表紙メッセージ 久山道彦
「聖なる天使は、わたしたちを祈りへと掻き立てて、傍らに立ってくださる。喜びつつ、わたしたちのために祈りつつ、傍らに立ってくださるのです。」
「ただ自分の浄化を祈るのみでなく、同胞のために祈ることは正しいことです。こうしてあなたは、天使の祈りを模倣するに至るのです。」
ポントスのエウアグリオス『祈祷論』から
他者が祈りへと向かうよう、喜びをもって祈る天使(アンゲロス)。
古代キリスト教の修道士は、実践的経験の中で、「祈り」とは、行為というよりもむしろ存在の在り方であると理解した。「修道士は、祈りによって<天使に等しい者>となる」と言われる。キリスト教の最も大切な部分は、実にこの「祈り」のうちに保持され続けてきたのである。
(くやま みちひこ 所員)
「明治学院大学将来像」シンポジウム開催記 辻 泰一郎
2月27日(土)と3月27日(土)の両日、「21世紀に向かって 明治学院大学の将来像」に関する学内シンポジウムを開催した。テーマは第一回目が「一般教育と専門教育について」、第二回目が「学部再編成について」で、それぞれ発題者とコメンテーターを立て参加者との間でディスカッションが行われた。
こうしたことを思い立った狙いは次の点にある。今どの大学でも大学改革ということが叫ばれ、教養課程の再編を中心に専門課程ひいては大学の教育課程全体が大きくみなおされる時期に入っており、すでにわが明治学院大学でも大学執行部、各学部、学科でそれぞれの案が作られている。
混沌とした時代の中で明治学院大学が自身のアイデンティティを鮮明に掲げ、社会と時代の要請に応えながら、教育と研究の分野で真にオリジナルな成果をあげるために、教職員がその所属の壁を越えて集い、明治学院大学全体の改革について意見を交わすことが必要だと考えた。
今次の教育過程改革は、戦後新制大学の画一教育課程モデルを自由化し、各大学に特色ある教育課程をつくらせ、同時にその責任を負わせようとするものなのであるから、この改革は各々の大学にとって新たな出発点を画するものとなろう。
変化が求められているとき、その変化に大胆に対応できなければなるまい。それも柔軟にである。人間関係の閉鎖化と組織の硬直化は変化への障害となる。組織と所属の垣根を越えて教職員が大学の将来像について自由に議論し、交流し、それを通して相互の信頼関係を密にしていくことが根本的に大切なことと考えたのである。
本年1月中旬このようなことを考えながら、大学改革と学部再編問題に関心のある若い先生方にシンポジウム開催の相談をもちかけ、呼びかけ人として協力をしていただいて、実現したのが先のシンポジウムであった。
両方とも午前10時すぎから、午後5時30分すぎまで、種種の角度から発題をしてもらい真剣な討議を行うことができた。
私個人の感想としては、教養(リベラルアーツ)教育を学士教育課程の目標に設定する方向と専門職業教育を目標に設定する方向との相互関係、大学改革の現実枠としての大学財政状況、それに、白金、横浜両キャンパスの具体的な学部構想など、十分に議論しきれない問題は残ったが、私立大学のわずかばかりの春休みの貴重な土曜日をさいて、第一回目34名、第二回目49名が参加して議論を行い相互に理解を深めることができたことはやはり大きな収穫であったといえる。
発題やコメンテーターとしてお願いした方々がことごとく協力的であったことは本当にありがたいことであった。できたらこれからも続けていってほしいという意見もいく人かの人たちから寄せられており、ユニバーシティ・アイデンティティ形成の一助として本学の重要課題(まぎれもなく「キリスト教主義教育」の検討はその一つであろう)を自由に討議する機会がいろいろ設けられることは望ましいと思う。
私自身にとってこの集まりが持った特別の意味は、普段望むべくしてもなかなか実現できないこと、すなわち、一勤務員として明治学院大学を学習することができたということであり、実に得がたい機会であったということである。その意味でこの会を支援し、参加してくださった全ての方々に深く感謝申し上げる次第である。
(つじ たいいちろう 所員・法学部教授)
客員教授体験の記 柴田 有
ディジョン市はブルゴーニュ地方の県庁所在地、同市の北東部振興地に国立大学が位置する。このディジョン大学は5−6年前から「ブルゴーニュ大学」と正式名称を変更した。わたくしはこの大学の文哲学部哲学科に客員教授として迎えられ、昨年の九−12月、市の郊外で生活を送った。今後特に若い同僚諸君は、同種の機会に恵まれることも多くなると思うので、何らかの参考になるかと考え、この時の体験を報告させていただく。
わたくしを招いてくれたのは哲学科の友人ヴュナンベルジャ教授(J.-J.Wunenburger)であるけれども、客員教授の招聘は大学人事委員会の権限に属し、今度の場合にもおそらく学科学部段階の合意を踏まえて人事委員会宛に正式の履歴書業績所を提出するように要請があった。しかし客員教授の資格認証と給与の号・等級を記した、ディジョン・アカデミー総裁名な公式書類が届いたのは、かなり時間がたってからであり、その辞典でわたくしはすでに哲学の授業を始めていた。
ディジョン大学におけるわたくしの業務は2つあった。第一は基本的な授業負担で、「メタフィジク」および「古代哲学史」を各2時間ずつ週2コマ担当し、さらに授業日程終了時に、口頭試問による成績評価を出すことである。これは相当厳しい要求であった。と言うのも例えば、前記の授業科目名を知らされたのは授業の始まる前の週であり、わたくしはもちろんそれより早く日本を発っているから出発の時点で何を準備すべきか大いに迷ったのである。客員教授を呼ぶのはほとんど大陸内部からであって、わたくしも同等の扱いを受けたであろうか。最後の授業の日であったが数人の学生から、また講義にきてほしいといわれたとき、非常にうれしかった。
第二点は、客員教授としての義務でなく、むしろ腕を振るう機会といってよかろうが、専門家を対象とする特別講義(Conference)を行うことである。こればブルゴーニュ哲学会と大学哲学科が共催してくれた。図版はその時のチラシである。大学とリセの哲学教員および退官教員、それに学生を前に一時間の講義をし、引き続き一時間の討論があった。講義題目は、"L'idee gnostique de I'identite humaine"(グノーシス主義のアイデンティティ論)とした。この機会は有難かった。そこで初めて哲学科の同僚たちと学問上の議論を交わすことができたからである。
学者の接触の場を準備し知的交流を生み出そうとする努力はフランスの大学生活を通じて学んだ点の一つである。人の交流のための機会が実に多く用意されていて、国際学会(colloque)はもちろん、姉妹校制度、「エラスムス」と呼ばれる交換教授(および学生のための国際的な単位交換)制度などによって、内外の学者が街に滞在しまた去ってゆく。そうした折に研究者同志食事をし、家に泊め、話をさせる。人々はそのために気を配り、時間を割くことを惜しまない。文化交流は、大学の研究所の主要な機能の一つになっている。ヨーロッパの大学にはそういう伝統が残っているようであった。
(しばた ゆう 所員・国際学部教授)
バーンホッフ・ミッション 濱野 一郎
1992年度研究休暇中、8月より11月まで資料集めの目的でイギリスのバーミンガム大学を訪れました。研究目的は、現在イギリスで進行中の「コミュニティ・ケア」改革・・・・日本でも福祉における中心的な課題となっていることがらですが、老人や障害者や子どもの福祉を中心に、在宅福祉サービスを、とりわけ地方自治体が中心となって今後いっそう進めていこうとすることに関する改革・・・の実態を把握することでしたが、ここではキリスト教会に関連した体験を一つ述べさせていただきます。
イギリスに到着する前にわずかな日数でしたが、ドイツのチュービンゲンに、そこに住んでおられる日本人の横井さんという方を、明治学院大学の非常勤講師を努めておられる横山正美先生にご紹介していただいて、お尋ねしました。横井秀治さんは以前日本で障害者施設の職員をされていて、障害をもっているお子様の親でもあります。ドイツ人の奥様の実家チュービンゲンに住んで、ドイツの福祉や一般的や事情を満載した「TUBINGENから」という個人通信を定期的に発行され、日本をはじめいろいろな国の読者に送るという仕事をされています。こういう事情で当地を訪れる機会を得ましたが、訪れてみてこんな美しい街があるのかと圧倒されてしまいました。聞けばキリスト教神学では有名なチュービンゲン大学のある大学都市であるということで、専門の方々には著名な都市のようです。
それはともかく、奥様は近くのプロテスタント教会の会員ですが、日頃は「駅のミッション」(バーンホッフ・ミッション)といわれる仕事に就いておられました。比較的大きな鉄道駅に事務所を開いてそこに日々通い、駅を通過するお客の中で、老人や障害者など重い荷物を運べなかったり、気分の悪くなったりでいろいろと難儀をされている人々のために1日奉仕活動をするお仕事です。私が訪れたときも、疲れたお年よりを介抱しているところでした。
聞いてみますとそれは奥様所属の(夫の横井さんは別の教会の会員とのことでした)教会から派遣されているとのことでした。ドイツ全体に広がっている習慣なのか、あるいはヨーロッパでは普通に行われているのか、寡聞にしてまったく知りませんが、私たち日本人から見てすばらしい試みのように思われます。決して目立つ行為ではありませんが、驚くべき自然さで、さりげなく、日常的営みとして他者への援助活動がミッションとして行われているそういう文化的営みを実感させられた一駒でした。駅という舞台、そこにヨーロッパをはじめ全世界の人々が行き交う、そういう背景の中での一種の旅行センチメンタリズムのせいだけだとはいいきれないような思いをしています。
(はまの いちろう 所員・社会学部教授)