1998年6月22日(月)

 いま、午前1時の少し前で、Bruce SpringsteenThe Riverを聴いている。僕がはじめてSpringsteenを聴いたのは、1980年、17歳のときだった。その前からもちろん名前と評判は知っていたのだが、実際に曲を聴いたことはなかった。ちょうど、ザ・リバーのアルバムが出たばかりで、僕はどんなミュージシャンなのだろう、LPを買ってみようかなあ、でも2枚組で高いしなあ、などと悩ましく思っていたとき、深夜のFM番組で、偶然、彼の曲が流れてきたのだった。

 そのころはまだFMの放送局は二つしかなかったが(NHKとFM東京)、今のJ―WAVEなんかとは違って、ひとつひとつの番組の独立性が高く、曲もDJとかぶらずにちゃんとまるごとかけてくれることが多かった。それだけに個々の番組の存在感は、現在では考えられないほど強かったと思う(FM専門誌も一時は4誌以上もあったのだ)。僕の前後の世代で、NHKで渋谷陽一がやっていた「ヤング・ジョッキー」や「サウンド・ストリート」によって洋楽の情報だけでなく聴き方までも教育されてしまったという人は多いだろうし、「ジェット・ストリーム」のオープニングのナレーションをまねできる人や、「ダイヤトーン・ポップス・ベストテン」のあのジングルのメロディを口ずさめる人を見つけるのも難しくないだろう。(ついでだが、オーディオ・マニアにとってもまだまだFMは重要なソースで、僕も家の屋根に専用のFMアンテナ(5素子!)を立ててもらっていたものだ。)音楽番組以外では、SFを原作にしたラジオ・ドラマなんて企画もたまにあって、わくわくしながら聴いた覚えがある。

 そんな時代でも、FM東京で午後11時からやっていた「クロスオーバー・イレヴン」は際だった番組だった。なんといっても、ナレーションというものがいっさい存在しないのだ。中休みみたいな時間帯はあったかもしれないが、基本的には解説抜きに、ただひたすら1時間、曲がかかり続けるのである。後から聞いたのだが、選曲は小倉エージ氏だったそうだ。そこから推察できると思うが、「クロスオーバー」という番組名は、今で言うフュージョンの以前の呼び方を表すわけではなく、文字通り、あらゆるジャンルの音楽の良質な部分をまぜこぜにして配列するという方針を示している。時間帯が遅いので、あまり激しい音楽はかからなかった気がするのだけれど、実際、あらゆるタイプの曲を流してくれる番組だった。

 その番組を、ある日、何げなく聞いていたら、番組の最後の方に、ゆったりしたオルガンに乗せた、ちょっとしゃがれた声の、とっても静かなヴォーカル曲がかかったのだ。シンプルだけど、奥の深いメロディと、言葉の意味はわからないのに、なぜか説得力のある歌。僕は一瞬でその曲に魅せられて、なぜかわからないが、これがもしかしてあのブルース・スプリングスティーンという人ではないか、と思った。番組の最後に、その日にかかった曲のタイトルとミュージシャンの名が読み上げられると、やはりそうだった。僕は次の日にレコード店に駆けつけて、なぜか『ザ・リバー』ではなく(やっぱり2枚組で高かったから)、有名な『明日なき暴走』のアルバムを買ったのだ。もっともすぐその数日後に、『ザ・リバー』も結局買ったのだけれど。

 「クロスオーバー・イレブン」でかかった曲は、「雨のハイウェイ」という邦題になっているけれど、原題はWreck on the highwayで、直訳すれば「ハイウェイでの事故」ということだ。なんだか激しそうな感じがするけれど、そういう曲ではない。ここには事故そのものの起こる瞬間のことは歌われていないからだ。事故はすでに起こってしまっている。ほとんど車通りのない夜、雨が降り出した郊外のハイウェイを語り手が走っていると、前方に事故の気配がある。車を停めてみると、あたりには自動車の破片が散らばり、道路脇から、助けてくれとませんかという、男の声がする。これが第一連と第二連。第三連では、救急車がやってきて、怪我をした男をリバーサイドに連れていく。リバーサイドという地名が何を意味するのか、僕は知らない。しかし男はすでに力尽きているようだ。その様子を見ながら、語り手が想うのは、死んだ男の家のドアを保安官がノックし、男の若い妻かガールフレンドに、あなたの最愛の人が死んだ(Your baby died)と告げる光景だ。
 最後の第四連では、場所と時間が移動している。翌日、語り手である「俺」は深夜、自分の部屋のなかで、寝つかれずに目を開けている。脇のベッドでは彼の恋人が寝息を立てている。彼の頭にはまだ、あの事故のことがある。暗闇で、誰にも見守られることなく、息絶えていったあの男のことが焼き付いている。そして語り手は、ベッドに上がり、眠っている恋人を強く抱きしめる。そして寝つかれぬまま、あの事故のことを考えている。「雨のハイウェイ」はそういう歌だ。

 ブルース・スプリングスティーンは「夜」の代表的な作家だ。7月4日の独立記念日の夜に埠頭に集まる希望に満ちた若い連中のことや(「見ろよサンディ、俺たちの背後にオーロラが昇ってゆく」)、疲れ果てて愛も褪めてしまったが、それでも「砂が黄金に変わる場所」を求めて「アトランティック・シティ」で逢ってくれと恋人に呼びかける絶望した男の独白、夜の州境で、逃亡する犯罪者の顔に自分の兄弟を見いだし、わざと追跡をやめる保安官。そんな歌をスプリングスティーンはずっと歌ってきた。パティ・スミスと共作した「ビコーズ・ザ・ナイト」も、そんな線上にある傑作のひとつだ。そして「雨のハイウェイ」こそは、そうした作品群のなかの最高傑作だと思う。

 僕には、アメリカというと、カリフォルニアの青空なんかよりも先に、荒涼とした「夜」という強固なイメージがある。もちろんスプリングスティーンの影響が大きいのだが、それだけではない。ロックによるアメリカ論として、スプリングスティーンの先駆であり、おそらく史上最も決定的な大衆芸術として屹立しているイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』を思い出してほしい。中に入ることはできるが決して外に出ることはできない、あの閉ざされた永遠の虚ろな夜の宴を。『タクシー・ドライバー』も、『アメリカン・グラフィティ』でさえ、「夜」としてのアメリカの物語ではなかっただろうか。24時間、どこへ行っても大勢の人間が騒ぎ、歩いている東京には、そのような「夜」はない。アメリカは違う。サンフランシスコでさえ、夜9時をすぎ、暗くなってからは、人影はまばらになってしまう。健全な大人や子どもは、そんな時間に外を出歩いたりせず、家で仲良く(かどうかは知らないが)テレビを観ているのだ。だからアメリカには、何十ものチャンネルが必要なのである。「夜」と日常とは連続していない。「夜」はどこか別の世界にあって、そこではうだつの上がらない男が、恋人のためにやばい仕事を引き受けて、無様に命を落としているのだ。

  スプリングスティーンはすべてを自分の肩に引き受けていこうとする人で、それがマッチョな愛国者という、どうしようもない誤ったイメージにもつながってしまったところがある。僕には、アメリカ国旗を背景に「アメリカに生まれて」を叫んでいた彼の苛立ちと怒りと焦燥を軽々しく否定することなんかできない。けれども僕にとってのブルース・スプリングスティーンは、やはりそんな筋肉隆々たるアメリカン・タフ・ガイではないということも告白せねばならない。デイブ・マーシュが書いたブルースの充実した伝記『明日なき暴走』(CBSソニー出版)に、まだ駆け出しの頃のブルースの様子が描かれている。冬の寒い夜、出番が来る前の時間に、クラブの外でジーンズのポケットに両手を突っ込みながら、寒くてぴょんぴょん跳ねている痩せた若い男。あるいは、髪を伸ばし、ヒッチハイクしたトラックの荷台に寝ころんで、ロイ・オービソンのコンサートに出かけて行こうとしている、イルカみたいな目の少年。それが僕にとっての、ブルース・スプリングスティーンだ。

 最近、自分も車を運転するようになったので、事故のことを考えることがある。アコースティック・ギターの好きな人ならきっと知っている、ウィンダム・ヒルの天才ギタリストだったマイケル・ヘッジズは、昨年の12月、サンフランシスコの北を深夜、家に向かう途中、事故を起こし、帰らぬ人となった。見つかったのは朝になってからだったという。誰もいない夜のハイウェイで起こる事故で死ぬということは、いったいどういうことなのだろうか。(26時9分)