SPES(希望) 千葉 茂美
この夏は念願のスペインへの旅がかなえられ、多くの世界遺産に接することができた。なかでも、スペイン・カトリックの総本山トレドのカテドラル(大聖堂)は完成までに266年を要したというが、その壮大荘厳、またあふれるばかりの宗教芸術の豪華絢爛さには圧倒され、まるで神の国にいるかのような錯覚すら覚えた。またバルセロナの空高くそびえるガウディのライフワークとされたサグラダ・ファミリア(聖家族)聖堂は、1882年に着工され全体の完成まであと100年は要するといわれているが、その一部「生誕の門」の前に立つ時、生きた聖書の世界が天空いっぱいに広がり、魂のそこからおそれとおののきを覚え、ぼう然と立ちすくんでしまった。
マルセルは希望には日常生活次元のものと神の愛にもとづく未来への確信へ向けての根源的希望の二つがあるというが、上記の聖堂は根源的希望にもとづいた祈りの成果と思えるのである。同じ神のみ名によって建てられた明治学院の行く末も、日先の日常的次元のそれではなく、根源的希望に確信をおき、日々の勤めをしっかりと果たしていきたいものと思うのである。
(ちば しげみ 所員・一般教育部教授)
2001年7月3日 公開シンポジウム報告
「くろすとーくMEIGAKU『教科書』問題を考える」 大西 晴樹
キリスト教研究所・国際平和研究所共催のシンポジウム「くろすとーくMEIGAKU『教科書』問題を考える」が7月3日(火)白金校舎1101番教室において開催された。
開催の引き金は、「新しい歴史教科書をつくる会」による『新しい歴史教科書』が文部科学省の検定を合格したことにある。この教科書には、戦後の日本がそれまで進めてきた戦争・侵略の歴史を過ちと反省し、そこから歴史認識・国際協調の再構築をはかるという基本路線を覆し、むしろそのような態度を「自虐的」と捉え、戦争を国家発展にとって当然の成果、民族の誇りとして解釈する好戦的な歴史認識が脈打っているのである。当然、中国・韓国など侵略された近隣諸国との軋轢は高まり、しかも採用方式が今年度から新たになったことからこの検定合格教科書が実際にどれくらい採用されるか分からないという状況の中での開催であった。
この種の集会に学生が足を運ばなくなってから久しい。なんとかこのシンポジウムを文字どおり教員と学生の「くろすとーく」の場にしようとの狙いから、講師の依頼には人一倍気を遣った結果、ベストの陣容で臨むことができた。講演順に説明すると、歴史教育者協議会の石山久男氏は、絶えず歴史教育の問題を現場教師の視点から問い直している団体の事務局長で「新しい歴史教科書」の問題点を詳細に説明できる方である。東京大学教授の姜尚中氏は「戦後民主主義のゆらぎ」を主張するすぐれた政治社会学者であるが、学生がよく観ている討論番組「朝まで生テレビ」の論客でもあり、この問題において学生を魅了することのできる数少ない方である。国際学部教授の加藤典洋氏は、その著『敗戦後論』において、戦争に対する反省の弁と賛美の弁が同時並存する「戦後日本のねじれ」を指摘した思想家であり、明治学院大学のスタッフの中では格好のパネリストといえよう。
さて「くろすとーく」当日、主催者の心配をよそに学生を中心に350名近くの聴衆がところ狭しと集まり、1101番教室は久々の熱気に包まれた。まず石山氏がアジアの人々や女性の人権に対する認識を欠いた「新しい歴史教科書」の問題点を指摘し、姜氏はバブル崩壊後に台頭した「新しい歴史教科書をつくる会」が政治運動体であり、現代日本における国体明徴運動の性格を担っていると解説した。加藤氏は歴史認識の主体を問題にする立場から、外在的・内在的認識のバランスの重要性を強調した。その後の討論においても明学生を中心に興味深いやり取りがあり、用意された3時間10分は瞬く間に過ぎ去ってしまった。
主催者として、もちろん現行の教科書の叙述がよくて、「新しい歴史教科書」がア・プリオリに悪いなどというつもりはサラサラない。今回の「くろすとーく」が明らかにした地平は、わたしたちが生活するこの「戦後」と言う「時間」と「空間」をしっかりと踏まえ、そこでわたしたちが長年育んできた価値観にしたがって自ら胸を張って誇ることのできる「歴史教科書」を志向することであり、10数年前の第1回「くろすとーくMEIGAKU」が昭和天皇危篤の際の自粛ムードを晴らすかのように開催されたごとく、キリスト教大学としてこのような機会を通じて絶対化しつつある国家を相対化することではないだろうか。
(おおにし はるき 主任・経済学部教授)
イスラエル紀行 丸山 直起
今年の6月国際会議のため久しぶりにイスラエルを訪れた。数えてみるとイスラエル訪問は今度で5度目である。今回の滞在はわずか1週間と短く、訪問先も会議が開催されたハイファとテルアビブだけであったが、いまや何かと話題に事欠かないイスラエルのこと、見聞したままの印象を記してみたい。
テルアビブ行きの飛行機はガラガラ、逆にテルアビブ発は満席だった。つまり、この時期にイスラエルへ出かける観光客がほとんどいないということであり、イスラエルから一時的に脱出しようとするイスラエル人がかなりの数に上っているということである。ミレニアムを当て込んで建設された聖地のホテルはどこも閑古鳥が鳴いていた(30軒のホテルが客が来ないため閉鎖された由)し、海外からの投資が激減するなど経済的には明らかに大打撃を蒙っていた。状況はパレスチナ自治区も同じであった。
イスラエル滞在の前後に派手な無差別テロが発生し、イスラエル軍の報復をまねいていた。それでも会議は海外からの参加者が出席を見合わせるというようなこともなく予定どおりに開幕し、閉幕した。後日アメリカで発生した空前のテロをTVでみていて、イスラエルではこの種の異常事態はむしろ正常なのだと妙に納得してしまった。イスラエルでもパレスチナ地区でも50年以上の間、人々はこの状態に慣れてしまっている。この不条理な状況を見るのは悲しくてつらい。前述したように海外に親類がいる国民はとりあえず避難するであろう。しかし、それが「とりあえず」で終わりそうにない状況が切ない。
帰国後、新聞や友人からのメールで、イスラエル国内の状態はさらに悪化しているのを知った。相次ぐ爆弾を抱えた自爆テロにさすがのイスラエル国民も一段と悲観的になったようだ。テロを抑えられないアラファトの統治能力の欠如にハト派のイスラエル人の間に和平の前途に対する絶望感が漂い始めたようだ。イスラエル政府の強硬策は逆の効果を生んでいる。パレスチナ人の憎悪はさらにふくらんでいく。
ところで、テルアビブに滞在したとき偶然ある会合に招かれた。戦前ドイツやポーランドから神戸に上陸したユダヤ難民のため日本滞在ビザ延長を日本側官憲と交渉した人物に小辻節三というキリスト教を学んで神学者となり、かつヘブライ語の文法書を著した学者がいた。戦後かなりたって小辻氏は改宗してユダヤ教徒となり、遺言に従って死後エルサレムに埋葬された。小辻氏のお嬢さん2人が墓参りのためたまたまイスラエルを訪問中で、イスラエル側はユダヤ難民を救った恩人として感謝のレセプションを催し、私も招待されたのである。小辻姉妹とは以前鎌倉のお宅に伺って父節三氏の詳しい話を聞いたことがある。小辻氏はハルビンで1938年12月に開催された第2回極東ユダヤ人大会に出席し、ヘブライ語でみごとなスピーチをし、列席のユダヤ人をびっくりさせ万雷の拍手を浴びている。
リトアニアの首都カウナスでポーランドのユダヤ難民のために日本通過ビザを発給し、6000人の命を救った外交官杉原千畝氏のことは余りにも有名だが、日本の歴史をひもとくと、杉原、小辻に限らず、世界中で迫害される人にあたたかい手を差しのべた多くの無名の日本人がいる。このことをあらためて考えることになったのは今度の旅の最大の収穫であった。
(まるやま なおき 所員・法学部教授)
賀川豊彦について 野村 誠
現代日本の政治・経済・社会にはかりしれない貢献をなした、日本を代表する国際的キリスト者
明治学院大学が育てた賀川豊彦(元明治学院大学教授)の運動と彼が抱いていた理念を探りたいとおもいます。賀川豊彦ほど国際的にしられた日本のキリスト者は稀だろうと思われます。1937年カナダのトロントで開催された世界YMCA大会でジョン・R・モット会長は現代でキリストにもっとも近い人は誰かと聞かれるならば、それは日本のトヨヒコ・カガワであると述べて満場の拍手をあびました。戦前、賀川は「日本の聖者」「世界的聖人」「平和の使徒」「20世紀の聖フランシス」と尊称され、日本を代表する国際的キリストでありました。
賀川の社会運動の代表的なものは、貧民救済活動、関東大震災などの災害救済活動、社会福祉活動、労働組合運動、消費組合運動、農民組合運動、貴族院議員、日本社会党の結成など政治活動、平和運動、世界連邦運動、さらに医療、保険、教育などがあります。さらに150冊の著作と23冊の翻訳を出しております。『死線を越えて』は出版2カ月で16版、国内で150万部も売れ、英・独・仏・オランダ・スカンディナヴィアなど13カ国語に訳されベストセラ−となりました。初期の詩集『涙の二等分』で有名なように賀川の本質は詩人であります。詩人といいますのは想像力が豊かで多くの人々に共感を与えます、そして創造力も豊かな革新的、革命的な力をもっており同時に自由人です。しかし賀川の場合、衆知のように、社会的活動とキリスト教信仰が密接に関連しています。特に賀川は英・米の神学、ウェスレ−・メソジズム運動、そしてキリスト教社会主義運動などから学び「神の国」の実現をめざしていました。賀川は「宗教内容としての経済生活」(『賀川豊彦全集』キリスト新聞社.昭和48年.8巻以下『全集』と略記)の中で、次のように述べています。
生命科学の奥義は宗教である。価値判断の決勝点も宗教である。然し入間生活は創作の生活であり、表象の生活であるから、地上に生活して居る間はどうしても宗教をその生命の衷(うち)に表象せねばならぬ。即ち精神を物質で現わして行かねばならぬ(『全集』8:410)。
引用のように生命の奥義は宗教であり精神が物質となって現われるという「受肉」
(incarnation)が賀川の基本的視点であります。そして経済的価値についても、精神的なものが表象されたものと考えていいます。
賀川において宗教と社会の関わりは、表裏一体のものと把握されています。社会現象は、時の流れの中で顕われた「宇宙意志」であり、宗教的意志を包蔵している。それは,時の流れの中で様々に展開し、社会現象となります。賀川は歴史のうちに神が働き、歴史を導き歴史を通して神はご自身の御心を顕し歴史を完成させると確信し神を信頼していました。特に、社会の根底に、宗教理念を見出していたが、それは「神の国」の理念でした。
賀川は、分裂した世界をキリスト教によって統一し、世界平和の実現までパースベクティブを拡げました。しかも単なる平和主義でなく、世界を各ブロックに分け、「世界経済連盟」を組織し、その上に「世界連邦」を形成するという具体的な世界平和、統一を提唱したことは、今後の世界の方向を示唆しているのではないかと思われます。
(のむら まこと 協力研究員・共愛学園前橋国際大学助教授)
Reading Shiina in the U.K. Mark Williams
For five weeks this past summer, I was fortunate enough to be invited
to further my research on Shiina Rinzo at the Christian Studies Institute
at Meiji Gakuin University. I am particularly grateful to Professors Hashimoto
and Mullins, who helped me with the necessary arrangements, but I also
wish to thank all those whom I met during my stay: many were able to offer
me invaluable insights into the significance of the literary contribution
of this all-too-neglected author, and all were extremely gracious in their
welcome and hospitality.
My interest in Shiina dates back to the years I spent at the University of California, Berkeley, preparing my PhD dissertation on what is loosely described as 'Japanese Christian literature' of the 20th century. Admittedly, there may be other names -- most notably that of Endo Shusaku -- that spring to mind before that of Shiina in this regard. There is, however, a profundity to the literary portrayals of his journey -- from tenuous affiliation to various communist interests in the early 1930s, his subsequent (inevitable) arrest and tenko and his eventual encounter with Christianity following the miserable years spent enduring the trials of wartime and Occupation Japan -- that is virtually unparalleled. Shiina's depictions of the ruins, both physical and spiritual, of the immediate postwar period are as evocative as any of those offered by his peers in the sengoha literary grouping -- and it is for these that he is best remembered (if indeed he is remembered at all!) Hindsight is not without its rewards, however, and neither his maiden novella, Shinya no shuen, nor his early attempts at full-length narratives (such as Eien naru josho) can be fully appreciated without an appreciation of the significance of his gradual encounter with the living Christ of the gospel accounts that was taking place at the time of composition of these works. Little was made of this connection until publication of his award-winning Utsukushii onna, several years after his formal baptism into the Protestant tradition, but in retrospect, there is clear evidence, even in these earliest works of fiction, of an author engaged in far more than a struggle for physical survival. These works, too, are characterised by a plethora of protagonists, increasingly obliged to acknowledge a greater complexity to their inner being than they are initially able or willing to countenance -- and can be seen, as such, as moving the confessional trend evidenced in the prewar shishosetsu tradition to a more personal and profound level.
The Christian Studies Institute contains several resources, not readily available to scholars elsewhere, that can only enhance our understanding of this depth. Most relevant in this regard are the various volumes of hand-written 'soosaku-no', Shiina's literary diary, written with amazing regularity and in a remarkably self-critical manner, during the course of the period in question. O-kage-sama de, I was able to spend several rewarding sessions -- with the 'air-con' there to keep me invaluable company! -- Trying to decipher Shiina's intricate handwriting, but with a growing sense of the struggle, conducted both with his body and his spirit, in which Shiina was embroiled as he wrote these early works. Five weeks is all too short, and I was able to do little more than scrape away at the surface. But I have returned to the UK with a pile of documents for further reading -- and, with these and what I hope will be further visits to your illustrious institution, I look forward to making my contribution, however small and modest, to a greater understanding, both in Japan and the outside world, of this most perceptive chronicler of postwar life in Japan.
My renewed thanks go to all who helped to make this such a rewarding summer.
(マーク・ウィリアムズ キリスト教研究所協力研究員・University of Leeds,U.K.)
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