1998年2月8日(日)

 ベイ・エリアはずっと雨、TVをつけると各地の洪水や土砂崩れを次々に放映している。地元民によるとこれはさすがに異常気象だそうだ。日本の梅雨明け直前のような、雷鳴を伴った激しい雨が毎日降りつづいている。そういえば、昨年の4月の終わりに、なんとかバークレイにたどり着いたその夜もかなりの雨だった。傘ももたず、深夜、見知らぬ町の中にピザを買いに行き、ずぶぬれになりながらホテルに帰り着いたことを思い出した。

 十代の半ばから後半にかけて、僕はばくぜんと将来のことを考え、ときには具体的にどういう仕事をしようかあれこれと思い浮かべたりもした。文章を書くことは子どものころから好きで、小説家とか詩人とか、何か文章を書いて金を稼いでいけたらいいなと夢想してはいたが、それと同時に、たとえば小松左京『復活の日』(角川文庫、絶版らしい)を読んだ後しばらくのあいだは医者、本多勝一『戦場の村』(朝日文庫)を読んだ後は新聞記者というように、読んだ本に直ちに影響されて、そのたびごとに自分の進路を決めそうになっていたものだ。

 医者になろうという気持ちは中学2年生の一年間だけだったが(ちなみに中3のころは「公民」が得意科目で、政治家になろうかなどとけっこう本気で考えたものだけど)、ジャーナリストになりたいという気持ちは長く続き、実はいまだに少し残っている。報道したい、というよりも、世界を自分の足で駆け回り、様々な土地や人間を自分の肌で感じ、「現実」をこの眼で確かめたいというような、まあそれ自体は若者にありがちなドロンズ的欲望だ(その割にはアパートか研究室に閉じこもりがちな毎日ですが。なにしろ日本からもってきた仕事が終わらないもので。(^^;))

 そんなわけで、先日紹介した小田実『何でも見てやろう』をはじめ、ルポルタージュものを読むのが好きだった。なにしろ中学3年のときに落合信彦『2039年の真実』(どこかからまだ出ているのかな?)という「ケネディ暗殺の真相」本を読んで夢中になり、中学校の「社会クラブ」で「犯罪研究班」をつくろうと提唱してあっさり却下されたりしていたものだ。いや、犯罪への興味は実は小学生の頃からあって、またしても学研から出ていた少年少女向けドキュメンタリーみたいなシリーズの「犯罪」ものの巻を繰り返し読んではいたのだが。松山事件や帝銀事件や3億円事件をあつかったものが『あの事件を追え!』、殺された被害者の白骨から生前の顔を復元する技術やひき逃げした自動車の残したわずかな塗料の破片から車種や製造時期を特定する方法なんかを紹介した巻が『あの犯人を追え!』という題だったと思う。中学生の時には、早大学院高校の男子生徒がおばあさんを殺して自分も自殺した事件が起こり、「エリートは正しい、大衆は死ね」という内容の手記が話題になったのだが、僕は当時この事件に異様に興味を持って、ちょっとでも関係する記事の載った週刊誌は全部買って読んでいた。コリン・ウィルソン『殺人百科』(出版社は忘れました)はもちろん読んだ。猟奇的なことへの興味より、犯罪というものへの興味からだったように思う。
 ところで僕は、子どものころ東京の十条というところに住んでいて、そこで「大久保清ごっこ」(といっても、鬼ごっこの鬼が「大久保清」になっただけみたいな遊びです、念のため)をやっていた記憶があるのだが、他にもやっていた人はいるのだろうか?

 犯罪への興味は、いつのまにか薄れていった。たぶん、大学に入ってから、見田宗介が永山則夫の犯罪の背景を解析した「まなざしの地獄」という論文(『現代日本の心情と論理』だったかな?)を読んでから、そうなったような気がする。その内容を簡単にまとめると、かなり悲惨な境遇に生まれ育った一人の男が、自分を馬鹿にしつづける世間の「まなざし」に対する暴力的な抗議として連続殺人を起こした、というストーリーで、時代状況の社会学的分析として見事なものであり、社会学を勉強しようと考えている学生さんたちにはぜひ読んでもらいたい仕事だが、しかし間違っても「永山則夫」という個人の実存に迫ったものでないことを見誤ってはならない。同じような境遇、ある意味でより悲惨な貧困や親の暴力などのただ中で育った人は他にもたくさんいたのに、どうして永山だけが永山になったのか、を解明するものではないのである。
 僕が少年のころ犯罪に興味を持っていたのは、通り一遍の説明では追いつかない、何か過剰なものに引き寄せられたからだが、後から振り返ってみれば、それは見田氏の分析に解消できるような次元のことにすぎなかったと思う。ところがこれほどの分析を経ても、なおもどうにもならない不可思議さが永山則夫の犯罪にはつきまとっている。確かに永山がほんの少しでも別の育ち方をすれば、殺人者になどならないですんだだろう。だが同時に、同じ境遇におかれた人間がすべて同じ犯罪を犯すわけではない。犯罪を生み出すものは、個人の生まれ持った特性などではないが、しかし社会がそれを生み出すわけでもない。両者の組み合わせ、などという折衷案に対しては、「精神のパワーが物質に作用する」とかのたまう「心霊研究家」に「言葉の意味がわからん」と噛みつく大槻教授ではないが、何を言っているのか考えれば考えるほどわからん、と言うほかない。

 こうして僕の犯罪と犯罪者への興味は、焦点をずらされて、なんだか腰砕けになってしまった。もはや、犯罪者の異常な欲望なんてイメージによろこぶほどナイーブではないが、なぜ私ではなくてあの人が犯罪を犯したのかという本質的な謎にアプローチする仕方は皆目検討もつかない、という宙づり状態におかれたままの気がする。それ以来、宮崎勤の殺人も、酒気薔薇事件も、「社会問題」としての人並みの関心は持っても、かつてのように無性に引き寄せられるということはなくなってしまった。最近の中学生などのナイフ問題も、平凡ないち常識人として思うことぐらいはあるが、特別な興味は惹かれない。決定的なのは、祖母殺しの高校生や、永山則夫にさえ感じたある種の共感めいたものを、宮崎にもその後の中学生たちの殺人犯罪にも、まったく感じないことだ(ちなみに、かれら加害者たちを守ろうとする人権派にも、少しも共感を感じない)。なんの共感もないということは、逆に言うと、なんの衝撃も覚えないということだ。かつて小松左京の自伝『やぶれかぶれ青春記』(旺文社文庫、絶版)のなかに出てきた、終戦直後の混乱した町で、電柱に犬をくくりつけて拳銃で撃って遊んでいる幼い兄と妹ふたり、という光景の衝撃は、僕のなかに重くしこりとなって残っているが、ここ数年の一連の事件には、そうした動揺を与えられたことがない。唯一、あの「女子高生コンクリート詰め殺人」(それにしてもひどいネーミングだ!)には感情が高ぶったが、それは犯人どもとマスコミ、そして相変わらず頭を使う前にとりあえず凶悪犯罪者をかばうことにしているらしい劇作家のような連中への怒りであって、事件そのものからの衝撃ではなかった。すべては起こるべくして起こった、ただそれだけのように思える。そこでは、責任とか人権とかいう言葉をどういう立場からあれ使うこと自体が、とてつもなく滑稽に感じられる。それは僕もまた、かれら、笑うしかないほど幼稚な犯罪者たちと、骨の髄(むしろ脳髄?)まで空間を共有してしまっているということなのだろうか。
 
 ほんとうはきょうは、かつて本多勝一『中国の旅』(朝日文庫)を読んで、「歴史」というものの意味について考えたことを書こうと思ったのだが、横にそれたまま終わってしまった。そのこともいつか書きましょう。

 もう雨は止んだかな。明日は外に出かけよう。 (午後11時42分)