1998年1月5日(月)

 論文集の直しも最終段階、昨日は久々に徹夜で作業した。ある論文のある箇所を読み直して、議論の運びが論理的に間違っていることに気づき、必死で全面的に書き直していたのだ。こういうとき、いったん寝てしまうと、せっかくの集中がとぎれて、何を考えていたのかがわからなくなってしまう。新しいことを始めるにはその方がいいが、すでにできつつあるものの最後の詰めとか、今回のような修正作業とかを全うするには、途中で眠ってはならないのです。その甲斐あって、ようやく難所を切り抜ける目途が立ち、仮眠をとったのは午前8時前。夜通し降り続いていた雨は上がっていたけど、薄曇りの寒い朝だった。

 昼過ぎにうざうざと起き出し、仕事をしたり寝転がったりしているうちに、『朝日新聞』ネット版で星新一さんの訃報を知った。

 僕が星新一の作品と出会ったのは、小学5年生のころだった。『悪魔のいる天国』(新潮文庫)という作品集を友だちから貸してもらって、何気なく読んでみたのである。巻頭に置かれた「合理主義者」というショート・ショートにいきなり引き込まれてしまった。ひとつぐらいならネタバレもいいと思うので書くが、これは星新一お得意の「悪魔もの」のひとつ。徹底的な合理主義者の科学者が海辺を散歩していると、ひょんなことで悪魔に出会う。悪魔は科学者の願いを三つ叶えてやるという。一つめの願いは、「消えてみせろ」(いま手元に本がないので、ちょっと違うかもしれないが)。二つめは、また姿を見せて見ろ。悪魔はどちらも難なくやってみせる。それでも科学者は、悪魔などという非合理な存在は信じられないので、なんとかして自分の世界観から排除しようとする。彼が悪魔に出した三つめの願いは、自分が悪魔に会った記憶を消して、どこかへ行ってしまえ、というものだった。悪魔は一瞬少し悲しいような顔をしながら、科学者の「願い」を忠実に叶えてやる……。

 アイデア自体は星作品としては抑え目だが、この醒めた感触はまぎれもなく星新一だけのものである。それ以来、中1までの2年間ぐらいの間に、当時入手できたすべての作品を読みあさることになった。小遣いをもらうと、とにかくまず星新一の文庫本を何冊かずつ買うのだ。レイ・ブラッドベリやフレドリック・ブラウン、また小松左京や筒井康隆を読むようになったのも、星新一のエッセイで紹介されているのを読んでからのことだった。中学から高校にかけては、自分でもショート・ショート(らしきもの、、、)を書いて、当時、豊田有恒氏が選者をやっていた『SFマガジン』の投稿コーナーに送ってみたり(当然ボツだったけれど)、ほんの一時期だけれど、『星群』という、当時最有力だった同人誌にひとつだけ作品を載せてもらったりもした。このあいだも書いたように、すでにSF的な小説はいくつか読んでいたけれど、それをジャンルとして意識し、作家ごとに系統立てて(というほどでもないが)読んでいくようになったのは、星新一を読んでからのことだった。

 星新一を子供騙しの読み物みたいに言うやつがたまにいて、心の底から軽蔑したものだ。星新一のぎりぎりまでそぎ落とされた文体、完璧な技巧、誰も追いすがることのできないアイデアの奔流、そして本当の「紙一重」な人だけに許された硬質の知性。今でも、こんな天才にはとてもかなわないと感じる。「お花の中には、小さな女の子がいるのよ」と呟く愛娘の声に青ざめる両親の苦しみ――「想像力」が何よりも忌み嫌われる犯罪になった未来を描いた「ピーターパンの島」。ある日突然、平凡な町中にたくさんの恐竜の幻影が現れた、それはなぜか――「午後の恐竜」。平凡な男がふと拾った少し変わった鍵、男はその鍵によって開けられる錠を求めて旅を始める――「鍵」。とても説明のしようがない、クールな手つきで日常そのものの本質的な奇妙さを浮かび上がらせた「門のある家」。小学生の僕にとって、何かしんとするような思考のラディカリズムをはじめて感じさせられた傑作「マイ国家」。……そういえば、高校生のころ、サルトルの短編(『水入らず』新潮文庫)を読んで、「何だか星新一みたいだな」と思ったっけ。僕の思考法と感性の骨格は、ほとんど星新一によって形成されたのかもしれない。

 ご本人には一度だけお会いしたことがある。中三だか高一だったかのころ、東京でSF大会(TOKONY)があって、友だちと出かけたときだ。廊下でどなたかと立ち話をしている星さんをみつけて、サインをしてもらった。話を中断された成果、ちょっと不機嫌そうな様子で、それでもぞんざいなサインをしてくれた。声を聞くことはできなかった。あのクールな姿こそ、まさに孤高の天才、星新一にふさわしかったと、今は思う。(午後10時38分)