1999年4月6日(火)

 きのうは人から誘ってもらい、渋谷のシアターコクーンに『半神』(原作・脚本 萩尾望都/脚本・演出 野田秀樹)を観に行った。1986年に初演され、その後再演を重ねた演劇の、9年ぶりの再演。すごくおもしろかったのだけれど、ものすごく、とは言えない。ひとつには、席が最後列から二番目で、舞台からかなり遠かったこと。役者の肉体と声がそこにあると感じることが演劇を観るという体験の重要な構成要素なのだから、これは哀しい。しかも、二階席だと上から役者たちを見下ろす格好になるが、これもあまりよくないのではないだろうか。舞台の役者は心持ち見上げるようにしてせりふを言うので、二階席からだとちょうど役者と観客が顔を見合わせるかたちになる。そうするとなんかTVみたいな雰囲気になって、ちょっと引いた感じで劇を観ることになる。これが最前列なんかだと、客は舞台を見上げることになるわけで、視線の先にいる役者たちはまた別のところを見ている、そうすると自分の視線がさらにその先へと継がれて延びていくような開放感が生まれてくるんじゃないかと思う。観客はあくまで観客でありながら、ごく素朴な意味で、演劇がつくりだす時空に参加することになる。そうやって、ノレるわけだ。後ろの方の列では、そういうエクスタシーが味わいにくい。

 「もの」がつかないもう一つの理由は、僕が萩尾さんの原作にあまりに飲み込まれてしまっていること。野田秀樹の台本では、主人公のシャム双生児たちが手術で切り離された後の状況に、原作よりももうひとつかふたつの屈折を加えられている。原作では、醜く聡明なシュラが生き残り、美しく痴愚のマリアが衰えてゆくのだが、ここではまずマリアが、美しさはそのままに、シュラから譲り受けた聡明な魂をも兼ね備えた存在として再登場するのだ。それでは原作とはまったく異なる解釈なのかというと、そう簡単には言い切れない。ただ、切り離された後、シュラがだんだん美しくなってゆき、マリアは少しずつ醜く滅びてゆく、そしてかつての醜かったシュラそっくりの姿でベッドに横たわる、かつてマリアだったものを見いだしたシュラの言い得ぬ心のふるえ、という原作の核心そのものは、ここには(別のかたちをとった表現としてであれ)ないような気がした。複雑に入り組んだ演劇版は難解で、いまの箇所も重層的な構造になっているのだが(その辺のことについては、きっとたくさんの人がいろいろ書いてきたのだろう)、それは原作版の、きわめて単純でありながら底知れないような難解さとは異質なものであるように思えた。実際、僕は萩尾望都のあの短い「半神」を、途方もなく悲しい神話であるかのように読んできたのだが、何十回読んでも、それがどうしてあれほどに悲しいのか、なぜかよくわからないのだ。

 しかしまあ「もの」がつけられない第三の理由は、僕が演劇をよく知らないしわかっていないというところにあるのだ。だいたい、人に誘われたときにしか演劇というものを観に行くことはないので、いままで劇場に出かけたことは数回しかない。初めて観た劇はたぶん高校生か浪人生の頃、友達に誘われて、寺山修司の追悼公演『邪宗門』だったと思う。それもおもしろかったし、観たものはほぼみんなおもしろいと思ったのだけれど、自分で積極的に調べたり観に行ったりするようにはならなかった。なぜかは、わかりません。そういうわけで、この辺でやめておいた方が、いらぬ恥をかかないで済みそうだ。

 ひとつだけ付け加えておくと、出演者たちの体力、集中力、本気さは、無条件に賞賛したくなった。準主役の勝村政信は僕より多少若い程度だと思うが、声はよく出るし、ずっと飛んだり跳ねたり駆け回ったりしていても、息一つ切れてなかった。野田秀樹の動きも驚異的。のんしゃらんとした風でありながら、実は鍛え抜いている。僕はどうしても、そういうのが好きなんだ。太ったミュージシャンが、昔の名前で出しゃばってきて、よたよたしたプレイを聴かせて、それでも拍手みたいなのって、そういうデタラメさがロックの不可欠の一要素なんだろうなあと思ったりはするけれど、やっぱり嫌なのだ。どんな分野であれ、現役ですと言うからには、現役にふさわしい鍛錬と継続的な活動をしてなくちゃ。どう考えたって、ジェフ・ベックやロバート・フリップと比べて、一時期のジミー・ペイジは見たくなかったでしょ。いまのペイジはいい。音楽は、そんなに大したことないと思うけど、少なくとも恥ずかしくない現役に復帰してる。何年か前に、なんかのイベントでロバート・プラントとやった「復活ライブ」なんて、ほんと笑っちゃった、そしてそれを通り越して怒ったもん。どよーんと太ってるだけならともかく、指も動かないのに「ハートブレイカー」なんかやって、案の定みっともないソロを延々やって、かえって大受けという、ほとんど『さんまのからくりTV』の「ご長寿早押しクイズ」状態だったあのときを考えれば、ペイジ&プラントのアルバムなんて、奇跡の大復活だったと思う。しかしペイジばかりを責めているわけにはいかない。このワタクシも、だんだんあちこちが痛かったり動かなかったり、体力も落ちているし、この辺で活を入れ直さんといかん瀬戸際なのだ。

 この何ヶ月かに観た映画でよかったのは、去年の年末に観た『ぼくのバラ色の人生』(アラン・ベルリネール監督)。ゲイで性別不快症の小学生の話。というと身も蓋もないが、とにかく主役の男の子がかわいくて、同級生の男子に恋して変態扱いされるところなんかは、もう切なくって。これはよかった。あと、北野武監督の映画をビデオでいくつか観たけど、期待してた以上によかった。『ソナチネ』も『HANABI』も、実に立派!な映画だった。特に『ソナチネ』は、綺麗な映画だったなあ。