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    Eugenics and Gender


1946 GBR John Fraser Roberts.イギリス最初の遺伝相談クリニックを、ロンドンのグレート・オーモンド街にある小児病院に創設。
1946 USA チャップリンが実父であるとして訴えられた事件で、カリフォルニア州最高裁は血液型の検査結果では親子関係があり得ないとされているにもかかわらず、実の父親と認めた下級審の判決を支持。その後、判例として広く引用される。
1947 GBR スコットランドで第2回のIQ調査。
1947 GBR JPN James Neel. アメリカ政府の科学医学調査団の一員として、広島と長崎の住民に対する原爆の遺伝的影響を調べはじめる。その後、毎年日本で調査を続行。
1947 JPN 石井友幸(生物学者)「優生学批判」『生物学と唯物弁証法』[環境を重視]
1948 JPN 「優生保護法」成立。
1949 GBR Lionel Penrose. The Biology of Mental Defect. [先天性あるいは遺伝性の致死性奇形の研究における最高峰]
1949 USA Hermann J. Muller. American Society of Human Geneticsにおける会長講演“Our Load of Mutations.”[現代医療が遺伝子プールに悪影響を及ぼすことに警鐘]
1949 JPN 国立遺伝学研究所設立(静岡県三島市)。
1950 (W) UNESCO: Statement on Race. [人種主義を否定。起草者に、Klineberg, Muller, Huxleyなど]
1950 GBR Robert R. Race & Ruth Sanger. The Blood Groups of Man.
1950 USA American Society of Human Genetics.設立
1952 USA Frederic Osborn. Population Councilを組織。
1952 MEX Roberto Mac-Lean y Estenos. La Eugenesia en America.
1953 USA James D. Watson & Francis Crick. DNAの二重らせん構造を発表。
1954 GBR Anthony C. Allison. 鎌形赤血球形質とマラリア耐性との関連性を証明。
1954 GBR Lionel Penrose. ゴールトン研究所の刊行物の名称を、Annals of Eugenics.からAnnals of Human Genetics.に変更。自分が教授を務めている「ゴールトン記念優生学講座」の名称も、「ゴールトン記念人類遺伝学講座」に変更させる。
1954 USA Ameirican Journal of Human Genetics.創刊
1954 USA James Neel & William J. Schull. The Effect of Exposure to the Atomic Bombs on Pregnancy Termination in Hiroshima and Nagasaki.
1954 USA James Neel & William J. Schull. Human Heredity. [遺伝学の教科書。過去の優生学の危険性を批判]
1955 GBR Frederic Sanger. 牛のインシュリンのアミノ酸配列を解明。タンパク質がアミノ酸の鎖から構成されていることを証明。
1955   Joe-Hin Tjio & Albert Levan. ヒトの染色体数(23対、46本)を確定(発表は翌年)。
1956 (W) 第1回国際人類遺伝学会議。
1956 JPN 日本人類遺伝学会創立。初代会長は古畑種基。
1958 USA George W. Beadle. 遺伝と会社過程の研究によってノーベル賞を受賞。
1959 USA ダーウィン『種の起源』出版100周年記念会議(シカゴ大学)。
1960   ダウン症の原因が第21トリソミーであることが確立。
1961 JPN 吉益ら『優生学』南江堂
1962 USA Hermann J. Muller. Studies in Genitics: The Selected Papers of H. J. Muller.
1965 USA Patircia Jacobs. 「危険で暴力的で犯罪癖のある」患者を治療するスコットランドの病院の男性入院患者が余分なY染色体を異常なほど高い割合で持っていること(XYY男性)を発見したと発表。
1966 (W) 第3回国際人類遺伝学会議。会長にはHaldaneが選出されたが、直前に死去したため、Penroseが継ぐ。
1967 GBR 優生条項(the eugenic clause)成立。
1967 USA Wolstenholme ed. Man and His Future. [本書に記録されたシンポジウムでFrancis CrickはMullerの精子銀行構想に賛意を表し、「どうして人間は子供を産む権利を持たなければならないのだろうか」と問い、出産の許可制度を提案した。]
1968/69 USA テキサス州フォートブリスの基地で、4人の黒人新兵が訓練中に死亡、鎌形赤血球症にかかっていたことが判明。以後、鎌形赤血球の保持者が地上勤務にまわされるなどの問題が生じる。
1969 USA Arthur R. Jensen. “How Much Can We Boost IQ and Scholastic Achievement?” Harvard Educational Review, 33. [知能と人種の因果関係を主張。後、激しい議論の的になる]
1969 USA Albert Rosenfeld. “The Second Genesis.” Life, 23 (June 13)
1969 USA 分子生物学者Robert L. Sinsheimer. “The Prospect of Desihned Genetic Change.” Engineering and Science, 32. [遺伝の生化学の知識と進化の仕組みに関するわれわれの理解の、劇的ともいえる進歩に'基づく新しい優生学」の誕生を示唆]
1969 JPN 太田典礼『日本産児調節史』
1970 GBR Robert Edwards.体外受精卵の培養に成功したことを報告。
1970 USA Paul Ramsey. Fabricated Man. [プリンストン大学宗教学教授。「危機をはらんだ顕著な遺伝病」が拡がるのを防ぐため、国家は結婚許可権を行使しても良いと主張]
1970 USA Jerome Lejene. “On the nature of Men.” American Jounal of Human Genetics, 22. [トリソミー21の発見に重要な役割を果たした生化学者。70年代に、反中絶運動の急先鋒として発言]
1970 USA Marian S. Olden. Human Betterment Was Our Goal.
1970 USA Marian S. Olden. Sterilization League of New Jersey.
1970 USA Marian S. Olden. From Birthright, Inc., to Voluntary Sterilization.
1970 JPN 今西錦司『私の進化論』
1971 GBR Hans J. Eysenck. The I.Q. Argument: Race, Intelligence and Education.
1971 USA Robert K. Graham.マラーの死後4年目にして、未亡人の反対にもかかわらず、Hermann J. Muller Repository for Germinal Choiceを設立。後にCalifornia州Escondidoに事務所を構え、Repository for 'Germinal Choiceを正式名称とする。
1971 USA Shockley. American Psychological Association年次総会にて、知能の低い人々の断種に金銭的刺激を与えて奨励することを提案。
1972 USA American Eugenics Society.改組してSociety for the Study of Social Biology.となる。
1972 USA Arthur R. Jensen. Genetics and Education. [1969年の論文を含む]
1972 USA 国家鎌形赤血球貧血症管理法、国家クーリー貧血症管理法成立。
1973 USA Roe vs. Wade判決。[妊娠中絶の合憲性を基本的に認める]
1973 USA 12歳と14歳の南部の黒人姉妹が連邦政府の経済機会均等局(Office of Economic Opportunity)の援助で断種手術を受けるが、本人たちの同意確認は曖昧であった。
1973 USA Genetic Society of America.遺伝と人種と知能に関する声明を出すことを決定。
1974 USA Fortune誌に、自発的な診断と妊娠中絶によってダウン症候群の発生を減少させるために、二〇年以上にわたって約五〇億ドルが費やされたという公衆衛生局の元健康管理専門家の発言が載る。
1975 GBR Hans J. Eysenck. The Inequality of Man.
1975 USA Edward Wilson. Sociobiology: The New Synthesis.
1975 USA Harry Harris. Prenatal Diagnosis and Selective Abortion.
1975 USA Monroe E. Price &  Robert A. Burt. The Mentally Retarded Citizen and the Law. [われわれはバック対ベルの時代と隔たっていないと警告]
1976 USA 国家遺伝病対策法成立。[先の二つの法律を吸収し、さらにテイ・サックス病、嚢胞性繊維症、ハンチントン病、筋ジストロフィーなどをカバー]
1976 USA Lichard C. Lewontin. “Race and Intelligence.” N.J.Block & Gerald Dworkin. eds. The IQ COntroversy: Critical Readings. [ジェンセンの議論を徹底的に反駁]
1976 USA Genetic Society of Americaの声明は結局、学会名を入れず、前会員の半数を超える一三九〇人の連名で発表される。
1976 USA インディアンを管理する保健衛生当局(Indian Health Service)が数千人もの成人女性を当人の同意なしに断種していたことが報道される。
1978 GBR Steptoe & Edwards. 世界初の体外受精児Louise Brownを誕生させる。
1978 USA Edward Wilson. On Human Nature.
1978 USA Edward Wilson. Association for the Advancement of Science of Science in Washington, D.C.における社会生物学のパネルディスカッションに参加するが、聴衆の一部に発言を封じられ、バケツの水をかけられる。
1978 USA Dolores Becker and Hetty Park and their husbands.いわゆる“Wrongful Life”訴訟を起こし、ニューヨーク州控訴裁判所は「妊娠に際しての危険性をあらかじめ警告しなかった医師を[両親は]訴える権利があり、産科医の過失が立証されるならば、あらかじめ予測し得た遺伝的疾患あるいは障害を持って生まれた子供の看護および養育にかかる特別の費用を保障する責任がある」としたが、ダウン症の娘が'「完全に正常な機能を備えた人間として生まれる基本的権利を妨げられた」とするwrongful lifeの主張については、訴えの利益がないとして退けた。[前者は娘のダウン症に関連、後者は子供の多発性嚢胞腎症に関連]
1980 USA President Commission for the Study of Ethical Problems in Medicine and Biomedical and Behavioral Research発足。
1980 USA カリフォルニア州控訴裁判所、Temar Curlender.テイ・サックス症の娘シャウナを産んだカレンダー夫妻が誤った遺伝子診断を行なった企業に対して行なった1978年の訴えに対し、「シャウナは限られ'た生存期間の間に受ける苦痛と被害について損害賠償を求める権利があり……病状に起因する特別な金銭的損害に対して損害賠償を求める権利を持つ」として、wrongful lifeの概念を認める。
1983 JPN 鈴木善次『日本の優生学――その思想と運動の軌跡』
1993 JPN 鹿児島大学での着床前診断実施の動きに障害者団体等の反発が起こる。
1998 USA 人気女優Jody Fosterが精子銀行を利用して人工授精により妊娠・出産したとの報道がなされる(真相は未確認)。
1998 JPN 日本産科婦人科学会、6月の理事会で、事前の個別審査を条件として、着床前診断に道を開く決定。