1998年5月19日(火)

 思いがけない用事が出来て、しばらくのあいだ日本に一時帰国していました。1週間前にバークレーに戻ってきてはいたのだが、凄まじい時差ボケ(しかし、この言葉って変だ)で、完全に昼夜逆転中。昨日(今日)は午後5時頃に寝て、午前1時に起きた。それからスパゲッティを食い、日本で買ってきた話題のスティーヴン・バクスター『タイム・シップ』(中原尚哉訳、ハヤカワ文庫)を読み終えたところ。

 これは、いまをときめくハードSF作家バクスターが、H・G・ウェルズの名作『タイム・マシン』の舞台設定を借りつつ、量子力学の多世界解釈を基本アイデアとして、壮大なスケールで展開した時間旅行テーマの新作である。ネット上でもいろいろなSF専門家が褒めておられたので、久々にハヤカワ文庫なるものを購入して読んでみた。

 『タイム・マシン』では、ひ弱で美しい地上の消費階級「エロイ族」と、醜くタフな地下の労働階級「モーロック族」とが寄食し合う80万年後の世界が主な舞台だった。主人公の時間旅行家は、物語の末尾で、エロイ族の少女を見殺しにしてしまう。それを悔いた男が、再びタイム・マシンを操ってモーロック族のもとに乗り込み、少女を救出しようとするが……というのが物語の大枠。当初の目論見が歴史の改変から生じる多様化によって不可能になり、あてどない時間旅行を繰り返す過程で驚くべき文明や、果ては宇宙の至源までをも主人公は垣間見る。そして何と……。

 これは、僕の語感からすると、「ハードSF」というよりはスペース・オペラならぬ「タイム・オペラ」とでも言うべき作品であった。いくつもの「宇宙」を股に掛けた冒険單としては、ゆったり楽しめる作品であることは間違いない。ただそのように見切ったとしても、ウェルズの作品とは違い、語り手が時間旅行家自身になっているせいもあって、文章はきわめて平板(よく言えば平易)である。いくら主人公が19世紀の発明オタクだからといって、ここまで平板な人物像にすることもないんじゃないかと思うが、まあそのおかげでほとんどジュヴナイルのようにすらすら読めるし、いわゆる文明批評に作品の主眼があったウェルズの原典とは違い、バクスターさんの狙いはあくまでも多世界解釈に基づく(というか、そこから飛躍してゆく)時間旅行のもたらすとてつもないビジョンの数々を描くことにあったのだろうから、それでいいのかもしれん。しかしそれでも、もう少し描写力がある作家だったら、主人公が遭遇する様々な世界をもっとリアルに構築できて、読む楽しみも倍増するだろうに、とか思ってしまった。

 で、どうしてこれが「ハードSF」とは呼べない気がしてしまうのかというと、端的に言って、この作品が「時間を超える」という発想そのものから生じる帰結を突き詰めて考察しようとはしていない、ということだ。タイム・パラドックスを多世界解釈の実体化=パラレル・ワールドによって「解決」するというアイデア自体はもちろん新しいものではないが、その点は、複数の「宇宙」間をつなぐ可能性なんてものが示唆されていたりするし、別にかまわない。僕が興ざめしてしまうのは、次のような文章がぽっと出てくるときなのだ。

 ……もし暁新世へもどるつもりなら旅の行程は三十時間かかる。一方で時間船の未来へひょいと飛ぶだけなら、三十分ですむ。(下巻、263頁)

 バクスターは、歴史の多様性を超える次元の存在と、そこ(っていっても、どことは言えないのだが)に生息する〈観察者〉なるわけのわからない存在者を登場させて、設定に奥行きを与えようと苦心しているようなのだが、そこまでやるのだったら、客観化された多様な歴史(「暁新世」を内包するような)と、主人公「三十時間」なる〈時間〉線の経験をあたえる何事かとの関係についても何か語ってほしかった。どんなに分岐して入り組んだタイムトラベルを繰り返そうとも、何事もなかったかのように流れる――本当は「流れ」ではないのだが――主人公の〈時間〉とはいったい何なのか。どうも僕には、パラレルワールドものというのは、時間というもののこの根源的な謎をネグってしまう発想にすぎないような気がして、あくまで「パラレルワールド」ものとしては楽しめても、固有の意味での「時間」テーマ、「タイム・トラベル」テーマではなくなってしまうように思える。タイム・パラドックスを認める場合には、空間化された客観時間と、経験としての〈時間〉が絡み合ってくるのでよいのだが、いずれにしても、ウェルズが『タイム・マシン』という作品で本当に切り開いてしまったのは、いわゆるタイム・パラドックスなどよりも先に、第四の次元として空間化された時間と、それには回収され得ない固有の〈時間〉との矛盾だったと思うのである。広瀬正の一連の作品は、そのような固有の意味での「時間テーマ」の傑作であった。ディックの『逆回りの世界』のような系統の発想もよい。というわけで僕としては、バクスター作品は、「子供でも楽しめる波瀾万丈のパラレル・ワールド冒険小説」という位置づけで覚えておくことになりそうだ。
 うん、でも読んでいるあいだは、そういうものとして、十分楽しめる作品だった。

 本当はこの後、ウェルズについても書こうと思っていたのだが、久しぶりなので疲れてしまいました。次の機会にでも。(午前5時07分)