表紙メッセージ  鍛治 智也


新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」   マタイによる福音書9:17

先日、都市交通制御システムを見学する機会があった。世界に誇る最新のコンピュータ機器の上に神棚が祀られていたのが印象的であった。これを「呪術からの解放」がなされていない例とするのか、和魂洋才の伝統の象徴と理解するのか、どちらにしても奇妙な風景である。

ひるがえって、キリスト教研究所は、新本館に移転した。そして大学は、再開発の名の下に、外観を一新しようとしている。研究所は、専門分野の学問の発展に寄与しさらに大学やコミュニティという地域の必要に対応しているか。そして大学は、時代を超えた普遍的課題に応え、さらに現代の要請に応じているか。

 新しい革袋を誇るのか、革袋に合うぶどう酒を探すべく自省するのか、今問われている。

(かじ ともや 所員)


ホープ・カレッジでの「現代日本のキリスト教理解」の講義について

久山 道彦


 1995年の秋学期に、ミシガン州ホランドにあるホープ・カレッジで、本学との交換教授プログラムに基づく客員教授として、二つの講義を担当しました。一つは「日本宗教思想史」であり、もう一つは、「現代日本のキリスト教理解」でした。ここでは、毎週火曜と木曜の午後3時から4時20分に行った後者の講義について報告したいと思います。

 この講義は、井上洋治神父の『日本人とイエスの顔』の英訳“The Face of Jesus in Japan”をテキストとして、日本のキリスト教作家(英訳がある遠藤周作と三浦綾子)の作品(『塩狩峠』、『イエスの生涯』、『海と毒薬』、『沈黙』、『氷点』)を読み、そのビデオ等を観ながら、日本の歴史や文化を理解しつつ、日本人のキリスト教受容の特徴を考えることを主眼としていました。登録学生は僅か8名でしたが、ReligionMajor の熱心なクリスチャンの学生がほとんどで、自分達のキリスト教理解と日本人のキリスト教理解の違いや親近性を真剣に学んでくれました。福音書研究史に話が及ぶ時もあれば、天台本覚思想とキリスト教教理史における「ロゴス・スペルマティコス」や「先行的恩恵」の類似性、法然の称名念仏とルターのsola fide の親近性等を論ずる場合もあり、議論も活発で、私の日本の精神史についての理解を再検討するなかで、アメリカの学生自身のキリスト教理解も問われるというように、私にとっても極めて知的刺激に富んだものでした。

しかし、いつも楽しい議論ばかりであったとは言えませんでした。10月下旬には、学生と一緒に、遠藤周作の『海と毒薬』を読み、ビデオを鑑賞しました。50年前、敗戦間際の九州大学医学部におけるアメリカ兵捕虜に対する生体解剖事件を扱ったこの小説を教材にするのには、かなりの熟慮と勇気を要しました。しかし、昨年最後のIndian summer の午後、キャンパスの芝生に皆で腰をおろし、テキストを片手に穏やかに話し合った時、彼らと日本人の「罪」意識に関して、「良心」の麻痺という普遍的・根源的な人間の問題として議論できたことは望外の喜びでした。海外宣教に携わることを将来の希望としている数名の学生は、この作品の登場人物(戸田や勝呂)に、自らのキリスト教信仰をもって罪の自覚と救済の希望を書簡形式で語るという課題を見い出しました。彼らの学びが、異文化への鋭い洞察力により自らの文化的背景への内省を含みつつ、益々深められていく事を祈りつつ、講義を進めました。

また、その次の週には、『沈黙』を読み、ビデオを観ました。アメリカの「キリスト教」を当然のことと思い、他文化との接触においてキリスト教が直面した問題を考えた事もなかった学生にとっては、この小説自体がショッキングなものであり、そこで問われている問題が、「キリスト教文化」の中で、ある意味でキリスト教を無前提に自身の価値観と同一視していた自分自身への問いと重なったようでした。彼らが私の講義を契機として、文化と宗教の問題、キリスト教と多様な文化の問題をどのように理解していくのか、そして自分自身のキリスト教との精神的格闘を深めていくのか、楽しみであったと同時に、私も最大限の努力をして、彼らが自力で内なる考究を持続する手助けができるよう祈りながらの講義となりました。

 11月中旬にテキストである“TheFace of Jesus in Japan”を読み終えました。『沈黙』の重さに圧倒され、宣教師になる将来の夢に自信を失いかけていた学生が、テキストに引用されていた法然上人の『一枚起請文』の一節や、一遍の興願僧都への書簡の一部を読むに至り、長年苦しんでいた自分の問題解決への光を見い出したと打ち明けてくれたことは、私の教師としての歩みの上で、最も深い感銘を受けた経験でした。このことは、1月29日にホープ・カレッジの教職員の前で行った「ホープ・カレッジと明治学院の交換教授の成果について」と題した総括報告(『白金通信』1996年5月号に全文掲載)でも述べました。

 また、学生達が課題図書であることを忘れたかの如く愛読してくれたのは、三浦綾子の『氷点』でした。「原罪」というテーマを彼ら自身の問題として捉え、特に彼らにとっても深刻な家庭の問題、親子や夫婦の愛情の問題を日米の文化の差異を認識しながら討論できたことは、私にとっても収穫に思えました。

 講義も終わりに近づいた12月には、日本人とキリスト教の問題を、M. Honda氏の論文“Christian inthe Buddhistic Climate of Japan ”や、武藤一雄先生の論文「キリスト教と無の思想」の英訳“Christianity and the Notion
of Nothingness”から、彼らが自らの力で学びとってくれました。これらの難しい論文は、Under-graduate のレベルではどうかと案じていましたが、彼らは、それまでのテキストと小説とビデオを通した学びから、理論的な考察へとまとめてくれました。少人数のクラスでしたが、それだけ学生達との交わりも密度が濃かったのか、自身の生育歴や信仰の軌跡への考察を交えながら、この秋学期の学びを綴った極めて実存的な FinalPaper は、どれも読みながら感動させられることの多いものでした。

 講義終了後、わざわざE-mailで御礼を述べてくれたり、クリスマス・カードを手渡してくれる学生もあり、更には、帰国前に、学生達との「お別れ日本食パーティー」をした時に、なんと吹雪の中、わざわざデトロイトから車を3時間も運転して駆けつけて来てくれた学生もあり、感激しました。

 さて、以上のような内容のこの講義で、多くのことを体験しましたが、英語があまり上手くもない、一介の客員教員に対しても真剣に応答してくれた彼らに出逢えたことこそ、この交換教授プログラムにおいて私が得た最高の成果の一つと言って良いように思えます。

(くやま みちひこ  所員・一般教育部助教授)


研究所報告  加山 久夫


 これからの2年間、斉藤栄一主任と私が引き続き研究所運営の任をお預かりすることになりました。皆様のご協力をお願いいたします。この4月から新たに岡村有希子さんを副手として、西澤由隆先生(法学部)と松本曜先生(文学部)を所員としてお迎えすることができ、大変嬉しく思います。また、キリスト教主義教育研究およびヘボン研究のためにそれぞれ太田孝子研究員と佐々木晃研究員をお迎えしたことも、これからの研究活動のために心強いことです。さらに、新たに金井創学院牧師のほかに、キリスト教主義教育研究プロジェクトの協力研究員として小暮修也先生(明治学院高校)、貴田寛仁先生(明治学院高校)および和田道雄先生(明治学院東村山高校)に参加していただけますことは、明治学院全体の有機的な協力関係の強化のためにも、大変嬉しいことです。

 本研究所は、1996年4月に、大学付属の研究所として新しい出発をいたしました。したがって、今年は創設30周年の年にあたり、今秋にはささやかな記念の会を催し、共に感謝の時を持ちたく予定しています。そのころには、研究所編『私にとってのキリスト教−学問と信仰−』(教文館)が出版されていることと思いますので、その出版記念を兼ねた機会といたしたく思っています。この書物は学内外の方々のご協力をえて、キリスト教信仰と学問研究の関係を問い、知の在り方を問うことを意図したものです。本研究所が、キリスト教の諸分野の研究とともに、キリスト教主義大学としての本学の将来像やそれにふさわしい大学教育の在り方などをともに探る努力もしてゆきたく思っています。そのためにも、皆様のご鞭撻をお願いいたします。

 なお、このニュースレターがお手許に届くころには、研究所は新本館北ウィング9階に移転していることと存じます。八芳園の美しい庭園が眼下に見える素晴らしいところです。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

(かやま ひさお  所長・一般教育部教授)


学院牧師就任にあたって  金井 創


 はじめまして、この四月に学院牧師に就任いたしました金井です。これまで13年間飯田橋にあります富士見町教会で副牧師をしておりました。教会とはまた違った環境、組織での働きになりますが、いろいろな方との出会いを大切に牧師としての務めを担っていきたいと思っています。

 就任前、数人の方から正反対のことを予言されました。今度の仕事は非常に忙しくなりますよ、というのと、今までと違ってずいぶん暇になるでしょう、というものです。どうも今のところ前者のほうが当たっているようです。と言いますのも、初めての学院牧師という制度ですので、仕事についても前例がありませんから、どこまでやっていいのかわからない、わからないからとにかく何でもやってみよう、ということでこのような結果になっています。ただそれによって、仕事の密度が薄まってご迷惑をおかけしないように努めて参りたいと思います。

 神学校では新約聖書を専攻したのですが、この10年教会でずっと旧約の聖書研究を担当しましたので、今ではより旧約に親しみを感じています。この点でも先生方にいろいろと教えていただけたら幸いです。

 本当に未熟なものです。手さぐりで始めたばかりの者です。どうぞよろしくご指導下さいますよう、お願いいたします。

(かない はじめ  学院牧師)


所員となって  西澤 由隆



 横浜キャンパスでの昨年のクリスマス礼拝に家族を連れて参加したときだった、キリスト教研究所の所長の加山先生から、所員として一緒に活動しないかとのお誘いを受けたのは。私は、明治学院に就職して今年で8年目になるが、キリスト教主義教育の在り方についてかねてから少なからず関心を持っていたので、そのお誘いに応じることにした。関心を同じくする方々とのキャンパスでの交流の「きっかけ」を探していたところでもあったので、そのお誘いをありがたくも思った。

 さて、自己紹介をするようにとのことであるが、あらためて自分とキリスト教との関わりを振り返るとき、それがいつも消極的だったことを告白しなければならない。

 私は、中学から大学まで、キリスト教主義をその教育理念としたキャンパスに学んできた。もっとも、積極的にそのような教育環境を求めて学校を選んだのではない。たまたま選んだ中学校がそのような教育をしていたというのだった。したがって、出席が義務づけられていた礼拝にも、すくなくとも最初のうちはけっして積極的に出席したのでもなかった。それでも、キリスト教を信仰のよりどころとして世のために具体的に活動をしている人々のお話を週3回聞くうちに、少しづつ共感を覚えるようになったものだった。

 8年前に明治学院の法学部の教員公募に応募したときもそうである。明治学院がキリスト教主義の教育を行っていることを知ったのは、公募書類を用意するに当たって取り寄せた大学案内を見たときだった。もっとも、それは私には嬉しい発見だった。自分が共感を覚えた教育環境とその主義を共有するキャンパスで教職につけるかもしれないと、希望を膨らませたものだった。だから、着任の年の入学式に讃美歌を聞いたときのすがすがしい感動を今も忘れていない。

 このたびは、キリスト教主義教育の在り方についてみなさんとご一緒に考える機会を与えられ、嬉しく思っている。このような「消極的」な所員だが、よろしくご指導いただきたくお願いするしだいである。

(にしざわ よしたか  所員・法学部助教授)


とりあえず、自己紹介をかねて...  松本 曜


 今回、明治学院大学のキリスト教研究所の所員に加えていただいたことをとても喜んでいる。といっても、何も分からないまま所員になったばかりで、研究所との関わりで何が出来るのか、自分なりに模索しているというのが実状である。とりあえず、自己紹介をかねて、自分の専門研究とキリスト教信仰に関わることとしてどんなことを考えているのかを、簡単に紹介させていただくことにする。

 私の専門は一般言語学、その中でも統語論、意味論と呼ばれる分野である。日本語、英語を中心としながらも、世界の諸言語を視野に入れた上で、言語の文法の性質と、意味がそこで果たしている役割について研究している。上智大学、スタンフォード大学大学院で学び、東京基督教大学で三年間教えた後、95年4月からここ明治学院大学の英文科で教鞭を執らせていただいている。

 私がキリスト者となったのは10年ほど前のことであり、すでに言語学の研究者となってからであった。当然ながら、キリスト者となった後、自分の研究のなかで、キリスト教信仰がどの様な意味を持つのか、というより、自分のキリスト教信仰の中で、言語学の研究がどの様な意味を持つのかを考え始めた。その過程の中で取り組むようになったことの一つに、聖書翻訳の問題がある。言語学の研究者の中には聖書を持たない言語への聖書の翻訳作業に携わっているものが少なくない。その様な聖書の翻訳の為の前段階として、対象とする言語の分析が必要となるからである。数年前から、幾つかの機会を通して、福音派の立場からその様な聖書翻訳に携わる宣教師に対する、言語学の教育の場に国内外で携わることになった。現在までは、主に実際の教育面で関わってきたが、現在は理論面での掘り下げを研究課題の一つとして考え始めている。

 日本語への聖書翻訳者ヘボンを創設者の一人とする明治学院で、この様な研究をどの様に発展させられるか、楽しみでもある。

(まつもと よう  所員・文学部助教授)


キリスト教主義大学の中で思うこと  太田 孝子


 「キリスト教という宗教ないし信仰の立場からは日本の教育ないし教育思想を批判する論理は出てきても、一つの人間教養の思想を提起してくる立場は出てきにくい」(中内敏夫『近代日本教育思想史』、国土社、p.31)───指導教官のこの問題提起に触発されて、「教育の宗教的形態」を研究テーマとしてからすでに久しい。そしてこの間、残念ながら、キリスト教主義学校が行ってきた教育実践からよりも、むしろ浄土真宗や金光教、黒住教といった日本の民衆宗教を信仰する教師(その多くは「綴方教師」と呼ばれる)の仕事の方に、日本の教育と思想を批判し、作りかえてきた事例を見いだしてきた。

 キリスト教主義学校は、「キリスト教」を学校教育の中にどのように位置づけ、影響を与えていくかという点には心を砕いてきたものの、「教育」が人間の発達の助成そのものを目的にした意図的・計画的行為であることには意識を向けてこなかったのではないのか、そのため(ほんの幾つかの例を除いて)初等・中等のキリスト教主義学校には魅力的な教育実践が見られないのではないのか、キリスト教主義学校は、初期ミッションスクール時代の豊かな人間的触れ合いの中で行われてきた教育実践を、教育方法・教育学の次元にまで高める努力を怠ってきたのではないのか、そのことがキリスト教主義学校が、戦後特に高等教育機関に偏することにもつながってくるのではないのか・・・等々、キリスト教主義大学と関わり、日常的に「キリスト教(主義)教育」という言葉を耳にする中で考えさせられることは多い。

 しかし、これらの疑問をキリスト教主義教育研究の一員として求められているテーマにどのように反映できるのか、それははなはだ心もとない。適切な御指導をお願いしたい。

(おおた たかこ キリスト教研究所研究員)


いま感じ、いま思うこと  佐々木 晃


 4月から研究員として、「ヘボン」プロジェクトに参加させて頂くことになりました。研究の場を与えられたことを感謝しています。グリフィス著`Hepburn of Japan´の翻訳を始めた頃からヘボンに興味を抱き始めました。亡くなられた高谷道男先生はじめ、諸研究者によって、ヘボン博士の生涯、人格、業績は既に研究し尽くされた感があります。研究員という立場で改めて白金の校地を歩いた最初の日、チャペルの傍らにひっそりと建てられているフルベッキの石碑やヘボンの胸像、ヘボンの名の付けられている建物などを眺めながら、明治学院が初期の宣教師の残した遺産を大切にしていることを感じました。先日加山所長の講演の冊子を読んで、そこに書かれていた基督教主義学校が共通して持っている「遺産を大切な資産として現在に活用する」ことの必要性に共感を覚えました。先達の貴い遺産を単なる史実として保存しているだけでは、宝を地に埋めておくに等しく、それでは歴史の持つ現代的な意味は失われたも同然です。「ヘボン」プロジェクトに関して言えば、ヘボンが建てたこの大学に学ぶ学生諸君に、彼の遺産目録を広く公開することが、大事な資産としてそれを現代に活用することに繋がることだと思います。

 ヘボンが建て、初代総理を勤めた明治学院にヘボンの火を燃やし続けるために微力を尽くしたいと思います。宜しくご指導下さい。

(ささき あきら  キリスト教研究所研究員)


行く先を知らないで   岡村 有希子


 「あなたとキリスト教とのかかわりについてお話ししてください」というのが、副手の選考面接の際の最初の質問であったと記憶している。改めてその場で、自分を振り返りながら話をした。いわゆる採用試験のような雰囲気を多少なりとも予想していた私に、今思えば当たり前のその質問は、なにか久しぶりに自分と向かいあうきっかけを与えてくれたように思う。

 学生時代、私は哲学科の学生として4年間を過ごした。とは言うものの、入学以前の、「真理と呼ばれるものに近づくために思う存分力を注ぎたい」という思いこそ持ち続けていたつもりではあったが、そのための方法は、書物を読み、講義を聴くということから、自分の足で山を歩き、高みをめざすという活動にすっかり変わっていた。そのような学生であったから、私にとって大学の研究室というのはどちらかと言えば敷居の高い場所であって、決して居心地の良い場所ではなかった。それが今こうして、一日の半分をこのキリ研で、もう一つの自分の居場所として過ごしているのだから、全く不思議なものだ。

 「アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った」。ささやかながらも研究所のはたらきに力を捧げると同時に、与えられたこの静かな時を、内なるものをもやす時として生かしたいと思っている。

(おかむら ゆきこ  キリスト教研究所副手)


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