表紙メッセージ  中山 弘正


「キリスト者なきキリスト教主義教育 は可能か」(『あんげろす』1994年3月) と問題提起してから4年経過した。大学 長等のキリスト者条項を自由にし、キリスト者副学長に常務理事会に入ってもらい、他方、学院牧師を得たり学院教会を 開始したりし「5・1コード」を目標としたりしてきた。キリスト教の問題を妙にわだかまることなく公然と語り合える 雰囲気が生れたようにも思われる。戦責告白も120周年行事もこれを強めえたかもしれない。やれるだけのことは皆で全力をあげて取り組んできたと思う。

  が、今感じていることは、「5・1」 と皆が考えていたとしても、教員公募が あったときにその領域に優れたキリスト者研究者が応募してくれなければ駄目だ、という点である。それは教育の問題であり、教会の働きにも関わることである。

(なかやま ひろまさ 所員・経済学部教授)


祈りに支えられて  田村 剛


 新学期早々に病に倒れ、所長という大切な責務を果たすことができず、大変残念に思っています。

 しかし、キリスト教研究所の業務につきましては久山主任、岡村副手の精力的なご尽力によって、滞り無く進行していることを知り、有り難く思っております。

 日頃の不摂生からこのような状態にありますが、皆様の祈りに支えられて軽度の後遺症を残すに止まり、現在はリハビリに励んでおります。歩行訓練では、まず基本動作としての起立をしてバランスを取ることや椅子へ座る練習が中心となっておりますが、このごろでは療法士の手を借りながら歩行の練習も始まりました。その他に、作業訓練として不自由になった左手の機能回復のため物を指で挟んだり、それをはずしたりする練習をしています。

 この病を得て思いますのは、神様がお造りになったこの身体は精密機械以外の何ものでもなく、日頃感じなかった身体や指先の動作が筋肉や神経の精巧な仕組みとその働きによって動かされていることを改めて痛感しております。

 お届け下さっている書状などを朝夕繰り返し読み、一日の活動のための元気と勇気、そして安らかな眠り等を与えられています。

 大変身勝手な信仰しかない自分自身を省みる機会ともなり、今あるのは神共にいますという実感です。皆様からの祈りに支えられ、神による癒しを感謝する日々です。

 キリスト教研究所の所員の皆様には大変ご迷惑をおかけして、心より申し訳なく思いますとともに、温かいお心遣いに感謝申し上げます。

 主に在って。    1998年6月13日

(たむら ごう  所長、経済学部教授)


四年間を振り返って  加山 久夫


 1994年4月からの4年間、キリスト教研究所所長のつとめをなんとか終えることができて、ほっとしています。この間、さまざまの形でご協力いただきました多くの方々に心から感謝申し上げます。苦労がなかったといえば嘘になりますが、研究所の仕事をとおして学内外のさまざまの専門分野の方々にお会いし、多くの知的刺激をいただけたことは大変幸いなことでした。また、二年前に研究所は新本館北ウイング9階に引っ越し、そこから眼下に見おろす八芳園のそれは美しい庭園を眺めることは、私にとり格別の楽しみでした。その点では、キリスト教研究所は本学白金校舎の他の職場と比較して「特権的」といえるのではないでしょうか。この特権はこれからも大いに享受させていただきたいと思っています。

 本研究所の二十数名の所員はすでにそれぞれに所属する学部や学内外で教育・研究活動やさまざまの責任を負っておられ、そのうえ本研究所の活動に参加することにはかなりの負担が加わることになり、とくに研究分野を異にする所員が共同の営みをすることは容易なことではありません。しかし、「キリスト教主義教育研究」、「賀川豊彦研究」、「初期明治学院と宣教師たち」、「古代キリスト教とヘレニズム思潮」など既存の共同研究のほかに、さらに、専攻分野や個人的関心において多少とも接点をもつ方々同志が新たな共同研究テーマを開発し共同作業することによって、もっともっと貴重な学際的成果が生み出されうるのではないかと考えていました。何とかして全所員の参加により、研究所が擁する豊かな知的資産のさらなる活性化を、との在任中の願いは十分な働きかけをなしえないままになってしまいました。これは今後の課題として新執行部のもとで考えていただければ有り難く思います。

 本学の厳しい財政事情の中で、二人の研究員の招聘を認めていただくことをはじめとして、キリスト教研究所が現在のような形で活動することができることは大変感謝なことであり、今後とも研究所がその付託に応えていくためにも、一所員として微力をつくさせていただきたく思っています。

 所長在任中、主任としてよい働きをしてくださった畠山保男、斉藤栄一両先生に感謝します。最後になりましたが、しかし何にもまして、こまやかな心配りをもって研究所の日常活動を支えてきてくださったお二人の副手、槌谷恵理子さんと岡村有希子さんにこころから感謝いたします。

(かやま ひさお  前所長、一般教育部教授)


自己紹介  手塚 奈々子



 この4月に明治学院大学一般教育部キリスト教学の専任講師として就職し、同時にキリスト教研究所の所員として迎えられ、とてもありがたく思っています。私は明治学院大学では、6年前から非常勤で「キリスト教学専門」の講義をさせて頂いておりました。明治学院大学は男女共学で、明るい素直な学生が多く、また教員の方々もキリスト教を教えるのに熱心なので、以前から非常に好感を持っておりました。この度自己紹介とのことなのですが、非常勤をしていたので大学の雰囲気は少し知っておりますが、研究所の活動については無知なので、自分がキリスト者であることに関わることと、自分の今まで研究してきたこと、そしてこれからの活動と研究上での抱負を書いてみようと思いました。

 私は、カトリックの麹町教会で14年前に洗礼を受けました。現在も同じ教会に所属し、教会活動をしております。私の身分は在世フランシスコ会会員で、信徒ですが貞潔の誓願を立てている奉献者です。私自身は宗派の違いにこだわらずに包括的な見地に立つ者でありますが、この度私がカトリックにもかかわらず採用して頂いたことに関して明治学院大学に感謝しております。

 私の研究に関しては、教父学が専門で、特に4世紀のギリシア教父ニュッサのグレゴリオスの人間論を研究してきました。私は初代教会から中世にかけてのキリスト教の人間論に関心があります。今までの研究経歴は、早稲田で哲学、立教の大学院で神学を学び、日本学術振興会の特別研究員として東大で研究し、その後8つの大学で非常勤で主に2世紀から8世紀の教父学を中心に、古代・中世の思想、文化等講義して参りました。教父学の分野に関しては宗派の別なく研究が進められている分野でありますが、明治学院大学には教父の専門の方々が多く、プロジェクトの「古代キリスト教とヘレニズム思潮」に加えて頂き、研究活動の幅を広げさせて頂けることにとても感謝しております。広い視野に立って、キリスト教そのものの広さと深さを味わい、恵まれた研究施設の中で研究できることに喜びを感じております。

 大学でキリスト教研究に励むことも生きがいですが、大学でいろいろな人々に出会い、相互に交流することに喜びを感じます。キリスト教研究所は様々な活動を今までしてこられました。同研究所でこれから多くの様々な背景を持ちながらも同じキリストを目指す方々と巡り会え刺激されるであろうことをとても楽しみにしております。人々との出会い、研究、活動を通してキリストを伝えたいと思っております。何卒よろしくお願い致します。

(てづか ななこ  所員、一般教育部専任講師)


ご挨拶にかえて  播本 秀史


 昨年度から文学部教職課程で教鞭を執らせていただいております。昨年度、前所長の加山先生より、所員へのお誘いがございましたが、諸々の都合で一年間、猶予をいただいていました。

 さて、この四月より所員となったわけですが、今年度、まだ一度もキリスト教研究所に行っていないことに気付きました。先の所員会議は授業とぶつかって出席できませんでした。というわけで、まだ所員としての実態も自覚もなく、いわば宙に浮いているような状態です。

 私は「キリスト教主義教育研究」のプロジェクトの一員ということなのですが、どういう働きをすればよいのか分かっていません。ただ、拙著の『新井奥邃の人と思想−人間形成論−』の関係で、このプロジェクトに加えていただけたと推察するならば、そこで述べたことを今後、より深化・発展させればよいのかと考えます。そうだとすれば、無理なくそのプロジェクトに参加できそうで楽しみです。

 人間形成における究極的実在の意味を探求することは、私の大きな研究テーマのひとつです。担当している「道徳教育研究」でも、それは基底にあります。ただ、直接にはそれを出しません。自由な探究の過程で、それに気付いてくれればよし、くれなくてもよし、ということでやっています。

 私は小学校の低学年の頃より「日曜学校」に行っていました。伯母がそこの教師として奉仕していました。中高大、そして高校教員時代と、信仰の在り様は様々でした。ニーチェやサルトル、また仏教に強く魅かれた時代もありました。洗礼を受けたのは、四十歳になる年の八月四日です。埼玉・飯能教会で横山厚志牧師より受洗しました。人生半ばでの決断でした。それゆえか、キリスト教に対して反発や違和感を覚える人の気持は、いく分、よく分かるつもりです。

 先ほど決断と言いましたが、実はそれは恩寵でもありました。また、神の全能の証でもありました。神は私を赦し、信仰者とならせて下さったのです。

(はりもと ひでし  所員、文学部専任講師)


自己紹介にかえて  佐藤 寧


 「4月になったら所員に推薦しようと思っています」と言ってくださった経済学部の田村教授が、4月早々の学科会議中に具合を悪くされ、聖路加国際病院に救急車で運ばれたとの知らせを聞いたときは仰天しました。今では、順調に回復され、リハビリに専念されておられるようなので胸をなでおろしています。

 主の導きとでも言うのでしょうか、田村先生が近所にお住まいであったがゆえに、今の自分があるような気がいたします。50歳を過ぎてから信仰を持ったのですが、「すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある」ことを信じ、これからの人生を実り豊かなものにしたいものと思っています。

 田村先生が研究所所長として職務に復帰されるまでには、本研究所のために自分に何ができるか考えようと思います。専門が音声学と音韻論を中心とした言語学なので言葉の研究に関心を持っていますが、過去10年以上の中学校英語教科書作りを通して教育にも興味を持っています。特に、教育について言えば、隣人愛の精神がその根底になかったら、大学は知識だけを持った怪物を育てることになる危険性がある。

 3月の末、友人がサバティカルで1年間のイギリス留学をすることになり、旅立った。彼の送別会に出席したが、その席上で私が受洗したことにとても驚いていた。彼に言わせると、私は絶対に信仰を持たないタイプだと思っていたらしい。そうだったかもしれない。しかし、今は違う。いや、違うように日々努力をする求道者でありたい。

(さとう やすし  所員、文学部教授)


田川大吉郎について  遠藤 興一


 偶然のきっかけから、田川大吉郎という人物について調べなければならなくなったのは、数年前のこと。それまでは、学院関係者としての田川──第三代総理、社会科の創設者──というぐらいの知識しかなかった。もっとも、私の専攻分野(社会福祉史)との関連からいえば「社会改良史論」の著者としての田川は知っており、著書にも目をとおすぐらいの事はして来たでしょうか。

 従って、キリ研で田川研究をしてみたらいかがでしょうか!という提案を大西教授にしたのは、いまから考えると誠におこがましい限りでありました。ずうずうしい限りでありますが、さりとて、田川に関する研究の学的状況を見ていると、このままでよいのだろうかという想いは日ごとに募るばかりなのも事実です。今日では“忘れられた思想家”田川を何とか世間の日の目に照らし出してみたいという想いは人一倍強いつもりです。フト思い出した文章があります。それは丸山真男の絶筆といわれている矢野龍渓に関する文章で、丸山は確か、ひとつの専門領域だけを取り出したら、あるいは矢野以上の人物は何人もいるかもしれない。しかし、その多彩な活動領域を総合的に見たら、かれほどの人物は果たして近代日本史に何人もいなかった。まさにルネッサンス的天才の一人といってもおかしくないと言っている。アァ、田川もそうしたひとりではないかな!とそのとき思ったものです。

 しかも、こちらは矢野とちがって、その膨大な著作と活動経歴については、ほんのわずかしか知られていません。とりわけ、キリスト教史上の田川については、きわめて重要な人物であるにも関わらず忘れられている点が多い。大西教授はそのことに気が付かれて近年、熱心に研究をなされている由。快哉の想いを持ってその成果を見守っているのは私だけでしょうか。

 というわけで、ドシロウトの研究所員が誕生したというわけです。

(えんどう こういち 所員、社会学部教授)


はじめまして  福元 真由美


 このたび、賀川豊彦プロジェクトの研究員としてまいりました。週二回、白金校舎の正門を入り、銀杏の葉のあざやかな緑や、花壇の色とりどりの花々に心を躍らせながら、キリスト教研究所にきております。

 これまで私は、賀川の幼児教育について大きく二つの視点で捉えてきました。その一つは、彼の協同組合による保育が、幼児教育の系譜の歴史理解に与える意味を捉えるという点です。関東大震災後に、東京市本所区(現在の墨田区)に設立された「光の園保育組合」は、母親たちの協同組合として組織され、賀川の「協同組合社会」の構築というプロジェクトの中に位置づくものでした。この保育組合による保育は、中産階級の幼稚園と労働階級の保育所という、これまで理解されてきた幼児教育の二大系譜には取り込むことはできません。私は、教育の制度化・市場化をのがれて、人々が自ら保育の公共空間を築こうとした軌跡を彼の保育組合に見いだし、ここに幼児教育の第三の系譜の誕生の契機をみたいと考えています。

 もう一つは、彼の自然中心の教育の可能性と危うさを検討するという点です。1933年に作成された「幼児自然教案」は、自然に関する幼児の学習経験を芸術的、科学的、宗教的方面において重層化する教材や活動を用意していました。そして、幼児へのキリスト教の「愛」の内面化を通じて、現実社会に対する価値判断の基準を準備させると同時に、幼稚園を「愛」による新たな社会関係の創出の場として再定義するものだったといえます。しかしながら、第2次世界大戦期に賀川の「愛」とナショナリズムは結合し、彼自身、日本の聖戦イデオロギーに陶酔する精神状態にいたります。このような事態からひるがえって、「自然」を媒介にした「愛」の教育の可能性の矮小化、すなわち、多様な価値や観念の存在の認識以前に、幼児に先験的な道徳価値や規範を内面化させ、それを絶対化させてしまう問題にも注意を払わなくてはならないと思います。

 キリスト教研究所で研究の機会を与えられて、今後は、上記の研究を継続し深めていくとともに、幼児教育における賀川の女性観・母親観、子どもに向けたキリスト教物語の分析なども行いたいと考えています。折にふれて、諸先生方のアドバイスをいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

(ふくもと まゆみ  キリスト教研究所研究員)


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