切通理作『地球はウルトラマンの星』
 (ソニー・マガジンズ、2000年)

 かつて切通理作は名著『怪獣使いと少年』において、あの宇宙の彼方に輝くウルトラの星に「皆、戦いに出てしまって誰もいない星」という荒涼たる光景を与えた。それは、いつも困ったときにはウルトラマンが助けてくれるという残酷な甘えにまどろんでいた一つの世代に「他なるもの」の側への視線を開かせる、決定的なイメージだったと思う。自らの生活を脅かす隣人たち(=怪獣)をひたすら暴力によって殺戮するだけでなく、自分たちのためにその一命を賭してくれる隣人ならざる超人たちの絶望を思いやることさえしなかった人類の幼児性、それをいかに乗り越えるか。

 一九九〇年代後半に製作された新しいウルトラマン三部作(ティガ・ダイナ・ガイア)は、そのような批評的視線に真正面から応える明確なテーマ性をもっている。新しい超人たちには、かつてのような帰るべき故郷はない。かれらは地球のものであり、遙かな太古からこの地の守り神なのだから。怪獣たちもまた、人間自身がもたらした環境破壊や人間の心の闇そのものから生まれてくるという隣人性が強調される。味方も敵も、遠い「どこか」ではなく、私たちの傍らに、あるいは私たち自身の内部にいるのだ。それゆえ三部作は、ウルトラマンに助けられながらも、人類がなお自らの愚かさを自覚しつつ隣人との共存を求めて一歩ずつ前進してゆく、カント的啓蒙の物語となった。

 そのようなウルトラ・シリーズそのものの展開に切通氏が再び応えた成果が、三部作に関わった総勢三六人へのインタビューを小さな活字で二段組に詰め込んだ、この分厚い書物である。ウルトラ・シリーズに思い入れのない人が手に取るべき本ではなく、『怪獣使い』のような思想的起爆力も薄い。けれども、物語も特撮も極めて優れた新しいウルトラマンを愛し、そこに自分自身の生きる課題の断片をも見てとったマニアたちのための資料として、これ以上充実したものは考えられない。今後数十年間、新三部作の傍らで読み継がれてゆくことを約束された、幸福な労作である。

 (『東京新聞』2000年5月21日朝刊)