1998年7月20日(月)

 ロサンゼルスを経由して、サンディエゴ、そして国境の向こう側の町ティファナまで、往復の走行距離1400マイル、レンタカー(Pontiac Grand-Am)を駆って、一週間かけて旅行してきた。同居人といっしょに総額12ドルで免許をとって4ヶ月。二人ともこんなに長距離を運転したことはなかったのでちょっと不安だったが、なんとか生きて帰ってくることができた。それが昨夜のことで、まだ疲れが残っている。

 初日。海岸沿いを南へ向かうカリフォルニア1号線、いわゆるパシフィック・コースト・ハイウェイをひたすら南へ向かって走る。ガイドブックにも大々的に推薦されている観光ルートなのだが、途中はかなり急峻に切れ落ちた崖の縁ぎりぎりを走る部分があり、アメリカ人に聞くと"scariest"だということだったので、そこはあっさり迂回した。いや、行けば行けたと思うんだけど、このあいだの雨期(冬)には土砂崩れが起きて、しばらく閉鎖されていた場所なので、少しびびってしまったのだった。でも、それ以外はだいたい海の見えるハイウェイをずっと行った。
 サン・ルイ・オビスポという、比較的地味な町で1泊して、サンタバーバラという観光地を経由して、翌日LAへ。ダウンタウンやハリウッドだと夜に出歩けないので避けて、パサデナという町のモーテルを予約しておいた。この選択は大正解だったので、LAに観光で出かける人にはぜひお勧めしたいと思います。ここで2泊、さらに南へ下ってサンディエゴで2泊、あいだの1日をティファナ行きに費やして、LAに戻って2泊。最後の日は朝に発ち、ひたすら車を飛ばしてバークレーに戻った。月曜の午前中に出発して、日曜の夕方まで、ちょうど一週間の旅行だった。

 全然特別な場所に行ったわけではないし、期間も短かったのだけれど、それでも強く印象に残る光景はいろいろあって、僕は以前よりもアメリカ(というか、南米も合わせた南北アメリカ大陸)という空間に強く興味を持つようになった。それについては、もう少し発酵させて、明日から少しずつ書いてみたい。ただひとつ、カリフォルニアのぎらぎらした太陽の下を走りながらカーステレオで流す音楽として、奥田民夫『股旅』に収められた曲はいいが、ユニコーン時代の名曲「雪が降る町」はたいへん合わない、ということだけは確かだ。

 クルマがいちばん必然的なかたちで登場する歌は、やはりブルース・スプリングスティーンによって書かれている。興味深いのは、彼が奔流のように傑作を生みだした70年代に、車を包む風景がどんどん変化していったことだ。70年代前半から、出世作『明日なき暴走』までの頃には、車とは景気よく走りまわったり、しけた町を出て、どこかへと旅立っていくための道具だった。僕が最も愛する永遠の名曲「雷鳴の道」はまさに車がすべての焼けつくような希望と象徴的に解け合った歌だ。「俺たちにできるのは/窓をいっぱいに開けて/風にきみの髪をなびかせることだけ」、「この二つの斜線は俺たちをどこへでも連れてってくれる」、「天国がこの道の先の方で待っている」、そして曲の終わりを告げる力強いあのフレーズ、「夜明け前の孤独な冷気のなかで/きみはやつらのエンジンの轟きを聞く……ここは敗北者で埋まった町/そして俺は勝利を求めてここから出てゆく」。その時代、スプリングスティーンにとっての車は、どこへかはわからないが、必ずどこか別の場所にたどりつくはずのものだった。ところがわずか5年後の『ザ・リバー』に収められているのは、このあいだ紹介した「ハイウェイの事故」や、恋人と別れた後、虚しい気持ちで盗んだ車に乗ってあてどなく深夜の道を走っている男の独白(「盗んだ車」)といった、今いる場所に帰ってくるための車、そしてそんな場所を失ってしまえば、もうどこへもたどり着かず、夜の闇の中に消えていってしまうかもしれない、あてどない乗り物としての車が登場する歌どもなのだ。キャデラックでハイウェイをぶっ飛ばして大騒ぎしようぜ、という感じロックンロール・ナンバー「キャデラック・ランチ」――ライブでこの曲を演った後では、場内の温度が一気に5度ぐらい上昇したような気がしたものだ――でさえ、どこか、若々しく切ないというよりは、何となくやりきれないような閉塞感が微妙に漂っている。

 道とはどこかへ続いているはずのものなのに、僕の道は僕の部屋から僕の部屋に戻ってくるだけなのだ、と書いたのは黒田三郎の「道」という詩だったと思う。『ザ・リバー』以降のスプリングスティーンの歌詞にはそんな透徹はないけれども、しかしその不透明さのなかで悪あがきをすることがロックンロールなのではないか。『ザ・リバー』から2年後の1982年、アコースティック・ギターとハーモニカだけで自作自演した、当時の音楽シーンのなかでは極めて衝撃的だった『ネブラスカ』に収められた、「アトランティック・シティ」には、こんな一節がある。「俺たちの運も尽き/愛も冷めてしまった/でもおまえとずっと一緒にいるよ/砂が黄金に変わるところへ行こう/ストッキングをはいた方がいい/夜が冷気を増しているから」。そしてリフレインは、「すべてのものは死ぬ/それは避けられない事実/だが死んだものはいつか必ず甦る/だから化粧をして、髪をアップに結い/今夜アトランティック・シティで俺と会ってほしい」。1980年代のスプリングスティーンが、やがて80年代後半に日本でもはっきりとする行き詰まりの感覚をいちはやく察知し、それまでの〈前へ〉〈走り続ける〉という構えだけではそれを突破しきれないことに気づいて、しかしそれに代わる別のやり方を見つけることもできずに迷走を始める徴候が、ここには見てとれるだろう。かつてのような未来や希望は失われてしまったのに、それでもなお「砂が黄金に変わる場所」を求め続ける「アトランティック・シティ」の語り手が、「今夜あの川へ車を走らせよう/川はもう干上がっていると知ってはいるが」とつぶやく「ザ・リバー」の主人公と同一人物であることは言うまでもない。発表当時、若くして子どもを持ち、生活に疲れてゆく男女を歌ったこの「ザ・リバー」という歌は、いわゆるアメリカン・ドリームの「祭りの後」を描いた歌として受け止められ、それは間違っていたわけではないが、僕にはより普遍的な、閉塞した世界について歌ったカナリアの歌のように聞こえる。

 それにしても、「アトランティック・シティ」のリフレインの言葉は奇妙ではないか。今夜、恋人たちが会わなければならない、つまり〈現在〉を生き尽くさねばならないのは、〈現在=生〉がただ一回限りのものだからではないのか。もしも「死んだものはいつか必ず甦る」のだとすれば、この生はかけがえのないものではなくなるの」だから、「今夜」どうしても僕らが出会う必要はない。それがふつうの解釈ではないだろうか。
 しかし、スプリングスティーンにとってはそうではない。死んだものはやがて甦る。それは救済である。しかし、むしろそれゆえにこそ、「今夜」恋人たちはどうしても会わなければならないのである。すべては再び、三度めぐってくるからこそ、「今夜」はただ一度しかないのである。ここには、何か通常の論理には収まりきらない、得体の知れない認識がある。そしてここには、スプリングスティーンにとっての、そしてアメリカと、アメリカ化された世界にとっての「救済」とは何かというテーマに連なる、きわめて重要な問題がはらまれていると思う。『ネブラスカ』をつくった頃、スプリングスティーンはフラナリー・オコナーを読んでいた。不治の奇病で若くして死んだアメリカの、カソリックの、女性の作家であるオコナーの苛酷な世界(短編集が新潮文庫に収められているほか、最近も何か邦訳が出たはず)は、ほとんどそのまま表題曲「ネブラスカ」に移し替えられている。生ギター1本をバックにしずかに歌われる、「電気椅子の上では、愛する彼女が膝に乗っかっているようにしてほしい」という連続殺人犯の独白に。そして強い日差しと乾ききった土地に、”閉ざす柵がどこにもないために、決して外へ出ていくことができない”とでもいうかのような暮らしを淡々とつづける人々の、まるでカフカの作品のようなこのアメリカで、ひとりの比類なく切れる表現者によって他の場所よりも早くそんな〈閉塞〉と〈救済〉の主題が見いだされたことは、決して偶然ではないはずだ。  (25時57分)

 アメリカ合州国との国境に接するメキシコの町ティファナの、店がほとんど入っていないショッピング・モール。