1998年9月7日(火)

 引っ越し準備の作業のあいまに、インスタント・ラーメン(とんこつ味)を食ってレナード・コーエンのライヴ・アルバムを聴いていたら、穴に落ちるように眠ってしまって、途中で切れ切れに曲が聞こえてきたものの、やっと体を起こすことができたときには、CDはすっかり終わっていた。TVで二時間ドラマの最初と最後だけ観ることに決めているらしい僕のぼけかけた母親(当年66歳)に匹敵するていたらくだ。最近、午後になると、たまらなく眠くて眠くてどうしようもなくなることが多い。夜、あまりぐっすりと眠れないからだと思うのだが、それがそもそも歳をとって、体力がなくなってきた徴候だという話もある。老人が早寝、早起きなのは、体力がないせいで、長時間続けて眠るということができないからだというのだ。確かにそんな気もする。なにしろ、ノストラダムスが人類の破滅の年だと予言した(かどうか定かではないのだが)1999年まで、あとたった1年、いやそれさえも切っているのだ。すべてが滅茶苦茶になった地上で、洪水だか超光化学スモッグだかに巻き込まれて、苦しみながら死んでいく37歳の自分のイメージに震え上がっていた10歳の頃、怖かったのはあくまでも「自分」が苦しみ死ぬということで、「37歳」のイメージなど、具体的には何も持ってはいなかった。そんな遥かな年齢に、現実の自分はもうほんの少しで届こうとしている。それはとても不思議なことだ。歳をとるということ。歳をとる、というやり方で、生物が存在しているということ。そのような、存在か認識かを問うことそのものが厳密に無意味であるような世界の条件としての、時間。

 イアン・ワトソンの「超低速時間移行機」というタイム・マシンものの傑作があって、そこでは、簡単に言うと、50年後の未来に進むための推進力を得るために、まず過去にゆっくり遡ることが必要という、奇妙な機械について語られていた。その遡っていく過程の叙述はとても難解だったように記憶しているけれど、三島由紀夫がかつてA・C・クラークの古典的名作『幼年期の終わり』について言った「不快な傑作」という言葉を思い起こさせるような、何とも言い難い不快さ、自分の肉体が強靱な力で、ほんのわずかずつ自分の意識の軸から無理やりにずらされていくような感覚があって、ワトソンの力技にうなったものだった。イアン・ワトソンといえば、垂直な壁だけの世界に暮らす人々の日常とか(題名は忘れた)、人間の意識を移植された巨大なマッコウクジラの世界をあくまでもクジラの側から描く(『ヨナ・キット』)とか、無謀な試みを平気で(かどうかは知らないが)やりつづけて、成功しているのかどうかさえわからない奇妙な作品を次々に生み出してきた奇才なのだが(現在、早川文庫で訳が出ているシリーズものの長編も、いいものだそうだ)、やはり出世作の「超低速時間旅行記」の不快さは抜きんでているような気がする。ワトソンには流麗な文体も、小説としての技巧も何もないのだが、その代わり、いやそれゆえに、SFを通じてしか発揮されえない種類の「知」があって、それによって生み出される世界のビジョンは、生理的というよりももっと深いレベルの、存在することの不快さそのものに触れる瞬間がある。そしてそれは、感性なんてものじゃなくて、紛れもなく鈍器のような「知」によってしか、触れられることのできないものなのだと思う。

 日本の作家で「知」の人というと、僕がまず思い出すのは太宰治だ。太宰はなんというか、知性派の作家というふうには思われていなくて、桜桃忌とかなんとか、まあガキがお熱をあげる小説家みたいな扱いが定着してしまっているようだけど、「ダス・ゲマイネ」みたいなものを読むと、あからさまに知性知性した作家だなあと思う。でも、僕がここで言いたい「知」は、そういうもののことではないんだ。たぶん「ダス・ゲマイネ」から直ちに読みとれる種類の頭のよさなんて、実際に頭の良い太宰自身にとっても、何ほどのこともなかったのではないだろうか。それよりも彼の透徹は、資本論を講義する秘密の集会に誘われて出席してみたときの感想を綴ったエッセイとか、あるいは、『走れメロス』みたいな作品のなかにこそ、ふっと顕れているように思える。どちらも、いま手元に本がないので確かめられないのだが、前者では階級社会の矛盾について聴きながら「話はいちいちもっともに思われたが、そんなことでは人間のどうしようもなさは掴まえられない」みたいなことを書いていたと思う。ここで重要なのは、マルクス主義者の話が「いちいちもっともに思われた」という部分だ。難しい話を聞いて何もわからず、腹いせに「そんなことで世の中がわかるかい」とうそぶくという類の、ただ単に頭の悪い反インテリは、文字通り掃いて捨てるほどいる。そういうやつらを、職業が何であるかにかかわらず(大学教授だってそんなやつらはいっぱいいる)、大衆と呼ぶのだ。いうまでもなく、太宰は大衆ではなかった。生まれた家柄とかも関係あったのだろうが、とにかくそれ以上に頭の良かった太宰にとって、青年弁士の資本論講義を理解することなど確かにたやすかっただろう。彼は、ほんとうに社会科学が説く階級社会の構造的矛盾を理解したのだろう。その上で、人間には、そんなことでは触れることのできないどうしようもなさがあるのだと、彼は書いたのだ。ほんとうに得体のしれないものは、その存在自体が得体の知れない大衆には決して見えない。それは、太宰のように突き抜けた「知」だけが見ることのできたものであり、そして、そこにこそ、大衆とは違う彼の「どうしようもなさ」があったのだと思う。

 『走れメロス』は、友情を歌い上げた能天気な少年向け読み物と思われているみたいだけど、そしてそういう性格を否定する必要はないとは思うけれど(最初に読むときは十分手に汗握るおもしろい読み物なのだから)、それだけの作品だったら、太宰治のものであるはずはない。これは、友情の物語では、「ない」。少なくとも、ドラマの途中からは、そうではなくなってしまっている。これはまったく穿った見方などではないんだ。なぜなら、主人公メロス自身がそのように語っているのだから。
 物語の終盤、もうどうやっても友人の処刑に間に合わないだろうと思われる状況に陥りながら、それでも走り続けるメロスに人は問いかける。あなたはなぜ走るのかと。そのとき、メロスはおよそこんなふうに答えていたはずだ。「私にもわからない。友情のためではない。何かもっと大きな、怖ろしいもののために走り続けているのだ」と。
 友情のためでは、もはや、ない。メロスは、戻ってくると約束した。約束を守ることは、必ずしも友情を尊重することとイコールではない。ここには、「人間とは約束をする動物である」と言ったニーチェにも通じる倫理学あるいは反倫理学が顔を見せていると言うべきかもしれない。だが注意しなければならないのは、倫理だとしても、それが「怖ろしいもの」である、ということだ(この表現の記憶は確かだと思う)。友情という制度を越えた、何か大きく、怖ろしいもの。それは、あの夜の薄暗い学習会で太宰が感じた、社会科学の明快な視線が決してとらえることのできない、人間の得体のしれない水準と、呼応する認識であるように思われる。

 と、そんなことを、故ジェフ・バックリーLive at Sin-e(最後のeには、アクサン・テギュをつけてください)を聴きながら考えていたら、夕方になって(まだ陽は高いけれど)、少し涼しくなってきた。この3日間ぐらい、バークレーとしては異常な暑さだったのだ。今日のLabor dayまで含む三連休は、絶好の観光日よりになりました、というところ。それとも、ジェフ君のあまりに研ぎ澄まされた歌とギターのせいで、空気までひんやりしてしまったのか。僕よりもずっと若いジェフ・バックリーは、洪水ならぬ、川で溺れて死んだのだという。死はすべて偶然の産物であり、必然的な死などどこにもあるはずはないけれど、日本公演で見た、そして聴いたジェフ・バックリーは、確かにすでにこの世の人とは思えなかった。そして、とても不謹慎な話であることは承知しているが、彼は劫火に焼かれるよりも、冷たい水に飲み込まれて消えていく方が、どうしても似合っていたように思えて、なんとなく納得してしまいそうになるのだ。(5時40分)