1998年4月6日(月)

 昨日の夜、TVでビート(Beat)についてのドキュメンタリー番組をやっていた。昨年、アレン・ギンズバーグが亡くなったときには、彼の追悼ドキュメンタリーをどこかの局でやっていたが、今回のはジャック・ケルアックゲイリー・スナイダーにも照明を当てた、ビート全般にかんするもの。とはいえ、後半はやはり実質的にはアレン・ギンズバーグ特集で、かれの様々な場所での演説や朗読のフィルムと、スナイダーをはじめとする関係者たちへのインタビューがほとんどだった。インタビューとはいっても、登場する人たちはみなギンズバーグの詩の一節を朗読し、それがギンズバーグ自身の映像・音声と切り替わる、といった趣向でつくってあり、関係者の話で埋め尽くされた似非ドキュメンタリーとは一線を画したおもしろさだった。
 なかでも、かなり晩年と思われるギンズバーグが、いい感じのお爺さんになったポール・マッカートニーと二人きりでステージに座り、ポールのギターをバックに、自作をエネルギッシュに朗読するシーンはなかなか感慨深いものがあった。(ポール・マッカートニーという人は、ひとりで何かをやっているとただの大衆芸人にしか見えないのだが、こういうときにはなぜか「狂気のロックンローラー」っぽさがちゃんと滲み出てくるから不思議だ。)

 ギンズバーグの名前を知ったのがいつ、どういうきっかけでだったかは、全然思い出せない。高校生のとき、TVでボブ・ディランの『ローリング・サンダー・レビュー』を観たときに、ギンズバーグも出てきたのかもしれない。あるいはまったく別の誰かの小説かなんかで知ったのかもしれない。いずれにしても、故・諏訪譲さんの訳した黒い表紙の『アレン・ギンズバーグ詩集』(思潮社?)を買ったのが、ぼくがギンズバーグの作品に出会ったときだった。(その後、大江健三郎の『「雨の木」を聴く女たち』にも、かれの作品だけでなく人となりも興味深く描かれているのを読んで、なるほどと思ったものだ。)

 今だから気軽に言えるが、中学時代、つまり十代のまんなかあたりの頃、ぼくは毎日ひとつに近いペースで詩(のつもりのもの)を書いていて、ランボー気取りで、ずっと詩を書いていく人になりたいと願っていたものだ(ついでだが、やはり中一から高一ぐらいにかけては「架空のロックバンドのディスコグラフィと解説」をつくることに情熱を燃やし、通算3バンド、26枚のアルバムの、タイトル、ジャケットデザイン、曲目、批評をノートに書き続けていた。その前の小学生時代は「架空のオーディオメーカーのカタログと批評」をやっていて、ノート5冊分はつくったのだが、引っ越しの時にどこかにいってしまった)。その後、詩を書く才能はまったくないことが判明したが、読むのは一貫して好きだ。やさしい詩も難解な詩も、道徳的な詩もなんだかよくわからない詩も、テンションさえ高ければ好きだが、一番好きなのはロックの歌詞かもしれない。音楽と同じように、ぼくはどんな詩もロックの歌詞のように読んでいるのかもしれない。中3のときは、自分で頑張って訳したボブ・ディランの「激しい雨が降る」デビッド・ボウイの「ヒーローズ」の歌詞を下敷きにはさんで、仲間と読んで「おお」とか言ったりしていた。ランボーのあの有名な「永遠」も人気があって、誰かがわざとらしくうっとりと「とうとう見つかったよ」と口ずさむと、他の誰かがもっと重々しく「何がさ?」と返し、それから爆笑したりしていたものだ。(ちなみに、これは当時の角川文庫の金子光晴訳。)

 そんなワタシに、ギンズバーグの詩が面白くなかったわけがない。いま手元に諏訪さんの訳はないので、Collected Poems 1947-1980, Harper & Row, 1984.から拙訳(文字通り)で引いていくが、最初に読んだ「吠える(Howl)」はまったくもって衝撃的だった。知らない人のために、ちょっぴりサワリを。

 T
 ぼくは見た、ぼくらの時代の最良の精神たちが、狂気に壊され、飢えて、裸のヒステリー患者になっているのを
 夜明けの黒人街を、からだを引きずりながら、怖ろしいヤクを探し求めているのを
 天使の頭をしたヒップスターたちが、星々のダイナモへの古代の天上的な結びつきを求めて、機械仕掛けの夜に燃え上がるのを
  …………
 V
 カール・ソロモン! ぼくはきみとロックランドにいる
 そこではきみの方がぼくよりも狂っている
 ぼくはきみとロックランドにいる
 そこできみはとても奇妙な感じがしているに違いない
 ぼくはきみとロックランドにいる
 そこできみはぼくの母さんの幽霊をまねしている
 ぼくはきみとロックランドにいる
 そこできみはきみの12人の秘書を殺した
 …………

 1955年から56年にかけて書かれたこのあまりにも有名な作品を読んだとき、ぼくはウディ・ガスリーレッドベリーを聴いたとき以上に、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン(『ネブラスカ』)に連なるアメリカの魂の原風景みたいなものに触れた気がした。「ぼくらの時代の最良の精神たち」が、為すすべもなくぼろぼろになるしかないような土地としてのアメリカ。帝国主義という悪の代名詞であるという政治経済的な規定性以前に、そもそもその存在自体において、そこを訪れる者どもがまるごと発狂するしかないような空間としてのアメリカ。後に、フォークナーの短編やフラナリー・オコナーの作品を読んだとき(ちなみにこれもスプリングスティーン経由)、それが「南部」という場所の上で具体的に描きだされていることを知ったのだが、ぼくがギンズバーグによって脳髄に刻みつけられてしまったアメリカは、そういう具体的な地名としてよりも、ニューヨークであれシカゴであれ、またネバダの砂漠であれ、ちょっとした夜の闇のなかに潜んでいる何か得体のしれないものとして、今でも感じられるのだ。それは必ずしも、諸星大二郎的な、土俗的なものの恐ろしさというわけでもない。ロバート・フランクダイアン・アーバスのアメリカ。大切にされた「日常」や「家族」というものだけが完璧に体現しうる狂気――正気と区別がつく狂気なんてとるにたらないものだから――、それがぼくにとってのアメリカの「イメージ」である。バークレイはかなり特殊な場所だと思うが、それでもそんなイメージは今のところ裏切られはしていない。特にキャンパスの北側の、白人の多い高級住宅街なんかに行くとね。いや、どこが具体的にどうというのは書きにくいのですが。

 そうそう、土曜日の夜には、毎週11時からやっている「イン・セッション」という番組で、パティ・スミスとロン・セクスミスのスタジオライブを観た(前にも観たことがある回の再放送)。昨日の夜の番組では、ギンズバーグの葬儀で自作の追悼の詩を朗読するパティ・スミスも映っていたなあ。パティ・スミスはかっこいい。あんな感じで年寄りになりたいものなんだが、おれとは顔が違うんだよな。

 思い出した。あの番組でいちばんショッキングだったのは、ギンズバーグの「生涯で初めて心から愛した恋人」だというピーターという男が、たしかに若い頃は翳りのある美青年だったのに、現在は酒のせいか滅茶苦茶なダミ声で、見る影もなく醜く老いぼれきってインタビューに答えていたことだ。でもやたら元気だけはあって、クダを巻くみたいに、大声を張り上げて。ぼくは動揺したけれど、なんだか納得がいくような気もしたのだった。(24時34分)