表紙メッセージ 水落 健治
少し前のことになるが、1994年 9月にギリシアに旅行したときのことである。アテナイの町に「ビザンティン博物館」という博物館があると知り、そこを訪れた。
様々な興味深い展示物の中でひときわ興味を惹かれたのが、紀元四世紀の教会堂の内部をそのまま復元したという一室である。内部はほとんど大理石で出来ており、床は幾何学模様のモザイクで飾られ、正面には---聖餐式のためのものであろうか---何の飾りもない簡素なテーブルがあり、そして四方の壁は一面のレリーフで覆われていた。
ふと見ると、若い男が笛を吹き、その周りを様々な動物がとり囲んで楽しげに笛の音に聴き入っているレリーフがある。解説を見ると、それはギリシア神話のオルフェウスで、復活のモチーフを表しているとのことだった。
教会堂とオルフェウス----この奇妙な取り合わせはかなりの衝撃であった。
爾来、この印象が、わたしのキリスト教研究のひとつの動機づけとなっている。
(みずおち けんじ 所員・文学部教授)
「講義 明治学院学」の開講を目指し 橋本 茂
明治学院は、節目を迎えるたびに、明治学院の歴史を書き記した周年誌を出してきました。こうした素晴らしい記録を、近代的なメディアを駆使して、全学共通科目「講座 明治学院学」(仮称)として、学生に提供しようとする提案が所員よりなされ、下記のような要領で、現在準備を進めています。この草案をご覧になって、是非とも、ご教示をいただきたいと思います。今後、各関係部署との具体的な折衝を通して、実現したいと願っています。
講座 明治学院学
−近代・現代における明治学院−
1.「明治学院学」を教養センターの協力を得て、全学共通科目として新設する。
2.その講座の責任はキリスト教研究所の所長が負う。
3.単位は2単位で、秋期、横浜校舎で開講する。
4.履修年限は限定しない。
5.講義の目的は、最も身近な社会的環境である明治学院の歴史を通して、近代・現代について考える。
6.講義は、その講義内容を最も得意とする研究者によって、分担してもらう。
7.講義はスライド、ビデオなどAV機器をフルに活用する。
8.謝儀については事務局と相談して決める。
9.講座委員会を設立し、その開設に取り組む。最終案は7月の一泊研修会にかける。
シラバス(案)
第1講 明治学院の理念と現況
@建学の精神
A大学・高校・中学について
第2講 明治学院の誕生(1863)
@ヘボンとその仲間
A近代日本とヘボン
@ 医学
A 和英語林集成
B 聖書の和訳
第3講 明治学院の揺籃期(1877)
@ 東京一致神学校
第4講 明治学院の確立(1886)
@明治学院の創立の決議
A白金の丘の風景
B教師群
C学生−藤村、秋骨、弧蝶−
第5講 明治時代と明治学院
@明治学院のロマンティシズム−文学と美術−
@ 島崎藤村
A 和田英作
A明治政府と明治学院
@ 文部省訓令12号と明治学院
A 足尾鉱毒事件と明治学院
Bキリスト教会と明治学院
@ 井深梶之助
A 植村正久
第6講 明治学院の建造物
@チャペル
A記念館
Bインブリー館
第7講 賀川豊彦と社会運動
@賀川豊彦と明治学院
A賀川豊彦と社会運動
B賀川豊彦と文学
第8講 昭和時代と明治学院
@天皇制と明治学院
A戦時体制と明治学院
第9講 戦後の明治学院
@明治学院大学の開設と現況
A『心に刻む』−戦後50年の新しい出発−
B現在の明治学院
第10講 明治学院の群像
文学、経済、マスコミ、政治、教育、福祉等の分野で活躍した人、現在活躍している人。
第11講 明治学院の歴史を歩く
足で明治学院の史跡を訪ね、話を聞く。
(はしもと しげる 所長・社会学部教授)
明治学院大学後期公開講座(港区民大学)について
「先端医療と生命倫理−生と死の問題を考えるー」 千葉 茂美
人間の生と死は従来神の領域の問題とされていた。しかし医療技術や医療機器の開発などの驚異的な進展にともない、今日先端医療ではこの生と死をめぐり、人間の手により生命操作が技術的に可能になってきた。それにともない先端医療技術はわれわれの生と死を根底からゆるがし、また科学技術中心の医療の中でゆがめられていく人間本来の姿をどうみつめ直していくか、大きな課題をわれわれに投げかけてきた。また最近急速に開発が進んできたヒトゲノム(人間の全遺子情報)解読、遺伝子診断、遺伝子治療、クローン技術、ヒト万能細胞(ES細胞)の研究は、医療そのものをも大きく変えようとしている。現在、先端医療が生命倫理との関連で問題になっているいくつかの点を挙げてみたい。
まず生命の始まりの問題をめぐっては、不妊症の人も人工授精、対外受精、顕微授精などの生殖補助技術の発達によって子どもが授かるようになったが、ドナーが夫以外の場合、子どもをめぐる親子、夫婦の関係、子どもの事実を知る権利など、われわれはどう考えていくべきか。またわが国では認められていなかった代理出産(借り腹)が実行され、何の歯止めもかからず推移している問題、また海外ではクローン人間の実現計画などが発表されているが、倫理的にはこれにどう対処していくのか、問題は緊急を要する。さらにヒトゲノム計画により人間の遺伝子解読が可能となり、遺伝子診断によって将来の発病の可能性が予測されるようになったが、有効な治療法がない場合、どうするのか。また出生前診断により新生児の選別が可能になったが、障害児の生命権は守られるのか、また中絶による胎児の人権をどう考えるのか、優生思想の問題など問題は累積している。
つぎに生命の終わりの問題をめぐっては、脳死と臓器移植では、脳死の検証の問題、ドナーやレシピエントのインフォームド・コンセントの問題、術後管理の困難性や心理的、精神的不安の面、これに対するケアの問題、そして臓器不足をカバーするため人工臓器の開発が進められているが、臓器が疾患をもつとつぎつぎに人工臓器に変えていくと人間は最後にはロボットになるのか、人間の根本的な意味が問われ、その医療はどこまで許されるのかという問題にも出会う。これに反しES細胞を利用した再生医療の研究も進み、将来新しい臓器や組織の再生が可能になり、そしてこれを再び生体に戻していけるという。何をどこまで再生していいか。脳が人格の座で特別の臓器だとすれば、これは許されるのか。人間観を根底からくつがえす事態に遭遇する。そしてまた安楽死や尊厳死の問題では、生きる権利、死ぬ権利を最後まで自分の手にしておきたいという自己決定権の考え方が浸透し、オーストラリアやアメリカのオレゴン州やオランダ、最近ではベルギーも安楽死法が条件をつけながら制定されている。また末期状態であっても最後まで人間らしく生きていたいというホスピス思想も定着し、各地にその施設も多くつくられつつある。
先端医療を考えたとき、生命倫理の立場から以上いろいろな問題があるが、神が与えてくださった生命、この操作がどこまで許容され、また正当化されるのか、キリスト教の観点からも考察を加えてゆきたい。
10月から始まる秋学期の公開講座では、以上の点を整理しながら、各分野の専門の先生、また医療での現場の先生方をお招きし、生と死の問題を共に考えていければと思っている。
(ちば しげみ 所員・文学部教授)
学生諸君への感謝 藤原 一弘
私がある音大で担当する講座のひとつに「音楽と宗教」があります。昨年度は、後期に20世紀を代表する芸術表現のジャンルである映画を取り上げ、前期に学んだキリスト教の世界観や様々な概念が映画の中でどう表現されたのか、そこで音楽はどのような役割を担ったのかを講じ、人間とは何かというテーマで『2001年宇宙の旅』(監督S.
キューブリック、1968年英)、『惑星ソラリス』(監督A. タルコフスキー、72年ソ連)を、罪と許しの問題に関して『フラットライナーズ』(監督J.
シューマカー、90年米)と『道』(監督F. フェリーニ、54年伊)を取り上げました。最後に、後期に扱った映画と音楽から一つの作品を選び、宗教に対する自分自身の考えを交えて論じるというレポートを課しました。学生たちが宗教をどうとらえているのか、人間の罪や死など、彼らの日常とは関わりのなさそうな、いわゆる暗いテーマと彼らがどう立ち向かうのかを知りたかったためです。特に、一年間の最後に扱った『道』に関しては、人間の心の最も深いところへ直接響いてくるようなこの映画に、20歳前後の今日の若者たちが一体どう反応するのか、大きな期待がありました。
レポートを読み始めてみると、私の期待をはるかに上回るような真剣な取り組み方で彼らがレポートに臨んだことがすぐにわかりました。中でも驚かされたのは次の二点です。まず、大学生活の4年間ほどの短時日に彼らが人生の様々な局面を体験し、物事を見る目を著しく深化させているという点です。日頃は明るく振る舞っている彼らが、実は静かに自分自身と世界とに対峙しつつ、日々新たな自分へと刻々と変化を続けていることが、1年生と4年生との文章の巧拙、主題の掘り下げの深さの違いとして明らかに表れていました。第二は、映画や音楽の作品の中で表現された人間の弱さ、脆さ、小ささ、醜さ,酷さなど、生きていく過程で誰しも避けて通れない、しかも直視したくない問題の数々を、彼らが他人事としてではなく自分自身の問題としてしっかりと捉えていた点です。
ある学生は、『道』の中でザンパノが自らの過ちに気付くという小さな改心にはジェルノミーナが必要であったように、自分の悔い改めにもどれ程の犠牲が払われなければならなかったのかと書きました。日々、規模は小さいながらも、確実に他者を少しずつ傷つけ、また傷つけられながら、常に不安を抱えつつ生きる彼らは、映画に登場する悲しむ人々を思いやり、人の痛みを自分の痛みへと置き換えて理解する若い柔軟な能力をまだ豊かに備えています。そして、ジェルソミーナの心に響いた音楽がいつか頑ななザンパノの心にも響きますようにと、罪ある者を力によらずとも天を見上げさせうる、音楽のもつ心への深い作用を音大生としてしっかりと把握しているのです。
こちらから投げかけた問題を、彼らが見事に受け止めてくれている点も確かに嬉しくはありました。しかしながら、貴重な、今後も絶対に失ってほしくない、誠実で質朴な淳良さを彼らがもっており、しかもレポートという半ば強制された状況ではあれ、それを的確に表現してくれたということが私にはとても貴く思えたのです。
同時に、彼らに対し申し訳ないと思ったのは、日頃から偏見・先入観を持たないようにと思い続けているのにも関わらず、彼らを個々の独立した人格としてではなく、つい「今の学生は」などという曖昧でいい加減な決まり文句で、実体のない集合としてとらえがちであったことです。教壇から彼らに話すことは、私には一対多と思えても、彼ら学生の側からすればあくまでも一対一の関係になるわけです。
いつまでも感動する心を忘れないでほしいと、最後の授業で学生諸君に贈った19世紀イギリスの詩人W. ワーズワスの『虹』という詩を引用して、この短い一文を閉じます。
わが心はおどる
虹の空にかかるを見るとき。
わがいのちの初めにさなりき。
われ、いま、大人にしてさなり。
われ老いたる時もさあれ。
さもなくば死ぬがまし。
子供は大人の父なり。
願わくばわがいのちの一日一日は、
自然の愛により結ばれんことを。
(田部重治 訳)
(ふじわら かずひろ キリスト教研究所研究員)
初代教会史研究の醍醐味 石本 東生
イエス・キリストの生涯を福音書の記者たちが克明に綴ったことにより、後世の私たちが主イエスを通してどれほど多大な恩恵に浴することができるかは計り知れない。
それゆえ福音書を読む限りは、二千年前イエス・キリストがイスラエルの各地を巡り宣教した記録を辿るにつけても、どれほど多くのユダヤ人や、当時そこに寄留していた異邦人たちの間で、主イエスとその弟子達の集団が大きな宗教運動を展開していたことかと想像するのは当然のことだろう。
しかし、今日これほど有名なイエス・キリストについての史料が、同時代のローマ側及びユダヤ側の文献には殆ど見出せず、あまりにも貧弱なことに驚かざるを得ない。
まず、ローマ史の基本的一般文献において、イエス・キリストの生涯に関る記録はタキトゥスの『年代記』に見られるのみである。その記事内容はローマの暴君で有名なネロ帝(在位54〜68年)が、64年に起こったローマ市大火の責任をキリスト教徒に転嫁し、キリスト教迫害に踏み切るである。
その名(キリスト教という名)の由来するクレストゥスは、ティベリウス帝の時、ポンティウス=ピラトゥスによって処刑された。
と挿入的な一言で語られているに過ぎない。
またユダヤの壮大な民族史を綴ったフィラウィウス=ヨセフスは、『ユダヤ古代史』の中で、イエスについて以下のように語っている。
さてこの頃、もし彼を人間と呼んでさしつかえないないならば、イエスという人間が生きていた。彼は賢者であった。彼は奇跡を行い、真理を喜んで受け入れる人々の教師であった。彼は多くのユダヤ人とギリシア人をひきつけた。彼はキリストであった。わが国民(ユダヤ人)の主だった人々の告発によって、ピラトゥスが十字架の処罰を与えたにもかかわらず、彼のはじめからの信奉者は彼を見捨てなかった。彼は、神から遣わされた預言者たちが予言していた通り、三日目に再び生き返って彼らに現れたからである。そして、彼の名によってそう呼ばれているクリスティアノスの徒は、今日に至るまで存在している。
実は、この箇所については「もし彼を人間と呼んでさしつかえないならば・・・」という記述についてもイエスの超人間性をほのめかす表現があることなどから、後世のキリスト教側の挿入であろうと懐疑されている。いずれにしても、「彼はキリストであった」とヨセフスが記しているにもかかわらず、上記の箇所以外にイエスの宣教活動について具体的には全く触れていないのは実に不可解である。
しかし逆に言うと、その宣教はこのような当時の著名な歴史家も、殆ど注目を要しないほど―あくまで規模においては―小さなムーブメントであったことを裏付けている。実に「からし種」ほどに微小な群れであったイエスの弟子たちは、迫害の逆風を受けながらも、ローマ帝国内で着実に成長を遂げていく。そして先述のとおり、紀元後64年にはローマの大火のぬれぎぬを着せられたキリスト教徒は皇帝ネロによる迫害をうけ、その折にペテロやパウロも殉教したと言われている。
ところがその五十年ほど後、すなわちイエス・キリストの十字架の後八十年ほど経った112年には、大きな変化が見られる。五賢帝の一人で有名なトラヤヌス帝がキリスト教徒に対する扱いを定めた勅令(トラヤヌス勅令)をビテュニア総督のプリニウスに与えている。その内容はキリスト教徒処罰の基本原則は踏襲しながらも、一方では彼らに寛容の度も広めている。つまり、キリスト教徒は帝国内で、もはや無視できない存在となり始めていた。迫害の嵐の中でも拡大してやまない生命力たるや、まことに驚嘆せざるを得ない。そしてキリスト教徒は4世紀初頭にはディオクレティアヌス、ガレリオスの両皇帝による史上最大の迫害を10年間通りつつも、コンスタンティヌス帝の援護と同皇帝が313年に発した「ミラノ勅令」により、初めて信仰の自由を勝ち取った。この初代キリスト教会の歴史をこの世に先駆けて綴ったのが、カイザリアのエウセビウスだが、私はアテネのビザンティン文化研究所にてその『教会史』を学ぶ勿体無い機会を与えられた。
イエス・キリストがその地上の生涯に語られた『からし種の信仰』そのままに、とるに足らぬように見える小さな群れが、しかし神の真の生命を宿すときに、迫害の中をも成長を続け、遂にはローマ帝国をも一変させるような強力な集団に拡大していく。その歴史の不思議を明治学院においても探求していきたく願ってやまない。
(いしもと とうせい キリスト教研究所協力研究員)
ドクトル・ヘボンで結ばれて 石川 潔
1.「ドクトル・ヘボン関連年表」
1999年10月にドクトル・ヘボン来日140年を記念して「ドクトル・ヘボン関連年表」という小冊子を自費出版した。
ヘボンの研究の?矢は、明治学院大学教授・図書館長であった恩師故高谷道男氏である。私はヘボンの伝記を書くのではなく、客観的に関連する事柄を時系列に並べることによって、読み手にこの人物像を把握してもらうという手法を用いてみた。そこで「関連年表」という標題にした。年表とか年譜というと本の最後にまるで付録かのようにおきまりに記述されている存在である。しかし、この年表は関連事項を含めてそれを年、月、日順に列挙してひとり立ちさせたものである。
2.情報を多角的に確認する
ひとつだけの情報を根拠とすると、記述ちがい、思いちがい、校正失敗などから間違いが発生して年月日及び内容が変化する恐れが生ずる。複数の文献情報が交差する一点が情報の正確さに結びつく。そのためこの時代を書いた数多くの文献に接触することができ、情報を多角的に掌握し、その奥行きを深める幸せを感ずることができた。(現在、「ドクトル・ヘボン関連年表」補足・改訂版を作成準備作業中)
3.ヘボンの活躍した時代
「関連」とは「かかわること。かかわりあうこと」と定義されている。「ヘボンとかかわること」とは彼が活躍した時代の背景を明確にすることであると考えた。1850年から70年代、80年代における日本は、開国、外交さらに国内での反幕勢力の活発化、幕政の崩壊から新政府の誕生。そして戊辰戦争、国内戦争の終結から明治政府の制度確立、西欧式諸制度の積極的採用とめまぐるしく変化していく状況にあった。そしてヘボンの住んできた横濱は西欧文明の取入れ口としての存在であり、この横濱の様子もヘボンの活躍した時代を把握するための必要な重要事項として年表の中に挿入した。開国した日本に続々と上陸し、宣教活動を開始したプロテスタント各派宣教師群の中にあって正確かつ冷静に日本人を観察するヘボンの存在を明確に位置付けた。そして長老派の信徒として横濱に日本最初の長老派教会・指路教会の設立に努力を払ったことと、ヘボン塾を源流のひとつとして誕生した明治学院との関わりを年表の中に記述した。
4.キリスト教研究所との出会い
この「ドクトル・ヘボン関連年表」出版のことが朝日新聞(横浜版)に記事掲載された際、キリスト教研究所の中山先生の目にとまり、研究所主催の公開研究会(2000年1月)の講師に招かれた。これがキリスト教研究所との最初の出会いである。(この研究会が最低出席者記録を樹立したようである)題名は「ドクトル・ヘボン関連年表をつくって」−これなら私にしか語れない題名である。しかしあまりにも魅力的でなかったようである。
そこで一句 「石川のに身内4人だけ」
5.新撰組敗走記
この話の中で「ヘボンにも、日本の重大なできごとにも、横浜にも、明治学院にも関連しない異質な事項」が年表の中に記載されていることを述べた。それは「新撰組及び近藤勇関係の事項」である。実はドクトル・ヘボンに取り組む前から手がけていたのが、「新撰組敗走記」であった。新撰組は幕末の激動期に士分でない浪人たちの組織集団である。武士でない者が最も生き抜こうとして敗れ去り消えていく姿を現在の経済活動社会におきかえて学習したいと探求しているわけである。
6.旧幕新撰組の結城無二三
この敗走する新撰組の中にのちにカナダメソヂスト教会の伝道者となるひとりの人物があった。その名を結城無二三という。結城無二三の名は第二次新撰組といわれるの名簿の中に見出すことができる。無二三は1879年(明治12年)4月6日、甲府教会でカナダメソヂストの宣教師イビ−から受洗。のちに妻子を山梨の地に残して単身上京して麻布の東洋英和学校に学び、福音士となりその生涯を伝道にささげた。この結城無二三を新撰組敗走探求と並行して調べてみたいと考える。研究課題は「元新撰組・伝道者 結城無二三」である。
7.カタカナ語をさけて
原則として固有名詞を除いてカタカナをさけることとしている。外来語で、日本語では適当な表現をする語が存在しないとき以外は、豊富な語彙をもつ日本語で十分表現できると考えている。安易にカタカナ語を使用する風潮に強い反発をもっている。しかもそれが音声化されたときは本来の発音からかけ離れた音調と抑揚によって何語ともいえないカタカナ語を造成してしまっている。しかし、無理に漢字をあてはめることは無意味と考えている。キリスト教を「基督教」と書いたり、「耶蘇教」と記述したりはしない。キリストはカタカナであっても既に日本語の仲間入りをしているからである。
八.協力研究員として
私の年齢は68歳。経済活動社会でも学究活動社会でも定年を過ぎ、引退する年齢である。しかし、「物事を知ること、調べること」には定年はない。「知りたがりや」を自称する私は、生きている間にもっといろいろなことを知りたい、調べたいと欲求が強くなっていくことを痛感する。協力研究員であってもキリスト教研究所に協力できることは少ないかも知れない。むしろ今後の研究課題のために、メソヂスト三派合同以前のカナダメソヂスト教会関係の文献・資料をお教えいただき、沢山の方々にご協力を願う研究員であろう。
「ドクトル・ヘボン」で結ばれたこの関係をこれからも大切にしていきたい。
(いしかわ きよし キリスト教研究所協力研究員)
協力研究員になって 宮坂 弥代生
まずは、四月より協力研究員として、キリスト教研究所とのご縁を賜りましたことに感謝申し上げます。私の専門は一言で言えば「活版印刷史」、もう少し詳しく言えば「東アジアにおける近代活版印刷史・出版文化史」なのですが、それがどうしてキリスト教研究所の事業と関わるのか、自己紹介かたがた、この場をお借りして紹介させていただきたいと思います。
現在、私の研究テーマは、アメリカ長老会宣教師がアヘン戦争後の上海に開設した、美華書館(American Presbyterian Mission Press)という印刷所の歴史と活動です。印刷所の名前は、ヘボン博士の『和英語林集成』の印刷が行なわれたということで有名です。しかしながらその具体的な活動についてはあまり知られていません。いわゆるグーテンベルク以降の(ヨーロッパ起源の)金属活字を用いた近代活版印刷技術を東アジアに根づかせたのは、キリスト教宣教師が布教に必要な印刷物を印刷するために開設した美華書館のような印刷所"ミッションプレス"によるところが大きく、一例をあげれば、日本で最初に活版印刷業を営んだ本木昌造は、美華書館の責任者ウイリアム・ガンブル(William Gamble)から印刷技術を学びました。近代活版印刷技術とは、明治維新から昭和に至るまで、日本の近代化と学術文化の発展を支え、最も重要な役割を担った情報伝達技術のひとつであり、その技術の源流は、ミッションプレスに求められるのです。
これからキリスト教研究所の活動を通じて、皆さまからのご指導を賜りたく存じます。どうかよろしくお願いいたします。
(みやさか やよい キリスト教研究所協力研究員)
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