8月20日(木)

 日本に帰る日が近づいてきた。荷物もまとめ始めたし、世話になった人たちに挨拶まわり――というほどまわる先もないのだが――もあと少し。家財道具の引き取り手も、だいたい決まって一安心というところ。
 最後の半年になってから、パーティーに招かれたり、2階の住人たちとはじめて長く話したり、やっと現地の人間たちと交流ができてきて、会話もこわくなくなって、だいぶ慣れたなあと思ったら、もう帰国の期限だ。ほんとうに、よくあることだと思うのだけれど。なんでも準備万端整えて、ということがどうもできないツケが、こういう重要な局面ではっきりまわってくるなあ。まあ、いいんだけどね。これが最後の海外滞在のチャンスというわけでもないし。もう数年後の計画を、いろいろ練り始めているのだ。こんどは英語力ももっともっと磨いて、またアメリカに来てみたい。

 今月のはじめに3、4日ぐらい暑い日があったほかは、涼しい日々が続いている。特に曇りの日の朝方なんかは、布団から這い出るとまず暖房をつけないと、寒い。寒いと思って長袖シャツを着て出かけると、昼過ぎにはたいてい快晴になって、帰るころにはけっこう暑くなる、という気候が続いている。でも、このところ、ほとんど図書館かコピーショップにいるので、あまり天気は関係なくて、あんまり晴れているとなにか損したような気がしてくる。

 今週から新入生のオリエンテーションが始まっていて(講義は来週から)、キャンパス周辺にはまた人が溢れだした。大学の南門から生えている、テレグラフ・アベニューという目抜き通りの露天も、数が増えた気がする。ここには、「今いったい何年代なんだ?!」という感じで、わけのわからんジュエリーだのステッカーだの、「わたしは米粒にあなたの名前が書けます」だのという「ヒッピー」そのものたちの店が色とりどりにならんでいるのだが、その中にジャマイカンな出で立ちのにーちゃんが「お香」を売っている露天があって、その前を通るとお香のかおりがむんむんと立ちこめている。そのかおりも、夏休み中より強くなっていた。
 バークレーで印象的なことの一つは、そうした香りの強烈さだ。以前にも書いたけれど、雨期が終わった後、まるでエドモンド・ハミルトンの傑作短編に描かれた加速植物(というか本当は反対で、植物の時間感覚を身につけた人間の目から見ると、森は激しくうごめいている、という話)のように、躍動的にむくむく湧きあがってきて、咲き乱れる花々の、くらくらするような匂い。住宅街の歩道を歩いていると、次々に違う匂いが押し寄せてきて、花の匂いに包まれているようだった。そして人でごったがえすテレグラフ通りの、不意をつくお香の匂い。ピザ屋の前を通り過ぎるときには、もちろんチーズの匂い。すれちがうときに感じることがある、日本人にはない体臭。そしてときどき漂ってくる、マリファナらしきものの匂い。

 ただひとつ、東京とちがうのは、タバコの臭いがあまりしないことだな。こちらで、禁煙しようと思うのだがなかなかできなくてねえ、と言っていた人が日本の家からメールをくれて、成田について最初に感じたのはとにかく「タバコ臭い」ということだった、と書いていた。自分も本気でやめる気になったそうだ(まだいまいち信用しきれんが)。アメリカの文句なしにいいところ、それは何よりもカフェがタバコ臭くなく、空気がきれいなので、飲み物が安いこともあって、気楽に長時間いられるということだろう。日本ではそんな喫茶店にはなかなかお目にかかれない。人混みで火のついたタバコを指にはさんでふらふら歩いている馬鹿がたくさんいて、それでやけどをさせられたこともある。そのとき以上の殺意を感じたことは未だない。嫌煙というファシズム? どうでもいいことだ。なんで公共の場で、臭い毒の煙をまきちらしていて平気なのかわからんね。そういうことを言うやつは、いきなり自分の足に痰や小便を引っかけられても文句を言うな。嫌煙がファシズムなら、嫌痰も嫌便もファシズムだろ。しかし、そういうやつに限って、自分が汚されるとやたらキレたりするのだ。昔、岩谷宏が、自分の車の室内がよごれないようにタバコの吸いがらを窓から外に捨てる奴等を抹殺しろと書いていたが、完全に同感する。岩谷さんも、『ロッキング・オン』を離れて、日和って考えをマイルドにしたりしてないだろうな。狭山湖周辺で、暴走族の事故が頻発していた道路を、ゴミどもを減らすためにもっともっと事故が起きるように改良すべきだと主張したあんたの心意気に、少年だったアタシは、どこまでもついていきますと誓ったんだからね。
 それはともかく、喫茶店のなかで、いきなりその辺で小便たれてるやつがいたら、つまみ出されても仕方ないと思うんだけどね。駅の券売機の前あたりで、ならびながら前の人の足に小便引っかけてるやつも、殴り飛ばされても仕方ない。もちろん「仕方ない」ってことに絶対的な根拠などないってのは当たり前の話だよ。しょせん、何が善で何が悪かなんてのは、数の政治にすぎないのだ。そういうわけで、他人のいるところでタバコを吸うやつは、それくらいの扱いをされても仕方がないというぐらいの規範が近い将来に成立することを、切に望みたい。もちろん、まわりに断った上で「ああ、どうぞどうぞ」と言われれば、いいんじゃないすか。まあ基本的には、タバコは便所で吸うものということにするのがいいと思うが、そこまで行かずとも、戸外で、人混み以外なら、いいでしょう。立ち小便だって、野グソだって、どうしてもしたいときもあるしな。UCBでも、キャンパスではけっこう喫煙者はいる。でも、日本みたいにそこら辺で平気でゲロ吐いてるやつは、まだ見たことないですが。とにかく、タバコとゲロとセクハラに関しては、私は断固たる脱亜論者ですね。

 いま、ポール・ポペノーという人の書いたものを探して、息切らせながらコピーしている。主に1910年代後半から30年代いっぱいにかけて活躍した人物で、カリフォルニアにおける優生学運動のリーダーの一人だった。
 カリフォルニアという土地は何から何までも特別だ。青空と、ビーチと、自由の天地。それは決して嘘ではない。しかし他方では、移民(特に東・南ヨーロッパ、アジアからの)に対する規制のもっとも苛酷な州、そしてそれと関連して、アメリカにおける優生学的施策の最前衛であり続けてきた州でもある。第一次大戦以前、多くの州が強制断種法をつくりながら、実際にはなかなか運用しきれないまま、違憲判断が出たりして廃れていく時期にも、カリフォルニア州はそれを単なる法律ではなく現実の政策として行なっていった。「優生学と女性・関係年表」にも記述があるが、ある時期、アメリカ全体の過半数の断種手術は、カリフォルニアで行なわれていたのである。そうした体質は実は現在も変わっていなくて、ヴァージニア州とともに、優生学的施策の先進州であり続けている(Troy Duster, Backdoor to Eugenics, Routledge, 1990, を参照)。

 そのような場所であるカリフォルニアで、その名も「人間改良財団」を設立して、優生学運動をリードしたのがこのポペノーという人なのである。だが彼の活動範囲は、カリフォルニア、そしてアメリカ合州国だけにとどまってはいなかった。近年、シュテファン・キュール(Stefan Kuhl, The Nazi Connection: Eugenics, American Racism, and German National Socialism, Oxford University Press, 1944)がその詳細を明らかにしたように、ナチス・ドイツの優生政策はカリフォルニア州の政策をひとつのモデルとして、それを発展させたものだとも言えるのだが、ポペノーは自らドイツに行き、またドイツやフランスなどの優生学の動きを俊敏にアメリカに伝え、海を越えた交流にも貢献したのだった。ナチス・ドイツとカリフォルニア。多くの人が抱くイメージにおいては、まったく相反するであろう二つの場所は、しかし「優生学」という一点で緊密に連絡しあい、影響しあっていた。

 ここに、日本も絡んでくる。日本政府が、ドイツの「不良子孫予防法」を参考にして「国民優生法」をつくり、それが戦後の「優生保護法」へと展開していったのは今ではよく知られたことだが、1930年代の数年間に、池田林儀という元ジャーナリストの優生学者がドイツに留学しており、そこでポペノーと会って、影響を受けたとされている(鈴木善次『日本の優生学』)。ナチス・ドイツ、カリフォルニア、そして日本のトライアングルな関係がそこには成立していたのだ。ただし、池田がその後の日本でどれだけの影響を持ち得たのか、具体的に、彼がポペノーの考えのどの部分に共鳴し、どの部分は受け入れなかったのか、などの調査はまだこれからなので、わからない。基本的には、池田が直接に政策に影響を与えたということはなさそうだ。しかし、当時の言説空間には、それなりの波紋を拡げたのではないかという見通しを、僕は持っている。彼はとても興味深い人物で、まだ読んではいないのだが、帝国主義的な経済学書の翻訳紹介なんかもやっているし、朝鮮にかかわる仕事もしている。そして『東西女性発達史』(これは偶然現物を持っている)なんて本を書いて、女性の地位向上も訴えている。このあたりの線をたどっていけば、フェミニズム運動、特に産児制限運動と優生学とのかかわりという目下のテーマを、先ほどのトライアングルのスケールにおいて跡づけるという目論みも、やがては像を結んでいくのではないかと思っているのだが、どうなることか。

 それにしても、優生学の欲望とは何なのだろう。人間の質的選別、そして育種という発想自体ははるか昔からあるが、それをフランシス・ゴールトン以降の近代的優生学と同一視することはできない。ちょうど、ギリシアの神殿で行なわれていた宗教的売春を、近代資本主義下の産業としての買売春と同一視することが粗雑に過ぎるのと同じように。ひとつには、それは帝国主義と密接に結びついていて、そこから現代にまで至る、人種問題としての優生学、という側面が浮かび上がってくる。実際、アメリカにおける優生学研究は、主として人種差別という観点から行われているようだ。だが優生学本来のポテンシャルは、言うまでもなく人種差別を越えている。実際、アメリカにおける優生学確立者のひとりであるチャールズ・ダベンポート自ら、移民の選別は人種や民族ではなく、個々人の能力に基づいて行なうべきだと主張していた(ダニエル・ケブルズ『優生学の名の下に』朝日新聞社;Phillip Reilly, The Surgical Solution: A History of Involuntary Sterilization in the United States, Johns Hopkins University Press, 1991, ほか)。そのような、いわば「純粋な」優生学者が用いる「人種(race)」という概念は、特定の人種ではなく、要するに人類という種全体のことである。福祉予算の問題も、たしかに議論の焦点のひとつだった。それは今でも繰り返し蒸し返される話だ。だが、優生学の射程は、それさえも超えている。種が向上してゆくこと、より高みへと昇っていくこと、そのような崇高な運動に対する夾雑物として、精神薄弱者や性犯罪者やてんかん患者はカウントされていた。そこには何か「差別」といったこととは少し次元の異なる、得体の知れない感じがある。それはキリスト教的な感覚で、日本文化とは別種のものなのだろうか。もう消え去ってしまった感覚なのだろうか。生殖というものが優生学の考えるようなものだとしたら、男と女の関係、そして妊娠・出産の当事者である女という存在は、どのように位置づけられるのだろうか。そのあたりまでくると、ここで簡単に書けることではない。いずれ完成させるだろう書物のなかで解答を出して行くしかない。

 付け加えておくと、以上のような関心との絡みで、僕はH・G・ウエルズという人に、とても興味を持っているのだが、英文学の人に聞いたら、あんまりちゃんと研究されていないらしい。そういえば、名声のわりには翻訳も少ないしな(あるのかもしれないが、手に入りにくいよね)。彼の作品は、何より小説として抜群に面白いし、位置的に見ても、すばらしい研究素材だと思うんだけどなあ。誰か、やってくださいな。俺に英文学者のような英語力があったらやるのにな。生まれ変わらんと無理だね。(24時24分)