹氏の「労働としての売春と近代家族の行方」が示唆的である。一夫一婦制と売買春とが相互に支え合うひとつのシステムの楯の両面であること、それが近代天皇制の安定化装置としての戸籍制度に具現化されていることなど、こうやってまとめてしまえば、僕にとって新しい論点はないのだが、自己省察をもふまえながら客観的な分析を進めていく著者の手堅く細やかな手つきにうならされた。なかでは僕の論文、「〈性の商品化〉をめぐるノート」(江原由美子編『性の商品化』所収)にたいして、「わたしの目の及んだかぎりにおいては性の商品化論としては最も鋭い分析」(175頁)と評価してくれた上で、僕が簡単に通り過ぎたところにこだわって、別の方向へと議論を展開してくれている。こういう生産的な批判はうれしいものですね。もう締め切りはほとんど過ぎているけど(^^;)、論文集収録バージョンでは、千本氏の議論へのさらに生産的な応答を書き加えるつもりです。

 さあ、仕事に戻らなくちゃ。(午前1時43分)