1998年3月13日(金)

 きょうは13日の金曜日。別に関係はないのだが、はじめての運転免許実地試験に落ちてしまった。同居人はラティーノ系の優しい感じのおっさんが試験官で、とにかくゆっくり安全運転を心がけて一発パスだったのだけど、僕は勢いのいいおばちゃん(というには若い女の人)に当たって、別にイヤミとかそういうことはなかったのだが、試験コースを一回りして出発地点に戻ってきたら、「あなたはとにかくスローすぎる! 止まらなくていい角で止まったのも減点」ということで、あえなく落第(点数なし!)。運転技術そのものは劣るとは思えないので、ゆっくりを意識しすぎたのが失敗だったのだろう。試験官の好みはだいぶ差があるようだ。同じ角を、止まって合格した人を何人も知っているのに、僕はそこで止まったら「NO!」と叫ばれてしまった。まあ、運が悪かったです。アメリカの荒野を、音楽をがんがん鳴らしながら突っ走る野望は、もう少しおあずけだ。

 バークレイを含む湾沿い地域をBay Areaと呼んでいるのだが、この一帯のイベント情報を知るには、フリー・ペーパーを町でひろえばいい。映画、コンサート、ダンスなどのパフォーマンス、アートその他、特集記事なんかもあって、これがタダなんだから便利なものだ。日本みたいに金を出して情報誌なんかを買う必要はないのだ(もっとも、粗悪な印刷なので手は汚れるが)。
 僕がよくみるのは、ガーディアン(THE SANFRANCISCO BAY GUARDIAN)というやつ。本体に、A&E(Arts, Entertainments & Dine)とNOISE(A Bay Guardian music supplement)という別冊(大きさは同じ)がはさんであって、全部あわせて今週号は167ページが無料! 表紙は、いまアメリカでもちょっとしたブームのチェ・ゲバラがNIKEの帽子をかぶっている絵柄で、第一特集はラティーノ・ポップ・カルチャー。で、注目は音楽別冊で、見てのとおり特集はコーネリアスと彼のトッラトリア・レーベル。コーネリアスは昨年マタドール・レーベルと契約して、来週めでたくFantasma(日本での3枚目、最新アルバム)がアメリカでのファースト・アルバムとして発売されるらしい。その販促(プロモーション、というやつですな)のためかどうかは知らないが、LAでとったインタビューを中心に、彼がCDに景品をつけたこととかコンサートの様子とかの記事が、3ページにわたって写真入りで載っている。内容はとくにどうということはないけど、これが功を奏して、アメリカでも売れるといいね。
 僕自身は、フリッパーズ・ギターにはあんまり興味はもてなかったし(最近も聞き直してみたけど、やっぱりあんまりピンとこない。特に小沢健二色が強い曲は)、コーネリアスを初めて聴いたのもアメリカにくるほんの少し前だからそんなに昔のことじゃないけれど、新宿のHMVで何となく買ってみた69/96にはハマリました。これはいまでも毎日のように聴いている。うまく批評できないので非常に主観的なことだけを書くが、これは実にロックっぽい作品なのである。別にレッド・ツェッペリンからのサンプルが多用されているとか、ファンの期待に応えてメタルが大々的にフィーチャーされているからというのではなく、音のごった煮(コラージュとかパスティッシュとか言うんでしょうね)のつくりかた、巧みながらも琴線に触れる歌詞、全体として強烈に発散される括弧付き才気といかがわしさと、そしてそんなことをあれこれ考えている脳髄をいつのまにか溶かしてしまう陶酔のメロディー。ああ、これでいいんだよなあ、これさえあればいいんだよなあ、と嫌みな聴き手の思考能力をも麻痺させる音楽のダイナミズム。うん、うまく言えてないが、まあそんなところです。

 もちろんそんな要素は様々なジャンルの音楽に見出すことができるのだが、要するに僕は何でも「ロック」として聴くのである。それしかできないのである。これはもう小学6年生以降、とりわけ中学生のときからそうだった。その頃の僕はビートルズやジェフ・ベックやイーグルスなんかが大好きで、毎日何時間も部屋を真っ暗にして聴いていたのだが、同じように、マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』にはショックを受けてほとんど放心状態で繰り返し繰り返し聴いていたし、ジャン・ミッシェル・ジャールも大好きだった(彼は小室哲哉とオリンピックの曲かなんかをつくるみたいですが、、、)。12歳のときは、彼らの曲をテープでかけながら寝ていたものだ。14歳のときには、いまは亡き『別冊FMファン』で録音がいいと褒めてあった(僕はガキなりにオーディオ・マニアでもあったので)モーツァルトの『レクイエム』のレコード(カラヤン指揮、ベルリン・フィルで、確かソプラノはアンナ・トモワ・シントウ、バリトンはフィッシャー・ディスカウだったかな?)にもくらっときたな。それは(前にも書いたけど)ジョン・レノン「マザー」以来の感動だったと思う。その頃は「幻の名画」になりかけていた『2001年宇宙の旅』がやっとリバイバル公開されたときは十何回か観たけど、あの『ツァラトゥストラかく語りき』にはいまでも震えが来ます。で、これらの音楽はぜんぶ、僕には「ロックやなあ〜」という感じだったのです(いまでもそう)。僕のロックの基準は不動のビートルズなので、これはビートルズの新譜のかわりに聴いていた、という面もあったかもしれないけれど。

 最近では、クラシック系ではラヴェルなんか聴くと「ロック!」と思うけど、不可思議なことに、いわゆるプログレを熱心に聴いたことはないな。キング・クリムゾンは好きだし、CDも何枚か持っているが、すごく聴き込んだことはない。イエスの来日コンサートも、友人に誘われて行って、とても楽しめたけど、その後ファンになったというわけもない。その他のプログレ系バンドもだいたいそんな感じで、例外はピンク・フロイドだけれども、僕のいちばん好きなフロイドは『原始心母』の(短い曲が収められた)あの限りなく美しく脆いB面なので、あんまりプログレ・バンドとして聴いてはいないような気がする。僕にとってのフロイドはたんなる「ロック」のバンドだな。つまりなんというか、ヴェルベット・アンダーグラウンドとか、もう少し新しいところではヴァセリンズとかと同じ範疇の音楽ということです(かれらがいわゆる「ロック」には収まらないだろう、ということも含めた意味で)。

 それにしても、コーネリアスを聴いていると、自分もシンセやサンプラーやHDレコーダーを買って、ああいう音楽がやりたくなりますな。これはかつて幼少時代にジェフ・ベックを聴いてストラトキャスター(日本製コピーモデル)を買った(買ってもらった)とき以来のむずむずです。日本で寝かしてあるマッキーのミキサーとKORG01/Wをはやくいじりたい。(深夜12時04分)