テーマ2 セクシュアリティと権力作用――アイデンティティ・歴史・他者
 
3 「性の商品化」をめぐって
 3・1 「性の商品化」とはいかなる問題なのか 
3・1・1 はじめに――「買売春の是非」を論じる前に
「性の自己決定権」論vs.「性道徳」論?
3・1・2 「性道徳」とは何か――「売春」はどのように定義されているか
「売春防止法」(昭和31年公布/32年施行)
(目的)第一条 この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行なうおそれのある女子に対する補導処分及び保護更正の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする。
(定義)第二条 この法律で「売春」とは、@対償を受け、又は受ける約束で、A不特定の相手方と性交することをいう。
(売春の禁止)第三条 何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない。
 
3・1・3 何を問えばよいのか――商品である性と商品ではない性
1) なぜ女の肉体が商品になるのか
  >性的商品としての女の肉体の価値=希少性 >男の性欲? >性道徳の二重規準
★性道徳の二重基準
 第一の水準:男女別の道徳規範(男性に性的放縦を認め、女性のそれはスティグマとする)
 第二の水準:女性の分断/用途別使い分け(貞淑な家庭の妻/売春婦)
2)なぜ「女が売り、男が買う」のか?
 実態としては、「女が男に売る」のではなく、「男同士が女を売買する」というシステムが基本である。
 =「男同士の社会的紐帯〜商品というよりも、むしろ「貨幣としての女」
 3・2 買売春の歴史 
3・2・1 日本における売買春:近世以前
◆中世日本社会における「遊女」の価値下落
ø網野善彦『日本社会と天皇制』岩波ブックレットNO.108
◆古代:「遊行女婦」(あそびめ)〜「神事=遊び」としての性行為
ø大和岩雄『遊女と天皇』白水社
◆平安時代後期:自立した芸能集団としての遊女〜「女性の長者にひきいられ、西国では船にのって、津・泊などの港で、東国では宿を根拠地にして客を呼んでいた」
◆鎌倉初期:遊女・白拍子は「公庭」(こうてい)=朝廷に所属するもの。比較的高い地位。
◆鎌倉後期:遊女をいやしめる風潮が強まってくる。
◆南北朝の動乱期〜室町期:遊女に対する差別の浸透
 〜「傾城屋」(けいせいや)=遊女の家の集まっている場所が、都のなかの小路などにできてくる。そこは「子」(ずし)と呼 ばれ、そこに済む遊女は「子君」(ずしぎみ)と呼ばれた。南北朝期に入るころから、「地獄子」あるいは「カセ子」とい う呼び方が出てくる。「カセ」とは貝の一種で、おそらく女性器を指す言葉。
◆室町時代には、こうした遊女屋は天皇の直属官庁である検非違使庁のもとに統括され、公事(税金)をとられていた。
◆江戸時代にはいると、これらの遊女たちは権力によって特定の場所、遊郭に集住させられてしまうようになり、遊郭は「悪  所」などと呼ばれ、遊女に対する差別ははっきりしてくる。
3・2・2 近世日本における公娼制
 天正一七年(1589年)、秀吉は、京都「二条柳町」に傾城屋を集め営業を許す。後1602年(慶長七年)「六条柳町」に移転。1640年(寛永一七年)、「島原」に再移転。
 秀忠の元和三年(1617年)、幕府は江戸「吉原」に遊郭の地を区画し、翌年営業を開始する。
 〜江戸市中に散在していた娼家を今の中央区掘留二丁目に二町四方の土地を与えて収容したのが、「元吉原」。これが明暦三年(1657年)正月の江戸大火で焼亡し、同年八月に浅草の日本堤に移転した「新吉原」となる。
3・2・3 近代国家と公娼制・売買春産業の発展 (西欧/日本)
◆国家による売買春の管理
◆廃娼運動の意義と限界
3・2・4 第二次大戦後
◆RAA(特殊慰安婦施設協会Recreation and Amusement Association)〜国家の後押しによる売春制度。
 1946年1月、GHQの指令により廃止。→街娼(「パンパン」)の発生→政府は戦前同様に、強制検診・集娼制度を再組織(「キャッチ」)。
 1946年11月、吉田茂内閣は「特殊飲食店街」(通称「赤線」)と称する地域に娼家を集め、営業を許可することを決定、ここに事実上の公娼制度がよみがえる。
 1956年、「売春防止法」によって、赤線廃止。しかしこれも売る側の女性に対する一方的な犯罪者化であり、先に見たとおり、現行の法律では買う側に対する刑事処罰は規定されていない。
 
 3・3 現状――世界市場のなかの買売春 
3・3・1 世界的な人身売買・奴隷状態の蔓延 〜国家的産業としての売買春(外貨獲得・観光資源)
øリン・リーン・リム編著『セックス「産業」――東南アジアにおける売買春の背景』日本労働研究機構、8-9頁
 セックス産業は,国境を越えて広がっている。売春のために女性や子どもを売買する事例も増えている。少数民族や近隣の貧しい国々、特にミャンマー、中国、ラオス、カンボジアの未成年の少女たちがタイに売られてくる。他方で、タイの女性と少女たちは、日本や他の西側諸国に売られていく。1997年1月、タイの保健省が実施した調査によれば、数字は未確認ながら、6万4866人にのぼる商業的セックス・ワーカーのうちタイ人以外の者が16%を占め、そのうち90%はミャンマー人だったという。同調査報告書はまた、近隣諸国から連れて来られて、売春に誘い込まれる少女の数は増加傾向にあると述べている(Bhatiasevi、1997)。別の報告書(Lintner and Lintner、1996)は、ミャンマーから人身売買で連れて来られた売春婦のうち約半数は、すでにエイズ・ウイルスに感染しているという。国際的犯罪組織は、マレーシアで売春させるために南米諸国からさえも女性を調達する。多くのインドネシア人女性、フィリピン人女性が、東マレーシアのサバ、サラワクの両州で売春婦として働き、タイの女性たちは外国人労働者の多いマレーシアのジョホール州で売春婦をしている。また、タイやフィリピンをはじめとする東南アジアの女性たちが、日本、南アフリカ、ヨーロッパ諸国に逆流もしている(Lim and Oishi、1996)。1990年代初頭、日本に合法的に入国したアジア系女性外国人労働者の約80%は、売春婦を椀向的にさす「エンターテイナー」であった。不法入国者はさらに多数であった。また、マレーシア女性がシンガポールや香港で売春婦として働いているという報告もある。西側諸国や日本、台湾/中国(訳註:台湾をさす)の男性が特別に組織されたセックス・ツアーでフィリピンやタイにやって来るセックス観光は、この産業の代表的な一側面である。こうしたツアーは、「航空会社、旅行業者、ホテノレ業界の連結した利害が生み出した商品の一部で、観光と貿易のパッケージ・サービス生産に特化した新しいタイプの集団」(DeDios、1991、PP.3-4)が関与して組織された。しかし近年では、女性団体が先頭にたって国際的なキャンペーンを展開したことにより、このようなツアーが公然と組織されることはなくなっている。だが、国境を越える性取引は盛んである。たとえばマレーシアの男性が、商業的セックスを買うためにタイ南部の国境の町にやって来る。また、シンガポールとマレーシアの男性は、インドネシアのバタム島の売春施設をしばしば訪れるのである。
 
3・3・2 現代日本における売買春の変質?
1)買春・売春への態度
ø『データブックNHK日本人の性行動・性意識』NHK出版
2)「赤線」から「援助交際」へ
ø宮台真司『ブルセラ少女たちの選択』新曜社
3)日本人男性と外国人女性
4)「援助交際」以後
 
 
 
 3・4 「性の商品化」の倫理学 
1)売買春の倫理学における二つの視点の区別
 (「売春防止法」の規定から)
2)倫理学的問いと法的規制の是非の区別
3)「売買春の犯罪化」と「売買春者の犯罪者化」
4)「性の自己決定権」論