表紙メッセージ 鵜殿 博喜
私事になるが、去る6月、日本ゲーテ 協会のシンポジウムで「ゲーテと旧約聖書」という題で発表した。その準備のため三ヶ月はほとんど毎日ゲーテの文章を読み、ゲーテのことばかり考えて過ごし た。ゲーテは旧約聖書を特定の宗教から解放し、オリエント文学の源流と考えていたようだ。そこから導き出される結論 は、ゲーテの普遍志向である。普遍的とはドイツ語のallgemein、つまりall+gemein、すべてに共通する、すべてが共有できるという意味である。そのような普遍的なものが我々の浮世のなかにあるのかどう か。むしろ人のかかわるこの世のことどもを普遍的だと思ってしまうところに過ちが起こるのではないか。ゲーテはゲーテらしく文芸のなかで普遍というものを考えた。文芸のなかでのみ普遍は可能になるということであろう。
(うどの ひろよし 所員・一般教育部教授)
明治学院創立120周年記念 公開シンポジウム報告
日本の高等教育におけるキリスト教主義大学の使命と課題
斉藤 栄一
アメリカから渡来した宣教師たちによって礎石が置かれ、一時は神学部を擁したことさえある本学も、キリスト者教員の数はこのところ確実に減りつづけ、ついには先年、学長のキリスト者条項が撤廃されるにいたった。しかも教学再編成の折柄、本学におけるキリスト教の位置付けは、たんにカリキュラム上のキリスト教学のあり方といった問題を超えて、本学百年の大計にかかわっている。
そこで、当研究所では、キリスト教主義と大学教育とのこれからのあり方について、ひとり本学という狭い枠をこえて、広い視野に立って模索するべく、すぐる6月25日午後3時、本館10階の大会議室にて「日本の高等教育におけるキリスト教主義大学の使命と課題」と題するシンポジウムを開催した。
3人のパネリストの方々に発題していただいた。まずはじめに絹川正吉国際基督教大学学長が、大学は研究機関であるまえに教育機関であるべきであって、往時に比して保身的になっている学生たちにたいして、とくにキリスト教主義大学はキリスト教的な価値観の提示を行なうのでなければならないこと、またキリスト教主義大学は全人類にたいして普遍的価値をもつものであり、したがって批判的知の可能性を問う場でなければならないことなどを示された。つぎに久世了副学長が、かつてのキリスト教主義大学は、儒教的価値観にとらわれていた家庭生活からの女性の解放にあたって大きな貢献をなしたにもかかわらず、高等教育サービス産業の一角をになう現在のキリスト教主義大学は、社会からのニーズに明確に応えていないこと、また大学経営という観点からも、非キリスト教主義大学との差別化をよりいっそうはかるべきであることなどを示された。最後に松浦良充教授が、各キリスト教主義大学が建学の精神として自由を標榜しておきながら、キリスト教概説のような形でキリスト教の教えを一方的に教授するのはある種のおしつけにはならないかという疑念を提出された。さらに同教授は、キリスト教主義大学であろうとなかろうと、すべての大学は日々あらたにその理念を批判的に再構築していくのでなければならないことを力説された。
質疑応答の時間にもフロアのほうから3人の方々が意見を述べられ、パネリストの方たちと活発な意見交換がなされた。
問題の性質上、ある定まった解答や指針が得られるようなことはなかったが、それだけにいっそう、キリスト教主義大学がかかえるさまざまな課題が浮き彫りとなり、じつに意義のある会となった。この紙面をお借りして、パネリストをつとめていただいた3人の先生方、ならびに参集いただいたすべての方々にここであらためて御礼を申しあげたい。
(さいとう えいいち 主任・一般教育部教授)
アジア神学者会議の誕生 加山 久夫
去る5月25日から6月1日まで、韓国水原にてアジア神学者会議(Congress
of Asian Theologians、略称 CATS)の設立総会が開かれました。
21世紀はアジアの世紀とも言われていますが、現実にはアジアのどの国、地域をとっても、貧困や政治的緊張や民族・宗教間の対立など、多くの深刻な問題を抱えていることは周知のとおりです。そのアジアにおいてヒンズー教、仏教、イスラムなどの人々の中で、二億八千万人ともいわれるキリスト者がおり、これまでアジアキリスト教協議会をはじめとして、教派を超えてさまざまなエキュメニカルな協力のもとで、アジアが直面している諸問題と取り組む神学的実践的努力がなされてきました。
アジア神学者会議は、これらのさまざまの既存の組織ともネットワーキングをとりつつ、恒常的にアジア的コンテクストにおける神学的努力を積み上げていきたいとの思いをもつキリスト教研究者の、ボランタリーな草の根神学運動として発足しました。約250名ほどの参加希望者がいましたが、宿泊施設の関係で14ヶ国(香港、台湾、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイ、ミャンマー、インド、バングラデシュ、インドネシア、ラオス、スリランカ、オーストラリア、日本、韓国)から約90名が参加をゆるされ、「変化するアジアにおけるアジア神学──21世紀へのアジアの神学的課題」のテーマをめぐって、専門分野ごとに、あるいは問題別にグループに分かれて、協同討議をし、お互いに学び合うよき機会を得ました。
専門・学際分科会は次の通りでした───
(1)アジアにおける行動する神学の方法論
(2)聖書学、解釈学、テクスト解釈
(3)構成的神学
(4)歴史研究
(5)倫理と社会
(6)実践神学
(7)宗教と文化
(8)女性学
(9)伝道と神学。
期間中の2日間はつぎのイッシュー・グループに分かれ、各参加者はその何れかに参加しました──
(1)アジアにおける富める者と貧しい者
(2)宗教的多元性と人間の共同体の探求
(3)アジア神学における女性・ジェンダー問題
(4)アジアの対話の神学
(5)環境問題に寄与しうるアジア神学
(6)新たなエキュメニカル・ヴィジョンへのアジア的貢献
(7)宗教、民衆、力、政治社会
(8)アジアにおける平和、暴力、対立
(9)アジア的文脈におけるミッション、宗教、伝道
(10)移民、難民、追放された人々。
参加者の大半は欧米において研究者としての教育を受けてきた人々であり、それぞれが属する教会も欧米からの宣教師たちによって種まかれ育てられてきました。その点ではわれわれの事情と基本的に共通していると言えるでしょう。しかし、自らが置かれている社会的文化的コンテクストの中で神学するという自覚の点では、日本のキリスト教研究者の状況は反省を促されているように思います。近代日本の形成過程で脱亜入欧を基本的姿勢としてきた日本において、キリスト教研究者──留学体験を持たない方々も含めて──も同様の姿勢で今日に至っているのではないでしょうか。
私たちがこれからも欧米の研究者との交わりや対話から学ばなければならないことは言うまでもありませんが、その中でアジアの友人たちと対話し、日本を含めたアジアが直面する諸問題に共に関わることによって、それぞれの専門分野での研究に新たな視野が与えられるのではないか。また、アジアにとどまらず人類共同体のリアリティが学際研究をますます不可避なものとする状況にあって、狭義のキリスト教研究の枠を越えて、また、キリスト者と非キリスト者の枠をも越えて、共同の営みが広がってゆくことを心からねがっています。
(かやま ひさお 所長、一般教育部教授)
書評 ヘレン・ガードナー『宗教と文学』(新井明監訳、彩流社、1997年)
新倉 俊一
本書の原著は1971年に刊行され、1983年にオックスフォード・ペーパーバック版として出版されたが、その後絶版になっていた好評論集である。著者のヘレン・ガードナー(1908−86)は歴史主義の立場にたつ批評家として名高い。最近はやりの、ヤン・コットの本の題名にあるような「われらの同時人シェイクスピア」という考えにたって、シェイクスピアを実存主義者に仕立てようとしたりする試みに、彼女は断固として反対する。
本書は「宗教と悲劇」と「宗教詩」の二章から成っている。ともに講演で、前者は1968年10月にケント大学でT. S. エリオット記念講演として話されたものである。まず、「悲劇」の概念は時代によって意味がちがっていて、共通の原理を見いだそうとしても無意味である、と述べられている。
そして、それぞれの時代の宗教と悲劇作品との密接なつながりを検討している。と言っても、ギリシア悲劇が宗教儀式として演じられている、というような俗説とは関係がない。彼女は、ギリシア悲劇が古典時代におけるギリシア人の宗教感情の発展にその根源をもっている、と考える。そして「古典時代の『罪の文化』がアテナイ悲劇が登場する背景にあるように、宗教的想像力や宗教的思想や信仰において、罪、死、裁きへの強迫観念が中世後期には増大していたことが、エリザベス朝悲劇の背景として存在し」ている、と説いている。
簡単に言えば、シェイクスピアの悲劇では、「キリスト教的悲劇」の特徴として、死への恐れが大きな役割を果たしているのにたいして、ギリシア悲劇ではかならずしもそうではない。さらに、不当な苦難を受けるということがシェイクスピアの悲劇の主人公たちにとって大きな悲劇的出来事であるが、これはギリシア悲劇とは異なった宗教的伝統から起こってきたもの、と彼女は見る。
両者の悲劇的形態のちがいは、ヘブライ思想の宇宙創造論にある。つまり、宇宙を通じて神の意志が遍在しているならば、宇宙の中で起こることすべてにたいして神は責任をもつ、というヘブライ的意識が、キリスト教的悲劇の根底をなしている。その原初的な例が「ヨブ記」であって、義人ヨブはなぜ自分が苦しみを受けなければならないか、神に答えを求めている。しかし、同時にヨブは知的な面では解答らしい解答を与えられない。この点が従来、多くの人が不満をもつゆえんだが、ヘレン・ガードナーは、「ヨブを納得させたものは議論ではなく神の荘厳さと神の実在の圧倒的な感覚」である、と述べている。
とにかく、ヘブライの神はこの宇宙という「ものごとの仕組み」の外にいて、これを支配している。ギリシア悲劇には、このような神学はまだ体系化されていない。したがって神の正義が物語を明るく輝かせている感じはまったくない。ギリシア悲劇を支配しているのは神託によって変えることのできない運命(モイラ)であり、またその汚れの概念である。ギリシアの神々は人間の痛みを分け合うことはできなく、その意味では人間の理解を超えたまったくの他者である。本書の中では、このような他者の下での「古代世界における悲劇」と、キリスト教的な神学を背景とした「シェイクスピアの悲劇」と、「悲劇的」とは「意味が欠如していること」だという不条理の「現代の悲劇観」とを対比させて、宗教と文学とのかかわりを深く探っている。同じ「悲劇」と呼ばれるこれらの、同質性よりも異質性が明らかとなるだろう。
(にいくら としかず 所員、文学部教授)
ドイツで今考えていること 経験していること
−明治学院およびキリスト教研究所の創立記念に寄せて−
畠山 保男
ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州ルール地方に位置する、ヴッパータールにある教会立神学大学に3月末にやってきました。それから半年の時があっという間に閲しました。いささか焦り始めています。ヴッパータール神学大学は単科の大学ですし、1933年にナチスが政権を奪取した年に設立された、比較的歴史の新しい大学です。このナチズムに追随してドイツ民法の法(ノモス)と神の律法(トーラー)とを一体視し、教会を内側から人種差別を骨格とするナチズムの世界観に変えようとしたのが、あるいは教会の側からナチズムに対応しようとしたのが、ドイツキリスト者と自称した人々の運動でした。それに対してドイツ福音教会の内部で少数派として、民族主義や人種差別主義とは対極のところに位置する福音を守ろうとしたのが、「告白教会」を形成した神学者や教会人だったのです。この「告白教会」の第一回教会総会が、ここヴッパータールのバルメン地区にある「バルメン・ゲマルケ教会」で開催され、そこで有名な「バルメン神学宣言」が起草され、発表されたのです。(この教会は改革派の伝統を持つ教会でしたが、現在はルター派との合同教会です。)そのような状況下にあって自分たちの神学教育のために告白教会は、半ば違法な形でベルリンとヴッパータールに神学校を設立せざるを得なかったのです。しかしこの二つの神学校もやがて閉鎖させられ、やむなく告白教会はフィンケンヴァルデに牧師研修所を造り、その所長として責任を負うことになったのが、後にヒトラー暗殺計画に連座して処刑された、D・ボンヘッファーでした。そこもまたゲシュタポにより、閉鎖の憂き目を見たわけです。
かつて学位論文を抱えて、出口の見えない森の中を彷徨っていた感のあるバーゼル時代の4年間とは異なり、今回は精神的には非常に楽な気分で、ドイツでの研究生活を送り、新しい出会いを楽しんだり、将来のために関係を構築したりしています。それが証拠に、かつてスイスの国境の街バーゼルからドイツヘ旅立ったときの目的地は、いずれも大学のある街でした。研究のことが念頭を離れず、旅行をする気になれず、クリスマス休暇とか2,3の例外を除いて、旅をしても研究とどこかで絡むような調査の出来る街へ行ったものでした。私が気分転換の下手な人間であると自認しているのも、こういう体験から来ています。それが今回は、4月早々に南西ドイツ福音宣教局とベルリン宣教局の共催になる「東アジア神学生の会」に出席して語り合い、5月に韓国のソウルで開催された「アジア神学者創立会議」に出席し、6月にはライプチッヒで開催されたドイツ福音教会の「教会大会」に参加して、集中的にユダヤ教とキリスト教の対話に関する講演を聴き、また海外宣教会の展示会場に出かけて話し合ったり、さらに7月にはベルリンで二年に一回催される「夏大学」に出席し、初めてユダヤ教のラビたちに出会い、ユダヤ教とキリスト教の対話を学んだり、9月にはブレーメンで開かれた、ナチ時代の教会の罪責告白である「ダルムシュタット宣言」50周年の研究会に出席したり、また恩師ですでに引退されているJ・M・ロッホマン先生をバーゼルに訪ねたり、チューリッヒで思いがけず中世以来の伝統を持つ、最古のプロテスタント教会である北イタリアのヴァルドー派教会出身の教会史の教授に出会って親しくなったり、何人かのドイツの教授に出会ったり、訪ねて行ったり、とかなり行動半径を広げながら日々を過ごしています。来週10月6日から4日間のドイツ東アジア宣教会の集会では、聖書研究を担当します。また夏休みには家族と共に、3週間ほどドイツの旅をしながら経巡りました。子供たちにとっては、異文化体験とし記憶に残る夏休みだったはずです。このほかにもハイデルべルクやゲッチンゲンそして再度ベルリンなどで何人かの教授に出会う予定があります。また来年2月中旬にイスラエルへ行き、エルサレムで開催されるユダヤ教とキリスト教の講座に出席するつもりです。その講師がこのヴッパータールの組織神学者B・クラッパート教授なので、一緒に行くことになりました。「バルト・ボンへッファーの線」ということが現代神学において言われますが、その両者の神学をホロコースト以後の神学として現代に生かそうとしている神学者の一人です。
なぜキリスト教神学にとってユダヤ教が問題なのか、ということですが、反ユダヤ主義・反セム主義の神学的な根っこを撃つことなしに、六百万のユダヤ人犠牲者を出したホロコースト以後に神学することは、全く不可能だからです。つまり、ユダヤ人は神の子イエス・キリストを十字架に架け、神に逆らったが故に、救いの約束から自ら落ちこぼれて、替わって教会が「新しいイスラエル」、「新しい神の民」になった、という1500年以上にわたるヨーロッパ教会主流の自己理解が、神学的反ユダヤ主義の根幹なのです。福音書の受難物語に明らかなように、イエスに敵対する一部のユダヤ人が彼を亡き者にせんとしたことは事実ですが、それを拡大解釈し、一般化して彼の時代の全てのユダヤ人を、そればかりか全ての世代のユダヤ人をイエスの敵対者と見なすことがいかに誤りであるか、という認識から私たちは出発すべきなのです。神がイスラエルとの契約を取り消し、教会が替わって立てられ、「新しいイスラエル」になった、なんぞということは聖書のどこを探しても書いてありません。それは誤った理解であり、イスラエル(それゆえにユダヤ人)との神の契約を、教会が勝手に否定し、自分たちだけが神の民であると理解し、「教会の外に救い無し」として自らを誇る、教会の罪深い自己理解なのです。「イスラエル」が聖書的に教会を指示することは一度もなく、教会はイスラエルではないのです。そもそもイスラエルが根っこであり、ユダヤ人とユダヤ人キリスト者とはこの根っこから直接生え出した枝であり、異邦人キリスト教会は接ぎ木された枝であり、この根っこから養分を吸っているのです(ローマの信徒への手紙11章17−24節参照)。
ユダヤ人はそれゆえにキリスト教会にとって、回心してキリスト者になることで救われる宣教の対象ではなく、対話の相手なのです。なぜならば、イスラエルと教会とが、一つの「神の民」の異なる二つの在り方を構成していると理解する限りは、ユダヤ教はイスラエルの伝承と信仰を現在に至るまで豊かに継承してきた神の民である、と結論づけるほかにないからです。しかもこの対話を必要としているのは、最初から神の契約の内に置かれているユダヤ教ではなく、むしろ根っこに接ぎ木された(非ユダヤ人)キリスト教会なのです。それはもう一つの「アブラハム宗教」としてのイスラムにも妥当するでしょう。イスラムもまたユダヤ教との対話を必要としているのであって、その逆ではないからです。この教会にとってのユダヤ人問題を私はクラッパート教授から1989年6月にプラハで問われ、それ以来この問題を考えてきています。それまで私は告白教会の神学的な闘いに深い関心を抱きながらも、神学におけるユダヤ人問題が現代神学の根幹に関わる事柄であるということを、自分の神学的実存において捉えることが出来ていなかったのです。
この一年間の研究が今後10年間の私の神学研究と神学的実存の基礎付けをする、という予感をひしひしと感じています。予定説によってユダヤ教否定に走った人々もいますが、明治学院の建学の精神の基礎をなすカルヴァン派神学は、一番ユダヤ教に親近感をもって来たということを、学院とキリスト教研究所の創立記念に際して、述べておきます。
(はたけやま やすお 所員、一般教育部助教授)
*97年度ドイツにて在外研究中
中心と周辺 鍛冶 智也
「中心と周辺 (Center and Periph-ery)」の関係は、しばしば逆説的である。ある文化が周辺地域に伝播していくとき、その発祥の地では文化が大きく変化を遂げた後にも、周縁部には伝わってきた当初の文化が温存される。最も純粋な形で文化の原型が保存されているのは、発祥の地ではなく、むしろ周辺地域である。昨年夏からアメリカ合衆国に滞在して、こんな文明の逆説を思い出した。
交換教授として過ごしたホープ・カレッジは、ミシガン州ホランドという人口4万人ほどの豊かな町にある。その町の名が示しているように、150年前にオランダ移民が建設した町である。もとよりホープ・カレッジはオランダ改革派の私立大学だし、隣接されているウェスタン神学校はオランダ改革派の神学校である。キャンパス内に、関係者の名前を冠した建物が多くあるが、それは私などには大変読みにくいオランダ系の名前だし、町では、オランダ系の背の高い白人を多くみかける。町の名所は、オランダ直輸入の風車であったり、ハウステンボスならぬオランダ村であるし、最大の祭りは、5月のチューリップ祭と続けば、ホランドはオランダ一色であることがお分かりいただけるであろう。そのチューリップ祭では、レストランはオランダ料理の特別メニューを取り揃え、チューリップの植えてある街路を市民がきれいに清掃し、市内の高校生たちが民族衣装を纏って木靴を履いて1日数回民俗舞踊を披露し、観光客の目を楽しませる。その中に、オランダからの観光客も多い。考えてみれば、オランダの文化を町を挙げてこれほどまでに保存し、観光客に紹介している町は、当のオランダにもないのではないだろうか。
150年前のオランダ文化を原型を留めながら継承している町は、他にはないのであろう。
オランダという国は、ヨーロッパのなかでも北欧諸国と並んで、たいへんリベラルな土壌である。安楽死の問題を取り上げるまでもなく、政治的・社会的問題では先進的な試みをいくつも行っている国である。一方、ホランドは、政治的にはアメリカで最も保守的な地域の一つであるし、オランダ文化を頑までに守っているという意味では社会的にも「保守的」な土壌である。ホランドで最も多い教会の教派は、オランダ改革派で、その名称とは裏腹に現代からみれば必ずしも「改革」的な教派ではない。オランダからみれば周辺にあたるホランドは、「文化の本性」は改革的であったはずであったものが、「文化の形状」を継承し、保存すること固執してきたために、逆に「文化のありよう」は保守化していったようである。周辺文化の宿命なのであろうか。
一方、ホランドは、中心文化も担っている。ホランドの位置する中西部はアメリカのハートと呼ばれ、いわゆる典型的なアメリカ人像を継承する地域である。西海岸のようにとびきり明るいでもなく、東海岸のようにツンとすましているでもない。一見素朴でぶっきらぼうであるが、知り合ってみると親切で人懐こい人々である。週日は質素を尊びながら生産活動に勤しみ、週末はコミュニティに貢献し、日曜日には礼拝に集う。少なくとも160 はあるキリスト教会の礼拝のために、日曜の午前10時周辺は一週間で最も車が混雑するほどである。
ホープ・カレッジもアメリカの伝統的な高等教育を体現している。学生数3,000 名程の少人数教育を主眼とするこのリベラルアーツ・カレッジは、「良き市民」を育てるための教育機関である。多くの大学生は親元からは離れて生活する傾向はあるものの、学部は地元に近いリベラルアーツ・カレッジに通い、職業訓練である大学院は地元から離れた大規模大学に通うという例は少なくない(アメリカでは、大学生の3人に1人は大学院に進学する)。大学では専門分野を学ぶための教養や問題への取り組み方をかなりじっくり学ぶという考え方であり、そのために大学は、その教育のあり方、教員の姿勢を評価して決めることが結構多い。この点でホープ・カレッジは、卒業生にもたいへん評判がよく、親子何代にもわたって卒業生である場合も多くみられ、実に「良き市民」のあり方は、大学を通じて親から子へと連綿と継承されてもいるのである。こうした教育観は、アメリカの中心的なものの一つであろう。
中心的かつ伝統的であるということは、すなわち変化を忌避する「保守性」があることを意味しない。学生の多くは、白人クリスチャンの中産階級から来ているにしても、学生に多様化を求めるプログラムは数多くなされているし、大学運営のあり方にも「改革」の跡がみられる。アメリカの他の多くの大学同様に、教員の昇任には顧客たる学生からの評価が決定的な役割を果たし、それが制度化されているし、教員は授業の準備など大学の教育だけのために週平均50時間以上を費やしている。アメリカのほとんどの大学がそうであるように、学部長等はもはや公選職ではなく学長の任命職であり、教授会は本質的な課題のみを議論することで有効に機能しているし、教職員による自治は、いくつかの会議体のみに収斂されているのではなく、あらゆる参加と討論の機会が提供されて大学コミュニティの自治が確保されようとしている。アメリカにとって大学制度は、ヨーロッパからの輸入品であるにしても、アメリカで中心的な役割を果たすものとして、その中心性ゆえに絶え間ない革新がなされてきている。
この「中心と周辺の逆説」を思い出しながら、今、日本について思いを巡らしている。
(かじ ともや 所員、法学部助教授)
*97年度アメリカにて在外研究中