1998年4月16日(木)

 大学2年か3年かの頃、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』(みすず書房)の序文をフランス語原文で読もうとしていたことがあった。授業の教材でもなかったし、どういうきっかけがあったのかは忘れたが、先に邦訳を読んで感動していたのだと思う。しかしなぜメルロ=ポンティを読もうと思ったのかそのものはまったく思い出せない。たぶんサルトルからの流れで、どこかで名前を知ったのだろう。高校生の頃に読んだ大江健三郎がサルトルを勉強していたというので、ぼくも『嘔吐』『水入らず』『実存主義とは何か』なんかの読みやすいものは高校生のころに読んでいたのだ。大学2年生のときにはフランス語の授業を3コマとっていて、そのうちの二つの先生は鈴木道彦、海老坂武という往年の代表的サルトリアンで、鈴木先生の授業の方では『実存主義とは何か』をフランス語で読んだりもした。木田元『現象学』(岩波新書)も読んだはずだが、内容はまるで覚えていない、というか、そもそも理解できなかったと思う。それでもメルロ=ポンティという名前ぐらいは頭に残ったのだろう。

 今出ている版はどうなっているかわからないのだが、当時ぼくが手にした『知覚の現象学』原書は、序文がすべてイタリックで印刷されていて、読みにくいったらありゃしなかった。それでも拡大コピーしたものを、辞書を引き引き、邦訳とつき合わせながら、独りで読み進めた記憶がある。(ただし読み終えた記憶はないので、例によって途中で投げ出したのだろう。)それ以来、メルロ=ポンティという哲学者は、ぼくにとって一種特別な存在であり続けてきた。彼の著作を本当に全体的に・丹念に読み込んだことは一度もないのだが、折に触れて断片を読み返した数少ない著作家であったし、特に最初のメルロ=ポンティ体験であったこの『知覚の現象学』「序文」には、ぼくの思考のスタイルをかなり根本のところで規定されているように思える。例えば「序文」のあの有名な一節に表されたようなスタイル、思考の手つきにだ。

「……こうした現象学の未完結性と、いつも事をはじめからやり直してゆくその歩みとは、一つの挫折の徴候ではなくて、むしろ不可避的なものなのであって、それというのも、現象学は世界の神秘と理性の神秘とを開示することを任務としているからである。現象学が一つの学説ないしは一つの体系であるよりもまえに一つの運動であったとしても、それは何も偶然でもなければ詐欺でもない。現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦である――おなじ種類の注意と驚嘆とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生れ出ずる状態において捉えようとするおなじ意志によって」(竹内芳郎・小木貞孝訳『知覚の現象学1』25頁)。

 その少し前の、次のような箇所には、ドゥルーズ=ガタリ『哲学とは何か』(財津理・訳、河出書房新社、これについてもそのうち何か書いてみたい)における「哲学とは、いくつかの概念を形成したり、考案したり、製作したりする技術である」、「概念は、与えられるものではなく、創造されるものであり、かつ創造されるべきものである」という宣言に(屈曲を経ながらも)直接に通じる――その線を逆向きにたどるなら、『精神現象学』におけるヘーゲル、そして『判断力批判』におけるカントの顔が見えてくる――ある「スタイル」が見てとれるだろう。

「現象学的世界とは、先行しているはずの或る存在の顕在化ではなくて存在の創設であり、哲学とは、先行しているはずの或る真理の反映ではなくて、芸術とおなじく或る真理の実現なのだ。」(前掲書、23頁)

 繰り返すなら、少なくとも「序文」の範囲では、これは確かに一つの「学説」とか「立場」といったものではない。おそらくここに書かれたような言葉に深く共感するところから、まったく相対立する分析を引き出すことさえ可能だろうから。ある傑出した社会学者が、現象学がわかるかどうかは体質の問題だと言ったそうだが、その「現象学」という語によって指し示されるものが、特定の体系や現存する学会の共通了解に先立つような、ある原初的な思考のスタイルである限りにおいて、それは案外当たっているのかもしれないという気がする。すなわち、現前する世界のありように驚く技法としての、現象学。(これに対して、世界のありようにではなく、「世界があるということそのもの」の神秘におののく前期ヴィトゲンシュタインの思考は、確かに「存在=実存」の「経験」と「世界」との一致を見いだそうとする現象学とはまったく別の「スタイル」をもっている。では後期はどうかという問題は、またの機会に。)

 もう少し具体的な内容についても触れておこう。『知覚の現象学』で、ぼくが比較的丹念に読んできたのは「性的存在としての身体」の章と、最終章の「自由」論だが、このあたりにはメルロ=ポンティという人の人間像というか何というかがとても鮮明に出ていて、思わず微笑んでしまうような記述に満ちている。どんな思想家も社会科学者も、そして哲学者でさえ、その書くものは当人の対象化し得ない、もはや動かし得ない人間像によって規定されるしかないということは、とりたてて言うまでもないだろう。メルロ=ポンティの場合は、例えば「自由」の章における、次のような記述に、彼の人間像の核、そして彼自身という存在の核のようなものがこぼれ出ているのだと思う。

「私は私自身にとっては、〈焼きもちやき〉でもなければ〈変わり者〉でもなく、〈せむし〉でもなければ〈官吏〉でもない。人はしばしば、不具者や病人が己れに耐えうることに驚嘆する。それは、彼らが彼ら自身にとっては不具でもなければ死にかけているわけでもないからなのである。昏睡に入る瞬間までは、死にかけている人も意識によって住みつかれており、彼は彼が見るすべてのものであり、彼にはこの逃走の手段がのこされているのだ」(竹内芳郎・木田元訳『知覚の現象学2』341頁)。

 そのように断言するメルロ=ポンティにとって、たとえ牢獄に鎖でつながれているその瞬間にも人間が「自由である」ことはむしろ自明であったろう。それは思想史的な回顧や政治的な配慮とはほとんど関係がない。そのように常識的には無謀な主張を書きつけるとき彼は思想史や日常語には還元されない新たな「自由」という概念をそこで創造しているのだ。それは確かに粗暴な概念ではあるが、しかしたとえばその後の障害者解放闘争や諸々のいわゆる「アイデンティティの政治」のなかから立ち上げられてきた数々の自己肯定の言葉は、なんとメルロ=ポンティの「自由」に似ていることか。で、そんなことを考えながら『知覚の現象学』を読んでいるときに、次のような箇所を見つけると、ぼくはちょっと可笑しくなって、しかし同時に何かしみじみさえしてしまうのだ。

「すなわち、その意識の中心にたちかえってみれば、誰しもが自分は己れにあたえられた規定を超えたところにいると感じており、その上でそれに甘んじているのだ。そうした規定は、われわれが世界内存在するために、それと考えることさえなしに支払っている代価なのであり、当然取られるべきひとつの手続きなのである。われわれが自分の顔の欠点をいろいろとあげつらいながらも、やはりほかの顔と取りかえようとは思わないのも、このためである」(前掲書、341-342頁)。
 
 それじゃあ美容整形が何事でもない韓国人は「意識」がないとでもいうんかい、とツッコミを入れたくなる分析ではあるが、しかしメルロ=ポンティが間違っているわけではないのだと思い直す。彼にとっての人間とはそういうものであり、それが彼の「人間」概念なのであり、確かにそうした人間像に合致する具体的な人々は存在するのだ。けれども、そうだとしても、彼はもっともっと分析を繊細にするべきではあった。「己れにあたえられた規定を超えたところにいる」などとは到底感じられない人々もまた確かに存在するのであり、むしろ「意識の中心」に立ち返ることそのものを不可能にするある条件が見いだされるべきだったのだ。ただし、これはメルロ=ポンティの哲学を一種の「運命愛」として論難することではない。「己れにあたえられた規定」に降伏して「自分の顔」の方を手直しすることは、誰のせいでもなくあたえられた「自分の顔」という事実性を受け入れることよりも、運命に対して抵抗しているわけではないからだ。むしろ「自分の顔」で「何が悪い!」と開き直ることこそが、運命を力づくで押さえつけることになるんじゃないだろうか。メルロ=ポンティの人間は、「そうなってるんだから仕方がないだろう」という諭しにどこまでも反抗する人間として、ストレートに読まれるべきだ。ベッドのなかから革命を起こしてやる、というノエル・ギャラガーの宣言のように。でもちょっくら整形もしようっと、つうのはそれでもあるんだろうけどね。

 最後に教訓めいたことを書き加えてしまおう。メルロ=ポンティも言っているが、たとえば「意識とは何ものかについての意識である」などと厳かに言ってみたって、それだけならどうってことはない。重要なのは、そのような「意識」を実際に記述してみせることであり、そうでなければ現象学はセザンヌの営為とおなじ質の闘争なんかであるはずがない。小林秀雄のように、「文芸の科学は可能であるとともに不可能である。それが問題のすべてである」なんて言ってみたって、それ自体はどうということもない。実際に「文芸の科学」をやってみて、実際に挫折するということが、真に「問題のすべて」なのだ。ぼくが書いてきたなかでいうと、立岩真也『私的所有論』が偉いのは、「他者を享受することの肯定」とまとめることのできるようなその基本的な発想そのものがすごいからではない。それだけをとりだすなら、そんなことは誰だって掃いて捨てるほど書いているようなアイデアにすぎない。だがその発想をしっかりと掴んではなさず、「所有」のような概念の吟味から身体障害者の介助のあり方のような問題までを実際に考え抜き、言葉にするという歩みをやり抜いてみせたのは立岩氏だけであり、それが『私的所有論』の価値のすべてなのである。メルロ=ポンティもまた、経験の「生れ出ずる」場における記述という現象学の課題を、実際にこの上ない繊細さでやり抜いてみせた。そこには、学会の名前になるような意味での現象学を逸脱するような思考の運動が、まだまだ隠されたまま眠っているような気がしてならない。(午前4時59分)