テーマ4 ジェンダー/セクシュアリティと新しい生殖技術――女性・家族・医療
4 新しい生殖技術と新しい優生学
★生殖技術を通じた「生命の質」の序列化
ø映画『ガタカ』(米、1997年)〜人間の進路が遺伝情報によって決定される社会。
4・1 優生学とは何か
4・1・1 定義
◆「優生学」(eugenics):Francis Galton, Inquiries into Human Faculty and its Development, Everyman's Library, 1883
「生まれながらに優れている」あるいは「遺伝的優秀性」を意味するギリシア語に由来。「生存により値する人種または血統に対し、劣った人種あるいは血統よりも、より速やかに繁殖する機会を与えることによって」人類を改善する「科学」。
4・1・2 二つの優生学
◆『広辞苑』第4版:「人類の遺伝的素質を改善することを目的とし、悪質の遺伝形質を淘汰し、優良なものを保存することを研究する学問」。
@禁絶的優生学(negative eugenics):断種政策、障害者差別cf. 日本の優生保護法、ドイツのナチズム、北米の断種法
A積極的優生学(positive eugenics):優生結婚、精子銀行cf. G・バーナード・ショーとイザドラ・ダンカンの逸話
4・2 新しい生殖技術と優生学 ø[ビデオ]
4・2・1 精子バンク・卵子バンク[受精以前]
4・2・2 着床前診断(初期杯に対する遺伝子診断)[受精以後]
4・2・3 出生前[胎児]診断[妊娠中・胎児]
ø ジーナ・コラータ『胎児医療の限界にいどむ医師たち』HBJ出版局
4・3 日本における優生政策
4・3・1 国民優生法
◆1940年3月制定。ナチス断種法(不良な子孫の出生を予防する法)を模倣したといわれる。
4・3・2 優生保護法
◆1948年制定、以後数度改正。
ø松原洋子「〈文化国家〉の優生法:優生保護法と国民優生法の断層」『現代思想』Vol.25-4(1997-4):8-21
戦前よりもむしろ優生政策の規定が強化された。国民優生法は、優生目的の断種(不妊手術)の対象を「遺伝性精神病」等、遺伝性疾患という概念枠内に限定しており、強制断種(公益上の必要から医師等が断種を申請し国が実施する断種)は終戦まで実施されなかったが、優生保護法では遺伝性疾患の他に、感染症である「らい病」(ハンセン病)が、また1952年の改正では「遺伝性のもの以外の精神病又は精神薄弱」が、断種対象に新たに加えられた。強制断種も実施されたのは戦後になってからのこと。
4・3・3 母体保護法
◆1996年、優生保護法を改正、優生学的条項を前面削除。
4・4 「幸せ」な恋愛・結婚・家族と優生思想
4・4・1 〈主婦〉の誕生と近代家族の成立 (→テーマ3)
4・4・2 〈恋愛結婚〉の興隆
▼WWU後、「見合い結婚」は衰退の一途をたどり、「恋愛結婚」が主流になっていく。1949年には、見合い結婚が65%、恋愛結婚が22%であったのが、60年代半ばあたりから逆転現象が始まり、90年代になると見合い結婚は15%にとどまり、恋愛結婚が83%にも達する。 ø湯沢雅彦『図説 家族問題の現在』NHKブックス
4・4・3 母子保健事業の流れ
▼1942年(昭和17年):妊産婦手帳〜妊産婦の心得、妊産婦、新生児の健康チェック、分娩記録などを記入。
妊産婦手帳規定(1942年)などに基づく出産管理の目標は4つ:@軍事援助的役割A生産力の役割B国民生活安定上の役割C人的資源増強の重要性。さらには乳児・幼児・保育の必要性が増し、学童保育所や児童相談所の開設が相次いで行われた。世界でも最初の試み。
この年、「国民体力法」改正。2歳末満の乳幼児を対象に「体力手帳」を交付し、体力に関する重要事項をすべて記録するようになる。乳幼児体力検査を全国一斉に実施。
▼1944年 「学校身体検査規定」制定。鍛練や体位の向上を強調するために「学生生徒身体検査規定」を改正。▼1948年:母子手帳〜妊産婦手帳は妊娠中から出生までの記録だったが、母子手帳には出生後の健康チェックや予防接種の記録が付け加えられた。「厚生次官通知母子衛生対策要綱」が出され、乳幼児一斉健診を年に2回行なう。
▼1953年:学校で「知能テスト」始まる。
▼1961年:3歳児の健康診査制度、新生児の訪問指導制度
▼1965年:母子保健法:妊婦検診、乳幼児検診→1966年:母子健康手帳
▼1969年: 「3歳児の精神発達精密健診の実施について」という通達が出される。「将来、精神発達面に障害を残すおそれのある3歳児について、精神薄弱児などの早期発見・早期治療を目的とする」。
▼1973年: 学校の健康診断に、尿・心臓の検査と肥満児の栄養検査が加えられる。
▼1977年:1歳6ケ月健康診断制度。
4・4・4 「幸せな結婚」と「不幸な子ども」
◆1974年:日本学術会議、日本人類遺伝学会「人類遺伝学将来計画」
「さらに深刻な問題は、個々の症例に対する医療水準が向上した結果、かつては自然淘汰によって集団から除かれていた有害遺伝子が子孫に伝えられ、遺伝子プールにおけるその頻度が上昇する機会が多くなったこと」
→ 一部地方自治体による「不幸な子どもを生まないための運動」を評価
◆「兵庫県衛生部の「不幸な子どもの生まれない対策室」が著した『幸福への科学』(1973年)では、「不幸な子ども」が次のように定義されていた。
一、生まれてくること自体が不幸である子ども。たとえば遺伝性精神病の宿命をになった子ども。
二、生まれてくることを、誰からも希望されない子ども。たとえば妊娠中絶を行なって、いわゆる日の目をみない子ども。
三、胎芽期、胎児期に母親の病気や、あるいは無知のために起こってくる、各種の障害をもった子ども。(以下略)」
「選択的中絶は子どもの生きる権利を奪うものではなく、「生まれてくる子どもの苦悩に満ちた生活をやわらげるための中絶」であるとされていた。」
(ø松原洋子「日本――戦後の優生保護法という名の断種法」、米本・松原ほか『優生学と人間社会』講談社現代新書)
4・5 産むこと/産まれることの意味への問い
4・5・1 分子生物学時代の優生学
19世紀優生学者の夢の実現?〜19世紀的「逆淘汰説」の現代版
ø木村資生『生物進化を考える』岩波新書 1998.4.20
4・5・2 自己決定を通じて実現される〈新しい優生学〉
旧優生学:「種の改良」を目的として掲げる。全体主義的・強制的。
新優生学:「種の改良」を明示的な目的としては掲げない。自己決定権にもとづく。
ø『ヴァンサンカン』事件〜「良い血」という幻想
月刊誌『ヴァンサンカン』(婦人画報社)1984年新年号に「結婚する前のコモンセンス・よい血を残したい!」と題する記事が掲載された。
「親の素質が子どもに受け継がれるのが遺伝です。子どもは健康で頭が良く、とはだれでも思うことですが、知能や性格、健康に遺伝的な要因がどれだけ働くのでしょうか。そこで、結婚前に知っておきたい遺伝のお話」。
「(……)では、結婚前に結婚前に私たちが気をつけなければいけないことは何でしょうか。それは、精神的な疾患や奇形等の先天的異常の出産を防ぐことです。(……)マルチン・カリカック家系では、カリカック氏と正妻との間には四九六名の子孫がいて、すべての人が正常でした。しかし、結婚前に知恵遅れの女性との間に出来た子どもが精神異常で、その後の子孫も結婚を繰り返したために、カリカック氏は一四三名もの精神薄弱を子孫にもつはめになりました。」
ø[OHP]婦人画報社 ヴァンサンカン編集部 1984.6.25「お詫び」
4・6 優生思想のリミットとしてのロングフル・バース/ライフ訴訟
Wrongful Birth訴訟〜障害の有無による「存在」そのものの選別
Wrongful Life訴訟〜完全なる「自己否定」?――新しい優生学のリミットとしての
ø芥川龍之介「河童」(1927年)に登場する「河童たちの生殖」風景 〜生まれてくるかどうかを自分が選ぶとしたら?
4・6・1 ロングフル・バース/ライフ訴訟とは何か
ø丸山英二「アメリカにおける先天性障害児の出生と不法行為責任」、唄孝一・石川稔編『家族と医療――その法学的考察』弘文堂、1995年
◆若干の哲学的考察
★全体を振り返って。。。